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Orange life
アンコールワット・ベトナム ハイライト
2012. 1.16〜 1.21
テレビ局などのアンケート調査で常に「行ってみたい世界遺産」の上位にランクされるアンコールワット。
行ってきた人に聞くと想像以上に規模が大きな遺蹟で感動したというので私も訪ねてみたくなった。
中部空港からアンコールワットのあるカンボジアのシェムリアップへ直行便はない。
そのためベトナム航空でホーチミン、あるいはハノイ経由でシェムリアップまで行くことになる。
ツアーのパンフレットを見るとアンコールワットだけの観光ツアーもあるが、ついでにベトナムの
世界遺産を観光するコースもたくさんあった。そこでせっかく行くならと欲張って両方に行くコースを
選ぶことにした。
6日間のツアーだが実質的には5日間の強行軍である。
日本は寒の真っ最中の1月16日の朝に出発し、乾季で暑いベトナム南部の商都ホーチミンへ向かった。
今回のコースは、ベトナム・ホーチミン⇒カンボジア・シェムリアップ⇒ベトナム・ハノイとハロン湾
という行程だが先にカンボジアのアンコールワットから書き起こす。
≪カンボジア Cambodia≫
旅行2日目、ホーチミンを発って約1時間、アンコール遺跡があるカンボジアのシェムリアップ Siem Reap
空港に降り立つ。太陽がさんさんと輝き熱気が肌をさす。空港自体トロピカルな感じの建物でこれまで見た
空港とは雰囲気がだいぶ違う。
税関を出たところで現地ガイドがツアーメンバー21名を出迎えてくれた。
キムライさんというのがガイドの名前だった。
機内で軽食を食べたが遅い昼食ということでこの夜宿泊するホテルのレストランへ向かう。
シェムリアップの人口は約80万人で首都プノンペンに次ぐカンボジア第2の都市だそうだ。
しかし町らしいのは中心部だけのようで空港から市内へ行く途中は広大な農村地帯だった。
何せ80%が農業だというのだ。
≪アンコール・ワット Angkor Wat≫
クメール料理のバイキング昼食をすませ早速アンコールワットの観光に向かう。
アンコールワットは西側が正面になるので午後からの観光がいいのだそうだ。
いきなりだがこの旅行のメインメニューなので期待感が満ちてくる。
9世紀〜15世紀、日本の平安・鎌倉・室町時代に栄えたのがアンコール王朝である。
西の参道からは塔は見えないが、門を抜けるとアンコールワットの特徴ある建物が姿を現す
遺跡を見学するには入場券が必要である。ここの入場券は顔写真入りの首に掛けるタイプのもので
われわれは3日間用のものをつくってもらった。
アンコールワットは東西1.3km、南北1.5kmの池に囲まれている。
12世紀前半にスールヤヴァルマン2世 Suryavarman U が建立したヒンズー教の寺院だったのを、
のちに仏教寺院に宗旨替えしたのだそうだ。
アンコールワットへは西の参道から入って行くことになる。
その参道からはほとんど見えないが門から入ると中央祠堂の特徴ある塔がその姿を現すのだ。
そしてこの城壁のような壁にはアプサラなどの精巧な彫刻がたくさん刻まれていた。
われわれはその当時の一般の人が通ったという南寄りの門から入ったのだが、王様が使った
中央の門から中央祠堂につながる参道には5つの頭を持つ蛇・ナーガの胴体の欄干が続いている。
この道を進むと中央祠堂の塔は3本しか見えないのだが、途中で北側に下りると5本の塔が一度に
見られるところに出る。前に池があるので波がなければ水面に塔を映した美しいアンコールワットの
中央祠堂を見ることができるのである。この池の前が写真撮影にもってこいのビューポイント
ということになる。
中央のナーガの欄干のある参道を進むと3本の塔しか見えない(写真左)が、左に下りて進むと池に
姿を映す5つの塔が見える
いよいよ祠堂の中に入る。
この祠堂は第一回廊、第二回廊、第三回廊がそれぞれ1階、2階、3階にめぐらされている。
その中で第一回廊の壁面レリーフが有名で、壁一面にクメール軍の戦いの様子やヒンズー教の神話に
基づくシーンなどが刻まれている。
下の右写真は「迎え撃つ魔王ラーヴァナ」といわれる部分だそうだ。
ほかにヒンズー教の天地創造に関する神話で阿修羅とアムリタが相談して乳海撹拌を行い、その結果
海中から天女アプサラスなどすばらしい創造物が次々と飛び出してきた、というような
いろいろな説明をしてくれたがなかなか覚えきれるものではなかった。
第1回廊には壁面いっぱいに精緻なレリーフが刻み込まれている。右写真のレリーフは「迎え撃つ魔王ラーヴァナ」
だそうだ
内部には今は水はないが沐浴場があった。王様用とそれ以外の人の沐浴場は別々だそうである。
さて第二回廊をめぐり第三回廊ということだったがすごい行列ができている。
3階部分には急階段を登らなければならず、登り降りに時間がかかっているのと入場制限も
されているようなのであきらめることにした。
上から眺めてみたい気もしたが残念であった。
沐浴場と第三回廊へ登る急階段
さて約半日かけて見てきたアンコールワット観光もこれでほぼ終わりである。
