八堂山のお染狸

 八堂山の中腹にはお染狸を祭っており「八堂大明神」の小詞がある。一時期は、それはにぎやかに参詣者が山坂を登って登山口から祠まで幟旗が立てられていた。

 お染狸は雌狸で、また、反戦狸でもあった。熱心に祈ると、彼女は通力を発揮して、甲種合格の者でも、クジのがれするのであった。昔の壮丁は、甲種が多く入隊はクジ引きで決められたが、そのクジにあたって入隊しても原因不明の熱発にとりつかれ除隊になるということであった。ところがフラフラで帰宅したとたん、ケロリと憑きものが落ち元のように元気になる。また、戦場では弾の方が避けてとおったということである。

 また、このお染狸には別の特技があった。懸命に願掛けしていると、灸ツボのあたりがだんだんムズ掻くなり、そこを見るとボッと薄赤く発疹している。そこへ幾火かの灸をすえ続けると大方の病気は直るという実に効験あらたかであった。

 お染狸は、八等身のなかなかの美人だったと伝えられる。新居浜の一宮の小女郎狸とは、いとこであったという。後に、大井の美男狸(灸で有名)がお染狸にほれこんで婿入りしたともいう。

 どうか、八堂山から、西条全体を眺めながら恒久平和を祈り続けてほしいものである。

(西条市生活文化誌 より)


八堂山のお染さん

 大町の和三さんは、たいへん器用で。細工の上手な人でした。或夜、鎚やのみを使って細工ごとをしていました。すると戸口が開いて、人声がしたように思って後ろをふりむきましたが誰も見えませんでした。

 それから夜も大分おそくなったので、雨戸をしめて寝ようと思って後片付をしていると、障子があいて人の顔があらわれました。坊さん風の人で、つかれた声で、
 男「私は福武新田へ帰ろうと思いますが、どうしても道がわからないので困っています。もう何度もこの前を通りました。すみませんが私をつれて行ってくれませんか。」
と云います。

 和三さんは気の毒に思って
 「では、おつれします。」
 と云って、提灯に火を灯して出かけました。提灯の灯に、その男の足許はぬれて、下駄も白足袋も泥まみれでした。その男は、駄馬の観音堂へ帰るのでした。

 夜の道を、二人は話しながら急ぎました。
 聞けば、その男は、小川のあたりで、うしろから追いついたひとりの女が
 「ああ、灯をつけたお方、わたしは福武へ行く者です。一緒におねがいします。」
と、ていねいに挨拶をします。そのときどうしたことか提灯の灯が消えました。提灯を道の上に置いて、その男は灯をつけました。その時その女は20才位のとても美しい顔であることがわかりました。
 ところがしばらく行くと、その女は、
 「どうもありがとうございました。私は天皇へ寄らねばなりませんので」
と言って、別れ道でわかれました。
 それから、その男は、お堂はもう其処だと思って道を急ぎましたが、いくら歩いても、歩いても観音堂は来ません。四ッ辻へ出たり、小川や天皇お方へ行ったり、水田の中へ迷いこんだりして、下駄も足も泥にまみれたそうです。

 話しているうちに観音堂に着きました。男は大変よろこびました。
 あくる日、その男は和三さんの家へお礼に来ました。観音堂のおてつだいの男でした。その時その男は、
 「もし私は折箱の包みを置いてはありませんでしたか。」
 「昨夜、法事に行ったもどり道でした。」
とたずねたそうです。
 むろん和三さんの家には、そんなものは忘れてはおりませんでした。
 さては八堂山の「お染さん」にばかされたのであったのでしょう。

(西条の民話と伝説 より)

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