Motaのホームページ Orange life インド 2018.11.17~11.23『ぜひ行ってみたいと思っていた』というと、インドに限らずほかの国もみなそうなってしまう感じがします。 しかし、インドは特別訪ねてみたいと思っていた国です。 それは、インドに行くと人生観が変わると聞いていたからです。ところがいろいろな都合で延び延びになり いまさら人生観が変わったとしても意味ないのではないかという80歳目前の年齢になってしまいました。 それでも、罪を流し功徳を増すといわれる聖なるガンジス河に行ってくれば何か感じるものがあるのではないかと 思ったわけです。はたして私は生まれ変われるのでしょうか・・・? 今回も昨年のロシアに続いて山友だちのKオジサンさんと2人で行くことになりました。 中部空港からの直行便はありません。 そのため、上海で乗り換える中国東方航空で行きます。上海まで約2時間45分、上海からデリー まで約7時間20分、合計約10時間のフライトでした。 今回のツアー参加者はご夫婦連れ1組を含めて男性6人、女性3人の合計9人でした。 そのうちビジネスクラス利用者が6人もおられてびっくりでした。したがって私もいれて残りの3人だけが ビンボウクラスということになります。 デリー Delhi、 サルナート Sarnath、ベナレス Benares(バラナシ Varanasi) 1日目は夜の到着となるので、空港近くのホテルにチェックインして寝るだけ。 2日目、国内線でベナレスまで飛び、サルナートへ観光に行ってからベナレスへ戻って宿泊になります。 今回の現地ガイドはラクシュミさん(悪シュミではありません)で初日の出迎えから最終日まで通しでガイドしてくれます。 翌朝、デリーからベナレスまでは Air India で約1時間20分、サービスもよく短時間ですが機内食も 出されました。 ベナレスからは1人2座席が利用できるバスでの観光となります。外観はきれいに見えますが、後輪のタイヤはツルツル、 リクライニング上能になった座席もあります。 仏教発祥の地を巡る まずはブッダが初めて説法をしたというサルナートの仏跡観光です。 最初に行ったのがムルガンダ・クティー寺院でした。 日本のお寺とは異質ですが、内部に日本人画家が描いた壁画がありました。ブッダの一生を描いたものだそうです。 ムルガンダ・クティー寺院とその内部の壁画 次はすぐ隣にあるダメーク・ストゥーパまで歩いて向かいます。 芝生の広い公園のようなところに赤茶色のレンガの土台部分の跡が点在しています。僧院の跡だといいます。 その一隅に立つのがダメーク・ストゥーパで高さ40mはあるという巨大な仏塔。6世紀ころに造られたそうで、 一部は壊されているものの幾何学模様が残されていました。 発祥の地でありながら国民の数パーセントしかいない仏教徒の位置づけを見るようなサルナートでした。 広い敷地内に点在する僧院の跡と幾何学模様が残る巨大なダメーク・ストゥーパ ガンジス河に祈りをささげる儀式プージャ ベナレスへ戻り、毎夜行われるガンジス河に祈りをささげる儀式プージャを見に行きます。 インド体験の一つだということでオートリクシャーに乗っていくことになりました。 絶え間なくピー、ピー警笛を鳴らす車、オートリクシャー、バイク、そして輪タクが道を埋め尽くすように走る中、 とんでもないことが起きました。3台に分乗して出発したのですが最後尾のわれわれのオートリクシャーが先行車 を見失ってしまたのです。集合場所をしっかり聞いていなかったというお粗末。同乗していた添乗員が ガイドのラクシュミさんにようやく連絡がとれるまで30分くらいかかったでしょうか。運転手が急いでくれたものの この日はヒンズー教のお祭りに重なったこともあり狭い道は大渋滞。ようやく全員が合流できたのは出発して 1時間20分後くらいでしたでしょうか。ただ、先行車も渋滞に巻き込まれて大変だったようです。 はじめはオートリクシャー体験を楽しんでいたわれわれでしたが、もううんざり。警笛と人々の声が入り混じる 喧騒は日本では考えられないものでした。 