この日の夕食はディナーショウでアプサラ踊りを観賞するというものだ。
シェムリアップ市内にある Angkor Mondial Restrant のかなり広い会場は西欧人もふくめて
満員の状態であった。
アプサラとは神にささげる宮廷舞踊だそうで指をそりかえらせて踊る優雅な舞である。
われわれ一行は舞台に近い場所に席がとれたのだが、舞が始まると後の席の人たちが
みんな舞台近くまで押し寄せるので料理をとりに行くこともままならない状態になってしまった。
アプサラ踊りは神にささげるというだけあって基本的には優雅な踊りであった。コミックなもの
も含め5つの演目を披露して約1時間で閉幕となる。
結局夜9時半ごろ今日と明日連泊する TARA Angkor Hotel に入った。
アンコールワットのアプサラのレリーフとディナーショウでのアプサラの踊り
カンボジアの人々が国旗の中央に描いたアンコールワットは彼らの歴史・文化の誇りであり勇気を与える
存在であろう。
実際にアンコールワットに接してみて、訪ねて良かった世界遺産だったと思った。
まだまだ埋もれた遺跡があるといわれるアンコール遺跡であり、新たな発見とともに、人類共通の
財産として修復と維持管理を進めてほしいところである。
行 程
〔1日目〕中部空港→ホーチミン市内観光→ホーチミン(泊)
〔2日目〕ホーチミン→シェムリアップ・アンコールワット観光→シェムリアップ(泊)
〔3日目〕アンコールトムなど観光→シェムリアップ(泊)
〔4日目〕アンコールワットの朝日観賞→トンレサップ湖観光→ルアンパバーン→ハノイ→ハロン湾(泊)
〔5日目〕ハロン湾観光→ハノイ市内観光
〔6日目〕(機中泊)→中部空港
≪アンコール・トム Angkor Thom≫
3日目はアンコールトムの観光である。
カンボジアは熱帯モンスーン気候の国である。この日は快晴で朝から強烈な太陽が照りつける。
飲み水を携え覚悟して見学しなけばならない。
アンコールワットの入口で止まったバスに係員が乗りこんできて各自首にぶら下げた顔写真入りの
入場券をチェックされる。OKとなって初めて観光区域に入れるということである。
アンコールトムはアンコールワットから北へ500mくらい行ったところにある。
およそ3km四方を堀と城壁に囲まれた広大な遺跡でアンコールワットの1.5km×1.3km四方と
比べると面積で5倍近くあることになる。
アンコールワットより50年くらい後、12世紀後半につくられアンコール王朝最後の栄華を誇ったところだ
という。
アンコールトム入る堀に架かる橋の左右にはナーガを引っ張る阿修羅と神々が並びその先に南大門がある
アンコールトムへは南大門から入る。
南大門の前には堀をわたる橋がかけられていて、その両側にはナーガ(5つの頭を持つ蛇)
を引っぱる阿修羅と神々の像が並ぶ。いってみれば神仏混淆である。
東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施された南大門をくぐり木陰が続く参道を進む。
やがて左側に現れたのがバイヨンBayonである。
アンコールトムの中心的寺院で世界の中心にあたる須弥山を象徴して建てられたのだそうだ。
その壁面にはアンコルワットと同様にレリーフが刻まれれている。
ここの特徴は当時の庶民生活の様子が描かれていることである。特に魚を網で取るレリーフは近くの
トンレサップ湖の漁業が当時の生活に大きなかかわりがあったことを示しているのだろう。
アンコールトムの中心的寺院のバイヨン。その回廊の壁面には当時の生活の様子が描かれたレリーフが
たくさんある
バイヨンの上屋には49の塔がありその四面に菩薩像が彫られている。クメールの微笑みともいわれる
優しい顔の菩薩もある
回廊壁面を巡ったのち階段を登って寺院の上屋に上がっていく。
バイヨンのもう一つ特筆すべきは49あるという塔で、それぞれ4面に巨大な菩薩像が彫られていることだ。
同じ顔は一つもない。怖い顔の菩薩もあるがほほえみを浮かべた菩薩像もある。バイヨンスマイル、あるいは
クメールの微笑みといわれる菩薩には親近感を覚えた。
当時の人たちもこの菩薩像によって心を癒され生きる希望を与えられたのかもしれない。
この日の観光は忙しい。広い遺跡群の中に見所がいっぱいある。ガイドのキイムライさんもわれわれに
しっかり紹介したいのだろう、ついつい急ぎ足になる。
次につれて行ってくれたのはパプーオンPaphuonである。
パプーオンは王宮跡のすぐ南側にあるシバ神を祀る寺院だそうだ。寺院に向かって空中参道といわれる
一直線の橋がのびており1.3mくらいの高さの円柱の列で支えられている。
寺院前の池は大海をあらわしているという。
パプーオンへは空中参道といわれる円柱で支えられた参道を行く。パプーオンの前には大海をあらわす
という池がある
寺院の中へは入らず次のピミアナカスPhimeanakasへ向かう。
ここも外観を見ただけだがピミアナカスはピラミッド型の建造物で、天上の宮殿あるいは空中楼閣という
意味だそうだ。
上屋に登っている人を見かけたが正面に極めて急な階段を昇ったのだろう。
観光コースはライ王のテラスへ向かうがその途中のピミアナカスの北側には女池と男池があった。
