Motaのホームページ
 Orange life



 モロッコ
2014.10. 8〜10.15
モロッコの地図
 モロッコへ行こうと思ったのは、昨年『菅野美穂が行く “色彩の王国” モロッコ』というTVを 見たのがきっかけです。
何といっても一度はサハラ砂漠を見てみたいと思ったことと、 白い街・カサブランカ、ピンク色の街・マラケシュ、アイトベンハドウはオレンジ色、 迷路の街・フェズはアイボリーなど色彩豊かでエキゾチックな感じがする モロッコに引き付けられたのです。

今回は名古屋から無料送迎バスで関西空港まで行き、ドバイ経由のエミレーツ航空でカサブランカへ 飛ぶことになります。


モロッコ

(1)国名  モロッコ王国
(2)元首  モハメッド6世
(3)政体  国王を元首とする立憲君主制
(4)首都  ラバト
(5)面積  日本の約1.2倍
(6〉人口  約3,300万人
(7)宗教  イスラム教(スンニ派)
(8)民族  ベルベル人(60%)、
        アラブ人ほか(39%)
(9)産業  リン鉱石の輸出、農業、観光

≪カサブランカ Casablanca≫

 とにかく長いフライトでした。
関空からドバイまでが10時間20分、ドバイで乗り継ぎ カサブランカまで8時間の合計18時間20分もかかったのです。
それに乗り継ぎ時間も入れると21時間ですし、名古屋を出発してからだと約30時間を 要したことになるのです。

現地時間の昼12時半に降り立ったカサブランカには強烈なアフリカの太陽が降りそそいでいました。
よく知られていいるようにカサブランカとは白い街という意味です。 現地ガイドのアミンさんの説明では18世紀に起きたリスボン大地震で街が崩壊したあと「白い街」 がつくられたといっていました。
そのカサブランカはモロッコ最大の都市で経済の中心です。
最初に案内されたのが街の中心部にあるムハンマド5世広場でした。 裁判所や市立劇場などがあり、市電の走る通りをはさんで噴水のある広場には無数のハトが 集まってきていました。
ムハンマド5世広場 ハッサン2世モスク
ムハンマド5世広場(左写真)と、高さ200mのミナレットのハッサン2世モスク


いわゆる観光するべきところが多くないカサブランカにあってこれはすごいと思ったのは 次に案内されたハッサン2世モスクでした。
強風で荒波が砕ける大西洋岸に200mの高さを誇る美しいミナレットが立つモスクです。
1993年にできたというモロッコ最大、世界で5番目に大きいモスクだそうです。 とりわけイスラムの象徴である緑色が鮮やかさを誇張している感じでした。


≪マラケシュ Marrakech≫

 機中泊だったので2日目ということになりますが、 カサブランカ観光のあとマラケシュまで行きます。
カサブランカを離れるにしたがい荒涼とした大地が広がります。砂漠が30%を占めるという モロッコ。砂漠には2種類あって1つはきれいな砂の砂漠、もう1つは岩石砂漠でモロッコは この岩石砂漠が多いようです。
バスで走ること約3時間半、活気あふれるマラケシュに着きました。マラケシュは モロッコ第3の都市だそうです。
ピンク色の建物ばかりのマラケシュの中で まずは有名なジャマ・エル・フナ広場 Place Djemaa el Fna へ行くことになりました。 夕方から訪れる人が増えるそうですがこの日はマラケシュ郊外でサッカーの試合があるため 人出は多くないだろうとガイドのアミンさんがいっていました。

広場の中ではコブラ使い、猿使い、ペットボトル釣り、ボクシング、ダンス、などいろいろな パフォーマンスが行われています。客にコブラや猿を触らせたりしてチップを取っているといいます。 またその写真を撮る場合もチップが必要で、だまって撮ろうとすると脅されて5000円位ふんだくられる そうです。
われわれ一行はソフトドリンクを1本ずつ買う形で広場のカフェの屋上に案内されました。 ここからはフナ広場全体が見わたせますし、コブラ使いなどを望遠で撮影することができるのです。
フナ広場全体 コブラ使い
カフェの屋上からジャマ・エル・フナ広場を見下ろす(火有写真)と、コブラ使い


