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上高地帝国ホテル前
バスを降りるとクマザサが茂りシラカバやブナの林の向こうに帝国ホテルが見えていました。
事前に調べていった通り案内標識があり、登山口へ続く田代橋への道を歩きます。
〔上高地帝国ホテル前 発=5:20〕
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田代橋から望む明神岳
平坦な道を10分歩くと梓川にかかる田代橋に出ます。
雲間から陽が射すものの全体的に曇り空でした。 梓川の流れは透明で清らかです。そして北の方には
上の方が雲に隠れた明神岳の姿がありました。
〔田代橋=5:30〕
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西穂高岳登山口小屋
田代橋のすぐ先に西穂高岳登山口の小屋がありました。
西穂へはこの小屋を通りぬけて直進しますが焼岳の登山口へはここを左(南)へ行くことになります。
焼岳へ5.4kmと記されていました。
この小屋にベンチもあったので買ってきたサンドイッチの朝食をすませます。登山届を出していよいよ
出発です。
〔西穂高岳登山口小屋 着=5:30〕
〔西穂高岳登山口小屋 発=5:40〕
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焼岳登山口
梓川が見え隠れする樹林の中の道を10分ほど歩くと《焼岳登山口》 の目立つ標識が現れます。
ここから西側の山腹を緩やかに登っていくことになります。
〔焼岳登山口=5:50〕
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階段やはしごのある登山道
水が少し流れている湯の沢を渡り、都会の酷暑は何なのかと思わせる涼やかな樹林の道を歩きます。
途中で4人の家族連れ、男女8人のパーティ、休憩だといって座り込んだ男性1人を追い抜かせて
もらいました。 標高1700m付近から勾配がきつくなり、いくつかはしごも現れます。
このあたりで後からすごいスピードでやってきた若い男性に道を譲りました。
1時間ほど歩いたので休憩をとります。
〔1700m付近 着=6:40〕
〔1700m付近 発=6:45〕
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名物の長いアルミのはしご
次第に険しくなる道を登っていくと男の子が1人休憩していました。「お父さんがまだこないので」とのこと。
さっき私が追い越してきた男性の息子さんだったようです。聞くと小学6年生の元気な子でした。
「おじさん一緒に行きましょう」と誘われて2人で登っていくことになりました。
「おじさんあとどのくらいかかるの」と男の子。あと2時間くらいかかるよ」と私。
「まだそんなに遠いの」と男の子。
そうこうしているうちにこのコースの名物で10m以上ある4連の長いアルミのはしごが現れました。
この男の子を一緒に登らせるのかなあと一瞬心配になりました。
彼もちょっと驚いた様子で父親に携帯で連絡。その結果ここでお父さんを待つことにしたそうです。
私も責任を感じることなのでほっとしました。
〔長いはしご=7:20〕
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新中尾峠・焼岳小屋へ続く笹原
垂直に伸びる長いはしごはなかなかスリルがあって楽しいはしごでした。
ここを越えると笹の原となり新中尾峠へ続く山道を登ります。峠越えの風が吹きつけて寒いくらいです。
帽子が風に飛ばされないよう帽子どめをセットしました。
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小屋マデ121歩
そして 《小屋マデ121歩》 と書かれた岩。
1歩まで書いてあるのはユーモアですが、実際約120歩で焼岳小屋でした。
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焼岳小屋
焼岳小屋は大岩を前にした緑の屋根のいい山小屋です。
ここまで2時間20分で登ってきたことになります。
案内標識は壊れていますが、どうやらここは7合目で、左への道が展望台から焼岳への道で、
まっすぐ北へ行くと西穂山荘への道ということになります。
〔焼岳小屋 着=7:40〕
〔焼岳小屋 発=7:50〕
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展望台から見上げる焼岳山頂部
焼岳小屋から約10分で展望台といわれるところまできました。
晴れていれば眼前に焼岳、背後に笠ヶ岳など絶好の眺望が広がる場所ですがあいにく雲の中で
残念です。時折りガスが薄くなって焼岳の山頂ドームが見える程度でした。
涼しさを通り越すような冷風が吹いていますが、それと同時にふわっと体を包むような暖かい風を感じました。
そしてこのイオウの臭い。どうやらこの近くから火山ガスが噴き出しているようです。
〔展望台=8:00〕
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登山路の印
焼岳へは展望台から旧中尾峠まで下ってから再びゴロゴロする岩の間を登ります。
登山路は岩に矢印や丸印が付けられています。
ガスっているため時々丸印を見失うこともあり、あたりを見回して登路を探しながら登ります。
こういう時、前後に誰も登山者がいないので自分の眼だけが頼りです。
×印は火山ガスが噴出する方向なので迷い込んではいけません。それでも噴出するイオウが
いたるところから臭ってきます。
この臭いで「六一〇ハップ」を思い出しました。ムトウハップ、あせもに効くというので
子どものころよくお風呂に入れていた入浴剤です。
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山頂部の岩塊
標高2200mから上は雲に覆われているようです。
山頂部の岩塊下近くまで来た時、男性が一人下りてきました。樹林帯で私を一気に抜いて行った人でした。
「さすがに速いですねえ」というと、「山頂はもうすぐですよ。ガスっていて眺望はダメですが気持ちいい