王などが沐浴をしたところだそうで乾季でも涸れないきれいな水をたたえていた。
天上の宮殿あるいは空中楼閣というピミアナカス。 王などが沐浴をしたという池は乾季でも涸れない
ライ王のテラスとは何を意味するのか疑問に思っていたわけだが、ジャヤヴァルマン1世ではないかといわれる
ライ病にかかって亡くなった王のテラスということのようだ。
また三島由紀夫の「癩王のテラス」の題材となったという。
このテラスにはライ王像が祀られているがこれはレプリカで本物はプノンペン国立博物館の中庭にあるそうだ。
何でもポルポト時代には頭を叩き割られたという。
ライ病にかかって亡くなった王が祀られたライ王のテラスと、長さ300mも続く高さ3mくらいの象のテラス
ライ王のテラスのすぐ隣に象のテラスがある。
ジャヤヴァルマン7世によってつくられたといいい、長さ約300mにも及ぶ高さ3mくらいのテラスで、
その壁面には長い鼻をもつ象がたくさん彫り込まれていた。
広大なアンコールトムの中にはまだたくさんの遺跡があるがわれわれは郊外の遺跡へと案内された。
大型バスではいけないというのでマイクロバスに乗り換えて向かった。
≪タ・プロム Ta Prohm≫
タケウ Ta Keo という未完成の寺院を車窓に見ながら、この日のもう一つの見どころであるタプロムへ向かう。
タケウはアンコールワットに似た様式ではあるが外壁には全く装飾がないのだそうだ。
1000年ごろ、ジャヤヴァルマン5世の国家寺院として建設が始まったものの王の死によって工事が中断され
放置された寺院だという
当時のクメール王朝時代は王は世襲ではなく実力主義だったそうで、歴代の王は前王の寺院を引き継いで
使うのではなく、自ら新たな寺院を建てたという。そのためアンコールにはたくさんの遺跡が残された
というわけだ。
建設を始めたものの王が亡くなって中断された寺院・タケウと、現在修理中のタプロムの入口(内側)
現在修理中のタプロムの門の横から中に入ると木陰の道が続いていた。
ガイドがタプロムは涼しいですよといっていたのは大きな木が茂っているからということだった。
タプロムは12世紀に建てられた仏教寺院である。
クメール王朝が滅亡しアンコールに暮らした人々がすべていなくなってからはガジュマルの林が
タプロムも一気に飲み込んでしまった。
オウムが食べて排せつしたフンが石の間に落ち、成長したガジュマルの木の根が遺跡の建物や石を抱え込む
ように大きくなってしまったのだという。
巨大なガジュマルの根が遺跡を抱え込むように伸びている。熱帯の自然の脅威を感じた
遺跡に入っていくと次第にその片鱗が見えてくる。ガイドのキムライさんはまだまだそれらは序の口だという。
確かに旅行のパンフレットに載っている巨木の根っこはこんなものではない。
遺石発見当時の景観で保護する方針だそうで樹の根は取り払わずその生の姿を見せているのがすごい。
やがてその一角に到達する。遺跡の石を抱きかかえるように伸びたガジュマルの根っこには圧倒された。
熱帯の自然の脅威を感じるほどである。
このあとは40kmほど郊外にあるというバンテアイスレイまで足をのばすことになるが、いったん
街へ戻って昼食をとることになった。
暑い中を歩き通しだったので休憩と腹ごしらえである。
この日の昼食に連れて行ってくれた Tropical という名前のレストランはまさにトロピカルな雰囲気だった。
中華料理だが味はさっぱりしておいしかった。
≪バンテアイ・スレイ Banteay Srei≫
昼食後約40km離れた郊外にあるバンテアイスレイへ向かう。
道は舗装されているが韓国とカンボジアの共同事業で整備されたという看板が道路わきに設置されていた。
以前未舗装の時はバンテアイスレイまでデコボコ道を数時間かけて行ったそうである。
道路の両側には農村地帯が広がっていた。稲の直播き栽培で2毛作が行われて
いるというが今は乾季なので牛が放牧されていた。その牛はあばら骨が見えるほどやせていて
気の毒に思えるほどだった。
やはり水が必要なようで、「井戸を掘ってください」という手作り看板も目にした。
バンテアイスレイは期待していたところの一つである。「東洋のモナリザ」といわれる
女神像に会えるというのである。
バンテアイスレイは「女の砦」を意味するという小さな寺院で、その特徴は赤色の砂岩と紅土を用いて
つくられているため全体が赤っぽい感じである。
ここでも首から下げた入場証を係員に見せて入いることになる。
精巧なレリーフが施された2つ目の門を抜けると池がある。その奥に中央祠堂があり
彫りの深い精緻な彫刻がされている。
バンテアイスレイの彫刻が繊細で深みがあるのはアンコールワットで使われている砂岩よりも
硬く緻密な赤色の砂岩が使われているためだそうだ。
さて、東洋のモナリザと称賛されるデバターは祠堂の奥の壁面にあるという。いよいよご対面だ。
(右上写真)
正面から見るには手前にある額縁を通して見ることになるが、斜め横からでも見ることができる。
ふくよかな胸を持った気品ある姿は確かに東洋のモナリザなのかもしれない。
このデバターを東洋のモナリザだとガイドから説明された。しかし一説では、いまはロープが張られていて
