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 Orange life



中世の街と紺碧の海

クロアチア・スロベニア

2013. 9.30〜10. 5



クロアチアの地図
 去年(2012)の秋にエベレストをはじめヒマラヤを見ようと友人と2人でネパールへ行きました。 しかし、ヒマラヤの山々は雄大で感動的でしたがカトマンズなどの街はお世辞にもきれいと いえませんでした。
そこで今年は景色もよくきれいであろうクロアチアとスロベニアへ行こうということになったわけです。
今回はFINNAIRで中部空港からヘルシンキを経由してスロベニアのリュブリアナへ向かいます。
一行は若くてきれいな添乗員のおねえさん Hoshino さんを団長に21名のツアー参加者です。
団長
クロアチアとスロベニアはアドリア海を挟んでイタリアの東に位置するバルカン半島にある国です。
古くはローマ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の元に支配され、第二次世界大戦後は周辺国と一緒に ユーゴスラビアとして社会主義国家となりました。 そして1991年に独立を宣言。スロベニアは10日間戦争をへて国家として誕生しましたが クロアチアの方は1995年まで国内紛争が続きました。そして1997年にセルビア人居住地区が制圧され ようやく国家として安定したといいます。
したがって、日本からクロアチア方面へのツアーが始まったのはまだ5・6年前だそうです。



≪スロベニア Slovenia≫

火葬場  ヘルシンキで乗り継ぎスロベニアの首都であるリュブリアナ Ljublijana まで行きます。
最初の宿泊地ブレッド Bled に着いたのは夜7時30分でした。これなら普通の時間といえますが 時差があるので日本時間なら午前2時30分という真夜中です。 海外旅行もいいけど長い時間がかかるのがつらいところです。
泊ったのはホテル クリム Hotel Krim。 部屋はせまく風呂はシャワーのみ、ベランダのドアは鍵かかからないというちょっとお粗末なところで した。ただ、部屋からライトアップされたブレッド城を見ることができました。


≪ブレッド湖 Blejsko jezero≫

 翌朝最初の観光はブレッド湖で、ホテルから歩いても5分くらいのところにありました。
真夏のにぎわいが去った初秋のブレッド湖は、絵画のように教会や古城の姿を映していました。
ブレッド湖は周囲6kmほどの湖で、その中のブレッド島という小島に聖母被昇天教会 (上の写真)があります。 環境を維持するためでしょう、澄んだ水をたたえるこの湖にはモータボートはなく島へは手漕ぎボートで わたることになります。
カモや白鳥が泳ぐ穏やかな湖面を行き15分くらいで島に着きました。
教会へ続く階段 聖母被昇天教会の内部
教会へ続く99段の石段(左)、と教会の内部。天井から下がるひもを3回引いて鐘を鳴らすと 願いがかなうという 

島の聖母被昇天教会は結婚式をするあこがれの教会だといいます。 ただ、新郎は教会へ続く99段の階段を花嫁をお姫様だっこして昇らなければいけないそうです。 そのため、婚約すると男性は体力を鍛え女性はダイエットに取り組むのだとか。
ブレッド湖は『アルプスの瞳』といわれるスロベニアの観光リゾート地です。 ユリアンアルプスの最高峰2864mのトリグラフ山が見えるはずでしたが遠くは雲がかかっていて 残念でした。
ブレッド湖 ブレッド城
きれいな水をたたえるブレッド湖と、湖畔の山の上にあるブレッド城


≪ポストイナ鍾乳洞 Postojnska jama≫

 次はポストイナの鍾乳洞を見に行きます。ブレッド湖の南50kmほどのところなのですが 高速道路の関係でリュブリヤナの方を回っていくことになります。
1時間くらいで到着したポストイナには大型バスがたくさん来ていて観光客でにぎわっていました。 何でも年間50〜60万人が来場するそうですからうなずけます。
スワヤンブナートの巨大なストゥーパ カトマンズ盆地の夕暮れ
鍾乳洞入口の手前にあるレストラン(左写真)と、疾走するトロッコ列車に乗って奥の鍾乳洞まで入る


