デンドのオショボ狸

 周桑郡の國安村から、三芳村へ行く途中に、晝でも暗い松林がありました。この中間を、普通に、デンドの渡ろ、こう言いまして、正法寺の本堂裏になっているのです。この本堂裏のことを、殿堂の渡ろとこう言っておりますようで、ここから、このお話の主人公の名が、でてきたのではないでしょうか。
 それはともかく、この本堂裏が、一番ぶっそうなところであったのです。ですから、皆さんは、
 (ははァ、ここにすんでいるのが、この話の主人公なんだナ)
 こう思われるにちがいありません。
 たしかに、その通りなんです。オショボ、変わった名前の狸ですね。この狸は女の子に化けるのが十八番なんです。そして、通行人や里人にいたずらして、ひとり、ほくそえんでいるのです。

 ひとり者で、のんき者の、大平さん、この人は、三芳村でも、ちょっと評判者の車夫です。うまれつき、ひょうきんで、ひょうきんに似合わず、俳諧や口合が達者なのです。いえ、達者だったから、ひょうきんだったのです。頓智もあったのでしょう。と言っても、それは、口の上のことでありまして、身なりなどもちっともかまわず。ある時など、股引のまたのところから、さるまたのひもが吹く風にふわりとぶらさがっていたりしていました。それに、人相が、見るからに笑いをさそう、すこしだんご鼻の、太い八の字眉、お月さまのような丸顔、憎めない人相なのです。顔を見ただけでもうこの人の内から、こっけいさがあふれてくるのです。

 ある時のことです。
 夜獅子の笛でしょうか、秋の夜にしては暗すぎる村の遠くから、ピイピイ、ヒヤララ、かぼそい音色が流れてまいります。
 「いやもう今日という今日は、すっかり御馳走になってしもうて﹍﹍﹍
 太平さんは、祭礼の案内をうけたその家の戸口から外へ出ました。暗い。
 祭太鼓の音が、暗闇をゆするようにひびいている。
 「お氣をおつけになって」
 「大丈夫!いくら酔っていても足だけは大丈夫!どうもごちそうさまでした。」
 土産の重箱をさげた大平さんの足は、しかしひょろり、ひょろり、口とは反対でした。暗闇に目をすえながら、
 (道だか川だか、かいもく見当がたたぬわい。うっかりすると落ち込むかも知れん)
 氣をくばりながら、デンドの渡ろへさしかかった時でした。
 (おや?)
 大平さんの耳が、大きく伸びあがりました。暗闇のはるか彼方から、火のついたような赤子の泣声なのです。
 (お祭りの晩だというのに、あんなに泣かさんでもよさそうなものだ)
 それにしても、泣声は、耳元でしているかと思われる。大平さんの足は、その泣声を迫うていました。乳呑児を負うた女がしょんぼりと立っておりました。女の白い顔と赤子の泣声と、
 (こんな暗闇の中で)
 大平さんは、急に、寒さを背すじにおぼえ、胸がドキドキし始めました。
 「あ、もし!」
 大平さんの足音が近ずいた時、その女が声をかけてきました。その声の澄んで、きれいなこと、きれいすぎて、大平さんはびくッ、思わず、根が生えたように、女の前で立ちどまってしまいました。
 「道に迷うて、こまっているのです。あんまり暗いので、どこをどう行ってよいか、すみませんが、三芳までつれて行ってくれませんか」
 (なんだ、道に迷うた女か。可哀そうに、赤子まで泣いている)
 大平さんは、正直なところ、夜更けであったし、それに少しうそ寒くもあり、早く帰りたかったのですが、すがられると、いやとも言えず、しぶしぶ承知いたしました。道に迷うた女だったので、胸のドキドキもしずまっていたのです。
 「いっしょに行こう、暗いなア」
 「おねがいいたします。」
 行きかけると、ふしぎなことに、あれほど泣いていた赤子が、ぴったりと泣きやんで、あたりはシンとした暗闇、たしかにすだいていた虫の音も声をひそめてしまっている。女も無言で、ぽつぽつと、大平さんのあとからついてくる。
 (むッつりした女だよ、この女は)
 内心、大平さんは、ものたりませんでした。話相手がほしくもあったのです。
 「赤子は、風邪ひきはせんかな?」
 話しかけていって、うしろふり向いた大平さんは、
 (あれ!)
 暗闇をすかしてみましたが、ふしぎなことに、女の姿は、そこにいないのです。男の足なので、女がおくれているのか、とも考えたのですが、そんなふうもないのです。
 (へぇ!)
 とたんに、大平さんは、頭から冷水をあびた思いです。さほどでもなかったおそろしさが、暗闇のかたまりとなって身うちへとび込んでくると、
 「わッ!」
 一目散に走りだしました。うしろから、何者かがえりがみをつかもうとしているような、大平さんは無我夢中、足を空にしています。

