Motaのホームページ Orange life 2016. 6.15~ 6.19『アーユ ボーワン スリランカ Ayubowan SriLanka』 は、こんにちはスリランカという意味です。 インド洋に浮かぶ真珠と呼ばれ、北海道の80%という広さながら多様性を秘めた島・スリランカ。 手つかずの自然環境の中に椊物、野生動物が生息する島国へ友人2人を誘って 行くことにしました。もちろん、格安ツアーへの参加です。 スリランカは旅行する季節選びが難しい国です。 熱帯に位置する島国で、南西風が吹く11月~4月は島の南西部が雨季。反対に北東風が吹く 5月~10月は北東部が雨季になるので、ある意味年中雨季の国というわけです。 そこでいろいろ考えた末、この旅行の最大の目的はシーギリヤロックなので、この地域で雨が少ない という夏場の6月に行くことに決めました。 スリランカへは中部空港からの直行便はないため、香港経由のキャセイ航空で 行くことになります。 香港経由でスリランカへ 【1日目】 中部空港⇒ 香港⇒ コロンボ⇒ ネゴンボ 2人の友人浜松のOさん、各務原のKオジサンさんと中部空港で待ち合わせます。 香港まではよかったのですが、その香港での乗り継ぎ時間が長いのには閉口しました。 コロンボへの出発便まで何と7時間もあったのです。 前回香港へきたのは1991年でしたから25年前です。当時は香港が中国へ返還される前で、 高層ビルの谷間にあった小さな啓徳空港でした。それが今や滑走路2本の大きな空港になっていました。 暇つぶしに広い空港建屋内を見て回りましたが疲れるだけ。友人との話も尽きるころようやく 出発時間となり搭乗ゲートへ。 広々とした香港国際空港とコロンボ国際空港のバゲージクレーム 5時間余りのフライトでコロンボ空港へ到着したのは現地時間の23時、日本時間の2時半を 回っていました。 添乗員のゴトウさんとツアーメンバー21人は、現地ガイドのナンダナさんの案内で 今夜の宿 Ramada Hotel へ。 明日は8時出発なので早々に風呂に入って就寝ということになりました。 キャンディ観光へ 【2日目】 ネゴンボ⇒キャンディ この日は空港近くのネゴンボのホテルからキャンディへ行きます。 熱帯の島で、カンボジアやネパールの雰囲気に似ています。いいのは道路が全面舗装されていること でした。また、走っているバスはオンボロでドアは開けっぱなしです。それに引き換えわれわれ海外観光客 のバスはエアコンもしっかりきくきれいなバスでその違いは歴然です。 『現地の皆さんごめんなさい』 ということかな。 途中、国営のレストランでトイレ休憩。きれいなトイレを備えたところが少ないので、道の駅といった 感じでしょうか。 庭の一隅でおじさんが笛の演奏をしていました。そしてここででっかい木の実を見つけました。 ガイドのナンダナさんに聞くと 『ジャックフルーツ(Jack fruit)』 だそうです。クワ科パンノキ属の常緑高木で日本ではパラミツ というようです。 きれいな海外観光客用のバスとジャックフルーツの大きな実 キャンディ Kandy キャンディの街に入る前に紅茶の工場兼販売所に連れて行ってくれました。 もちろん本場のセイロンティです。 茶葉を乾燥し、すり揉みして大きさによって分類するまでの行程を見せてもらいました。 そして販売フロアで紅茶を試飲させてもらい、気に入った紅茶を買い求めます。 コロンボの町で買うよりも安いといっていました。 結局、ネゴンボから4時間半近くかかってようやくキャンディに着きました。 キャンディの人口は約12万人だそうです。 レストランでの昼食後、世界遺産・古都キャンディの観光です。 キャンディは紀元前5世紀から続いたといわれるシンハラ王朝最後の王都として栄えた街だそうです。 その中心が仏陀の歯を祀る仏歯寺です。 にぎやかなキャンディの街は人造湖だというキャンディ湖のまわりに広がっていて、コロニアル風の 建物が並んでいました。