 鍾乳洞入口前のレストランで昼食をすませて見学に行きます。
この鍾乳洞はまずは100人乗れるトロッコ列車に乗って入口から約10分奥まで行くのです。 時速20kmくらいで走るので2・3km奥まで行くということのようです。
鍾乳洞はこれまでもたくさん見たことがあるので特に興味をひかれることはありませんでした。 しかし、この鍾乳洞はとんでもなく規模が大きいということに驚かされました。 見学するコースは2kmほどだそうですが、全長が25kmもあるというのです。 秋芳洞の長さが8.7kmと聞きましたからその3倍もありヨーロッパ最大の鍾乳洞だそうです。
受付待ち 遊覧飛行機
最も有名なろうそく型の真白い鍾乳石『ブリリアント』(中央左)と、ザグレブに向けて右へ分岐する道

   ※鍾乳洞内は撮影禁止になっています。
    上の鍾乳石は絵葉書の写真を掲載させてもらいました。



≪クロアチア Croatia≫

大聖堂  ポストイナ鍾乳洞を観光したあと高速道路でクロアチアの首都ザグレブに向かいます。
国境ではバスに乗ったまま顔パス?で通過できる場合もあるそうですが、われわれはバスから降ろされ 出入国をしなければなりませんでした。
とはいえ全くのめくら判で、事務的に出国印が押され、10mくらい先でクロアチアへの入国のスタンプ を押してもらって通過しました。

今夜のホテルはホテル ホリデイ Hotel Holiday で昨日よりはいいホテルでした。
クロアチアに入ったので両替が必要です。この7月1日にクロアチアもEUに加盟しました。 しかし、通貨は当分の間従来のクーナ Kuna しか使えなのです。夕食時のビール代や枕銭も必要なので 近くのショッピングモール内の両替所まで急いで行ってきました。
〔右の写真〕 高さが100mあるというザグレブの聖母被昇天大聖堂
        片方の尖塔は改修中

≪ザグレブ Zagreb≫
城壁
 3日目は忙しい行程です。ザグレブからプリトヴィッツェ湖群国立公園を観てアドリア海沿岸の スプリットまで行かなければならないのです。

ザグレブはクロアチアの首都で人口は約80万人だそうです。 そのザグレブのシンボルは旧市街にある聖母被昇天大聖堂でしょう。
11世紀の創建ですが破壊されたのち13世紀から18世紀にゴシック様式に再建されたものだそうです。
ちょうど荘厳なミサが行われていたので内部の見学は控えました。
〔右の写真〕 大聖堂の横に残されていた古い城壁

イェラチッチ広場 トラム
いろいろな催し物も開かれるというイエラチッチ広場(左写真)と、街には鮮やかな青色のトラムがたくさん走っている 


聖母被昇天大聖堂から南へ坂を下ったところにイェラチッチ広場というのがあります。
ユーゴスラビア時代には共和国広場と呼ばれていたそうで 英雄・イェラチッチ総督の騎馬像がありました。
ザグレブの街はハプスブルク家が統治したオーストリア・ハンガリー帝国の影響を強く受けているそうです。
朝の通勤時間帯だったのでひっきりなしにトラム(Tram 路面電車)が行き交っていました。

あわただしい観光だったザグレブを後にプリトヴィッツェ湖群国立公園に向かいます。




≪プリトヴィッツェ湖群 Plitvicka jezera≫

 ザグレブから高速道路、そして山道を約2時間走ってプリトヴィッツェ湖群国立公園に着きました。
ここは深い森の中にエメラルドグリーンの湖が点在する自然公園です。
もちろん世界自然遺産に登録されていて年間80万人が訪れるそうです。 10月に入り観光の最盛期は過ぎていたので混雑に煩わされずに散策を楽しむことができました。
プリトヴィッツェ湖群入口 展望台眺望
プリトヴィッツェ湖群入口(左写真)と、展望台から見下ろす大小の滝と湖


