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Orange life
素敵なパース
2006. 4. 2〜 4. 7
ときどき旅行のパンフレットをもらってきて見ています。
その中にインド洋に面した美しい街、西オーストラリアの“パース”があり、いつか
行ってみようと思っていました。
この1月にでも予定をい入れようと思ったのですが、現地は真夏であり、あまりにも正反対の
季節になってしまうのもどうかなと考え、秋口に当る4月初めに行くことにしました。
名古屋からの直行便はないので、シンガポール経由でパースへ飛ぶことになります。
4月2日・日曜日の朝は小雨が降っていました。わが町の駅から直行バスでセントレアまで37分。
この時間は出発便が多く空港ロビーは結構混雑していました。
チェックインを済ませてからオーストラリアドルへの両替です。今回は事前に予約をしてあったので
列に並ぶ必要もなく実にスムーズでした。
6時間余りの飛行はやはり長いですが、先日読んだ三島由紀夫原作の「春の雪」の映画を見たりして
いるうちにシンガポールに到着。3時間ほど待って乗り継ぎ、また5時間くらいかかってようやく
パースに着いたのは夜中の12時になっていました。
すぐホテルに入れると思っていたのが大間違いでした。オーストラリアは検疫が非常に厳しいのです。
お菓子類もふくむすべての食物、医薬品、植物、木製品まで一切持ちこみ禁止なのです。
検疫申告書にちゃんとチェックして出したのに、「あなたはこれを読んで理解した上で書いた
のか?」と疑われ、検疫検査場でかなり待たされました。
結局われわれはX線検査だけでOKでしたが、私の前に検査を受けた人はスーツケースを開けて
すべてのものを調べられていました。その上木製のステッキはだめだということで没収され罰金
をとられたようです。あとでガイドさんに聞いたところでは割り箸を持ってきた人がやはり
没収されて罰金を払わされたそうです。
そんなわけでホテルにチェックインできたのは1時半ころ。今日は長〜い移動の一日でした。
《パース、モンガー湖、コテスロビーチ、フリーマントル》
ゆうべ遅かったので初日の観光は朝10時の出発となりました。
ガイドさんは昨夜空港に迎えにきてくれた野村さんという女性です。パースに来て13年ほど
になるそうで、オーストラリア人のご主人と8歳の子どもさんがいるとのことでした。
最初に行ったのはキングスパークです。どの旅行パンフにも載っている美しい公園で、パースの
高層ビル群とスワン川が一望できるところです。
パースは「世界で一番美しい都市」とか「世界で一番孤立した都市」といわれるそうです。
確かに澄んだ空気と青空の下で、こうして美しい景色を眺めているとそんな気がしてきます。
この公園には戦争記念碑が建っていますが、第一次世界大戦と第二次世界大戦あわせた
記念碑となっているのだそうです。
記念碑の前にウィスパリング・ウォールというのがありました。円弧場になった壁の一方で
話すともう一方の端にいてその声が聞こえるというものです。ちょうど北京・天壇公園にある回音壁
と同じ原理のものでした。
次に行ったモンガー湖は町から北西へ車で10分くらいのところにある人工の湖です。
ここには西オーストラリア州の州鳥になっている“ブラック・スワン”をはじめ、ペリカンや
カモなどたくさんの種類の鳥が住んでいます。
元来餌付けは禁止されているのですがなかなか守られていないらしく、岸辺に近づくと
鳥たちがいっせいに集まってきます。餌がもらえると思うのでしょうね。
ブラック・スワンは、もともとその名前になったスワン川に生息していたのが、下流にある
フリーマントル港拡張で河口を広げたため海水が入るようになり、モンガー湖の方に
移ったのだそうです。近くに寄ってきて突然羽を広げたブラック・スワンは、カラスのように
真っ黒というのではなく、顔が赤く羽の先が白いなかなかきれいな鳥だと思いました。
モンガー湖を後にスワン川沿いを下るかたちでインド洋に面したコテスロビーチへ向かいます。
途中、住宅地の中を走って行きますが、なかなかいい住宅が建ち並んでいます。
日本の住宅よりも敷地も家屋もずっと広くてゆったりしています。しかも
芝生の庭に囲まれた家ばかりです。
「このあたりは高級住宅地ですね」というと、ガイドさんいわく、「このあたりはまだ上級住宅地
ですよ。高級住宅地というのは、スワン川がよく見える場所にある住宅のことで、値段も
全然違いますよ。あとでお見せします」とのこと。
建物はほとんどが平屋です。近年経済が急成長し一種のバブルだというようですが、
それでも土地はたくさんあり、まだまだ日本に比べると安いのだそうです。
ちなみに一般の人たちが購入する住宅は、敷地が200坪、建物が70〜80坪くらいで
3000万円〜4000万円。まだ高騰が続きそうだとのことです。
ただ、このあたりは古い地層のため地震はないので建物自体は非常にきゃしゃな設計に