そばでは見られなくなってしまった右下の写真の方がそれだとも聞いた。
いずれにしてもデバターは何体もありそれぞれ表情も違うので見る人の好みで「東洋のモナリザ」
とすればいいのではないだろうか。
バンテアイスレイ中央祠堂と、以前から東洋のモナリザといわれているもう一つのデバター
≪プノン・バケン Phnom Bakheng≫
今日の観光は密度が濃い。最後はアンコールワットとアンコールトムの間に位置する小高い山の上
にあるプノン・バケンに行く。
ヒンズー教の寺院プノン・バケンがバケン山の上にあり、夕陽観賞の場所として人気のあるところだそうだ。
象の背にゆられて登る手もあるようだが、われわれは当然歩いて登ることになる。
夕方は多くの人たちが登るので300人に入場制限がされているという。われわれが登った時も
すでに制限で行列ができていた。降りた人の人数だけ順次寺院の階段を昇らせるので10分くらい
待たされてしまった。
夕陽を見に集まった人たちで埋め尽くされたプノンバケンと、雲間の夕陽
山頂のプノンバケンは夕陽を見る人で埋め尽くされていた。
南東方向にはアンコールワットの塔が見え、南西から西にかけては農村地帯ののどかな風景が広がっている。
眺望を楽しみながら20分くらい待っただろうか、雲間から真っ赤な夕陽の光の帯が走り出た。
あわててカメラを向けたが期待したほどの写真を撮ることはできなかった。
それでもあとで見せてもらったツアーメンバーの中にはいいショットをとらえた人もあった。
私の写真の腕はまだ未熟なようだ。
この1日、朝から晩までアンコールの広大な遺跡群を見て歩いた。ふと足元を見ると黒いウォキングシューズ
がほこりで真っ白になっていた。ズボンもほこりまみれだ。乾季の乾いた大地からのありがたくないお土産だ。
なべ料理の夕食のあとツアーに組み込まれていた足マッサージ体験に連れて行ってくれた。
汚れた足で申し訳ない気がしたが足マッサージの若い女性が1時間にわたり疲れた足をいっしょうけんめい
もみほぐしてくれた。
もちろんこの夜はぐっすり眠ることができた。
行 程
〔1日目〕中部空港→ホーチミン市内観光→ホーチミン(泊)
〔2日目〕ホーチミン→シェムリアップ・アンコールワット観光→シェムリアップ(泊)
〔3日目〕アンコールトムなど観光→シェムリアップ(泊)
〔4日目〕アンコールワットの朝日観賞→トンレサップ湖観光→ルアンパバーン→ハノイ→ハロン湾(泊)
〔5日目〕ハロン湾観光→ハノイ市内観光
〔6日目〕(機中泊)→中部空港
≪アンコールワットの朝日観賞≫
4日目。ほとんどのアンコールワットツアーに入っているのが朝日観賞である。
われわれもモーニングコール5時、ホテル出発6時ということでアンコールワットの背後から昇る
朝日を見に行くことになった。
遺跡の入口には早朝にもかかわらず係の人がいていつものごとく入場券をチェックされる。
まだ薄暗い参道を歩きアンコールワットの中へ入る。ガイドのキムライさんがお勧めだという
日の出のビューポイントへ案内してくれる。意外に中央祠堂から離れた場所だった。
春分・秋分の日前後だったらアンコールワットの塔の上から日が昇るのだろうから池の前あたりが
いいと思う。しかし今の季節は塔よりだいぶ南側から太陽が昇るので少し離れた場所から見る方が
いいのだろうと解釈した。
朝日を見に来ている人はすごい人数だった。
やがて日の出の時刻を迎える。塔の右手の一点が明るくなってくると太陽は一気に昇ってくる。
構えたシャッターを何度も押す。
朝日も夕日もそれほど撮影経験がないので結果はカメラ任せということになる。
果たして結果は右写真の程度であった。
≪トンレサップ湖 Tonle Sap≫
昨日、ガイドのキムライさんにたのんでオプショナルツアーとして 《トンレサップ湖観光》 を組んでもらい
メンバーの中の8人で参加することにした。
シェムリアップ郊外にあるトンレサップ湖はインドシナ半島随一の湖で乾季でも3,000平方キロメートル
と琵琶湖の5倍近い湖である。そして雨季にはメコン川からの逆流もあって面積が10,000
平方キロメートルと3倍にもなるというのだからその大きさが知れよう。
この湖には水上生活者としてが数万人(ガイドは100万人以上といっていたが真偽のほどはわからない)
が暮らしているというのだ。
アンコールワットの朝日観賞のあとホテルへ戻って朝食をとり、迎えのマイクロバスに乗って
デコボコ道を30分ほど走ると観光クルーズ船の乗船場に着く。 トンレサップ湖の観光は半官半民で
運営されているといい、発券や観光船の手配などを国が行い、大小100隻は下らないと思われる
観光船は個人など民間の人たちの運営そうだ。
船はグループの人数にあった大きさのものが手配される。
われわれは8人だったので小さな船があてがわれた。
乗船場のあるところはまだ川の部分だそうで、船は乾季のため両岸の堤防がかなり高く見える中を
湖へ向けて進む。
左から:水上生活者の家、水上マーケット、物売りの舟
左から:韓国の援助で建てられたであろうハングル表記がある水上の学校、学校へ舟で通う生徒、たらいの舟に乗る子ども