標高500m〜600mのプリトヴィッツェには16の湖と90以上の滝があるそうです。
滝から流れ落ちた水はコナラ川となり最後にはドナウ川となって黒海にそそいでいるとのことです。
ダルバール広場 ゴールデンゲート
上の湖から下の湖へ流れおちる大小の滝(左写真)と湖畔に設置された木道を歩く


西のプリトヴィッツェ、東の九賽溝といわれるようにエメラルドグリーンの湖は実にきれいです。
このきれいな水は石灰岩を主体としたカルスト地層によるもので、水が浄化されるためです。 湖の中にある白いものは石灰花でそれが堆積して堰をつくり大小の滝の元になるのでしょう。
プリトヴィッツェ滝 洞穴
落差78mのプリトヴィッツェ滝(左写真)と、湖面の洞穴。この上にも洞窟がある   

ビムセン寺院 ダッタトラヤ寺院
プリトヴィッツェ保護を訴えたオペラ歌手の名がついたミルカ・トルニナ滝(左写真)と、コジャク湖をわたる遊覧船   


湖畔を1時間くらい歩いたのち大きなコジャク湖を遊覧船に乗って公園の出口近くまで行きました。
この日は曇り空だったので湖の上は寒いくらいです。 晴れていたら湖や滝がもっときれいに見ることができことでしょう。 このプリトヴィッツェの自然も大したものです。私の感じでは中国の九賽溝と甲乙つけがたいと思います。

ピーコックレストラン チキンのグリルと焼きそば
石灰岩でできた白い山並・ディナルアルプス(左写真)と、アドリア海の紺碧の海


昼食後プリトヴィッツェを後にしてトロギール・スプリットへ向かいます。 山を越えて南へ下り振り返ると日本では見かけない異様な山並が目に入りました。 石灰岩に覆われた白い山がずーっと続いているのです。後で調べたらバルカン半島のアドリア海沿岸に北西から 南東へ645km伸びるディナルアルプスだということでした。
一帯をかつて覆っていた海や湖によって集塊が形成された石灰岩、白雲岩などの堆積岩でできている山なのです。
山を下りきるとやがて輝く海が見えてきました。いよいよアドリア海です。


≪トロギール Trogir≫
北門
 右手に美しいアドリア海沿岸を見ながらトロギールまで南下してきました。
古都トロギールは1997年に世界文化遺産として指定されています。
ギリシャ時代から始まったというトロギールは本土と橋で結ばれた小さな島で、周囲を城壁で囲まれ た中に要塞や宮殿、教会、塔など歴史的な建物が密集して建っています。
橋をわたって北門から入り今は商店となっている石畳の狭い路地を進むとクロアチアを代表する教会 聖ロヴロ大聖堂があります。 この教会は13〜15世紀に建てられ高くそびえる鐘楼は高さ47m、攻撃を受けて少しずつ 修復していったため各階の様式が異なっているのだそうです。
〔右の写真〕 トロギールの北門で、門の上では守護聖人の
        像が街の外を見張っている

鐘楼 大聖堂の入口
夕日を受けて赤く染まる鐘楼(左写真)と、聖ロヴロ大聖堂の入口

時計塔 カメルレンゴの要塞
広場を挟んで大聖堂の向かい側にある時計塔(左写真)と、島の西南端にある重厚なカメルレンゴの要塞


夕方5時を過ぎていたため聖ロヴロ大聖堂の内部は見学できませんでした。
そのため市庁舎、時計塔、南門、ドミニコ会修道院、カメルレンゴの要塞、聖マルコの塔といった 歴史的遺産を見て回りました。
小さな島ですが、島の中心部は迷路のような路地になっていて車は入ることができません。 それでも要塞で囲まれた中に商店が並び、人々が今なお暮らしているというのは日本にはないものでしょう。

