昔、と言っても、屋島の禿狸と、鶴岡の喜左衛門狸とが、化けくらべをした頃です。新居浜浦の一宮にも、小女郎といって、大へんかしこい狸が、すんでおりました。禿狸や喜左衛門狸と、いずれ劣らぬというところから、三幅対の一つになっておりました。しかし、中でも一番、年下の小女郎狸は「一番のわんぱくものだ」こう言われていました。
ある年の春。
ぽかぽかとあたたかいある日。
楠のほら穴で、晝寝をしていた子女郎は、丸い手で、眼をこすりながら、
「こんなよい天氣の日に、寝ていてはもったいない」
とびおりて、散歩にでかけました。
社務所の裏まで行くと、戸が一ぱいにあいていたので、なんの氣なしに、内がわをのぞいてみました。奥さんが白いエプロンがけで、何やらたちはたらいているし、すぐそばで、~主さんが、一匹の大鯛をたらいに伏せているところでありました。
急に、おなかのすいたような小女郎でした。よだれをたらしながら、いつまでも立っておりました。~主さんはすぐお座敷の方へ行ってしまい、奥さんも、しばらくして奥へ行ってしまいました。小女郎にとっては、よい時です。よい時をつかむのはかしこいと言います。小女郎のかしこいということは、始めに、ちゃんと申してあります。
小女郎は、鯛をかつぎ出しました。木のかげで、ひとりで食べてしまいました。お腹一ぱい、上きげん、散歩のことなど、けろりと忘れ、腹つずみを打つやら、ひとり踊るやら、それに春です、眞晝です、のんびりした、新芽の森です。上きげんにならずにはおられますまい。
用を片附けた~主さんが、料理しておくつもりで來てみますと、もちろん、鯛はありません。足跡がいくつもありましたので、小女郎のしわざと、すぐわかりました。~主さんは、そこにあった棒を握ると、大楠の下へ急ぎました。その荒々しい足音が、ほら穴の中へ、地震のように、ひびきました。
(大へんなことになった。)
小女郎の上きげんは、すとんと、さがってしまいました。地震のような足音が、ほら穴の前でとまり、あたりがしんとしてきた、と思ったのもつかのま、われがねのような声が、とびこんできました。
「おい小女郎、お前は長い年月、この楠の森にすみながら、いたずらばかりする不届千万な奴だ。今日かぎりこの森におくことはできん。出て行け、どこへなりと立ち去れ。」
こんなに怒ったのは、この時が最初です。
「ああ、しまった。こんなことになるのだったら、たべるのではなかった。どうして氣がつかなかったろう」
後悔、さきに立たず、です。おことわりしょうにも、おそろしくておそろしくて、夕方まで、ほら穴へこもっておりました。
叱られた小女郎は、泣く泣く一宮の森を出て、浜辺へ出ました。ぼんやり立っていると一そうの船がまわされて、やがて大ぜいの人々が、せわしそうに、鯛をつみ込みはじめたのです。
小女郎は、慈眼寺の和尚に化けました。船の人に話しかけました。
「船頭さんや、この船はどこ行きじゃな?」
「和尚さん」、大阪おもてへ出ますんで」
「丁度よい。急用が出來てこまっている。すまんが、この船へ便乘さしてくれまいか」
「さあさあ、お安いことで。こんな生くさいものと一しょでおよろしけりゃ、どうぞおのりなさいや」
小女郎は、そこで、船の上の和尚になりました。
船が岸をはなれ出ました。ほッとした小女郎は、すみんこに寄って、尾を踏まれぬよう用心に用心をしていました。
最初のうちは、さほど氣にもならなかった和尚の小女郎も、腹がすいてくると、鯛の匂いが氣になって仕方がありません。ほしくてほしくて、人のみていない時を、じッとうかがうようになっていました。鯛で失敗して、追放の身ということも忘れてしまって、たべたいナ、たべたいナ、ついに、がまんしきれなくなりました。
船頭さんが、食事をしているすきに、便所へ行くふりをして、とうとう一匹とってたべてしまいました。そのおいしいこと、くさっても鯛の味です。たった一匹、と思ったのが、また一匹、そしたまた一匹、おいしいものは、いつまでもたべておりたく、しかも、目の前に、おいしいものがあるのですから、辛抱できません。こっそり、一匹づつたべ続けておりました。いくらたくさんの鯛でも、毎日たべ、、しかも旅は、幾日も続くのですから、鯛のへりかたが、目立たずにいられるものではありません。船の人たち、ふしぎがり始めました。
ある時、帆柱のかげへ、むこうむきに座っている和尚さんのうしろに、人間にはついていないもの、尻尾がちょろりと出ていました。よくみると、鯛を一匹かかえて、むちゅうになって、たべております。
「このクソ坊主めッ、狸だなッ!」
船頭が、綱で、思い切りなぐりつけましたから、小女郎は三尺ほど、とび上がってしまいました。海の上だし、どうすることもできず、小女郎は、なんべんも、なんべんも頭をさげて、おわびするのです。
「まことに申訳ありません。実は~主さんにわるさをして、一宮を追いだされ、行先に困った末、またこんなめいわくをかけてしまいました。どうぞ、命だけは、お助けください」
すなおに、あやまれると、立っていた腹も、横になり、ふり上げた刃物でも、うちおろせなくなるものです。船頭さんもそうです。許してやったのです。小女郎は大へんよろこんだこと、いうまでもありません。それにかしこい狸ですから、よろこんでいるだけでなく、次のように、言いました。
「ありがとうございます。私のたべた鯛のお代は、大阪へついたら支拂います。港へついたら、私が金の茶釜になりますから、それを持って町へ行き、好きなだけの代金で賣ってください」
小女郎の言ったとおり、船が大阪の港について、船頭さんが、鯛をおろしている間に、今まで和尚であった人間が、いつのまにか金の茶釜になって、そこにすわっていました。
船頭さんはそれを、ふろしきに包んで、町の古道具屋へ持ってゆきました。店の主人は、今まで見たこともない珍しい品だと言って、たくさんの小判を出して買ってくれました。船頭さんは、ほくほくして船へ帰っていきました。
船頭さんの帰っていったあとは金の茶釜は床の上におかれて、なでたり、たすったり、小女郎の茶釜の身にとっては、困るほどでした。主人は、よほどうれしかったのでしょう。
ある日。
「どうも、手ざわりがけったいな。それに、こんなところにキズがあるし」
店の主人が、えんがわへもち出して、日の光でよく見ようとすると、どうしたはずみか、金の茶釜が手からすべり落ち、あッというまにころころころげて、庭のすみへいったかと思うと、ついに、見えなくなってしまいました。主人は、
「魔もののやった事にちがいない」
と大さわぎをし始めました。
小女郎は、庭石のかげへ小さくなって、かくれていながら、皆のさわぐのをじッと眺めておりました。
とつぷりと日も暮れました。茶釜の小女郎は、こんどは、きれいな娘に化け、店の庭から垣根をこえて、こっそり抜け出ました。
どこへ行くあてもない小女郎でした。道頓堀から千日前、あるくのですが、人通りの多いのにびっくりしていました。
「なんてまァ、きれいな嬢さんやこと」
「ほんま、どこのお姫さんでッしゃろ」
小女郎の化けた娘に、通る人々が立ち止まり、ふりかえって見るのでした。氣をよくした小女郎は、夜中までも歩きまわり、人々の目をそばだてました。
行先のない身ですので、友だちのいるしのだの森をたずね、つもる話をするうちに、とうとう皆に引きとめられ、長くそこの森にすむことになりました。
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