『松山騒動八百八狸物語』あらまし

伊予の松山には、天智天皇の御代以来、この地に住みつき、八百八家の眷属を従えている古狸がいた。この狸こそが、松山城主から刑部の位を授かり家中から深く信仰され、土地の人たちとも縁が深く「隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)」と呼ばれていた。

 享保17年(1732)、かつてない大飢饉に襲われ窮した松山藩は、幕府から多額の救済金を借りた。この金に目がくらんだ松山藩家老奥平久兵衛は、松山藩お家乗っ取りの謀反を企て、松山藩お家験動が勃発した。

 謀反を企てる久兵衛にとって、刑部狸は最大の邪魔もの。狸退治を、飛騨高山で生れ、幼いころ母を亡くしてといふ犬の乳で育ったという後藤小源太という剣士に頼んだ。
 刑部狸をはじめ八百八狸はいろいろな神通力で対抗したが、夜目を活かした剣術、神免鳥羽玉の太刀という秘術の使い手である小源太にはかなわなかった。そこで仕方なく刑部狸は、小源太が狸に危害を加えない代わり、もしも小源太が窮地に陥った際には、狸が霊力をもって守護するという約束を結んだ。

 こうなれば刑部狸は味方も同然。すっかり気を大きくした久兵衛は、小源太を七百石の中老に出世させた上、城主の愛妾お紺を仲間に取り込み大胆な策に打って出た。何とお紺に命じて城主に毒薬を盛り、中風にしてしまったのだ。
 城内は乗っ取り派と正義派に別れて大騒動。狸は、約束と正義の板挟みの中、あちらこちらに神出鬼没の化かし合いを繰り広げる物語が展開されて行く。

 久兵衛の本心に気づいた刑部狸は、今まで守護してきた松山藩の行く末を憂い、何とか久兵衛の悪巧みを阻止しようと、松平家の百回忌法要が行われる山越の長久寺で一計を案じる。家中の者が顔を揃えるこの日、久兵衛が大失態を演じればその場で手打ちとなるはずと考え刑部狸は、法要の席で久兵衛にだけ摩訶不思議な幻影をみせた。これに驚いた久兵衛は、松平家の祖先の位牌に切りつける騒ぎを起こすが、すでに家中で絶大な力を誇っていた久兵衛はこれで手打ちになるような小物ではなく、刑部狸のもくろみはもろくも崩れさった。
 近習頭・山内与兵衛は久兵衛の謀反を城主に直訴したが、逆に愛妾お紺の偽り事を信じる城主の怒りを買い、手討ちになってしまった

 一方、江戸の忠臣たちは、国元の忠臣である山内与兵衛が手討ちにされたため、小野次郎右衛門の高弟で免許皆伝の稲生武太夫という豪傑を味方に引きいれる。殿様から稲生武太夫が拝領した『菊一文字』の銘刀に、忠臣山内与兵衛の霊がのりうつり、この刀で後藤小源太は打ち取られる。さらに宇佐八幡神社から授かった神杖で刑部狸の神通力を封じ込め、悪玉奥平一派のお家乗っ取りの陰謀家たちを次々と成敗し一気にお家騒動を終息させた。

 神通力を失った八百八匹の狸は、とうとう久万山上の狭い洞窟に封じ込められ、今まで住んでいた久万山の古い大伽藍は、取りこわしとなってしまった。ただし、隠神刑部狸は松平家の祖先に仕えた功徳があったため、「供物を供え、毎年の祭りを欠かさない」という特に寛大な措置にあずかった。


この物語は史実ではなく、寛保元年に起った久万山の農民一揆を発端として文化二年、「伊予名草」で、松山藩のお家騒動となり、次いで天保年間の「松の山鏡」で怪談化され、それが講談となったものである


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