狸塚


 昔、多聞寺があるあたりは雑草や樹木が生い茂る寂しい土地で、狐狸が多くすみつき、村人や旅人を化かしたりと悪戯を繰り返していた。

 そんな状況をみかねた多聞寺の中興である鑁海(ばんかい)和尚は、人々の難儀を救おうと土地を切り開き、そこに寺を建てた。
 そして周囲の草を刈り、狐狸の住処だった本堂前の大きな松の木を倒して、狐狸を追い出してしまおうとした。

 しかし狐狸たちも負けてはいない。大地を地震のように震わせたり、土砂を降らせたり、大木を倒したりと、悪戯は激しくなる一方だった。

 和尚は一心に本尊の毘沙門天に祈り続けた。そんなある夜、和尚の前に雲をつくばかりの大入道が現れ、「この土地から早く出てゆけ!」と脅しつけた。
 するとそのとき、毘沙門天に仕える童子が空から舞い降りて、宝棒で大入道をさんざんに打ちつけた。

 翌朝、和尚が庭に出て見ると、夫婦の大きな狸が死んでいた。和尚はこの狸を哀れに思い、切り倒した松の根元に葬って、塚をつくってその霊を慰めた。これが今に伝わる狸塚である。


 別説

 天正年間のころのこと。鑁海和尚の夢枕に不動さんが現れ、「わしは隠居することになった。明日の朝、巡礼の笈に入れられた後任の者がくるから、よろしく頼む」といって消えた。
 翌朝、夢の通りに笈を背負った巡礼が訪れ、笈の中にあった毘沙門天像を置いていった。

 和尚はこれを二代目の本尊として大いに忠誠を誓った。
 しかし、山門の傍らの松の洞に永年すんでいた古狸夫婦は、このことに関して不愉快に思っていた。
 「不動のやつ、当然今度の主任は俺がなるはずだったのに、よその毘沙門天なんかに頼みやがって……」などと文句をいって、うさを晴らすように参詣人を叱ったり脅かしたりしていた。

 そのうち矛先を変えて今度は和尚を困らせようと、問答を仕掛けるようになった。
 和尚は人間相手ならいざしらず、狸相手の問答では勝手が違うと、大変難儀していた。
 そんなとき、毘沙門天の童子である普尼子童子が和尚に加勢し、宝棒でもって狸を打ち殺してしまった。

 和尚は罪を憎んで狸を憎まずと、松の根元に狸を葬り、碑をたてた。これが今の狸塚であるという。
 多聞寺には、狸と和尚が問答している様を描いた掛け軸があり、今も寺宝として伝わっている(非公開)。

妖怪愛好会隠れ里(http://www32.ocn.ne.jp/~kakurezato/index.html) より


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