大聖寺の沿革
初代、旧高浜講堂の大聖寺境外地 高浜市青木町6丁目6−20変遷および大聖寺の興隆について
明治40年 旧高浜講堂(大聖寺の前進)の建立
現大聖寺門信徒神谷泰寿の先祖等8名が発起人となって高浜市青木町6丁目6−20に高浜講堂を建立された。高浜講堂は浄土真宗の説教を聞く道場として開設した。
大正3年 平松教遠師の登場
大正8年
大正12年
昭和3年
昭和13年
昭和20年 (1945)
平松孝順師が基礎から発展へと尽力してきた住職です。平松孝順住職は第2次世界大戦当時日本軍が 北朝鮮ピョンヤンに駐屯しておりその1人でありました。1945年8月に、武装解除ロシアの捕虜 にされシベリアに抑留された。ロシアから「みんな東京に帰れるぞ」と歩かされ到着した所が酷寒の シベリアであった。その終戦の年は一番寒く零下40℃の酷寒と空腹で多くの仲間が亡くなっていっ た。丈夫な若い人間でないと生きられない。その中で運良く、体力もあり生き延びることができた。 日本に生還でき生きているあかしが「仏法を世間に広めよう!」という契機になった。この体験が現 在の大聖寺を支えてきたバイタリティのひとつの要因であります。
昭和25年 宗教法人法の施行
開祖である平松教遠師が死去する 三男平松孝順師がシベリア抑留から生還し帰国
昭和29年
昭和30年代
昭和41年