奈良市外

慈光院 庭を鑑賞しながら、抹茶をどうですか?
精進料理も少人数であれば予約なしでも可能です
2 浄瑠璃寺 当尾の山々がひくい山並みをゆるくもたげ、その間に浄瑠璃寺の池は鏡と光る。そのゆるやかな
汀を見せる苑池の西方に九体阿弥陀堂が、また東方には薬師仏をまつった三重の塔が対峙している
静寂と清浄の理想郷   浄瑠璃世界がそこにある
またここには秘仏の 吉祥天がありこれを目当てにくる人も多い
岩船寺
浄瑠璃寺の近くにあり紫陽花の咲くころが、最も美しいといわれている。鄙びた山寺のたたずまいに
三重の塔のしずんだ影が池面にゆれる。配置が浄瑠璃寺と同じです
またこの近くは石仏が多くあります。 阿弥陀三尊  笑い仏等があります
吉田寺 恵心僧都源信が建立した寺で本尊の前で念仏を唱え祈祷を受けると長く病み患うことなく
安らかに臨終を迎えられるといわれている
まためずらしい屏風があります
談山神社 檜皮葺きの屋根を重ねる十三重の塔がを中心に極彩色の装飾金具を使った社殿があり関西の
日光といわれている。祭神は大化の改新を企てた藤原鎌足と中大兄皇子と策を談じあった山、談山と付けられた
11月第2日曜日には蹴鞠祭がおこなわれる(この祭りは鎌足と中大兄皇子がはじめて出会ったとされている
紅葉がきれいです。
岡寺 草壁皇子の宮殿跡を義淵が賜り、境内の池に龍神を勧請して石で龍穴を塞いだので「龍蓋寺」と称する
寺は西国三十三ヶ寺の7番札所になっている。
本尊の如意輪観音は平安時代の末期の作とされており高さ4.5mで、日本最大の塑像で古くから厄除け
観音としての信仰が厚い
石上神宮 山の辺の道の起点にある寺で入母屋造りの、桧皮葺きの拝殿は鎌倉時代の建築といわれている
祭神 布都御魂大神(ふつのみたまおおみかみ)は神剣、神武天皇東征の時、熊野の高倉下命(たかくらじのみこと)から献上されたものだ。天皇はこの剣で意に従わない神々を平定し後の崇神天皇天皇の時
祠を建てて祭ったのが始まりといわれている
またここは物部氏の氏寺とされており武器庫を有していた
百済の王より贈られた珍しい形の七支刀(ななつさやのたち)が国宝として保管されている
大輪神社 山全体が神殿であり拝殿のみがある
酒の神様であり各地の酒蔵の入り口にある杉玉はこの神社で受けたものである
長岳寺 山の辺の道の中間地点にある寺で本尊の阿弥陀三尊像は日本で初めて水晶の玉眼を施した
平安末期の作といわれている。空海の創建した寺といわれている
10 朝護孫子寺 聖徳太子がこの寺で必勝祈願をして戦いに望んだところ、毘沙門天が目の前に現れ、勝利を収めた
これより信ずべき貴ぶべき山として、信貴山と命名した

歴史で読んだ「信貴山縁起絵巻」がある
三巻より構成されている
1)尼公巻    当山の中興の命漣上人の姉が上人を訪ねてきて東大寺の大仏殿で一夜を明かし
          弟の場所を教えてもらうよう祈りました。その結果大仏のお告げがあり、信貴山に弟がいる
          事がわかり20年ぶりの再開をした
2)飛倉巻    京都の山崎に一人に貧者がいたが命漣の薦めにより毘沙門の信仰をしたところ長者になった
          時がたち命連の教えも忘れ怠惰な暮らしをするるようになり、お布施の米も惜しがり
          お返しをする托鉢も米倉に投げ入れる始末でした
          うると米倉が空に舞い上がり信貴山の方向へ飛んでいきました
          そのときの情景を長者を中心に克明に絵にしています
3)延喜加持巻 延喜に時の醍醐天皇が重い病に罹(かか)られました
          命連の不思議な法力のうわさを聞いた勅使が朝廷にきて祈祷してほしいと頼みますが
          命漣は信貴山で毘沙門天皇に祈りますと告げた
          満願お日がきた時はそのしるしに剣の語法童子が朝廷に出現すると次げた
          はたして数日後帝の夢の中に語法童子が現れ霊験もあらたかに 亭の病も全快した
          千の剣を持ち、黄金の車輪をまわし雲を呼びながら、帝の枕もとへ急ぐ童子の姿は
          絵巻の最大のクライマックスの場面です
          この部分は 切手にも採用されているため見たことがあると思います 
11 円城寺 柳生街道の隋一の名刹。忍辱山と号し人気のない境内は浄土式庭園と瀟洒な楼門が幽邃な
雰囲気をたたえている
12 正暦寺 奈良市の東南に位置にあり紅葉がきれいなお寺です
また孔雀明王の素敵な姿があります
孔雀は毒蛇の天敵であることより孔雀を使って毒物、災害から人を守護する仏として信仰されてきた
13 当麻寺 奈良時代の東塔、西塔があり、中将姫の伝説の寺であり蓮の糸で編んだといわれている当麻曼荼羅が
見どころです。ただし現在では蓮の糸の痕跡はないそうです

中将姫伝説
聖武天皇のころ右大臣藤原豊成の娘だった中将姫だが継母に捨てられ大麻寺で出家した
現世での極楽往生を遂げたいと熱心に信仰したところ仏様が姿を変え化尼と化女が現れて一夜のうちに
5色の蓮糸とで曼荼羅を織り上げ姫に与えた
その後次第に姫が自ら織ったのと伝えられるようになった
14 叡福寺 奈良市の南西にある磯長(しなが)のこの寺には太子の母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひこ
太子が愛した妃 膳大郎女(かしわのおおいらつめ)、太子の3人が合葬されている
なおこの近くには小野妹子の墓もある。ここは太子自らがこの地に5色の瑞光を見てこの地を天下無双の
霊地と感じて横穴式石室の廟所を築造したとされている



奈良県の歴史探訪

聖徳太子のなぞに迫る


年輪年代測定法