岸辺には水上生活者の住宅が並ぶ。表現は悪いがほとんどがみすぼらしい感じの家である。
家はドラム缶を浮きにしているようで、乾季になって水量が減ると村ごと住む場所を移動するそうだ。
ここに住む人たちの多くはベトナム難民だとガイドがいっていた。
ほとんどの人は漁業だそうで刺し網漁で獲った魚を仲買いにまわってくる人に売って生計を立てている。
昔はもっと漁獲量も多かったそうだが、現在では1日の収入が700円程度だということからも生活の
程度がわかるというものだ。
この水上生活者の集落には何でもそろっているという。
日用品を売る水上商店や生鮮食品を売りに回る舟もいる。水上の小学校もあるし教会もある。
その教会では無料で英語を教えてくれるそうだ。
警察もあると聞いたが見落としてしまった。
左から:英語を無料で教えてくれるという教会、水上レストランに飼われているワニ、蛇さわりの子ども
学校は午前と午後の2部制。子どもたちは舟で通うが中にはたらいの舟を漕いで通学する子もいるという。
そうした子どもたちも学校から帰るとアルバイトをさせられる。
バナナなどを持って観光客に売りにくる子。大蛇を首に巻きつけて観光客のところへきてその蛇に触らせて
チップをもらう子。日本では考えられないことだ。
かわいそうだといってチップを子どもに与えても、親が働かず子どもの稼いだ金をお酒代に使って
しまう親もいるので学校などに直接寄付してくれた方がいいという話もあるそうだ。
このあたりの判断は何ともむずかしい。
われわれは屋上に展望デッキがある水上レストランに案内された。
いけすのようなところにはワニが何頭も飼われていた。トレンサップ湖にいるワニだというが
これも食料にするようだ。
展望デッキに上がると大海を思わせるようなトンレサップ湖を望むことができる。
実に広い湖であることが実感された。
魚を網で取る様子はアンコールトム・バイヨンの壁面にレリーフとして残されており、昔からトンレサップ湖が
人々の暮らしに密接に結びついていたことがわかる。
そしてカンボジアの人たちは動物性たんぱく質の75%を魚介類から摂っているというからこの湖の
恩恵は計り知れないものだろう。
いろいろな思いに駆られるトレンサップ湖の観光であった。
行 程
〔1日目〕中部空港→ホーチミン市内観光→ホーチミン(泊)
〔2日目〕ホーチミン→シェムリアップ・アンコールワット観光→シェムリアップ(泊)
〔3日目〕アンコールトムなど観光→シェムリアップ(泊)
〔4日目〕アンコールワットの朝日観賞→トンレサップ湖観光→ルアンパバーン→ハノイ→ハロン湾(泊)
〔5日目〕ハロン湾観光→ハノイ市内観光
〔6日目〕(機中泊)→中部空港
≪ベトナム Vietnam≫
今回のツアーは、最初にベトナム・ホーチミンに入って翌日カンボジアに行き、アンコール遺跡を観て
再びベトナム・ハノイへ入るという行程であった。
カンボジアはビザと入国カードが必要だがベトナムはパスポートの提示だけで入れるので
問題はない。
まずはベトナム最大の都市・ホーチミンから旅は始まるが午後に入って1泊するだけである。
≪ホーチミン Ho Chi Minh≫
1月16日、名古屋から約5時間かかって現地時間の午後1時半過ぎにホーチミンへ到着。気温は32度だと
機内アナウンスがあった。名古屋の朝の気温より30度も高いことになるが耐えられない暑さではない。
出迎えてくれた現地ガイドのバオさんの案内でさっそく市内観光に向かう。
バスの窓から見ると、道路わきでキンカンの木や花のついた桃の木、そして黄色い菊の花を売っているのが
目につく。バオさんの説明では、あと1週間後に旧正月のテトを迎えるので各家庭で必ず飾る
これらの花卉を売っているのだそうだ。黄色は幸せの色だという。
ホーチミンは19世紀にフランスの植民地になり、その後ベトナム民主共和国の首都サイゴンとして
栄えたがベトナム戦争終結後ホーチミンと名前を変えたところである。
裏通りを覗くと、いわゆる東南アジアのきれいとはいえない暮らしがあるようだが、
昨今ベトナムも経済成長しているので表通りは大都会の雰囲気である。
とにかくバイクが多い。ホーチミン市の人口は900万人だがバイクの数が400万台だというから
その多さがわかるというものだ。
最もよく売れているのがHONDAで新車が10万円くらい。中国製のにせものHENDAといのがあるが
すぐ壊れるとバオさんはいっていた。まさしくヘンダである。
そして若い人の町である。平均年齢が30歳だそうで活気にあふれている感じを受けた。
高齢社会の日本にとってはそういう面はうらやましく思う。
統一会堂
さすがベトナムで最も大きい町だけあってメインの道路は広くきれいだ。緑の公園もある。
最初に案内されたのは統一会堂だった。
南ベトナム政権時代に大統領府だったのを博物館にしたもので、1975年4月30日に人民解放軍が
正面から戦車で突入したという歴史があるそうだ。
南ベトナム政権時代に大統領府だったのを博物館にした統一会堂と、19世紀フランス統治時代に建てられたサイゴン大教会
サイゴン大教会
サイゴン大教会は統一会堂からさほど離れていないところにある。
19世紀、フランス統治時代に建てられた優雅なという表現がぴったりくるような教会で
