狸塚のいわれ


 むかし、江戸幕府が開かれる少し前、今の多聞寺のあたりは隅田川の川原の中で草木が生い繁るとても寂しいところでした。 大きな池があり、そこにはひとたび見るだけで気を失い、何か月も寝込んでしまうという毒蛇がひそんでいました。

 また、「牛松」と呼ばれる大人が5人で抱えるほどの松の大木がありました。 この松の根本には大きな穴があり、妖怪狸が住みつき人々をたぶらかしていたのです。

 そこで、多聞寺の中興である(ばんかい)和尚と村人たちは、人も寄り付くことが出来ないような恐ろしいこの場所に、お堂を建てて妖怪たちを追い払うことにしました。 まず、「牛松」を切り倒し、穴をふさぎ、池を埋めてしまいました。 すると、大地がとどろき、空から土が降ってきたり、悪戯はひどくなるばかりです。

 ある晩のことでした、和尚の夢の中に、天まで届くような大入道が現れて、

 「おい、ここはわしのものじゃさっさと出て行け、さもないと、村人を食ってしまうぞ。」

と、脅かすのでした。

 和尚はびっくりして、一心にご本尊の毘沙門天を拝みました。
 やがて、毘沙門天に仕える禅膩師(ぜんにし)童子が空から舞い降りて、妖怪狸に話しました。


  「おまえの悪行は、いつかおまえを滅ぼすことになるぞ。」

 次の朝、二匹の狸がお堂の前で死んでいました。 これを見た和尚と村人たちは、狸がかわいそうになりました。 そして、切り倒してしまった松や、埋めてしまった池への供養のためにもと塚を築いたのでした。 この塚はいつしか「狸塚」と呼ばれるようになりました。



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