梅の木狸 |
波止浜の仲之町に、梅の木壇十郎という狸がいました。この狸は、円蔵寺にある天神様のお使いをしていましたが、侍や娘に化けるのが得意でした。よく円蔵寺の裏山の頂から侍姿になって出てきました。また、とても頭がよく、奇知にとんでいました。 ある時、ライバルの讃岐の狸と腕比べをしたことがありました。梅の木狸は、実際の大名行列がやってくるのを知っていて、相手に大名行列をやって見せるからと化けくらべの挑戦を申し込みました。相手の狸は、それが本物とも知らず、そっくり同じ化け方をしましたので、即座にその場で狸のしわざと見破られ、無礼打ちにあいました。 また、この梅の木狸は、よく波止浜の料理屋や酒屋へ酒を飲みに行きました。いつも通帳は持っていましたが、帰るときは決まって現金払いで、一度も付けにしたことはありませんでした。ところが、翌朝それを見ると、木の葉っぱだったそうですが、梅の木狸がやって来ると、その店は奇妙に繁盛したので、だまされたとわかっていても大歓迎をしました。 ところで、この梅の木狸が日露戦争に従軍したということで、次のようなおもしろい話があります。 大陸で日本軍がロシア軍に苦しめられ、形勢が不利になっているのを知り、多くの狸族をあつめて、海を渡って従軍し、いろいろと化け戦術を使って勝利に導いたということです。なかでも、赤い服を着てロシア軍を攻撃し苦しめた話は有名で、ロシア軍が赤い服を着た兵隊をいくら撃っても、まともに当たらないのに、赤い服を着た兵隊がロシア軍を撃った弾丸は、百発百中であったそうです。 ―日清、日露の戦争をはじめ、戦争で日本の狸が出陣し、日本軍を助けて戦果をあげた話は、この梅の木狸に限らず他にもいろいろあります。― この戦いの功によって梅の木壇十郎という姓名を賜り、勲章を授けられました。戦場から帰って、波止浜の仲之町の広場で、戦いの様子を民衆の面前で話していたところ、凶漢ならぬ野良犬のためにかまれて不慮の死を遂げました。 この梅の木狸の巣は、仲之町の来島ドックの事務所から、波止浜公園へ上がる途中にある老杉の木の根っこに近いところにあります。 昔は、この梅の木狸の巣に頭を下げてお願いすると、小判や手形、その他膳や椀などの小道具を貸してくれたそうですが、不心得者がいて返済の日を違えたり、返さなかった者がいたので、その後、一切貸してくれぬようになったということです。 はじめ、稲垣さんという人が個人でお祭りしていましたが、現在は巣の前にお堂を建てて、八股大明神、禿金大明神、八目大明神等と合わせててい重にお祭りしています。波止浜の栄町の池内肇氏が中心になって世話をしていますが、年に一度は盛大にお祭りをしているそうです。 |
(大沢文夫著 今治地方の伝説集 より) |
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