その中に1895年創業の白いクイーンズホテル Queen's Hotel があり、 道路を挟んで反対側の広い敷地の中にキャンディの象徴ともいえる仏歯寺があります。 セキュリティチェックを受けてアプローチを進むと仏歯寺が見えてきます。 1895年創業の白いクイーンズホテルと1803年に造られた仏歯寺の八角堂 仏歯寺に入るには帽子をとり靴を脱がなければなりません。直前にスコールが降り石畳は まだ乾ききっていませんが、汚れてもいい靴下に履き替えて入ることにしました。 中に入ったところで仏歯に捧げる蓮の花を100ルピーで売っていました。 一番古いのは中心部にある1707年に建てられた木造の本堂だそうです。 1階は大きな象牙が飾られたお堂があり、2階への踊り場には仏歯をインドから持ってきた様子を描いた という2人のレリーフなどが飾られています。 2階部分のお堂に仏歯が祀られているそうで、蓮の花をささげ、10数人の人が静かに祈りを ささげていました。われわれ観光客も地元の人たちにならって祈ります。 大きな象牙が飾られた1階のお堂と2階にある仏歯が入っている仏舎利。人々が蓮の花を供えて祈る 仏歯寺では、毎日朝、昼、夕の3回ブージャ(礼拝)が行われ、金色の仏舎利が公開される。 ただ、仏歯は仏舎利に入っていて一般人には仏歯そのものは見られない。 この時、上半身裸の男たちが、ものすごい音量で太鼓とラッパを奏でるという。 このあと、65歳で亡くなった大きな象のラージャの剥製展示を見学。 ラージャはペラヘラ祭りで最も重要な 『聖なる仏歯収めた仏舎利』 を背中に乗せて行進する役を 長年勤めあげた象なのだそうです。 1815年にイギリスよって終止符を打たれたスリランカ最後のシンハラ王朝の集会所 〔右写真〕や 王宮(今は博物館になっている)を見て回りました。 仏歯寺の見学を終え、キャンディ湖畔を歩いてキャンディダンスの会場まで行きます。 会場はキャンディアン・カルチュラル・センター Kandyan Cultural Centre ですが、 開演までに1時間近く待たされ、お尻が痛くなるほどでした。 キャンディアンダンスは、もともとは悪魔ばらいを目的とした踊りだそうです。 伝統的なドラムや笛に合わせて踊る11種のダンスと最後の火わたりで構成されていました。 ただ、ドラムと笛が大音響なので1時間聞かされて辛いものがありました。 この踊りは、 1年に一度、7月~8月ころに行われる最も大きなお祭り・ペラヘラ祭り Esala Perahera でもこのダンスが踊られ るようです。そうした屋外を練り歩くお祭りでならこの大音響ときらびやかな踊りが 盛り上げていいでしょう。 19世紀初めにつくられたという人造湖・キャンディレイクとキャンディアンダンス出演者勢ぞろい 2日目のホテルは、山の中腹にあるホテル・トパーズ Hotel Topaz。 キャンディ自体が標高500mくらいあり、ホテルは900mの高い所に位置するので スリランカの中では涼しいところでした。 ダンブッラ、ポロンナルワ観光へ 【3日目】 キャンディ⇒ ダンブッラ⇒ ポロンナルワ⇒ シーギリヤ この日は世界遺産になっている仏教遺跡・ダンブッラとポロンナルワの観光です。 ダンブッラの石窟寺院では350段の石段を登るので、明日のシーギリヤロックへの 足慣らしだとガイドのナンダナさんはいっていました。 キャンディからダンブッラまでは3時間ほどかかるそうで、トイレ休憩を兼ねて 途中のハーブ園を見学するそうです。 このあたりは特に雨が多い地域のためハーブには適しているところだそうです。 実際、着いた途端に雨。見学が終わり土産のハーブを売る建物に入っている時には これぞ熱帯のスコールだという大雨が屋根を叩き、停電までする始末でした。 しかし、そこはよくしたもので10分後には雨は上がり青空も。 