なっています。耐震偽装しても大丈夫のようです。
コテスロビーチの海を見て目をみはりました。こんなに美しい海はこれまで見たことがありま
せん。言葉で表現するのは困難だといわざるを得ないものです。
今はもう秋で気温も24〜25℃くらいだと思います。それでも海に入っている人たちが
います。パースの町から近いところにあるので、人気のあるビーチの一つだそうです。
《インド洋に面したコテスロビーチと、フリーマントルのラウンドハウス》
スワン川の河口にあるフリーマントルで昼食をとり町を見て歩きました。
フリーマントルは1829年に英国人ジェームス・フリーマントルによって英国の植民地として
宣言されたところだそうです。何もなかったこの地の開発には、はるばる連れてきた囚人を
使って行なわれたといいます。
1800年代に建てられた建物が並び、小さな町全体が古い英国調の雰囲気に満ちていました。
週末には100年の歴史を持つマーケットでにぎわうそうです。この日は平日
でマーケットはお休みだったので土産物店、郵便局や駅など街中を見て歩きました。
海沿いのところにラウンドハウスというのがあります。
西オーストラリア州で最も古い建造物で、最初の刑務所としてつくられたそうです。
下の方に海から続くトンネルがあるのですが、これは鯨を引き上げるのに使ったものだとの
ことです。
また、海を行く船に時刻を知らせる大砲を打つということで、行った時刻がちょうどよかった
ため午後1時の時報(時砲ですね)を打つところを見ることができました。
観光客に実演して見せるというもので、みんなでカウントダウンをして、小学生くらいの男の子が
大砲のスイッチを押しました。
もちろん空砲ですが、バーンという音とともに、帆柱の上につるされた黒い大きな球が
落下するという仕組みでした。
フリーマントルは、古き良き時代に飛び込んだような感じを味わうことができる町でした。
午後3時頃にはパースの街に戻り、あとは自由散策です。
パースシティは近代的な高層ビルが建ち並ぶ都会です。しかし、古い英国的な建物もかなり
あります。内部は改装しても外壁部分は古いものを残すようにしているのでしょう。
最も英国的なところがロンドンコートといわれるところです。1937年に建てられビッグベンに
似せた時計も壁面を飾っています。
ロンドンコートの中にはカフェや寿司屋さん、お土産物店が並んでいて、パースでも人気の観光
スポットとなっているようです。
パースの町の中心部は比較的狭い範囲の中にオフィス街とショッピング街があります。
ショッピング街の方は車の乗り入れが禁止されたモールがいくつかあり、オープンカフェもあって
大勢の人でにぎわっています。毎日好天だというさわやかな空気と青空の下でみんな生活を
楽しんでいるように感じられました。
季節が日本と反対なのでデパートには秋冬物が並び、今年は4月16日だというイースター用の
飾り物・イースターエッグやうさぎのぬいぐるみなどがたくさん売られていました。
スーパーもあったのでのぞいてみましたが、日用品、食料品など売られているものも、値段も
日本と大差ないようでした。ただ、レジがのんびりしているのか、長蛇の列ができていました。
それでも文句もいわずに並んでいるのは、おおざっぱな性格だというお国柄なのでしょうか。
この日は市内のレストラン「ミスモード」でバイキングの夕食をしてホテルに戻ります。
暑くなく寒くなく、からっとした天気のもとでのここパースの観光はとても気に入りました。
明日はピナクルズの観光で遠くまで生きますので早めに休むことにしました。
《ヤンチャップ国立公園、ランセリン砂丘、ピナクルズ》
3日目は朝から快晴でした。
この日は4WDでのピナクルズ・アドベンチャーツアーです。
ピナクルズは荒野の墓標とも呼ばれる奇岩が林立するところでパースの北約250kmの
ところにあります。
一行はオーストラリア人の女性4名と日本人6名、それに運転手件ガイドのロブさん、日本人
女性ガイドの山本さんの合計12名でした。
ロブさんは体も大きくタフな方で、1日約600kmの運転とガイド、途中休憩でのお茶や
昼食のバーベキューの用意、砂丘でのサンドボードのティーチングまで一人でこなすのです。
まずロブさんが説明をし、続いて山本さんが日本語で説明するという形で案内をしてくれます。
ロブさんのジョークにオーストラリア人女性たちは笑うのですが、われわれが一緒に笑えないのが
残念です。
パースの街、いくつかの住宅地を抜け、潅木が茂る荒野の中の道を走って約1時間、
ヤンチャップ国立公園に着きます。
《ユーカリの木の上にいるコアラと、ワイルドフラワー「バレンシア」》
ここでは野生のカンガルーやコアラなどが見られます。ユーカリの木の上に何匹かコアラを
みつけることができましたが、一行の中のオーストラリア人女性たちは見向きもしません。
とくにめずらしさはないようです。
