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中の橋駐車場
東の外れにありますが、駐車場は中の橋駐車場を利用しました。
広い無料駐車場です。
ここを拠点に、摩尼山、楊柳山、転軸山、弁天岳と反時計回りに周回する予定です。
〔中の橋駐車場 発=8:50〕
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墓所を通り奥の院へ
道を挟んで中の橋駐車場の北側に墓所を経て奥の院に通じる入口があります。
入っていくと、親鸞聖人の供養塔のほか、いろいろな企業の物故者の墓などがありました。
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法然上人墓所
数百メートル行ったところから左に入るとすぐに奥の院への参道に出会います。
参道の左右はびっしりとお墓で埋め尽くされていて、一帯を 『墓原(はかわら)』 というそうです。
この写真は法然上人のお墓ですが、一般の人のお墓もあります。全部で20万基あまりあるというから壮観です。
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織田信長墓所
戦国時代の武将のお墓も数多くありました。
織田信長の墓、豊臣家墓所、ほかに上杉謙信、伊達政宗、石田三成、明智光秀などなど。
信長も明智光秀も同じ墓所内に祀られているというのは皮肉でもあります。
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御廟橋から見た奥の院
参道を歩いて行くと御廟橋に出ます。この橋から先は特に神聖なところだそうです。
すなわち、この先最も奥に即身成仏され、いまも生き続けているという空海さんの御廟があるのです。
御廟に祈りを捧げるのが、写真中央奥に見える燈籠堂と呼ばれる拝殿です。
御廟橋を渡っていくと罪やけがれがはらわれ、仏のお浄土へ導かれるといわれています。
私が燈籠堂に参詣したとき、20人くらいの僧侶が堂内を輪になって巡りながら読経をしていました。
朝のすがすがしい空気の中で聞く読経が心を落ち着かせてくれます。
〔奥の院=9:10〕
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三山巡り参詣道入口
奥の院に参拝したのち御廟橋まで戻り、少し東へ行ったところに、《三山巡り参詣道》 という
石碑が立っていました。
さて、三山巡りに出発します。
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摩尼山登山道
案内標識を見ながらまずは摩尼山をめざします。
写真のような案内板が各所に設置されているので助かります。
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摩尼峠
先ほどの標識から7~8分林道を歩いたところで案内標識のある分岐を左へとると山道に変わりました。
思っていたより急な坂を10分ほど登ると摩尼峠に出ます。
〔摩尼峠=9:40〕
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摩尼山山頂(1,004m)
摩尼峠から急坂を登ること15分、摩尼山の山頂に到着しました。まずは1山目です。
祠が祀られていますが木々に囲まれていて全く眺望はききません。
エネルギーと水分補給をしたのち次の楊柳山をめざして黒河(くろこ)峠まで下ります。
〔摩尼山=9:55~10:05〕
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黒河峠への道から見た楊柳山
黒河峠への道はいい道です。
ほとんど林の中を行きますが、ふと見ると楊柳山の頭が樹間から見えていました。
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黒河峠
いい道だったので、摩尼山から15分で黒河峠まで下りてきました。
ここは橋本市から黒河道を登ってくるとたどり着く峠で、子安地蔵を祀る小さな祠があります。
ここでは休憩せず楊柳山に向かいます。
〔黒河峠=10:20〕
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楊柳山山頂(1,009m)
黒河峠から登ること15分で楊柳山に到着しました。
眺望はありません。
この山頂にも祠がありますので、高野三山に登ってそれぞれの山頂で祈りを捧げてきなさいということでしょう。
〔楊柳山=10:35~10:45〕
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子継地蔵(峠)
楊柳山からは再び下っていきます。そして一つのピークに登り、右に直角に下ったところが子継地蔵でした。
高野七口といって高野山に登る七つのルートがあります。そのうちここ子継地蔵(峠)に登ってくるのが
京大阪道だそうです。
〔子継地蔵=11:05〕
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林道から転軸山への登り口
子継地蔵からは南へ。やがて沢沿いの道になります。
途中、三本杉方面への分岐を2ヵ所ほど左に分けて下って行くといったん舗装された林道に出ます。
その林道を右へ80mくらい行ったところに転軸山への登り口がありました。
〔転軸山への登り口=11:25〕
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転軸山山頂(915m)
登り口から少し入ったところに、熊が出没するという注意書きがありました。
事前に調べてわかっていたので、最初から熊鈴を鳴らしながら歩いていました。
15分ほどの登りで高野三山最後の転軸山に着きました。もちろんここにも祠が祀られています。
ここで昼食にしました。
〔転軸山=11:40~12:00〕
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鳥の池横の転軸山登山口
転軸山からは鳥の池横まで一気に下ります。
人里に降り立ったここが転軸山への登山口です。
〔鳥の池横の転軸山登山口=12:15〕
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楊柳山と転軸山を振り返る
次は女人堂へ向かいますが、山道から集落の道に変わったとたん時々道を間違えました。
GPSでコースを確認しながら歩き、スポーツ広場付近まできて振り返ると楊柳山(中央)と転軸山(右)