今夜の泊まりはトロギールの東25kmのスプリットです。
長距離を移動してきた割に比較的早い時間に到着し、イカ料理の夕食ののちホテルにチェックイン しました。
今夜のホテルは Art Hotel です。ホテルはだんだん良くなるようです。 これも旅行会社の戦略かもしれません。


≪スプリット Sprit≫

 スプリットはザグレブに次ぐクロアチア第2の都市で人口約18万人だそうです。
何といっても古代ローマ時代の宮殿の中に人々が暮らしているという驚くべき世界なのでした。
その宮殿はディオクレティアヌス宮殿 Dioklecijanova palacaです。
ディオクレティアヌス宮殿は300年ころにつくられたもので、下の写真のように約200m×180m。 高さ15m〜20mの城壁で囲まれています。
皇帝ディオクレティアヌスはこれを南北に区分し、自分は南半分を住まいとして使い、北半分は 従者に住まわせていたと聞きました。
現在は大聖堂や博物館になっている建物など以外のところは土産物店になっていたり個人の住まいに なっていて数百人の人たちが生活しているそうです。
また、これまで住んできた人の中には郊外へ引っ越し、宮殿内の住居を観光客に貸しているという 人もいると現地のガイドさんが言っていました。
ディオクレティアヌス宮殿図 今日殿の外側
かつてのディオクレティアヌス宮殿図とガイドさん(左写真)と、外側の石壁が古くからの宮殿の外壁


大聖堂の鐘楼 宮殿の入口としては4つの門があり、北門は金の門、東門は銀の門、南門は銅の門、そして 西門は鉄の門というそうです。
われわれは北の金の門から入りましたが、門の外にグルグール司教の像というのがありました。 スラヴ語の保護に貢献したクロアチアの英雄の一人で像の左足の親指を触ると幸運が訪れると いわれるそうでピカピカに光っていました。
みんなでかわるがわる触ってきましたが果たしてわれわれ外国人にも効果はあるのでしょうか。

グルグール像
〔右の写真〕
 グルグールの像と
 大聖堂の鐘楼


北門 スフィンクス
金の門という北門(左写真)と、皇帝がエジプトから分捕ってきたスフィンクス


北門から入って中ほどまで進むと広場があり左側に黒いスフィンクス像がありました。 これは皇帝がエジプトへ遠征した時に分捕ってきたものだそうです。
ここから南半分が皇帝の住まいだったところになります。
クラパ 前庭のドーム
クロアチアの伝統音楽クラパのアカペラ合唱(左写真)と、皇帝の住まいの前庭だったドーム。穴のあいた天井から鐘楼が見える     


前庭すなわち皇帝の住まいの玄関に当たるのが上の写真のドームです。
もともとは屋根があったようですが今はぽっかり丸い穴があいていて大聖堂の鐘楼の先端を仰ぎ見る ことができます。
ここはドームになっているので音の反響がいい部屋です。 礼服のような黒い服を着た男が5人現れたので何だろうと思っていたら歌を歌い始めました。
音響効果がいい場所でクロアチアの伝統音楽クラパのアカペラ合唱をしてくれたのです。 もちろん彼らのCDを売るのが目的ですが反響するいい歌声をしばし楽しませてもらいました。



宮殿の地下 ディオクレティアヌス宮殿には地下もあります。
南門(銅の門)から地下に入っていくと お土産物屋さんが並んでいました。
西側に続く地下宮殿は倉庫として使われていただろうとのことですが、オリーブオイルを絞る 圧搾機も置かれていました。
もともとは上階を支える基礎に当たるものだったようで上の宮殿と同じ位置に柱や梁が配置されて いるといいます。したがって実際の宮殿がどんなだったかが想像できるわけです。

このあと30分ほどのフリータイムがとれたので私はネクタイ発祥の地だというクロアチアのネクタイ 『クロアタ』をその直営店で購入しました。そのあと東の門(銀の門)へ行ってみました。 その門の外は青空市場になっていて地元の大勢の人たちが買い物をしています。 不揃いの野菜や果物、それを天秤ハカリにかけて売っていました。
日本のように粒ぞろいの野菜や果物でなくても十分ではないかと改めて感じさせられました。

