◆笠置山 (かさぎやま):288m (最高地点・三角点324m) ◆所在地:京都府笠置町 ◆山行日:2018年12月10日(月) ◆メンバー:単独 〔登山コース〕 笠置キャンプ場駐車場―(10分)→古道登山口―(30分)→笠置寺山門―(10分)→大師堂(休憩5分)― (5分)→笠置山山頂・後醍醐天皇行在所(休憩5分)―(10分)→二の丸跡(休憩5分)―(5分)→平等石(休憩5分) ―(15分)→正月堂―(10分)→山門―(15分)→分岐―(25分)→三角点(休憩30分)―(15分)→分岐 ―(15分)→阿対の石仏―(15分)→上動滝―(20分)→古道登山口―(10分)→笠置キャンプ場駐車場〔所要時間〕 総時間=4時間20分 〔距離と山のしんどさレベル〕 8.5km(15,500歩) ★☆☆☆☆ |
急に寒くなってきました。11月末の静岡・大谷嶺(2,000m)を最後に高い山はおしまい。
来年3月までは里山中心の山行になります。
そこでまず第1弾は京都の笠置山にしました。山としてはマイナーですが、信仰と歴史の山として知られています。 巨岩信仰の修験の山、元弘の変で後醍醐天皇の行在所となった笠置寺。はたしてどんな山でしょうか。 亀山ICを降りて国道25号線・163号線を西進して笠置町へ。駐車場は木津川河川敷の笠置キャンプ場を 利用します。利用料は一人1日500円でした。 〔笠置キャンプ場 NAVIマップコード:502 307 619 *46〕 ※マップコードご利用の際は、カーナビに入力したとき、その位置を地図と照らし合わせて確認してください |
笠置キャンプ場 テントを張ってキャンプしている人もいます。広いので自由に駐車できます。 背後中央に見える山が笠置山。左奥に見える山が三角点のある最高地点でしょうね。 〔笠置キャンプ場 発=8:00〕 |
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柳生街道を歩き古道登山口へ 駐車場から街に戻り、交差点を右(南)へ柳生街道を行きます。 交差点から3分ほどのところのY字路の左に『歓迎・笠置山自然公園』の門がありました。 古道登山口は門から40m~50m入ったところにあり 急な石の階段から地道や石畳の登山道を登っていきます。 〔古道登山口=8:10〕 |
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一の木戸跡 古道登山口から登ること約25分、写真の右手下から登ってくると車道に飛び出します。 一の木戸跡というところだそうです。 後醍醐天皇の元弘の変で、ここを守っていたのが三河の国・足助次郎重範。攻め上ってきた幕府軍の 敵将二人を弓で撃ち落とした場所だそうです。 〔庚申堂=8:20〕 〔一の木戸跡=8:35〕 |
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笠置寺山門 舗装道路から再び参道に取り付いて階段をしばらく登ると 笠置寺の山門がありました。 駐車場を出発してここまで40分でした。 参拝料は中で払います。 〔笠置寺山門=8:40〕 | |
解脱鐘と参拝受付 山門を入って左へ行くと鐘楼と参拝受付がありました。 鐘楼の鐘は解脱鐘といい国指定文化財。元弘の変で焼け残ったといいます。1195年東大寺俊乗坊重源が作り解脱上人に与え たものだそうです。 受付の人はいません。近づくと参拝料をお支払いくださいという音声が流れます。 受付の箱に300円を入れ、お釣りの人は箱の中からもらいます。 | |
大師堂 写真の右下に見える矢印にしたがって行くのが順路です。 ところが間違えて左の大師堂へ行ってしまいました。ドジですねえ。逆回りになりました。 大師堂には石仏弘法大師像(室町期造立)が安奉されているそうです。 | |
後醍醐天皇行在所(あんざいしょ)への階段 石柱に『行在所遺址』とあります。 後醍醐天皇行在所はこの石段を上ったところにあるようです。 | |
後醍醐天皇行在所 後醍醐天皇行在所。ここが山頂ですね。 鎌倉幕府討幕をはかろうとした計画が漏れ、後醍醐天皇は都を逃れてここを行在所としました。 しかし、幕府軍75,000人に対して3,000人の天皇軍。1ヵ月の攻防の末、敗れた 後醍醐天皇は捕らえられ、その後隠岐へ流されるのです。 〔後醍醐天皇行在所=9:00~9:05〕 | |