 デンドの渡ろを通り抜けると、大明神河です。橋らしいものはなく、河原の中程に、流れ木を二,三本たばねてかけた仮橋があるだけです。大雨のあとは、あとかたもなく、通行人は、じゃぶじゃぶ渡らねばなりません。
 この河をわたると、北岸に、そこが三芳村なのです。渡ったところは、三島倉といって、そこにも、松の木が茂って、土手沿いにえんえんとつずく林です。
 大平さんは、ついこの近くに住んでいるのです。

 朝―
 野良へでかけた里人の久太さんが、ふと、前の方を見ると、松原ごしのソバ畑で、尻をたかだかとからげて右手に下駄を、左手にみやげ物を、大平さんが怪しげな足どりで、
 「わア深い、深い深い、深いぞ!」
 つぶやきながら、あぶなげに渡っているかっこうではありませんか。そのうしろ姿を、太陽がさんさんと、松原ごしに照らしています。鳥の啼き声もはやしているようです。大平さんのこの時のかっこうは、ドジョウすくいそっくりとでも言いましょうか、こっけいな反面、一幅の俳画ででもありました。これもオショボ狸のいたずらだと、村雀のさえずりは、たちまち電波のごとくひろがってゆきました。

(合田正良著 伊豫路の傳説 狸の巻 より)


おしょぼ狸


むかし、むかし正法寺あたりがずーっと松林やったころ、その松林に、「おしょぼ狸」ちゅうて悪さばーかしする狸がおったんやと。

 そのころ、寿聖寺にお酒の好きな和尚さんがおったんじゃがの、この和尚さんが河原津へ法事に行って、精進おちにたーんと酒やごちそうをよばれたんじゃ。折詰や酒を土産にもろうて正法寺の松林をホクホク帰りよったら、林の中から小坊主が飛び出してきよって、「おっ(和尚)さん、角力とろや」と言うたんじゃちゅうわい。だいぶ酔うとる和尚さん、「どこの小坊主か知らんが、わしがひとひねりしちゃろ」ちゅうことで角力を始めたんじゃそうな。
 寺の方では和尚さんの帰りがあんまれ遅いもんで心配しよったそうな。
 ところで和尚さんが寺にもんたんは真夜中じゃった。それも、手土産は持たんと、下駄の鼻緒と空になった徳利をぶらさげて帰ったんじゃと。
 このように、おしょぼ狸は通行人にさいさい悪さをしよったんじゃそうな。

 またある時、国安の平吉さんちゅうおいはんが、上市の砂糖を売りに行ってのかえりに、大明神川を渡ってしばらく行くとソバ畑が広がっとったんじゃが、そのソバ畑の中を若い女が着物のすそを腰まであげて歩き回りよったんじゃと。平吉さんは不思議に思うて、「どうしよんぞ。」ちゅうて声をかけたんじゃ。そしたら、「そっちは深い、そっちは深い。こっちが浅いけん、こっちを渡れ。」と言うとるんじゃと。それを聞いたおいはんは、(おしょぼ狸め、悪さをしやがって)と舌うちして、ソバ畑から女の人を助けだして、「あんた、狸に化かされとるんじゃ。しゃんとせい。」ちゅうて、おもいっきり背中をどうづいたんじゃ。ほして、正気にもんた女の人を新町の円照寺のはたまで送っていったんじゃちゅうわい。

 あくる日、平吉さんが三芳へ行っての帰り、正法寺のオオノボリの所で、どうしたもんか、前の道が急に真っ暗になってしもたんじゃ。(ははあ、おしょぼ狸め、きのうの仕返しに悪さをしやがったな。)と考えて、ここでバタバタしよったらやつの思うつぼになってしまうと、道ばたの石に腰をおろして煙草を取り出し、火打ち石で火をつけようと、カチカチやりよったんじゃ。ほしたらの、片方の石がポーンと飛んでいくんじゃ。今度こそはと思うて何遍もやったんじゃけど、つーいに飛んで行ったんじゃと。平吉はんは、よわってしもて、腕組んで天をにらんどったんじゃ。ほしたら、急に闇の中に一筋の白い道がスーッと見えてきたんじゃそうな。(やれやれ、これで家に帰れるわい)とホッとして、その明るうなった道をどんどん行ったんじゃ。ほじゃけど、なんぼ行っても家へはつかなんだんじゃ。
 とうとう夜があけてしもうてのう、気がついてみたら、象ヶ森の茨の中を体じゅう血だらけにして歩き回りよったんじゃと。

 悪さばーかししよったおしょぼ狸も、松林がなくなってからは、お宿を変えたか、どっかへ行ってしもたちゅうことじゃ。

(東予市誌 より)

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