ところですよ」と励ましてくれました。
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焼岳北峰下の肩
休み休み岩を登りきったところが肩といわれる峠です。ここで反対側の中の湯から登って来る夫婦連れに
出会いました。
写真のように一人慎重に下りてきましたが、北峰の山頂はこの岩場を上がったところのようです。
夫婦連れと一緒に噴火ガスが臭う岩の間を登りました。
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焼岳北峰山頂 2393m
焼岳の最高点は南峰の2455mですが立ち入り禁止になっています。
北峰の山頂はもちろん一面のガスの中。雲のガスも噴火するガスも混じっていて山標がぼんやり見えるだけです。
風は強く寒いほどです。そんなに冷やさなくてもいいのに、どうやら焼岳には省エネ・節電の
通達は届いていないようでした。
岩陰で風を避けておにぎりを一つ食べます。
〔焼岳北峰山頂 着=9:05〕
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黄色い岩。危険・侵入禁止
本来なら間近に南峰、直下に旧火口湖の正賀池、西側には笠ヶ岳・抜戸岳、北側には穂高連峰、そして上高地
も見えるはずです。しかしこの日は眺望ゼロ。
もういちど改めて登って来なさいといわれているようです。
雨の心配はないようですが少し待てば晴れてくる保証もないのであきらめて下山することにしました。
〔焼岳北峰山頂 発=9:20〕
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下山道から上高地俯瞰
岩場を下っていくと登ってくる人が続いていました。
その中に私が追い越してきた8人のパーティはいましたが、途中まで一緒に登ってきた男の子
には会いませんでした。あの長いはしごのところから引き返したのかもしれません。
男の子は多分大丈夫だと思いますが、お父さんの方が疲れて引き返すことにしたのではないでしょうか。
約2200m以下には雲がないので大正池、そして梓川と上高地のきれいな景色を見下ろすことができました。
写真で雲の天井ができていることがわかると思います。
焼岳小屋で半端な時間の昼食にしました。
〔焼岳小屋 着=10:25〕
〔焼岳小屋 発=10:40〕
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峠沢から振り返る焼岳山頂部
焼岳小屋から笹の道を下りはじめると少しずつ空に晴れ間が広がり始めました。
山頂で1時間半くらい待っていれば少しは眺望が得られたと思いますが仕方がないことです。
山頂部を眺めながらしばしの写真撮影休憩ということにしました。
〔笹原の写真撮影休憩=10:50〜10:55〕
この写真は焼岳小屋から40分くらい下った峠沢から山頂部を見たところです。
巨大な岩塊がきれいに見えるようになりました。
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梓川畔から見た明神岳
出発点である西穂高岳登山口の田代橋に戻ったのはちょうど12時30分でした。
休憩も入れて7時間10分で焼岳まで行ってきたことになります。
眺望が得られなかったことは残念ですが、バスの時間までに2時間くらい余裕ができたので
上高地を散策することにしました。
正直なところ前回上高地に来たのは実に47年前のことなのです。
すなわち昭和39年で、その時は新穂高温泉から奥穂高岳に登り、前穂高岳を経由して上高地に
下りてきました。
様変わりしたであろう上高地を歩いてきました。
〔西穂高岳登山口・田代橋 着=12:30〕
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上高地温泉ホテルの足湯
梓川右岸を上流に向かって歩きます。
歩き始めてすぐに立派できれいな上高地温泉ホテルが目に入りました。
足湯サービスがあるというので早速利用させてもらうことにしました。
昨夜は夜行バスでしたし、焼岳まで往復して疲れた足には実に気持ちいい足湯でした。
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ウエストン碑
足湯で軽くなった足で河童橋方面へ向けて歩きます。
ウエストン碑は先ほどのホテルからほど近いところにありました。
周知のようにウエストンは日本山岳会結成のきっかけをつくった方で、このウエストン碑は昭和40年に
掛けなおされたものだそうです。
私は以前にも見たことがあると思ったのですが、掛け替えられたこの碑には初めてお目にかかることに
なるわけです。
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河童橋西側の土産物屋さん
47年前にはこんな立派な建物はありませんでした。
当時も登山客を中心に河童橋周辺は込み合っていましたが、驚くほど開発されてきれいになったものです。
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河童橋から望む焼岳
周辺は様変わりしたものの河童橋そのものは昭和39年当時の姿と変わらないと思います。
今日登ってきた焼岳の姿が何とか見えてよかったと思います。
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上高地バスセンター
当然のことですが上高地バスセンターは完全に建て替えられていました。
昔はバスを待つ人でごったがえしていた思いがあります。しかし今日は観光バスも乗用車も乗り入れが
禁止されているのでよけいにすっきりしているのでしょう。
それにしても昔はバラックのような上高地バスセンターでしたのにきれいになったものです。
バスの発着場になっているこの観光センターのほかインフォメーションセンターや休憩広場もあります。
こんなことを書くと、いつも上高地に行っている人に一体どこの国の人だと笑われそうです。
まだ時間に余裕があったので冷たいビールを買って一人乾杯しバスが来るのを待ちました。
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