貝吹き岩 行在所から階段を下り、左手に公園を見下ろしながら歩いていくと大きな岩がありました。 貝吹き岩というそうです。 弘元の戦いのとき勤皇軍の武士の士気を高めるためこの岩の上でほら貝を 吹いたそうです。 また修験者もここでほら貝を吹いたともいわれているようです。 〔貝吹き岩=9:10〕 | |
貝吹き岩からの眺望 貝吹き岩から西の方の眺望です。 木津川の流れがきれいに見えました。 | |
二の丸跡
二の丸跡までやってきました。 ここは展望がいいところで木津川が見下ろせます。 後醍醐天皇の仮皇居だったので正式な築城はされなかった ようです。 室町時代以降、山頂の行在所を本丸とみたて、一段下にあるこの広場を 二の丸跡と呼ぶようになったとのことです。 〔二の丸跡=9:15~9:20〕 | |
蟻の戸わたりと平等岩 二の丸跡からは北側へ下っていきます。 蟻の戸わたりにきました。この岩の間を抜けていきます。そして平等岩というのは 岩の隙間の右側の巨岩でした。 〔蟻の戸わたり・平等岩 着=9:25〕 | |
平等岩から見た三角点峰 大きな平等岩に登ると北側に木津川方面の展望がさらに開けます。 この写真は東側を見たところで、笠置山の最高地点、三角点のある峰です。 確定はできませんが、真ん中あたりの高いところでしょうね。 〔蟻の戸わたり・平等岩 発=9:30〕 |
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ゆるぎ石 平等石からちょっと下がったところにゆるぎ石というのがありました。 重心が中央にあり人の力で動くのでゆるぎ石といわれるそうです。 が、やってみましたが、思った通りびくともしませんでした。 元弘元年(1331)9月28日に後醍醐天皇が幕府軍の奇襲を受けたところだそうです。 この石は敵の奇襲に備えるため武器として運ばれたが使われなかったようです。 |
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ゆるぎ石からの展望 ゆるぎ石から見おろす木津川の景色です。 この先ゆるぎ石からさらに下っていきます。 |
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太鼓石 太鼓石です。前方から岩のトンネルを抜けて5人ほどのグループがやってきました。 私は逆走しているので、彼らの方が順路をたどっているのですね。 |
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胎内くぐり
胎内くぐりといわれる岩のトンネルです。 写真は通り抜けたところから振り返って撮ったものです。 |
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摩崖仏
胎内くぐりから少し下って登り返したところにどでかい摩崖仏がありました。 もとは1つだった岩が2つに割れたのかもしれません。 右側の岩に摩崖仏が彫られています。 〔摩崖仏=9:40〕 |
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虚空蔵摩崖仏 右側の岩に彫られているのが高さ12m、幅7m、奈良時代後期の作だといわれる虚空蔵菩薩。 寺伝によれば弘法大師が、弘仁年間(810~824)に求聞持法を修し一夜にして彫刻したといいます。 しかし、様式が中国の摩崖仏に通じるものがあることから 本尊弥勒摩崖仏と同様奈良時代の渡来人の作と考えられるそうです。 |
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千手窟
虚空蔵摩崖仏が彫られた2つの岩の左側に直角に対峙する岩があります。 その岩と岩の間にあるのが千手窟で、1200年来、笠置寺の修行場だそうです。 |
正月堂へ 覆いかぶさるようにそびえたつ千寿窟の大岩の横を通って正月堂へ向かいます。 この正月堂は崖に張り出して建てられている懸造り(かけづくり)ですね。 |
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正月堂と笠置寺の本尊の弥勒磨崖仏 笠置寺の本尊は正月堂の弥勒磨崖仏。 奈良の東大寺に二月堂、三月堂、四月堂はあるが正月堂がないのは、ここ笠置寺に正月堂があるからだそうです。 お水取りがこの笠置寺正月堂で752年1月に最初に行われ、翌2月に東大寺二月堂で行われたといいます。 この正月堂こそ、お水取り開始の場所なのですね。 〔正月堂=9:45〕 |
