かっては明治大帝の肖像画をはじめ宮内省関係の方々の御用を仰せつかっていた八木彩霞画伯から直接聞いた話である。
画伯の長男のK君が太平洋戦争に参加して無事帰還した時、不思議だ不思議だといって話したK君の体験談である。
K君は昭和15年10月中支へ征途についた。そしてその12月柳橋に派遣され、着いたのが夜の九時半。中隊の前方約二`半にいた友軍の一箇小隊が、四、五百人の敵に包囲されて全滅に瀕しているとの報告があって、激しい銃声音が聞こえていた。
本隊の守備中隊の大半はこの友軍援助に出動したので、K君の部隊はその留守隊になったが、いつまで経っても銃砲声が衰えないので、前方の敵情偵察としてK君は戦友三名と共に一時間の予定で偵察の命を受けて出発した。
その夜は闇夜で、そのうえ道らしい道も無くただ一面の草原で、ところどころに土饅頭の支那人墓地が薄気味悪く盛り上がって雪は少ないが凍りついた大陸の風は身にこたえた。三十分も進んだ時、急にダダダーッと銃声が起こり、弾丸はヒュッヒユッと耳元をかすめて飛んで来るので一寸刻みに進むより手がない。
やっと土饅頭を遮蔽として伏せていると、ぼそぼそと敵の話声が聞こえて来た。話声をあてに夜目にすかしてみると、相当数の敵集団がうごいている。
この敵状を早く本隊へ報告しようと戻りかけると、無茶苦茶に撃ち出す敵弾のために右往左往にうろたえて遂に方向を間違えて目標一つない暗夜の原野に四人は一かたまりとなって迷ってしまった。
限られた時刻はすでに一時間も経過している。気が気でない。焦れば焦るほど方角が立たないので全く途方にくれた。
その時である。戦友の一人が「アッ狸が―」とトンキョウな声で叫んだ。と、目と鼻の先に支那では見ることの出来ぬなつかしい日本の提灯がパッと灯って、それが右に左に振れている。
敵弾はいっこうに止む気配もないが、不思議にもその提灯を目標には射撃してこない。漸く気をしずめて眼をこらすと、何とそれが隅切りの四角に縮み三本の字を染め抜いた大三島神社の定紋いりの提灯である。
「氏神さんだ。神助け、奇跡だ、ありがたい」かなわぬときの神だのみ、疑う間もない。このお提灯について進めば助かると急に勇気と自信がわいてきた彼は遮二無二、三人をその方向に誘導した。そして夢を見ているような気持ちで三十分も走ったと思う頃パッと提灯の灯は消えてしまった。
オヤッと思った途端に今度はボソボソと日本語の話し声が聞こえてくる。四人は声こそ立てないがヤレヤレと思ってあたりをすかして見ると、見覚えのある城壁の前で農家のはずれに出ていることがわかった。
そして衛兵に救われて無事帰隊、責任を果たしたのである。もちろんこの報告によって三方面の敵に応戦し激戦ではあったが翌朝五時頃までに敵を退散し窮地を脱することが出来たのであった。
隊長より過分の労いの言葉をうけて四人は大いに面目を施したが「狸のお提灯」のことはいわなかった。
この不思議を八木画伯が大三島神社の宮司に語ったところ、「他にも氏子の中に神様のお提灯で助かったという話がありました。それはここのお使い狸で五六さんの奇徳ですよ」と別に不思議そうでもなく、当り前のように神徳の無偏と五六狸の通力の話を例にあげて聞かされたということである。
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