江戸末期以来毎年のように地区行事として各戸から一名賦役として出動し、農作物を食い荒らす野獣どもを捕殺又は追い払うために鉦や太鼓で山狩りするのが慣例であった。
和泉地区の山腹にある「サザエが岳」の洞窟を根城としていた「おさん」狸は愛媛県下でも有名な大老狸であったそうな。その眷属の一匹が狐狸界の修行道場(ぎょう場)のある佐田岬半島の突端近くに塩垢離に赴く途中にたまたま当地区の山狩り行事に遭って捕殺されたそうだ。
ところが、その後地区では思いがけない火災の続出、加えて疫病の流行やさらには直接に狸を捕殺した者の家庭では ―地区行事に忠実な役目を果たしたために思いもよらぬ不幸ごとが連続して発生するなど、地区を挙げての大騒ぎとなったそうだ。誰いうともなく、これは狸さんの怨念だ― いや古狸の祟りだとか、あれこれと不安な日々をすごしていた。
これはなんとかせねばということになり、地区住民の話し合いで狸地蔵さんを建立して狸さんの霊を慰めようということとなり、一匹の狸さんを刻んだ地蔵様を祀ることにした。数年間は地区も比較的明るさを取り戻していた。ところが心ないだれかのいたずらから、このお地蔵さんをどこかへ投げ捨てたそうだ。またしても前述のような災禍に見舞われることとなった。
再び地区民が協議のすえ、今度は二匹の狸さんが向かい合わせにしたお地蔵さんを地区一同で建立し、しかも豊神社と刻字し神様として崇敬するとともに地区の平和と安全を祈願することになった。
ちなみにお地蔵様には「大正四年塩成区建立豊神社」と刻字されている。
|