プージャが行われるダーシャシュワメート・ガートまで1kmくらい歩いていきます。オートリクシャーも 乗り入れ禁止になっているのです。 牛のふんを踏まないように、人をかき分けながら歩いて到着した会場はすごい人でごった返していました。 ヒンドゥー教徒も観光客もごちゃ混ぜです。 祈りをささげる男が10人くらい。松明を右手にささげ振り回し、左手はひもを引いて鐘を鳴らし続けます。 この祈りは毎夜行われれるというヒンズー教徒の熱心な信仰心は何と評したらいいでしょうか。 広いガートを埋め尽くす何千人というヒンズー教徒と観光客が見守る中で行われる祈りの儀式プージャ 聖なるガンジスで身を清める沐浴 インド旅行の大きな目的の一つがヒンドゥー教最大の聖地ガンジス河です。 ガンジス河の水で沐浴すれば すべての罪が浄められると信じるヒンドゥー教の教え。その様子をぜひ見たいと思ってやってきたわけです。 3日目の朝、沐浴は早朝暗いうちから行われるので、われわれも5時にホテルを出発します。 バスを降りて歩いていくとたくさんの教徒たちが着替えの衣朊が入った袋を携えて一緒にい歩いていきます。 予約されたボートに乗船して波静かなガンジス河へ。80余りあるというガートの中で最もよく沐浴を見ることが できるというケイダール・ガートへ向かいます。途中の各ガートではすでに沐浴が始まっていました。 われわれから見ればガンジス河の水はきれいではありません。 私のイメージでは『聖=清』ですが彼らにとっては違うようです。 頭から水をかぶっている人もいますが、 ガイドのラクシュミさん話では頭まで全身を川に沈めないと本当の沐浴にはならないそうです。 しばらく沐浴の様子を見学。われわれも乗船場で女の子から買ってきた紙製の花の中に立てられたろうそくに火を灯して 川面に流しました。せっかくガンジスまで来たので、教徒とともにお祈りしようということです。 〔右上の写真〕 たくさんの人々が沐浴するケイダール・ガートと、沐浴の様子 しばらく沐浴の様子を見学して戻ります。いつの間にかガンジスに朝日が昇ってきました。 そして煙が立ち上っているガートがありました。火葬場のあるマニカルニカ・ガートです。 亡くなったら肉体から魂を解放するため荼毘にふすというのがヒンドゥー教徒の考え方。 ガンジス河に遺灰が流され輪廻転生するという思いなのでしょう。 ある意味、彼らにとってこの聖地で荼毘にふされるのは幸せなことかもしれません。 ガンジスの沐浴の様子を見学したあと、3日目はベナレスへ来た時とは違う国内線 IndiGo 航空でデリーに戻り、 バスでアグラまで行くという移動の一日となりました。 ガンジス河に昇る太陽と、マニカルニカ・ガートの火葬風景
アグラ Agra
ゴルフカートのような送迎用カートと、赤い砂岩で作られたきれいな大楼門(正門) そしていよいよ大楼門をくぐります。ついに念願のタージ・マハルの姿を目前にできたのです。 白亜の殿堂、周知のとおり皇帝シャー・ジャハーンが若くして亡くなった妻ムムダスのために建てた総大理石の 霊廟です。シンメトリーの美しさ、白大理石に象嵌細工が施されているのだそうです。 皇帝は生きていた妻にも贈り物をしたでしょうが、亡くなったあとにも美しい霊廟の贈り物をしたと いうことでしょう。 霊廟内には2つの棺がありますがレプリカだそうで、本当の棺は地下にあるそうです。 タージ・マハルの両側に同じ形のモスクと集会所が立っています。外観は同じですが内部は違うようです。 街も観光地も汚いインドですがタージ・マハルだけは清潔でした。はるばるインドまで来て 美しいタージ・マハルを見ることができてよかったと思いました。 圧倒される大きな城 アグラ城 タージ・マハルのあとアグラ城へ行きます。 タージ・マハルに行ってきたのでもうインド旅行のハイライトは終わったようなものだと思っていました。 しかし、ここアグラ城にきてその堂々たる姿に圧倒されました。 アグラ城はムガル帝国のアクバル帝によって1565年に築かれたものだそうです。 そそり立つ赤茶色の城壁は敵を寄せ付けない威厳さえ感じられます。