大楠と三匹の狸

 別宮の大山祗神社の境内に、何かかえもあるかといわれるほどのとても大きな楠の木があって、昼でも薄暗いくらい枝が四方八方に広がっておりました。

 ここに、いつのころからか三匹の姉妹の狸が住んでいました。その名を「お奈遠」(おなを)、「お佐遠」(おさを)、「お袖」(おそで)と呼んでおりました。 ―楠の木と関係が深いところから、別に三匹の狸を「大楠さん」とも言っています。―

 これらの狸は、とても賢かったそうですが、時々妙なものに化けて、参拝者に意地の悪いことをして困らせることがありました。(別にそんないたずらをしたことはなく、賢くて気だてが優しく、また、何でも知っていた上に、人々の願いをはっきりと聞いてくれたという人もいますが、古老の間では、時々意地の悪いことをしていたという話を多く耳にします。)

 しかし、別宮の大山祗神社と隣合わせにある南光坊(真言宗、別宮町三丁目)の快道和尚 ―弘化三年(1846)〜大正十二年(1923)、頭脳明せきな上に体格にも恵まれた傑物であったといわれています。― の言うことは非常によく聞きました。

 これらの三匹の狸は、狸がくれならぬ神通力を使って、実際にその場にいて普通の人には姿をみせないでいろいろなことをしました。ところが、快道和尚にはよく見えたそうで、こんなおもしろい話があります。

 快道和尚がだれもいない縁側で、なれなれしく「これこれ、お奈遠や、そこで何をしているのかね。」と言うので、側にいた人が不思議に思ってだれかいるのか尋ねると「そこでお奈遠が日なたぼっこをしているのだよ。」と言われたそうです。

 ところで、ある時、金比羅堂の屋根の上に楠の木の枝がのしかかっていて、風が吹くと屋根をたたいて瓦をこわしてしまうので、村人たちが協議の上、これを切ることにしました。のこぎりなたを持ちよって、木を切る用意をして木の下に集まると、何とそれまで屋根すれすれにはっていた枝が、お天道さんの方へ向きを変えていました。

 快道和尚が三匹の狸に頼んで方向を変えてもらったのだろうということが、村人たちの間でも、もっぱらうわさされました。

 その後、村人たちの勧めもあって快道和尚は神主さんと相談して、楠の大木の洞穴の側に祠を建てて、てい重にお祭りしました。

 この祠を建ててからは、狸が人を化かして困らせるようなことは一切なくなりました。今度の太平洋戦争で、空襲を受け焼けてしまったので、別に新しく楠の木を移植してその端に祠を建てました。これらの祠は、それぞれ「お奈遠大明神」、「お佐遠大明神」、「お袖大明神」と呼ばれ、お願を賭けに来る人も多いそうです。

 お袖大明神の楠の木だけは戦前のもので、わずかに昔の名ごりをとどめています。

(大沢文夫著 今治地方の伝説集 より)

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