ヨーロッパの教会のような重厚な感じはしない。
明るい赤レンガ造りだからかもしれない。
もちろん現在も使用されている教会である。
教会の内部も明るいつくりで、礼拝でここに集う人の気持ちも明るくさせてくれるのではなかろうか。
中央郵便局
サイゴン大教会のすぐ隣に中央郵便局がある。
サイゴン大教会の写真を撮っていると物売りが寄ってくる。記念切手シートを買えというのだ。
なぜ切手シートなのかの意味はその時はわからなかったがすぐそばに中央郵便局があったからである。
この建物も19世紀に建てられたものだそうで、ヨーロッパの駅のような雰囲気がある。
中に入るとアーチ型のドームになっていて正面奥の壁面にはホーチミンの肖像画が飾られていた。
19世紀に建てられたヨーロッパの駅のような雰囲気のある中央郵便局と、ホーチミンの肖像画が掲げられたその内部
このあと一行は定番の土産物屋に案内される。“Miss Aodai”という店だ。
このAodai(アオザイ)というのは長い服という意味だそうでベトナムの民族衣装だ。
中国服風で裾にスリットが入っている。このMiss Aodai知う店の
人は濃い青色のアオザイを着ているがベトナム航空の乗務員は赤色のアオザイを着ていた。
ベトナム人は手先が器用だそうで民芸品がたくさん並べられていたが特に買うものはない。
どうもこういう土産物屋に案内されても時間を持て余すばかりである。
土産物屋のあとはドン・コイ通りの散策に案内される。ホーチミン一のショッピング街だそうだ。
ここでも土産物屋をのぞかせられる。
次いでベンタイン市場へ連れて行ってくれたがここはすごいところだった。
ベンタイン市場
ベンタイン市場というのは、地元の住民ための生活用品、生鮮食料品や観光客向けの土産物まで
売っている大きな市場である。日本の卸売市場に見られるような建物は1914年に建てられた
ものだそうだ。
われわれが行ったのは夜6時45分ころだったが、たくさんの人でにぎわっていた。
通路にはみ出すように商品が並べられている。袋モノ屋、スパイスの店、果物屋、乾物屋などなど
がひしめき合っていてにぎやかだ。
湿気て汚い通路にはゴキブリも何匹か走っていた。その通路上に置いた腰掛で夕食をとっている
店の人もいる。
いってみれば東南アジアの典型的な市場風景といっていいだろう。
左から:通路にはみ出して商品を並べるベンタイン市場の果物屋、乾物屋、そして夜市の食堂
果物など買った人もいたが見学を終えて外に出るとそこは夜市だった。7時から始まるのだという。
道路の両側にはベンタイン市場の続きのように服や靴、食ベ物屋などテント張りの夜店が並んでいるのだ。
狭められた道路を人を縫うようにして脱出した。
いやー、なんともすごい街である。
あちこち連れまわされておなかも減っていた。
これからサイゴン川ディナークルーズだそうだ。
サイゴン川ディナークルーズ
クルーズ船はベンタイン市場からさほど離れていない桟橋から出る。
夜なのできらびやかに電飾されたクルーズ船が3隻並んでいた。われわれが乗る船の船首は魚の頭の
ような形の電飾である。
大きな船だがわれわれ以外の船客は少ないようだ。
クルーズだが、はじめは舞台での音楽演奏を聞きながら1時間ほどディナータイムで船は動かない。
まずはビールで乾杯。そのビールはベトナムで最も有名な「333ビール」である。
333はバーバーバーと読むそうだ。ベトナム料理はあっさりしていておいしかった。
一通り食べ終わったところでサイゴン川を一回りしてくるという寸法であった。
夜景はきれいではあるが日本の都会ほどの灯りはないようだ。
ただ、船が動き出してデッキに出ると夜のよ風が心地よかった。
この日の観光を終えてホテルにチェックインしたのは午後9時半を回っていた。
ホーチミンのホテルは New Pacific Hotel である。
そして明日は11時の飛行機でアンコールワットのあるカンボジア・シェムリアップへ向かう。
行 程
〔1日目〕中部空港→ホーチミン市内観光→ホーチミン(泊)
〔2日目〕ホーチミン→シェムリアップ・アンコールワット観光→シェムリアップ(泊)
〔3日目〕アンコールトムなど観光→シェムリアップ(泊)
〔4日目〕アンコールワットの朝日観賞→トンレサップ湖観光→ルアンパバーン→ハノイ→ハロン湾(泊)
〔5日目〕ハロン湾観光→ハノイ市内観光
〔6日目〕(機中泊)→中部空港
2泊してアンコールワットを観光したあと再びベトナムのハノイへ飛びハロン湾観光に向かう。
シェムリアップからハノイへは直行便ではなくラオスのルアンパバーン経由の飛行機である。
64人乗りのプロペラ機であるエアクラフトは午後2時過ぎにシェムリアップを出発。
同じ飛行機でハノイまで行くので、ルアンパバーンではそのまま機内で待機するのかと思っていたが
いったん降りろという。
思いがけずラオスの地を踏むことになってしまった。
≪ハロン湾 Ha Long Bay≫
ハノイ空港に着いたのは午後6時を過ぎていた。
この日はハロン湾に宿泊する予定なのですぐ出発となった。
ハロン湾はハノイから東へバスで3時間半から4時間もかかる。途中、レストランで夕食をとり