深い堀にかけられた橋をわたって城内に入り 坂道を登っていくと予想外に美しい建物が現れて驚かされました。ジャハーンギール宮殿です。 〔写真右〕アマル・スイン門 〔写真下〕ジャハーンギール宮殿 この城には貴賓謁見の間、一般謁見の間やモスクもあり庭園も備えた美しい城です。 また、タージ・マハルを建てたシャー・ジャハーンが息子に幽閉された城でもあります。 シャー・ジャハーンはムサンマン・ブルジュ塔(囚われの塔)からヤムナー河の対岸に建つタージ・マハル を眺めていたといわれます。 〔写真左〕ムサンマン・ブルジュ塔(囚われの塔)の左奥にタージ・マハルが見える 〔写真右〕一般謁見の間 ジャイプール Jaipur アグラ城のあと大理石店へ案内されたが興味なし。これでアグラの観光が終わってホテルへ。 翌日ジャイプールへ移動します。遠かったなあ、5時間半くらいかかってようやくジャイプールに着きました。 ジャイプールはピンクシティといわれ、ピンク色、赤茶色の建物がたくさん並んだ街です。 ジャイプールでの観光は、風の宮殿、ジャンタル・マンタル天文台、シティパレス、そしてアンベール城です。 風の宮殿 最初に行った風の宮殿というのは変わった建物です。大通りに面した薄っぺらながら大きな建物なのです。 むかし、宮廷の女性たちがこのテラスから街を見下ろしていたのだそうです。窓のあるテラスが部屋から はみ出しているので風通しはいいのかもしれません。 ジャンタル・マンタル天文台 サンダルを売る店、朊の店、革製品、ショールなどを売る店などなど。正直言ってきれいでない店が連なる風の 宮殿前の大通りを歩いてジャンタル・マンタル天文台へ案内されました。 これが世界遺産?といぶかしく思われるようなところで、説明されなければオブジェのある公園という感じです。 説明を聞くと、日時計、太陽高度計、惑星・星の位置測定器、12星座観測儀など配置されていました。 シティ・パレス 次のシティ・パレスは天文台のすぐ北側にありました。 マハーラージャ・偉大な王サワーイー・ジャイ・スィン2世が1726年に造った建物だそうで、今もマハーラージャの住まい で一部が博物館になっているそうです。 アンベール城 ジャイプール最後のアンベール城は山の中腹にあります。そのため途中まではバスですが、その先はジープに乗り換えて 城門まで行きます。 16世紀頃はここがアンベール王国の首都だったそうで、攻め落とすのは難しい感じがする巨大な城ですね。 写真左のように城内は建物に囲まれた広場になっており、夜になるとライトアップされて城がきれいに 浮かび上がって見えます。 これでジャイプールの観光はおしまい。 この日はジャイプールのホテルに泊まり、明日は観光の最終日、デリーへ向かいます。 デリー Delhi ジャイプールからデリーまではアグラ、ジャイプール間よりもさらに遠い道のりでした。 デリーに入ると渋滞も激しくなるので6時間以上かかったのではないでしょうか。 デリーは首都ですし人口 2,000万人だそうです。見どころもいろいろあるでしょうけど観光も7日目と なると疲れがたまり観光意欲も低下状態でした。 デリーの観光先はクトゥブ・ミナールとフマユーン廟です。 両方とも入場券ではなくコインでした。たぶんICチップが入っているのでしょう。 自動改札みたいなもので、コインをかざすと鉄のバーが動いて入場し、出るときはコインを投入すると やはり改札が開くというものでした。 クトゥブ・ミナール クトゥブ・ミナールはイスラム教モスクの尖塔・ミナレットです。 塔の下部赤茶色の三層と上部の白っぽい層がありますが、累代の王が引き継ぎながら建ち上げたようです。 この周囲一帯遺跡の建物群がありました。その中の一つにアラーイーの塔というのがありますが未完成の ものだったようです。 〔写真左〕クトゥブ・ミナール 〔写真右〕未完成のアラーイーの塔 フマユーン廟 クトゥブ・ミナール見学のあと時間が押していたので最後のフマユーン廟は駆け足で巡ります。 1565年に建造されたというフマユーン廟はタージ・マハルとは規模が違いますが、インド・イスラム建築の 傑作とされるものだそうです。