高台寺
場所 | 清水寺のすぐ北にあり、台所坂を登っていくと山門がある。車で行くと南側の駐車場より入るため見逃してしまいます |
概要 | 秀吉の正室であった北の政所が秀吉の死後出家して二十年間を過ごしたところです 寧々は桜をこよなく愛した人であり、境内には桜の木が多くあり、花の時期には参詣者も多いです |
開山堂 | 寺の入り口にあるお堂であり。ここには北の政所が帰依した「三洪紹益」が祀られている。右手には秀吉の兄とその妻が祀られている 天井は秀吉が使用した御座船と、北の政所が使用した御所車の絵が飾られている 次に開山堂より御霊屋へ延びる「臥龍廊」が素敵です。このような廊下は他の寺でも見られますが。 |
御霊屋 | ここには秀吉と北の政所が祀られていますが内部は蒔絵の素敵な世界です 高台寺蒔絵といわれています 右側に秀吉が左側に北の政所が祀られています蒔絵のモチーフは秀吉の辞世の句が取り入れられています 露と落ち露と消えにし、わが身かな難波の露も夢のまた夢 この絵には筏の絵が描かれており、これは人生を筏にたとえて表現をしていますすなわち成り行きに任せるということを表現しています |
茶室 | 御霊屋をさらに上に進むと二つの茶室があります。傘亭は文字道理竹を中心にして作られています もうひとつは時雨亭です。ここからは京都の町が一望できる場所にあります。 この時雨亭より北の政所は夏の陣で炎上した大阪城を眺めていたといわれています。 北の政所は徳川家康の財政的な援助を受け、慶長8年天皇より高台院の号を賜った。 |
織田有楽斎 | 秀吉の弟であった織田有楽は武士でなかったため秀吉に没後も徳川家のお茶の師匠としてに江戸に住んでいた。 この住んでいたところが現在の有楽町である。有楽斎のなまえにちなみ名づけられた また有楽が使用していた茶室が「如庵」と名前が付けられており戦後になって犬山市に移転され現在国宝として現存している。 この周辺には国宝である犬山城もあり日本ラインの名所として観光客が多い。 また近くには明治時代の建造物を移築した「明治村」があります なお犬山では岐阜と同様夏には鵜飼が鑑賞出来ます |