ホテルに入ったのは夜10時半ころになってしまった。
翌日1月20日、世界遺産・ハロン湾の観光に出発する。
桟橋近くにはたくさんのクルーズ船が集まっている。次から次へと観光客を乗せて出航していくのだ。
われわれの観光は海鮮料理の昼食が付いた3時間コースのランチクルーズということだった。
ガイドのコンさんを含めて22名の一行には比較的新しい1艘の船が提供された。
われわれの船の前後にも何艘もの船が沖をめざして進む。
最初は鍾乳洞を見に行くそうだ。
出航して30分ほどで鍾乳洞のあるダウゴー島(Dau Go)の桟橋に着く。
階段の道を昇って上の方から鍾乳洞に入る。ティエンクン洞(Don Thien Cung 天宮洞)といい、
鍾乳洞の中から天に通じるという穴があいていることから「天宮洞」と名付けられたらしい。
この鍾乳洞は幅10m、高さが20mくらいあるだろうか、
かなり広いドームのような感じの鍾乳洞だった。
ただ、この鍾乳洞はカラー照明を使っているのが何とも興ざめだ。沖縄の玉泉洞も色つきの照明だったのを
思い出した。
30分ばかりの見学ののち船はダウゴー島を出発する。
果物を積んだ小舟がいるなと思ったら子どもがクルーズ船に飛び移ってきた。手にはバナナを持ち
船の窓を開けてわれわれに売ろうということだ。
しかしわれわれの船には窓にカギがかかっていたのでやがてあきらめて小舟に飛び降りて行った。
身が軽い子どもに商売をさせるという商魂には感心させられるが子どもに仕事を
強いていることにつらい思いを感じさせられた。
やがて船は養魚場だというところに着いた。生け簀にいる魚を観光客に売っており、
買った魚はクルーズ船で料理して食べさせてくれるとも聞いた。
再び船にもどる。このあたりからだんだんと背の高い円錐形の島や奇岩・巨岩が目につくようになる。
海の桂林といわれるハロン湾は「下竜湾」と書くそうで大小3000もの岩や島があると聞いた。
桂林には行ったことがないのでわからないが、ハロン湾の方が広がり、スケールという点では勝るのでは
ないだろうか。
名前を聞いてなるほどなと思う香炉岩、観光乗船券の図柄になっている闘鶏岩、ゴリラの顔に似ている
というゴリラ岩。
左から:独特の島の形をしたハロン湾の風景、名前を聞いてなるほどなと思う香炉岩、乗船券の図柄に
なっている闘鶏岩
ベトナム北部は日本と同じように四季があり今は冬である。
この日もそうだったが曇りの日が多いという。
もし晴れていれば空も海も青くてもっと美しい風景を楽しめたであろう。
気温は天気が良ければ25℃近くになるそうだが、今日は曇り空で16℃くらいのようだ。
写真を撮るためにデッキに出ると海の上ではちょっと肌寒い感じがした。
ころ合いを見計らってランチタイムとなる。
供された魚やエビなどの料理は素材が新鮮なのであろう、
ベトナムで最も有名な「333ビール」とともにおいしくいただいた。
食事が終わって一息ついたころ桟橋にもどってきた。
約3時間のハロン湾ランチクルーズはまずまずといったところだろう。
≪ハノイ Ha Noi≫
ハロン湾観光のあとはハノイの観光がある。しかし来た時と同じようにハロン湾からハノイまで
4時間くらいバスで走らなければならない。この移動がたいへんだ。
来る時は夜だったのでわからなかったがハノイへの道路沿いには商店や民家が続いており
その周辺には田園地帯が広がっていた。
冬の時期でもあり農作業そしている人はほとんど見かけなかったが、ガイドのコンさんの話では
今でも日本の戦後のような農作業風景が見られるそうだ。機械化は進んでいないということである。
ハノイ市内に入ると渋滞が始まっていた。3日後には旧正月・テトを迎えるので今日明日は
ハノイで働いていた人たちが大挙して故郷に帰るのだという。
また、桃の木やキンカンの木を荷台にくくりつけて走っているバイクも多い。
とにかく大多数の人がバイクを利用するようで、こちらはバスに乗っているだけだが圧倒される感じである。
ホーチミン廟
ハノイ市内観光の最初はホーチミン廟である。
ベトナムの南北統一に生涯をかけた国民的な英雄であるホーチミンの遺体が安置されているところである。
1975年に建てられたそうで入口には衛兵が常に立っている。
廟の前には黄色と赤い花の花壇がありテトを前に桃とキンカンの木が門松のようにしつらえてあった。
その廟の目の前は広場になっている。「バーディン広場」というそうで、建国記念日には
たくさんの人が集まるという。
ちょうど北京の天安門広場のような感じである。
タンロン遺跡
次に向かったのはタンロン(Thang Long 昇龍)遺蹟。
1010年から1804年までここに都を置いた旧ベトナム王朝の城跡で世界遺産に認定されているが
残っているのは城門だけらしい。
写真は北正門だが、1882年4月25日、ハノイが陥落した時、ホン河のフランス軍艦から撃たれたという弾痕が
正面左下と左上部に残っている。えぐられた弾の跡は直径1mくらいあるだろう。
予定では城の中に入ることになっていたが時間が遅くなってしまったので写真のように北の城門だけの
見学となった。ライトアップされていて夜の遺跡も美しいと思った。
ハノイ36通り・旧市街