自由時間に大聖堂の鐘楼に登った若い女性たちがいました。右下の写真はそのTさんたちが鐘楼から 見下ろして撮った写真です。後で送ってもらったのですが、宮殿の様子がよくわかるきれいな写真 だと思います。
市場 鐘楼眺望
大勢の人たちでにぎわう青物市場(左写真)と、大聖堂の鐘楼から見下ろした宮殿の写真(Tさん撮影)



≪アドリア海沿岸 Adriatic Coast≫

 ディオクレティアヌス宮殿の観光を終え最後の見どころである世界遺産ドゥブロヴニクへ向かいます。
スプリットまでの海岸線もきれいでしたが、スプリットからドゥブロヴニクへ続くアドリア海沿岸も それ以上に美しいところでした。

雲一つない青空、吸い込まれそうな紺碧の海、白い山裾をそのまま海に沈める山、そして緑の中に点在する赤い屋根を載せた白い家



≪ボスニア・ヘルツェゴヴィナ Bosnia-Herzegovina≫

 実はスプリットからドゥブロヴニクへ行く途中でいったんボスニア・ヘルツェゴヴィナを抜けて 行かなければなりません。
ドゥブロヴニクは飛び地になっていてほんの10km足らずの間ですがボスニア・ヘルツェゴヴィナの ネウムという町を通り抜けないといけないのです。
前方に国境が見えてきました。果たして出入国手続きをしなければいけないのでしょうか。
結果はバスを降りることも、手続きの手間もなくそのまま通過させてくれました。
国境 ボスニア風景
クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境(左写真)と、特に変わりはないボスニア・ヘルツェゴビナの国道沿線風景    


 ボスニア・ヘルツェゴヴィナに入って少し走ったところで休憩タイムが取られました。 ネウムという町のホテルと売店が併設されたところでトイレ休憩です。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国に入ったとはいえ景色はクロアチアと何ら変わりはありませんでした。 ここもアドリア海沿岸の風景です。




≪ドゥブロヴニク Dubrovnik≫

 今回の旅行の最後は世界文化遺産に登録されているドゥブロヴニクです。
ドゥブロヴニクはクロアチアの南端にありアドリア海に面した街です。 頑強な城壁に囲まれた旧市街は中世のたたずまいを見せ『アドリア海の真珠』と呼ばれるように絵になる 街でもあります。
観光は西の門であるピレ門から入ります。石橋をわたると門の手前にはね橋があり往時は 夜になると橋を上げて城内に入れないようにしたようです。
この旧市街は時代を映す歴史的な建物など見所が多いところです。 現地ガイドさんに私たちが案内してもらったのは、オノフリオ大噴水、博物館にもなっている フランシスコ会修道院、メインストリートのプラツァ通り、ルジャ広場、聖ヴラホ教会、スポンザ宮殿、 旧港、オノフリオ小噴水、大聖堂、旧総督邸ですが入館したのは一部だけでした。
たくさんの建造物を説明を聞きながら歩きましたがとても頭に残るものではありません。 歴史を深く知り、味わいながら見て歩こうとすれば半日以上必要ではないでしょうか。

印象に残ったのは、何百年もの間人が行き交ったためでしょう顔が映るほどぴかぴかツルツルになった石畳、 中世の面影いっぱいの狭い路地、その路地の両側にはカフェやお土産屋さんが店を連ねていました。 そして古い建物と精密な彫刻、日本とは異なる石の文化の歴史です。 歴史的なことは十分理解できなかったもののこうした西洋の文化を体感できたというのが一番よかったと いうことではないでしょうか。

その後フリータイムが1時間余り与えられました。 活用の仕方としては城壁周回ウォーク、島をめぐり城を海から見るコース、ロープウェイで スルジ山からの景色を見るコース、そしてショッピングということになります。
私と友人はほかのご夫婦とともにスルジ山ロープウェイコースを選択しました。 料金は94クーナ、約1800円でした。