おもしろい熱帯体験になりました。 ダンブッラ Dambulla さて、ダンブッラに着いてビックリ、金ぴかのでっかい仏塔と仏像が出迎えてくれたのです。まさに黄金寺院 Golden Temple と称するとおりです。 ただ、世界遺産となっているのはここから約350段の石段を登ったところにある 『石窟寺院』 です。 熱い日差しの中を黄金の仏像の左から石段を登っていきます。 中腹で小休憩し、かわいい子連れのサルを見ながらさらに登ると開けたところに出ました。ここからは熱帯の森が広がる先、 遠くに明日登る予定のシーギリヤロックが見えました。なかなか存在感のある姿を見て明日がますます楽しみになりました。 ダンブッラ Golden Temple の黄金の仏像と、シーギリヤロック(右側) やがて紀元前1世紀創建という石窟寺院の入口につきます。ここからは帽子を取り、靴を脱いで裸足か靴下でしか入る ことが許されません。 岩山の中腹の大きな岩を繰り抜いて作れられた寺院は、5つの石窟に分かれていました。第1窟から順に 見て回ります。最も古いのが第1窟、第5窟が最も新しいそうです。 デーワ・ラージャ・ヴィハーラ(神々の王の寺)と呼ばれる第1窟には14mもあるという涅槃像が小さな窟いっぱいに 横たわっていました。 あまりにも大きくて1枚の写真に入りきらないこの像は、一般的には涅槃像というのでしょう。しかし、ガイドさんの 説明によると、この像は目を開けていることと、足を左右そろえて寝ているので、亡くなって涅槃に入られた 像ではなく、横になって休んでいる像なのだそうです。 14mもあるという涅槃像とその足。本当は涅槃像ではなく休息している像だそうです 第2窟はマハー・ラージャ・ヴィハーラ(マハラジャの石窟)といわれる大きな石窟でした。 ヒンドゥーの神サーマン、ヴィシュヌの心臓、そして16体の釈迦立像、40体の釈迦坐像が安置されています。 そして、この石窟で目を引くのは鮮やかな色彩の天井画ですが、何度か修復されいているようです。 この第2窟にも大きな涅槃像(正しくは休憩像)が横たわっていました。 きれいな天井画が描かれた第2窟 いったん外に出て18世紀の創建というマハー・アルト・ヴィハーラ(偉大な新しい寺)という第3窟へ。 ここにも多数の仏像と9mくらいあるくつろいだ姿の涅槃像(休憩像)がありました。 そしてまたいったん外に出て第4窟です。 こじんまりとした窟ですがキャンディ王朝末期の創建、パッツィーマヴィハーラ(3人の王の寺)といい、 なかなか内容は豊富でした。 ここは大きくはないものの仏像も天井画もみごとです。 そしてデワナ・アルト・ヴィハーラ(第2の新しい寺)という最後の第5窟ですが、もうここまでくるとやや食傷気味になります。 最も新しい1915年の創建で天井画も色鮮やかでした。 小さいながら第5窟にも涅槃像(休憩像)がありました。 40分ほどの石窟寺院観光を終え下山します。表現力に乏しい私としては、 世界遺産だけあって、すごい石窟寺院だった、とだけいっておきます。 ダンブッラ観光のあと東に60kmくらいの距離にあるポロンナルワへ向かいます。 途中にあるホテルのレストランで昼食をとり、トイレ休憩をかねて工芸品店 〔右写真〕に立ち寄ります。 このあたりは全体が国立公園になっているという森林地帯です。 象やヒョウなどが生息しているといいます。象はスリランカ全体で7000頭だそうです。 そのうち5000頭は野生で残り2000頭は人に飼われテイル働く象さんだと聞きました。 ポロンナルワ Polonnaruwa ポロンナルワの遺跡群は、南北10km以上にパラークラマ貯水池の東に広がります。 ここは、10世紀から12世紀までシンハラ王朝の首都があったところで、大仏教遺跡があります。 その中で最初に案内されたところはクオードラングル Quadrangle(四辺形のこと)でした。 