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弥勒磨崖仏 弥勒磨崖仏は高さ15m。 3度の火災で炎にさらされ、その姿は消えて光背部分の輪郭だけが残っているようです。 それを、わずかに残された線の痕跡から復元したそうで、正月堂内の写真で弥勒磨崖仏の姿を見ることができます。 〔下の写真〕 |
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石造十三重塔 正月堂の前方にあり、高さ4.7mの石造十三重塔で重要文化財だそうです。 もともとこの場所に貞慶上人が建てた木造瓦葺の十三重塔があったが元弘の戦で焼失。 現在の塔は元弘の戦死者の供養塔、あるいは貞慶上人が母のために建てた供養塔ともいわれているそうです。 |
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三角点への分岐 十三重塔から稲荷社、毘沙門堂に立ち寄って笠置寺の見学は終わりです。 今日はハイキングでもあるので笠置山の最高地点のある三角点ピークまで行きます。 柳生方面へ東海自然歩道を歩くと道路工事をしているところがありその先に三角点への分岐がありました。 〔笠置寺山門 発=9:55〕 〔三角点への分岐=10:10〕 |
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三角点への案内標識 大部分は広い道でした。途中で2度Y字の分岐がありますがいずれも右への道を行きます。 最後は荒れたところもある山道になり、そろそろかなあと思うころ《笠置山三角点 この上》という案内標識がありました。 |
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笠置山三角点 標高324mの三等三角点がありました。点吊は笠置山です。 周りは林に囲まれていて眺望はなし。ほかに休憩場所もないのでここで昼食です。 〔笠置山三角点=10:35~11:05〕 |
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阿対(あたや)の石仏 三角点から分岐まで戻り、ゴルフ場を左に見ながら柳生の方へ下って行きます。 県道に合流して100mくらい先に案内標識と橋がありました。 この橋を渡って50mほど行ったところが阿対の石仏です。 正面に彫られた阿弥陀如来は流行病よけの願いを聞いてくれるそうです。 〔三角点分岐=11:20〕 〔阿対の石仏=11:35〕 |
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上動滝 それでは帰りましょう。 舗装道路の柳生街道・県道4号線を笠置の方へ戻ります。 打滝川に沿って歩いていくと上動滝というのがありました。 〔上動滝=11:50〕 |
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笠置キャンプ場 下りベースなのでいいですが、ひたすら舗装道路を歩くだけ。笠置キャンプ場まで帰ってきました。 〔古道登山口=12:10〕 〔笠置キャンプ場 着=12:20〕 |
天皇親政をめざし、鎌倉幕府の打倒を密かに画策した後醍醐天皇でしたが、笠置山行在所で元弘の変の戦いに敗れ 捕らえられて隠岐島へ流されます。 これで討幕活動は沈静化したかに見えました。
しかし、後醍醐天皇はしたたかでした。 やがて後醍醐天皇は隠岐島を脱出。この間、楠木正成は幕府の攻撃を耐え抜き、呼応して諸将が蜂起、 幕府は倒れ建武の中興がなったわけです。
後醍醐さんの信念が実ったのですね。
想定はしていましたが笠置山は山としては物足りませんでした。一方、信仰と修行、史跡の笠置寺・笠置山を 訪ね、元弘の変の地をこの目で見て歩いて来ることができてよかったと思います。 全山史跡指定、それが笠置山です。
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