大急ぎで写真を撮ってきました。 〔写真左〕フマユーン廟 〔写真右〕インド門 インド門 ここでインド門を追加しておきます。おまけみたいになってしまいましたが、インド門はアグラへ移動 する途中で立ち寄りました。 見かけは凱旋門のようですが、実は第1次世界大戦で戦死したインド兵士の慰霊碑だそうです。 高さ42の門の壁面に戦死者13,500人のなまえが刻まれているといいます。 これで観光の部はおしまいです。 やはりインドの観光は聖なるガンジスとタージ・マハルにつきると いっていいでしょう。もう一つ加えるとすればアグラ城をあげておきます。 インドに来て人生の考え方が変わるということはありませんでした。しかし、 輪廻転生を信じて聖なるガンジスに祈りをささげるヒンドゥー教徒の人たちの一途な信念と 宗教がもたらす強い影響力というものを感じました。 われわれ日本人のように宗教に淡白な人たちにとっては異質ではありますが、 こういう世界もあるということを理解しておかなければならないでしょう。 一方、タージ・マハルの美しさには感動しました。世界一美しい建造物だといわれることに異議はありません。 全体的に汚い国インドにあってこれだけ美しいものがあるのが信じられない気もしました。 さて、7日間という日程ですから広大な国土のインドのなかで北インドの一部を 見てきたにすぎません。 でも、田舎町も通りましたのでインドとはこういう国なんだなという 程度にはわかったような気がします。 観光資源の遺跡や大都市の中心部は別にしてインドの印象は『汚い』でした。 以前行ったネパールも汚かったですがそれと全く同等の汚さだと思います。 ごみは散乱、ウシなど動物のフンが道に残る街はどうにかならないものかと思います。 ネパールは国民の所得水準が特に低い国(一人当たりGDP=848ドル)ですから汚さもわからなくも ありません。それに対して急成長するインド(一人当たりGDP=1,976ドル)は所得がネパールよりずっと多くても 汚さが変わらないということはまだ貧しさから抜け出しきれていないのかもしれません。 街には物乞いする人たちがいっぱいいるということは、カースト制が根強く残っているからではないでしょうか。 インドの問題点の根幹はいまだ解消されていないようです。 『輪廻転生』を求め、ガンジスに祈りをささげる人たち。現世を正しく生き、生まれ変わって上層階級になるという 教えを信じ、来世に希望を抱いて現世で一生懸命に生き抜く人々の姿を見たように思います。 清濁あわせて体験・体感する旅、それがインド旅行だったと総括します。 今回も昨年のロシアに続いて Kオジサンさんと一緒の旅行でした。何事にも積極的、探求心旺盛なKオジサンさんなので 私一人だったら気がつかなかったであろうものを発見して教えてもらうことができました。 おかげで旅の幅が広がった喜んでいます。 また、旅行中に聞いて驚いたのですが、今回の添乗員・Tさんは今年入社したばかりの男性だったのです。 添乗業務は7回目だとのことでしたが、しっかりしているし、親切で心配りも怠りないとてもいい青年でした。 Tさんのおかげで9人のメンバーみんなで楽しい旅行をしてくることができたと感謝しいています。 ◆ ハプニング 帰りのデリー空港でハプニングがありました。出国審査でKオジサンさんと2人、別室に連れ込まれ尋問を受ける はめになったのです。◆ 騒々しい街 ◆ 貧困層 ◆ 観光客 インドでは中国人観光客が少なく、やかましい思いをさせられなくてよかったです。◆ トイレ事情 ホテルのトイレは基本的に日本と同じで問題はありません。◆ チップ わずらわしいのがチップです。◆ 両替 ◆ アルコール ヒンドゥー教やイスラム教の人たちはお酒は飲みません。◆ 食事 ◆ 食当たり 病原菌性の食当たりではないので深刻ではありませんが、多くの人がおなかをこわします。◆ 野良ウシ、野良イヌ、野良ブタ
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