西尾 稲荷山茶園
1191年、栄西が宋から持ち帰った茶の実を明恵が栽培して広め、1271年実相寺開山の聖一国師が西尾に茶を伝えている。明治5年頃紅樹院の足立順道が新たに宇治より茶の種と製茶技術を伝え、やがて日本有数の抹茶生産地となった。茶を栽培し、摘みとり、蒸し、乾かし、石臼で挽く作業も祭りの一種である。
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解説
『茶祖から西尾稲荷山茶園へ』
質実ともに日本有数の抹茶生産地
西尾には重要な文化史も伝えられている。茶経を記した茶祖・中国八世紀の陸羽らの唐風文化が遣唐船で伝えられ、1191年栄西が宋から茶の実を持ち帰り、明恵が栽培して広め、実相寺開山の聖一国師が西尾にお茶を伝えた。
草庵茶の湯の祖・村田珠光の茶の湯を利休が確立して古田織部、小堀遠州、千宗旦、山田宗徧らの茶人が日本の茶の湯を深めた。この版画は、お茶を育て、摘みとり、蒸し、選別し、石臼で挽いて抹茶を作る工程も描いた。 |
西尾城趾まつり
承久の乱(1221年)の戦功により足利義氏が三河の守護に任じられ、西条城(西尾城)を築き、源氏相伝の宝剣髭切丸を白旗一流とともに納め、城内に御剣八幡宮を建立した。江戸期は六万石を誇り、代々の城主は老中の重責を担っている。丑寅櫓周辺の桜が美しい。
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