幼少の頃より切手集め、当時はパソコンゲーム機等の遊びも無く、誰もが一度は「切手集め」
をやったのではないでしょうか。
Nobopinは、いまだ子供離れがしないのでしょうか。
自分で給料を貰うようになってからは、当初殆ど元郵政省へ給料を運んだわぁ。
高三の頃、「切手」誌(週刊)の故秋葉凱照氏著「世界各国の初日カバー」を読んでから急に
初日カバーに興味を覚え、次第に深みにはまる。
外国語も分からず、コレポン(Correspondence)を始め米国の「カバー・コレクタース・サーキット・クラブ」
(4C)ヘ加入して、更に加熱する。
下手なスペルで宛名を書いたら、折角の綺麗な初日カバーも台無しになるため、
給料を貯めて最初に買ったのがブラザーの英文タイプライターだった。
当時の給料が7,000円程で、20,000円近くしたと記憶する。
悪い事に、その後昭和41年の全日本切手展に出品し入賞する。
もうこうなると「カバー収集」から逃げられにゃ〜ゎ。
何年か前から外国との交換及び郵頼等による自らの初日カバー作りは休眠中です。
尚、我が趣味を誰も引き継いでくれる者がいなく、平成20年途中に寄託金の切れるのを最後に
「松屋」さんの初日カバーの購入も中止することに決断した。
写真は、日本国際切手展会場で発行された写真付き切手(2001年8月発行)
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インドアーから、アウトドアーへ ・・・
オリエンテーリング篇
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子供が大きくなり家中を駆け回るようになると切手や初日カバーの店が家では開けなくて、
大事なものはみんな仕舞込んでしまう様になり、また楽しみも子供の成長の方へ目が向く。
偶々会社にオリエンテーリングを親切に教えてくれる人がいたので、
ハイキングのつもりで子供を連れてたびたび大会に参加するようになったのが、そもそものきっかけです。
子供も高学年になると子供会の行事や、まして中学になれば部活等で親父には付いて来なくなる。
そんな頃、個人クラスに参加するようになり、三河オリエンテーリングクラブへ加入した。
以来40何年間、今日まで(当時H35Aから現在M75Aまで)未だにたいした上達もなく、大会に参加してきました。
平成19年夏ごろから、平成20年も同様の状況で転居を考え家探し、引越しやらで大会の参加も休眠状態、
平成21年秋から、再び大会に参加し始めましたが思うようには体が付いて行けません。
近頃は大会に参加よりも運営のお手伝いが主になりました。
野外活動指導者「オリエンテーリング・ディレクター2級」資格取得も現在は返上しました。
令和6年1月に三河オリエンテーリングクラブも退会しました。
| 写真は、フィンランドのオリエンテーリング世界選手権大会の記念切手(2001年7月発行)
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