 今日の人出は少ないとはいえ群衆の熱気にもまれたあとホテルに向かいます。
今夜のホテルは “Ryad Mogador Marrakech”。2日ぶりのベッドということになりますが ややお粗末な宿でした。
ドアはオートロックではなく部屋に入ってから内側からも「鍵」を差し込んでロックしなければ なりません。大通りに面していて大きな声も聞こえてくるというやかましい一夜を過ごしました。

 3日目の朝は世界遺産マラケシュ旧市街の観光でした。
まずはメナラ庭園 Jardin Menara という広大な庭園で、 周りがオリーブ畑に囲まれた中に大きな貯水池があります。
朝のすがすがしさはあるものの目を見張るような庭園ではない感じでした。

メナラ庭園の入口から遠くにミナレットが見えていました。 クトゥビア Koutoubia の塔 だそうでバスに乗って向かいます。
クトゥビアの塔はきれいな庭園の中に建っていました。
ミナレットの高さは77m。12世紀に建てられたものだそうです。茶色の塔にイスラムの緑色のタイル 模様で装飾されていました。
メナラ庭園 クトゥビアの塔
コイが泳ぐ大きな貯水池のあるメナラ庭園(左写真)と、12世紀に建てられたクトゥビアの塔


マラケシュ最後の観光はバヒア宮殿 Palaics de Bahiaです。
19世紀末にアラウィー朝ハッサン1世の宰相アリバハメットの私邸として建てられたそうで、 4人の妃と24人の側女を住まわせたという部屋に囲まれた美しいリヤド(中庭)がある大邸宅です。
部屋はそれぞれ違った大理石が敷かれモザイクタイルやアトラススギの装飾で彩られています。 そうした部屋の装飾に囲われた女性たちの角逐が現れているようでした。
部屋の装飾 リヤド
繊細な装飾が施された妃の部屋(左写真)と、美しいリヤドの周りには4人の妃の部屋がある


マラケシュ観光を終えたあとはアトラス越えです。北東から南西へモロッコの国土をたすき掛けにした ように連なるアトラス山脈。 4000mを超す山もある山脈で、マラケシュからワルザザートへは小アトラス (アンティアトラス)を越えて行きます。名前は小アトラスとはいえ荒涼とした山を縫うように 曲がりくねった道が続いていました。
山を下りワルザザートに入る手前にアイトベンハッドゥ Ait Ben Haddou がありました。
オレンジ色をしたアイトベンハドゥはカスバ(城塞に囲まれた村)の一つで、「アラビアのロレンス」や 「ナイルの宝石」など数多くの映画のロケ地になったところです。 世界遺産に登録されていますが日干しレンガでつくられているため崩れかけているところが散見されます。 それでもこの城塞内に数家族が今なお生活しているのです。

アイトベンハドゥ 見張り台
アイトベンハドゥ全景(左写真)と、アイトベンハドゥの頂上に建つ見張り台


この日は砂漠への入口の街ワルザザートで1泊します。今夜のホテルは “Kezi Azghor Ouaruzazate” です。


≪トドラ峡谷を経てエルフード Erfoud へ≫
オアシス
 4日目、いよいよ期待してきたサハラ砂漠への前進基地エルフードへ 向かいます。
ワルザザートからエルフードに続く道はカスバ街道といわれるようにたくさんのカスバを見かけます。
全部で1000位のカスバがあるとガイドのアミンさんがいっていました。

そしてエルフードへの途中にあるトドラ峡谷に立ち寄るのですがその手前に街道で最もきれいだ といわれるオアシスがありました。
トドラ川沿いに開けたティネリールという街で、山腹の道から美しいオアシスを見下ろすことが できたのです。

やがてバスはトドラ峡谷 Corges du Todra に入ります。
川の両側にそそり立つ高さ数百メートルあろうかという大岩壁はオーバーハングしている状態です。
その下にホテルが建っているのですがちょっと泊まりたくないなあと思いました。
しかし、われわれの昼食はそのホテルの1つであるレストランでした。 おなかもすいていたので、そのときは怖ろしさも忘れていたのが幸いです。
プリトヴィッツェ湖群入口 展望台眺望
オーバーハングした岩壁の下に建つホテル(左写真)と、そそり立つ岩壁でロッククライミングをしている人もいる