が見えていました。
〔スポーツ広場付近=12:25〕
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女人堂
街中に入り、波切上動尊や徳川家霊台などの前を通って女人堂までやってきました。
江戸時代まで女人禁制であったために建てられたのが女人堂です。
そしてこの女人堂を通り、高野山金剛峯寺を取り巻くように女人道が設けられています。
お参りをしたあと、冷たくておいしい水をいただき生き返りました。
〔女人堂=12:55~13:00〕
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弁天岳登山口
さて高野三山を登り終え、最後の山は弁天岳です。
弁天岳の登山口は通りをはさんで女人堂の筋向かいのバス停のところにありました。
はじめは山腹を緩やかに登っていきますが、途中から急登に変わります。
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弁天岳山頂の嶽弁天神社
低山とはいえこの日4山目となると急坂登りが体にこたえます。
これが最後だと頑張って登ると赤い鳥居の神社が建つ山頂に着きました。
高野山七弁天の一つ、嶽弁天神社だそうです。
〔弁天岳 着=13:20〕
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弁天岳山頂三角点(985m)
弁天岳の山頂は嶽弁天神社の境内といった感じがします。
そして神社から30mくらい南に3等三角点が設置されていました。
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山頂からの眺望
ここ弁天岳の山頂からは一部ですが展望がありました。
西の方角だと思いますが、調べてみると和泉山脈と南葛城山などのようです。
小休憩ののち下山します。下りはじめたところからも眺望がありましたが何という山かわかりません。
〔弁天岳 発=13:40〕
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大門(だいもん)
弁天岳から大門まで下ってきました。
大門というだけあって金剛力士像のある大きな門です。
現在の門は宝永2年(1705)に再建されたものだそうです。
このあとは高野山金剛峯寺などの拝観に行きます。
〔大門=13:55〕
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壇上伽藍の金堂
西にある大門から東に向かって歩きます。
最初は壇上伽藍といわれるところで、まずは金堂です。
創建当初は講堂、その後は総本堂として使われ、現在の建物は昭和7年(1932)完成、7度目の再建だそうです。
〔壇上伽藍 着=14:05〕
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根本大塔
高野山で最も目を引くのがこの根本大塔でしょう。
弘法大師が高野山開創に当たって真言密教の根本道場として建立したのが根本大塔だそうです。
現在の建物は昭和12年(1937)再建、高さ48.5mといいます。
曼荼羅を立体的に顕わしたという内部の柱などもみごとなものでした。
大塔内の西側、胎蔵大日如来の左の台座にコインが無数に立てられています。
いつ始まったかわかりませんが、多くの人がコインを立ててお参りするそうです。
わたしもやってきました。
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御影堂
御影堂は金堂の後ろ、根本大塔の左手奥にあります。
弘法大師の持仏堂とされるものだそうです。 弘化4年(1847)再建。
このあと金剛峯寺へ行きます。
〔壇上伽藍 発=14:20〕
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金剛峯寺
拝観させてもらいましたが金剛峯寺は実に広い建物でした。高野山真言宗三千六百ヶ寺、信徒1千万人の
総本山だけあります。
屋根の上に水桶がのせられていますが、万一火事になったとき屋根に上がって消火に使うためだそうです。
〔金剛峯寺 着=14:25〕
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蟠龍庭
蟠龍庭は石庭としてはわが国最大の庭(2,340㎡)だそうです。
金剛峯寺ではお茶とおせんべいのお接待を受け、この庭を眺めながらしばし休憩しました。
大広間、奥書院、上壇の間、柳の間などを見せてもらい金剛峯寺をあとにします。
〔金剛峯寺 発=14:20〕
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苅萱堂
金剛峯寺を出て苅萱堂に立ち寄りました。
詳しいことは知りませんが、
説教節『かるかや』の舞台となったところで、苅萱道心と石童丸の伝説ゆかりのお堂だそうです。
〔苅萱堂=14:20〕
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中の橋駐車場
苅萱堂に立ち寄って最後のお参りをしたあと、もう一度奥の院への参道をたどります。
今朝見ることができなかった武田信玄や伊達政宗などのお墓を巡ったのち、中の橋駐車場まで戻ってきました。
〔中の橋駐車場 着=15:30〕
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まさに駆け足ですが、高野三山と弁天岳の4山に登り、世界遺産高野山巡りをしてきました。
本来は、麓から町石道を歩き高野三山に登るべきでしょう。しかし、遠いところですし、1日で高野山の聖地巡りを
しようということなのでお許し願いたいところです。
高野山の一部を歩いてみてきただけかもしれませんが、
一番印象に残ったのは奥の院の雰囲気です。神聖な燈籠堂に響く読経の声が心にしみこむ感じがしました。
外国人観光客も多い高野山ですが、きっと日本的な雰囲気を感じ取られたのではないでしょうか。
四国八十八カ所霊場巡りをされる人たちは、結願のあとここ高野山にお参りをされるそうです。
もちろん私は八十八カ所巡りはしていませんが、お礼参りに来るのにふさわしいところだと思いました。
この日の行程は17.5km、約30,000歩でした。
標高差はさほどではないものの、6時間あまりかけて高野山の概略を見てきた旅だったと思います。
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Orange life