カンガルーも見つけました。カンガルーというと大きな動物だと思っていましたが、
このあたりにいるカンガルーは犬くらいの小さなものでした。ガイドさんに聞くと
カンガルーにもたくさん種類があるのだそうです。
再び荒野の中の道に戻り北へと向かいます。この潅木の原生林はところどころで黒く焦げていました。
説明によると山火事のあとだそうです。
最近はしばしば放火もあるようですが、多くは落雷などによる自然発火だそうです。しかし、
山火事になっても住宅地に被害が及ばない範囲では一切消火活動は行わず自然鎮火を待つ
のだといいます。
これは、山火事も自然の循環の役割の一つなのだそうです。
例えば「ジャイアント・ブラックボーイズ」という木は
オーストラリアにのみ生育する植物で、毎年定期的に花をつけることはなく、山火事の後に花を咲か
せる形質をもっているといいます。
山火事で燃えて幹が黒くなることがありますが、死に絶えることはありません。
逆に、その実は非常に固いため、次の山火事で実がはじけて初めて地面に落ち、次世代の芽が出るという
わけです。
黒人の男の子が立っているようなこの独特な形の木は、オーストラリアへ移民した人たちが
原住民の戦士と見間違えたことから「ブラック・ボーイ」の名がついたとのことでした。
そのほか「バンクシア」などのワイルドフラワーもあちこちに咲いていました。
やがてランセリン砂丘に到着。インド洋の砂でできた真っ白なこの砂丘はまるで雪山のようです。
強い風で砂が飛び砂山の山頂はまるで吹雪のように砂が舞っていました。
このツアーはアドヴェンチャーツアーです。したがって山のような砂丘を4WDで
登ったり下りたり、急ハンドルを切ったりと冒険気分を味わわせてもくれます。
そして、スノボーと同じようにサンドボードもみんなにやらせてくれます。
年甲斐もなく私もやらせてもらいました。
大きく真っ白な砂の山頂からふもとまで20mくらいはあるでしょうか、ワックスを
塗ってもらったサンドボードに坐って滑り降ります。
1回目は途中で転んでしまいましたが、2回目は下までうまく滑り降りました。
見ているとそれほどの速さではありませんが、実際に滑っている方はスリルがあります。
童心にかえって楽しませてもらいました。
砂丘を後に、また牧場の中の果てしない道をひたすら走ります。
原野の中のドライブインのようなところでバーベキューの昼食をとり、休憩後いよいよ
今日の目的地ピナクルズへ向かいます。
ピナクルズはインド洋の海岸から5kmほどのところに位置し、ナンブング国立公園の中に
あります。
あたりは一面に黄色い砂でおおわれていて、その広い砂漠の中に1mから4mほどの太くて
さまざまな形をした柱が一面に立っています。
『荒野の墓標』とは誰が呼んだのかわかりませんが、実にうまく表現したものだと思いました。
この一種異様な風景を構成している柱は、自然が実に長い年月をかけてつくりあげたもので、
今もその形を変えていっているようです。
次のような自然の営みでつくられたといわれています。
(1)雨によって砂で濾された石灰が砂丘の最下層に固着しやわらかい石灰岩になる。
(2)草木が酸性の土と腐植土の層を形成する。カルクリートの固い層がやわらかい
石灰岩の上に形成される。
(3)カルクリートのクラックが植物の根によって発達する。 そしてやわらかな石灰岩が
分解を続ける。そこに石英の砂が水路の形に充たされる
(4)植物が枯れ、風によって覆われていた砂を飛ばし、石灰岩を侵食することによって
ピナクルが現れる。
自然の力、自然の営みというのははかりしれないものです。人間がピナクルズのようなものを
造ることはできません。
こうしたものを造ろうとして自然が造ったものではありませんが、そうした自然の力を
見せつけられたような感じです。
「ピナクルには登らないでください」という看板が立っていましたが、こうした自然は
大切にしなければいけません。
ここは世界遺産に登録されてはいませんが、世界にはもっともっとたくさんの特異な自然が
存在します。
世界の自然遺産を大切に!
自然の中に生かされている人間の勤めです。
ピナクルズからパースの町まで約250km。
ロブさんの運転する4WDは時速100kmで飛ばします。疲れたわれわれは時々居眠り
ですがロブさんの運転は快調です。
帰り道は行きとは違った道を走ってくれました。それもサービスのようです。
パース北東郊外に位置するスワンバレーも通ってくれました。
このあたりは有名なワイナリーがあるところだそうで、ぶどう畑が一面に広がっていました。
町に近づくにつれて車が多く、交通事故で炎上している車もあったりして時間がかかりました。
それでもわれわれは無事にホテルに到着。この日10時間のアドベンチャーツアーも完結
です。
何から何まで面倒を見てくれたロブさんとガイドの山本さんに感謝の一日でした。
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