エルフードの街に入る手前に昔の地下水路がありました。
現在水は流れていませんが13世紀ころにアトラス山脈からこの砂漠の地への導水路が 造られたというのは驚きです。
ところどころに縦穴があり、そこから足踏み式のつるべで水を汲み上げていたそうです。
地下水路 地下水路
この下に地下水路が続き縦穴から水を汲み上げる(左写真)と、地下の水路を歩く


明日はいよいよメズルーガ大砂丘です。エルフードの今夜のホテルは “Riad Salam Erfoud” です。




≪メルズーガ大砂丘 Merzouga≫
ラクダの乗り方
 5日目、メルズーガ大砂丘ツアーです。
早朝5時、4WDのランドクルーザーに分乗して約40分、砂漠をぶっ飛ばしメルズーガの 砂丘まで行きます。
ここでラクダの乗り方を教えてもらい(写真右) 隊列を組んで砂漠に昇る朝日を見るポイントまで 行きます。
上空に十三夜の月が輝く月明かりの中をラクダに乗って静々を進んでいくところは まさに「月の砂漠」の歌のイメージそのものでした。

ラクダを降りて日の出を見る砂山の稜線まで20〜30m歩いて登るのですがこれが一苦労。 砂が軟らかいので登っても登ってもズズズーと下がってきてしまうのでした。
敷いてくれたじゅうたんに座って日の出を待っている時とんでもないことが起きました。 何とにわかに曇った空から雨が降ってきたのです。 まさか砂漠で雨にあおうとは思いもよりませんでした。おかげで珍しい体験をさせてもらった ことになります。

朝日 ラクダに乗る
砂漠に昇る朝日が砂を赤く染める(左写真)と、朝日を見たあとラクダに乗って戻る

ラクダの影 自分のラクダの影
朝日を受けて砂丘にラクダの隊列の影が映る(左写真)と、自分が乗ったラクダの影   

うねる砂丘ン 朝食
うねるように陰影を描くメルズーガ大砂丘(左写真)と、遊牧民のテントで朝食をとる

天気はすぐ回復し砂漠の砂山の上に登る朝日も見ることができました。うねった陰影の砂山は 自然の手による造形美術品です。
そして再びラクダにゆられて戻る時にうれしいことがありました。朝日を受けて砂丘にラクダの隊列の 影がみごとに映し出されたのです。これぞこの大砂丘にきてこそ見られる一幅の絵であり、 記念になる映像をカメラに収めることができたのです。
戻ってきたあと遊牧民のテントで用意された朝食をとりました。
生ジュースもパンもハムもおいしかったのですがハエが群がっていたのには閉口しました。
これも砂漠体験の一つと考えなければいけないということでしょう。


≪エルフードからアトラス山脈を越えフェズへ≫

 今日はこれから再びアトラス山脈を越え約9時間かけてフェズまで行くことになります。
ガイドのアミンさんは、「ここエルフードはアフリカだけど、このあとアメリカとヨーロッパを 通ってフェズまで行きます。景色もいいので楽しみにしてください」というのです。
その答えはこのあと出てきます。

エルフード

まずは当然のことながらアフリカの風景。
この写真はエルフードの町はずれでナツメヤシが茂る中の道を行きます。
グランドキャニオン?

北へ向けて30分ほど走るとグランドキャニオンを思わせるようなこんな風景が。
ズィズ渓谷の両側にさまざまな形をした岩山が続くのでここがアメリカだというのでしょう。
こんな景観が1時間以上も続いていました。
遊牧民のパオ

アトラス山脈を越えて行くと遊牧民が放牧をしているところにしばしば出会いました。
写真は遊牧民が暮らすパオです。
イフラン

そしてイフラン Ifrane という町は実にきれいな街でした。
ヤシの木やオリーブなどの木はありません。 整備された公園の周囲にはモロッコとは思えないヨーロッパ風の街並みが取り囲んで いました。
標高約1600m、モロッコのスイスといわれる避暑地・保養地だそうです。
緑に囲まれた中に国王の別荘もありました。