当時のポロンナルワの仏教の中心的地区だそうで、城壁で囲まれた丘の四角い敷地には12の建物があったそうです。 この遺跡も中に入るときは帽子を取り、靴を脱いで上がらなければなりません。 まずはワタダーゲ Vatadage という円形の遺跡で、中には東西南北に4体の釈迦座像が祀られていました。 ワタダーゲと4体ある釈迦座像。電線のようなものは満月の夜に行われるお祭りのための電飾 ワタダーゲの向かい側にあるのがハタダーゲ Hatadage(仏歯寺)です。 そしてこのあと、トゥーパーラーマ Thuparama、 蓮の茎・先端はつぼみを形どったラター・マンダパヤ Lata Mandapaya、 7階建ての塔 サトゥマハル・プラサーダ Satmahal Prasada、ランカティラカ Lankatilaka などを 見てまわりました。 それぞれ歴史的な意味合いのある遺跡でしょうけど正直いってよくわかりませんでした。 ハタダーゲ(仏歯寺)と内部にある石像 下段:左から右へ サトゥマハル・プラサーダ ランカ・ティラカ ランカ・ティラカ内部の顔の 部分がない巨大仏像 このあとバスで移動しガル・ヴィハーラ Gal Viharaya へ行きます。 ここでもガイドさんが入場券を買いチェックを受けて入りますが。周辺には大勢の人たちがいました。 スリランカの小学生くらいの子どもたちがお母さんと一緒にきているのです。 子ども用の正式な衣装・サリーを着ていますのでお祈りにきているようです。 ガル・ヴィハーラには、大きな涅槃像のほか、釈迦の座像が2体、立像が1体あります。 左の写真は歩いて行く途中で見たキリ・ヴィハーラ。 右の写真では子どもが二人、ガル・ヴィハーラの 涅槃像の前でお祈りしていました。 ここガル・ヴィハーラには涅槃像のほか、立像が1体、釈迦の座像が外に1体と中央の網の中に1体あります。 さて、これで今日の観光は終わりです。今夜の宿があるシーギリヤまで1時間ほどかけてバスで走ります。 ところがこの道中にハプニングがありました。野生の象に出会ったのです。このあたりでは象が湖沼で水浴びする ところを見に行くサファリツアーがあるといいますが、たまにですが国道を横切ろうとする象が出てくることも あるのだそうです。 そのたまたまに遭遇したわれわれはラッキーだったということです。 ガイドのナンダナさんの話によると、数ヶ月前のことロシア人の男女二人が自転車ツアーで観光して いたときに象が国道に現れたそうです。 3日目の宿泊はシーギリヤのカメリア・リゾート・アンド・スパ Cameria Risort and Spa です。 このホテルはいわゆる高層建築ではなく2階建ての1棟に4部屋で構成されたコテージ風のホテルでした。 広い敷地内の疎林の中に15・16棟配されています。こういうホテルに泊まるのは初めての経験です。 この辺り一帯にビルはありませんので、自然景観に配慮してほかのホテルもすべてこうした形式でつくられて いるのでしょう。 シーギリヤ・ロック、コロンボ観光へ 【4日目】 シーギリヤ⇒コロンボ 香港経由で帰国 【5日目】 コロンボ⇒香港⇒中部空港 4日目ですが深夜便の機中泊で帰国するので実質的に最終日です。 そして、いよいよこの旅行で一番期待していたシーギリヤ・ロックへ登ります。 シーギリヤ・ロック Sigiriya Rock シーギリヤ・ロックはスリランカで最も人気のある観光地です。 週末の土曜日でもあり、特に込み合ういうので早朝に出発することになりました。 ましてや中国人団体観光客と一緒になると、らせん階段や狭い登山道でなかなか先に進めなくなるそうです。 それに彼らの大きな話し声でスズメバチがおそってくる危険もあるというのです。 われわれがホテルを出発したのは朝7時半前、シーギリヤ・ロックの入口に着いたのが8時前でしたから まだ観光客も少なく、作戦大成功でした。 