ピレ門 オノフリオ大噴水
堅固な城の入口らしいピレ門。手前にはね橋がある(左写真)と、オノフリオ・デッラ・カヴァが1438年に造ったオノフリオ大噴水 


プラツァ通り フランシスコ会修道院
大勢の人でにぎわうプラツァ通り(左写真)と、フランシスコ会修道院内の柱列回廊 


路地 聖ヴラホ教会
石階段もある狭い路地にはカフェや土産物店(左写真)と、ルジャ広場にある聖ヴラホ教会。1715年にバロック様式で再建            


スルジ山ロープウェイコースの選択はよかったと思います。
標高412m。スルジ山山頂から見下ろすと紺碧の海と旧市街の赤い屋根のコントラストは パンフレットで紹介されている通りの眺望はまさに絶景です。 『アドリア海の真珠』という表現にいつわりがないことを実感しました。
スルジ山 スルジ山から見下ろす
412mのスルジ山を見上げる(左写真)と、スルジ山から見下ろす城壁に囲まれた旧市街             


旧港を俯瞰 大聖堂を俯瞰
スルジ山から旧港を俯瞰(左写真)と、大聖堂を俯瞰     
            

城壁からの景観
私たちはスルジ山からの眺望に満足でしたが城壁廻りや海から見るコースの出かけた人たちも 満足されたようです。
城壁コースに行ってこられたTさんからあとで写真をもらいました。 これもなかなかいい景色だと納得がいく1枚です。

 〔左の写真〕
   北の城壁からの旧市街眺望。ロクルム島も見える


ARGOSY 振り返る
ドゥブロヴニクの ARGOSY Hotel(左写真)と、空港へ向かうバスから振り返って見るドゥブロヴニク         

 最後の宿泊はドゥブロヴニクのアーゴーシーホテル ARGOSY Hotel です。 広くて明るいリゾートホテルでしたので気持ちよく一夜を過ごさせてもらいました。

空港へ向かう途中、ドゥブロヴニクがよく見えるところでバスの運演手のBORISさんが車を止めてくれました。 名残惜しい美しいドゥブロヴニクを写真に収めて帰路に着きました。



≪旅の総括と雑感≫

 6年ぶりのヨーロッパ旅行でした。
クロアチアはヨーロッパに行きつくしたひとたちが 最後に訪ねる国だと添乗員の Hoshino さんはいっていました。私はとてもヨーロッパを見つくした とはいえませんが、メインのヨーロッパ諸国とは若干違う歴史と遺跡があり、バルカン半島独特の景色も あって楽しめる旅行になったと思います。

特によかったのは紺碧のアドリア海。そして中世を思わせる建物や遺跡でした。 また、延々と続く石灰岩の白い山脈の異様さにも驚かされました。
古い宮殿など歴史的建物の中に今なお人々が暮らしているというのは日本では考えられないと思います。
ある本にクロアチアのことを 『重層的な文化に彩られた歴史』 と表現されていましたがなるほどそうだ なあと思ったものです。
古いものを完全に壊すことなくそのま利用し、あるいは新しい時代の様式を加えながら積み上げられた 歴史的建造物。そしてそこに暮らす人々の生き様のようなものが感じられたのです。

6日間という短期間のツアーではありましたが中身の濃い充実した旅だったと思います。
参加者は私と同年代の高齢者がほとんどでした。しかし、皆さん元気です。1日10,000歩も 15,000歩も歩きますが他の観光客を追い抜くほど歩くのが速いし時間も正確に守られました。 おかげで予定通り見るべきところはしっかり見てこられたと思います。
団長の添乗員 Hoshino さんにもお世話になりました。参加者の自主性を尊重しながら押さえるべきツボは しっかり押さえ、ジョークを交えて道中の疲れをいやしながらガイドしてくれました。
添乗員の「添」は「添加物」の添でほんの添え物だと謙遜していまた。しかし、どうしてどうしてその「添」 こそ旅を楽しく意義あるものにする重要なものだと私は思います。
改めてお礼申し上げたいと思います。ありがとうございました