イフランからさらに1時間あまり走ってようやくフェズの町に着きました。
早朝からの長い1日。今宵のホテルは “Nouzha” です。


王宮の門 ≪フェズ Fez≫

 6日目、 やさしいアイボリー色をした町・フェズはカサブランカ、ラバト、マラケシュに次ぐモロッコ第4の都市です。
モロッコ最初のイスラム王朝があった古都で世界最大の迷宮都市といわれるそうです。
迷路の町フェズ旧市街へ行く前に王宮へ案内してくれました。 国王がフェズに滞在するときのための王宮です。
80haあるという王宮の中へは入れませんが門だけでも立派です。 7つの門があり繊細な模様で装飾されていました。


さて、旅行者が入り込んだら出てくることができないともいわれる迷路のフェズ旧市街へ行きます。

ブージュルード門外 ブージュルード門内
左の写真ブー・ジュルード門の外側は青色、右写真のように ブー・ジュルード門の内側はイスラムの緑色で装飾されています

メディナと呼ばれる旧市街へはブー・ジュルード門から入って行きます。 きれいな装飾がある門ですが外側は青色なのに対して内側はイスラムの色である緑色の 装飾がされているのでした。




アラビア語で「古いフェズ」を意味するフェズ・エル・バリ Fez el Bali。 旧市街は細い路地が入り組んでいて迷路そのもの。われわれ観光客はガイドさんのあとについて 行くしかありません。
おしなべて路地の幅は1.5m〜2m程度でしょうか。中には1mほどの狭いところもありました。
路地の両側には住居あり、お店あり、歯医者あり、幼稚園や小学校、イスラム協会、レストラン、 そのほか気がつかないものもいっぱいあるでしょう。
ひっきりなしに人が行き来し、ロバが荷物を背負って歩くといったところです。
そんな中でわれわれはなめし皮工場を見下ろせる皮革製品の屋上に案内されました。 先に見たTVでも紹介されていたところでした。
皮なめしの工程もさることながらこの屋上からはフェズの旧市街を見ることができてよかった と思います。

フェズ旧市街眺望 皮なめし工場
皮製品屋さんの屋上から見たアイボリー色をしたフェズ旧市街(左写真)と、皮なめしの工程を見下ろす



昼食は旧市街の中のにある内部装飾がきれいなレストランでした。 19世紀の防衛大臣宅だったところだそうです。
昼食をとり次の観光に向かいます。
この日は古都メクネスを経てラバトまで行くのですが、途中にあるヴォルビリスへも立ち寄ります。



≪ヴォルビリス Volubilis ≫

 ヴォルビリスはモロッコに残された古代ローマ遺跡です。
案内してくれた現地ガイドはあちこち遺跡のすべてを説明したくて仕方がないといった 感じでした。それだけこの遺跡に誇りを持っているのでしょう。
ローマ遺跡はほかでも見ていますが、このヴォルビリス遺跡のいいところはモザイクタイルが 当時のままの姿で見ることができることでしょう。 リビングの床に敷き詰められたモザイク模様は色も当時のままにきれいに保存されていました。 それもたくさんあるのです。
凱旋門 モザイク
カラカラ帝の凱旋門(左写真)と、リビングの床に残された鮮やかなモザイク模様




≪メクネス Meknes ≫

 6日目最後の観光はメクネスです。
旧市街が世界遺産に登録されていますが、当時の王様が用心深い人だったそうで 街は3重の城壁に囲まれているといいます。
そのなかでアフリカで最も美しいといわれるマンスール門を観に行きました。 1732年に完成したものでエディム広場に面して建っていました。
凝った造りではありますが汚れた感じがするし一番美しい門だということに関しては 疑問符が付きそうです。
マンスール門 広場
アフリカで最も美しいといわれるマンスール(左写真)と、マンスール門に面したエディム広場    


このあとは一路ラバトへ。モロッコ最後の夜は “Belere Rabat” というホテル。
このホテルはなかなかいいホテル〔下の写真〕でした。 最後にいいホテルを用意するというのは旅行会社の戦略かもしれません。