世界遺産シーギリヤ・ロックは巨大な岩山で、5世紀後半、カーシャパ王が父である王を殺して王座にのし上がり、 その権力の座を弟に奪われるのを恐れてこの岩山の頂上に城を築いたといいます。 シーギリヤ・ロックの標高は約370m、地表から岩山頂上までの高さは約200mだそうです。 入口を入ると王の庭園が広がりその奥に目指すシーギリヤ・ロックがそびえていました。 これからあのてっぺんまで登るのだと気持ちが高まりますが、まわりにも注意することが必要です。 下の写真のようにイグアナ、コブラ、黒サルなど自然のままに野生動物が生活しているのです。 左から、イグアナ、コブラ、黒サル 水の庭を過ぎて入口を入るとすぐに石の庭で大きな丸石のアーチ Boulder Archがあります。かつて修行僧たちの 瞑想の場だったとか。 アーチを抜けるとテラスの庭に出ます。ここから先、階段が続くようです。そしてらせん階段にかかります。 確かにここは上り下りする人で込み合いそうです。 下を見ると中国人の団体さんがきているようですが、われわれは早く来たので大丈夫です。 左から右へ: 入口 石の庭 テラスの庭 左から右へ: 岩壁にそって軽量鉄骨で組まれた通路 テラスから見下ろす水の庭と観光客 らせん階段 らせん階段を上がったところに有吊なシーギリヤ・レディのフレスコ画がありました。 やっとシーギリヤの美女たちに会うことができました。 しかし、以前は写真撮影できたのですが、少し前から撮影禁止になってしまったので掲載した写真は絵はがき からとったものです。 このあと、岩肌にミツロウが塗られ磨き上げられたミラーウォールの横を緩やかに登って行きます。 そして登り着いたところがライオンの足の広場でした。眼前のこの大岩 〔下の写真左〕 を登り切れば宮殿跡のある頂上です。 登り口の両側には、とてつもない大きなライオンの足〔下の写真右〕 があります。 昔はライオンの頭部もあったそうです。 ここで小休憩ですが、 見上げるライオンの足上部の岩に巨大なスズメバチの巣が見えました。このところは大丈夫だとのことですが、 大声を出すと襲ってくるそうなのでこの先は静かに登るようにいわれました。そして万一の安全確保のために この広場の一角にスズメバチシェルターが設置されていました。 ライオンの足から頂上の宮殿跡まではひと登りでした。 そこそこ広い山頂部で全方位の眺望が開けます。こうしてみると、熱帯の原生林に囲まれた中に シーギリヤ・ロックが飛び出しているといった感じです。 シーギリヤ・ロック山頂にて Kオジサンさん、Mota、浜松のOさん シーギリヤ・ロックからの眺望 見下ろすと一直線に延びる通路の左右に王の庭園があり、その先に純白の仏像も見えます。 父親を殺害してここに王宮をつくった王・カーシャパはどんな気持ちでこの景色を見ていたのでしょう。 しかし、495年、そのカーシャパも大軍を率いて攻めてきたモッガラーナに破れて自害し、豪華な 宮殿の歴史は幕を閉じたとガイドブックに書いてありました。 この岩山の山頂に建築資材であるレンガはどうやって調達したのかは諸説があるようですが明確ではないそうです。 また、大きな沐浴場もあります。今も水をたたえていますが、単に天水ということではなく 高度な給水設備があるのだそうです。 〔左〕一直線に延びる通路の左右に王の庭園とその先に純白の仏像も見える 〔中〕山上の沐浴場 〔右〕王のベンチ さて、この後の予定もあるので下山することになりました。 帰りはらせん階段までは行かず、途中から 別ルートで下ります。 この下山ルートにも見所はあります。 その一つがコブラ岩とアサナ礼拝堂です。 写真のようにいかにもコブラだという感じの背の高い岩です。 この下に洞窟があり、アサナ礼拝堂と呼ばれています。この礼拝堂は僧侶の瞑想用に作られたものだそうで、 ここにも8世紀~9世紀ころに描かれたフレスコ画の跡がかすかに残っているという状態です。 