2008-8 FrontPage



この家を 鴨ものぞくや 仙波沼
正岡子規


茨城県水戸市梅香のマンション敷地内


「 ・・・ こゝを出て四五町行きて菊池仙湖の家に至る。案内を乞へば五十許りの翁出で來る。容貌の似
かよひたるに仙湖の親ならんと察し仙湖の在否を問ふに、今此下を通りし汽車にて出京したりといふ。」
(正岡子規「水戸紀行」より)

この文は明治22年4月、
まだ学生だった正岡子規が、学友菊池謙二郎(仙湖)の実家を訪れたときのことを書いた、随筆「水戸紀行」の一節だ。
一昨日、訪水の予定をしたためて仙湖宛に投函した葉書は、あいにくこの日はまだ届いてなかった。
謙二郎は一足違いで上京したそのあとだった。

冒頭の句は、
水戸のシンボルである千波湖を見下ろす高台にあった謙二郎の実家で、
そのときに子規が詠んだものとされる。
その地は今、高級マンションに変わり、子規の句は遺ったが、
仙湖・菊池謙二郎の名を知る人や何処。

・・・・・

仙湖 : 菊池謙二郎が称した号
仙波沼 : 別名仙湖、千波沼。現在は千波湖

2008.8.11-13