≪ラバト Rabat ≫
ホテル
 7日目・8日目、モロッコの旅も今日で最後。
ラバトは人口約180万人、モロッコ第2の都市です。
首都というだけあって街はヨーロッパの都市と何ら変わらなずきれいです。
洗練されたデザインの路面電車も走っています。
各家庭にはパラボラアンテナが設置されてヨーロッパのTV番組をみているそうです。 そのため市民は皆ヨーロッパ志向でありフランス語、スペイン語、英語も堪能な人が多いと 聞きました。

路面電車
この日は朝から雨でした。でも傘をさすほどではありません。
最後の観光として現国王モハメド6世の王宮を訪ねます。
城壁に設けられた門があり、バスはこの門の中へ入って行きます。
当然のことですが王宮の中へは観光客が入ることはできません。 王宮の門の両側に衛兵が立っています。
門 王宮の門
城壁に設けられた門(左写真)と、衛兵が両側に立っている王宮の門


ラバトの王宮で観光はすべて終了です。 このあとバスは一路カサブランカのモハメド5世空港へ向かいます。
旅の終盤でやや体調を崩された方が4・5名ありお気の毒でした。少し具合が悪いだけでも 辛いことではありますが、全体的にいえば皆さんモロッコの旅が楽しめたのではないでしょうか。
ドバイ乗り継ぎ16時間余りかかりましたが関西空港へ無事帰ってくることができました。



≪旅の総括と雑感≫

 冒頭にも書きましたが『菅野美穂が行く色彩の王国モロッコ』というTVの旅番組を観て、 砂漠の国であり、エキゾチックな感じのするモロッコに行くことを決めました。
アフリカ大陸はもちろん初めてでしたが、なかなかいい旅ができたと思っています。

6つの世界遺産をめぐりました。それぞれ特色のあるものであり感銘を受けました。しかし、 今回の旅で最も印象深かったのはやはりサハラ砂漠・メルズーガの大砂丘です。
うねった山並のような陰影を見せる赤い大砂丘。ラクダに乗って月の光を浴びて静々と行き、 やがて朝日に照らされて砂丘に写るラクダの影。 この体験はこの地にきてこそのものでした。

行ってみてわかったのですがモロッコはアトラス山脈の北と南でははっきりとした違いがあると 思いました。
アトラス山脈の南側の地域はいわゆるアフリカのイメージです。オアシスでナツメヤシの栽培 などを中心にゆったりとした時間が流れる生活だと思います。 聞いたところによると男はあまり働かないが女性がよく働く地域だとのことです。
一方、山脈の北側地域はヨーロッパと変わらない感じがしました。 考えてみれば幅がたった14kmしかないジブラルタル海峡を越えればそこはスペインです。 過去にはフランスの植民地時代もありましたし、現在ではパラボラアンテナさえあれば 映像でヨーロッパの暮らしは手に取るように分かり、常に各国の言語にもふれているのです。 考え方も欧風化するでしょうし、ヨーロッパの生活に追いつこうと努力もするでしょう。

モロッコ経済はリン鉱石の輸出に加えて農業と観光で支えられています。
イスラム国家ですが政情が安定しているのは、大半をスンニ派が占めていて宗派対立がないことと、 国民こぞって国王を支え、尊敬していることがその要因ではないかと私は思いました。
もともと住んでいたベルベル人、入ってきたアラブ人、それに遊牧民とが対立することなく 暮らしているのは尊敬される国王という存在が大きいのではないでしょうか。
これからもイスラム主義国家の見本となり平和なモロッコの発展を期待したいと思います。

また、折しもリベリアやシオラレオーネでのエボラ出血熱問題を懸念する向きもありました。 しかし、それは全くの杞憂でした。2000kmもあるサハラ砂漠を越えてモロッコまで 患者が陸路でやってくることなど考えられません。伝染の危険があるとすれば空路ですし、 それならばモロッコでも欧米諸国でも日本でも条件は全く同じです。冷静に考えれば 自明の理だと思います。