下山後はバスでコロンボへ向かいます。この道中が長いものでした。ずっと続くヤシの木の林を抜け、 雑然とした田舎の町や村を通り、連なって走るトゥクトゥクを追い抜いてわがバスは走ります。 途中、クルネーガラ湖畔のHotel Diya Dahara レストランで昼食をとり、最後は高速道路を利用してコロンボに到着しました。 この高速道路はJICAの支援も受けてつくられたそうで、日本の高速道路の雰囲気とも似ていました。 ただ、走っている車は少なかったように思います。 昼食やトイレ休憩もありますが、結局シーギリヤからコロンボまで7時間近くかかったことになります。 コロンボ Colombo コロンボはこれまで見てきた町や村とは大違いでした。高層ビルが建ち並び、人口は約200万人と いますからナゴヤとほぼ同じくらいの大都市です。 あまり観光する時間がなかったので、宝石店に案内されたあとはバスの車窓から椊民地時代の 吊残りでもあるコロニアル建築〔写真下左〕 が立ち並ぶフォート地区などを見学。最後はむかし競馬場だったというゴール・フェース・グリーン Galle Face Green というところ〔写真下右〕へ行きます。 ここは屋台も並ぶ砂浜の海岸で、週末の夕方を楽しむ市民たちで賑わっていました。 スリランカの旗がインド洋に沈みゆく夕日を受けてはためき、われわれを見送ってくれているような 感じを受けました。 友人たちに感謝するとともに、彼ら自身も熱帯の世界遺産巡りを 楽しんでくれたのであれば私にとってもうれしいことです。 スリランカはモンスーンの影響を受けやすく雨季と乾季が地域によって異なる島国です。 そのため旅行の適期のみきわめが難しいところです。情報を集めて検討し悩んだすえ6月に行くことに決めました。 観光の中心が島の中部で、ことに岩山に登るシーギリヤの天気が良さそうな時期ということで決めたわけですが、 この選択は正解だったと思います。 期待していたシーギリヤ・ロックは晴れでしたし、ほかでもスコールには合いましたが すぐ晴れるので観光に支障はありませんでした。 スリランカで印象に残ったのはもちろんシーギリヤなどの観光もありますが、何といっても治安がいいことです。 ほかの諸外国への旅行では必ず貴重品をとられないようにとか、夜の外出は避けなさいとか いうを注意されます。しかし、スリランカではガイドさんからそういう注意もなく、日頃日本にいるときと同じ 感覚で行動できる安全な環境は素晴らしいと思いました。現地のガイドさんの話では警察が強いともいっていました。 やはり敬虔な仏教徒が多く、規律を重んじることが浸透した国民性からなのでしょう。 国全体では仏教徒が70%を占めているとのことですが、近年イスラム教の人が増えてきている のが心配だとガイドさんはいっていました。特にコロンボではイスラム教徒が40%にも達しているそうで 将来問題を起こさないか懸念しているとのことでした。 スリランカは主体は農業国であり、観光も大きな収入源として位置づけられています。 最近は特に中国人の観光客が増えて喜ばしくもありますがマナーの悪さでひんしゅくも買っているようです。 そんなこともありますが、スリランカがいつまでも自然豊かで安全な観光地として発展されることを 期待したいと思います。 ◆ 働く象さん スリランカにいる象は全体で約7000頭。 ◆ 食べ物 カレーばかりであまりおいしくないと聞いて出かけたスリランカでした。 確かにカレーは辛く、お米はぱさぱさでうまくはありませんでした。しかし、今回のツアーでは ほとんどがバイキング方式だったので好きなものをおいしく食べさせてもらってきました。◆ ビール 次はいつものごとく、その土地で飲むビールです。 ◆ トゥクトゥク
行 程
Orange life
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