大気味神社・喜野明神(喜左衛門狸)

喜左衛門狸は東予北条の大気味神社に御仕えする狸であったが、長福寺の南明和尚と事のほか仲がよく、時々小僧に化けてお供をしていた。ところがつい尻尾をだらりと出して、「これ、喜左衛門」と注意されることがある。喜左衛門は「わしも年をとったものよ」と若い頃を思い起こしていた。

 阿波の金長と六右衛門が争った阿波の狸合戦に仲裁をかって出た讃岐浄願寺の禿狸と五分の相撲をとったことを懐かしく思い出し、禿狸と会いたくなって讃岐へ飛んだ。禿狸は薬罐に化けて、腹の毛をちりちりに焼かれたりするへまもやったが、風邪が流行ると木の葉を金に見せて薬を買い貧しい人たちに分けてやる優しさもあった。

 さて禿狸は折角だから手合わせをやろうといい、ぽんとバック転をして、壇ノ浦の源平合戦を見事に演じた。そして「喜左衛門。おぬし何を演る」と得意顔になった。そこで喜左衛門はお国入りする小松の殿様のことをふと思い出して「お前には負けるが、五月の五日に大名行列を見せよう」と約束した。

 約束の日に、禿狸が街道筋で待っていたら「下に、下に」と行列がやってきた。禿狸は手を叩きながら「喜左衛門、うまいうまい」と駕篭に近づいたら「無礼者め」と直ちに斬りつけられてしまった。禿狸は「わーっ。こりゃ本物じゃ。喜左衛門にやられた」と屋島へ逃げて帰ったという。

 周布村に住む瓦師のところへ、大気味神社の使僧と名乗る者が現れ、神社の屋根を修復するので瓦を何時迄に焼いてくれと注文して去った。瓦師は喜んで瓦を焼き始め、大半が焼き上がったのでそのことを神社に告げに行くと、神社ではそんなことを頼んだ憶えはないといわれた。

 瓦師はそこではじめて狸に化かされたことを知り、期限近くになって再び現れた使僧を捕らえて窯場に放り込んで焼き殺してしまった。

 その後間もなく、里に悪疫が流行ったり火事が続いたりしたので、焼き殺された狸の祟りではないかと思い、大気味神社の境内に喜野明神として祀った。以後、狸は大気味神社に奉仕し、忠実なる神使となった。

 こんな話もある。喜左衛門狸は日露戦争に出征した。小豆に化けて大陸を渡り、上陸するとすぐ豆をまくようにパラパラと全軍に散り、赤い服を着て戦った。敵将クロパトキンの手記には「日本軍の中にはときどき赤い服を着た兵隊が現れて、この兵隊はいくら射撃してもいっこう平気で進んでくる。この兵隊を撃つと目がくらむという。赤い服には、に喜の字のしるしがついていた」と書かれている。

 大気味神社の祭神は大気都姫神、大国主神、大年神、御年神、若年神、猿田彦神であり、毎年陰暦七月には祭りを行い、盆踊りをするという。


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