◆戦争の傷跡
Momoza 1991年から1995年まで続いた内戦・紛争の傷跡はまだ残っていました。
特に世界遺産になっているドゥブロヴニクの戦闘ははげしかったようで、被害を受けた状況の市街図が 掲示されていました。
直撃弾で破壊された屋根や歩道、焼け落ちた建物などがほぼ全域に記されています。
終戦後の遺跡修復により現在では一見傷跡を感じさせないほど穏やかなたたずまいを見せています。しかし、 記憶に残す目的でフランシスコ修道院の展示室の中にはミサイルが貫通した跡がそのまま残されていました。
また、ザグレブからプリトヴィッツェに行く途中にもおびただしい弾痕が残された建物があり、 周囲には戦闘機、ミサイルなどが戦争の記憶として展示されているところもありました。
さらに辺鄙な地域ではまだ地雷がそのままになっているところもあるといいます。
民族紛争のむごさを感じさせられました。

 〔写真〕 破壊された状況を示すドゥブロヴニクの市街図

◆食べ物
Momoza 行程中、マスのグリル、ローストチキン、イカ料理、魚料理、シーフード料理などが供されました。
ローストチキンに添えられたジャガイモが塩辛らすぎたのを除けば皆おいしくいただくことができました。


 〔写真〕 ドゥブロヴニクのレストラン Mimoza。シーフード料理でした


◆ビール
いつものことながら旅行に行ってその土地のビールを飲むのが楽しみです。
まず飛行機の中で飲んだのが KOFF という フィンランドのビールでこれが一番おいしかったと思います。
次は スロベニアの LASKO というビール。クロアチアに入って Karlovacko と Ozujsko です。
KOFF は缶ビール、LASKO は瓶ビールでしたが Karlovacko と Ozujsko は生ビールとして供されました。
若干の味の違いがあるとはいえどれもおいしいビールでした。
KOFF LASKO Karlovacko Ozujsko
  KOFFビール        LASKOビール      Karlovackoビール     Ozujskoビール

◆交通事情
車は右側通行。高速道路もしっかりあって片側2車線あるいは3車線でした。
昼間でも皆ヘッドライトを点灯して走っていました。法律で決められているか確認するのを忘れましたが 事故防止にいいのではないでしょうか。
走っている車ですが日本車は少ないようです。トヨタのビッツとマツダ車を時々見かけた程度です。
車 トラム
ヘッドライトをつけて走る車           ザグレブのトラム

日本では広島、富山、豊橋など限られた都市でしか見られませんが、 ザグレブでは路面電車のトラムが目につきました。2両・3両連結で鮮やかな青色の電車が 市内あちこちで走っていました。


◆青物市場
青物市場をみかけました。
トロギールやスプリットの旧市街に近いところで野菜や果物を露店で売っていました。
かなり広い場所を取った市場で商売をしていて、並べられているものは不揃いのものが多かったと 思います。それを天秤バカリにかけて商売をしていました。
多分他の街にもこうした市場があるのではないでしょうか。
市場 市場 ハカリ
   トロギールの市場           スプリットの市場            天秤ハカリ



行 程

 〔1日目〕中部空港→ヘルシンキ→リュブリアナ→ブレッド(泊)
 〔2日目〕ブレッド湖観光→ポストイナ鍾乳洞観光→ザグレブ(泊)
 〔3日目〕ザグレブ聖母被昇天大聖堂等観光→プリトビッチェ湖群国立公園観光→トロギール観光→
      スプリット(泊)
 〔4日目〕スプリット・ディオゥレティアヌス宮殿観光→ドゥブロヴニク観光(泊)
 〔5日目〕ドゥブロヴニク空港→ヘルシンキ(機中泊)
 〔6日目〕→中部空港



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