◆国王
現在の国王はモハメド6世。自由奔放で気さくなお人柄のようで、時に警護の人たちを 振り切りベンツを駆って一人で街に出て行ってしまうそうです。
街に出た王様は庶民に気軽に話しかけるといいます。ある時ガイドのアミンさんも王様に話かけられて びっくり。何と返事をしたか全く覚えていないといいます。
話を聞いて笑ってしまいましたが、国民に敬愛される国王のお人柄がわかるようです。


◆食べ物
タジン モロッコの代表的な料理はタジン料理とクスクスでしょう。
両方食べさせてもらいましたがタジン料理はおいしかったと思います。一方、クスクスは それほどおいしいものだとは感じませんでした。
そのほか羊の肉料理も何度か出てきました。まあまあ食べられますが少量でいいと思います。

 〔写真〕 タジン料理


◆ビールとミントティー
大都市のホテルやレストランではOKでしたがお酒類を出してくれないところがあります。
犠牲祭を期に全国のスーパーでお酒類の販売が中止になったそうです。
そんな状況のなかで飲んだモロッコビールは Flag と Casablanca の2種類でした。
このうちFlag は軽い感じのビールで Casablanca の方はコクのあるビールでした。
値段はCasablanca の方が若干高いようです。
そしてモロッコの代表的飲み物はミントティーです。
現地の人たちが飲むミントティーは砂糖をたくさん入れた甘いティーだと聞いていました。 あまり甘いのは嫌だなあと思っていたのですが、実際は角砂糖や小袋入りの砂糖を添えて 出してくれるので自分で好みの甘さに調節できたので大丈夫でした。

Flagビール(左)  Casablancaビール(中)  ミントティー(右)

◆トイレとチップ
イスラムなのでトイレについてはちょっと心配していました。
しかし、今では欧風化が進んでいて大丈夫でした。観光客まで左手で水を汲んでおしりを洗う 必要はありません。
実際彼らはどうするのかと見てみましたら、手洗い場に小さなバケツが用意されていて、それに水を 汲んでトイレに持ち込み使用しているようでした。

チップは邪魔くさいですね。
特に、トイレに入るたびに1ディルハム(約13円)を払わなければなりません。 トイレの入口に係の人(主に女性)が立っていて受け取る仕組みです。 たまに係の人がいなくてラッキーな時もありました。
13円が惜しいわけではなく、小銭をいつも用意しておかなくてはいけないのが煩わしいということです。


◆進学率
学校制度はほぼ日本と同じだそうです。
進学率についてはまだ都会と田舎、アトラス山脈の北と南で大きく差があるようです。
小中学校は、都会で95%、田舎では75%
高校は、  都会で85%、田舎では50%
大学は、  都会で50%、田舎では10%

だそうです。ただ、授業料はすべて無料だというのはいいですね。


◆平均月収
モロッコでの平均月収は$800くらいだそうです。
大学の先生が$1200、小中学校の先生は$600で、月収$2000以上の人は 税金を納めなければいけないそうです。
また、家賃ですが60u〜70uで$150〜$200だといっていました。
ちなみに2013年のモロッコの1人あたりGDPは$3,160で世界の中で125位。
日本は24位で$38,467、1位はルクセンブルクの$112,473です。



行 程

 〔1日目〕 名古屋→関西空港→ドバイ(機中泊)
 〔2日目〕 ドバイ→カサブランカ観光→マラケシュ観光(泊)
 〔3日目〕 マラケシュ観光→アイトベンハドゥ観光→ワルザザード(泊)
 〔4日目〕 ワルザザード→カスバ街道→トドラ渓谷観光→エルフード(泊)
 〔5日目〕 メルズーガ大砂丘観光→アトラス山脈越え→イフラン→フェズ(泊)
 〔6日目〕 フェズ観光→ヴォルビリス観光→メクネス観光→ラバト(泊)
 〔7日目〕 ラバト観光→カサブランカ空港→ドバイ(機中泊)
 〔8日目〕 ドバイ→関西空港→名古屋



バックボタン


Orange life   

Home 近況報告 山行記リスト 旅だよりリスト 読 書