タンロン遺跡見学のあと今度はハノイの旧市街散策に連れて行ってくれた。
ハノイ36通りというところで商業の中心地として15世紀ころに栄えたそうだ。
各種の同業者が通りに軒を並べていて、今でも銀製品の店、靴屋の通り、スパイスの店が並ぶ通りなどが
ある。
写真は靴屋が並ぶ通りだが、ここを歩くときは特に注意が必要だそうだ。
スリやひったくりはもとより声をかけてきて強奪することもあるという。
ガイドのコンさんも財布を内ポケットにしっかりしまい込んだ。われわれも同様にガードを固めて
ごちゃごちゃした商店街を歩いた。
何か買えと声をかけられたら、「No thank you. イラン、イラク、北朝鮮!」といってください、
とはコンさんが教えてくれた言葉だが半分冗談、半分本気でもある。
それにしても人でごったがえす汚い通りだったが、なかなか得難い体験をさせてもらった。
今回の旅もいよいよ大詰めである。
散策というより雑踏をかき分けて歩いておなかもすいた。レストランでの夕食のあと最後の
行程である水上人形劇を見に行く。
水上人形劇
水上人形劇はベトナムを代表する伝統芸能で、農村での収穫や祭りの時に池などを舞台にして
行われたものだそうだ。
1000年近くも伝統があるそうで、今では水を張った劇場の舞台でで演じられている。
舞台の左手では伝統楽器による生演奏が行われ、その演奏に合わせて背丈が40cm〜1mくらいの
人形が演技するというものだ。
左から:舞台左手に生演奏者がいる、すだれの後ろから操られて演技する人形、最後に演技者が舞台に出てくる
会話はわからないが配布される日本語のパンフレットに解説があるのでおおよそは理解できる。
それにしてもヒモを通した長い竹竿を操って人形を自由自在に演技させる技には感心させられた。
水上人形劇観賞で長かったような短かったような今回のアンコールワット・ベトナム旅行は終わりである。
一ついえることは、毎日強行軍で朝から晩まで実に密度の濃いツアーであり、貧乏旅行ではあったが
満足できた旅であった。同行の皆さんとも仲良くなり、案内してくれた現地のガイドさんにも感謝しつつ
深夜便で帰途についた。
≪旅の雑感≫
◆食べ物
ベトナムもカンボジアも、ともに食事はおいしくて満足した。
いずれも中華料理的な料理であるが中国よりもずっとあっさりした味で辛くもない。
そのため出されたものはほぼ完食してしまった。
特に、ベトナムではフォー、カンボジアではクイティウという米粉を使った麺がおいしかった。
きしめんのような形をした麺やラーメンの形状をした麺などがあるがいずれもゆでて薄味のつゆに
野菜やチャーシュウのようなものを入れて食べる。日本のうどんやきしめんのような感じだが
彼らは朝食によく食べているそうだ。
写真の左側のどんぶりがカンボジアのホテルの朝食で食べた「クイティウ」である。
他の料理も野菜が多くてヘルシーだ。カンボジアでは肉の値段が高いと聞いたのでそういう事情から
野菜中心なのかもしれない。
◆ビール
旅行に行ってその土地のビールを飲むのが楽しみの一つである。
今回は5種類のビールを味わってきた。
暑い国だからなのか日本のビールのようにコクやキレのあるビールではない。
どのビールもさっぱりした軽い感じのビールだったが私の口にはよく合った。
今回飲んだビールの銘柄は、ベトナムで最も有名な「333ビール」(写真左)、ベトナム航空の
機内で飲んだ「HALIDAビール」、ハノイで飲んだ「HANOIビール」、カンボジアのシェムリアップで
飲んだ「Angkorビール」(写真右)と「Tigerビール」であった。
ホテルやレストランで飲むビールの値段は350ml缶で$1〜$3(米ドル)だった。
最も多いのが$2.5であるが町の店で買えばもっと安いのだろう。
最近ベトナムもビール愛好家が増え、今は生ビールが人気だと聞いた。
◆バイク
ベトナムはバイクの数が半端ではない。街中の道路はバイクであふれている。
3人に1台以上バイクがあるようで、かつて16年前の1996年に行った台湾がバイク全盛で
あったように発展しようという国ではまずバイクが交通手段として使われるのではないかと
思った。
◆観光地での物売り
観光地での物売り、果物や絵はがき、民芸品などを売りにくる人がカンボジアでもベトナムでも
たくさんいる。
特にカンボジアはまだまだ貧しい国なので子どもたちもいろいろな物売りアルバイトを強いられている
ようである。
シンガポールを除いて東南アジアの国に行ったのは今回が初めてだった。
ベトナムは非常に活気にあふれている感じを受けた。日本企業もたくさん進出し始めており経済発展の
緒についたというところであろう。
一方カンボジアは、フランスによる統治、日本の介入、そして幾多の内戦を経てようやく現在の
カンボジア王国になったわけで、まだまだ貧しい国といわざるをえない。
12年前までは内戦の砲撃音が聞こえていたといい、現地のガイドから聞いた話では電気はまだ20%しか
普及していないそうだ。
現在のカンボジアに必要なものはその電気のほか、水、教育、そして道路の4つだという。
これらがそろってくれば新たな雇用も生まれ、隣のベトナムのように活気のある国に発展していくことだろう。
労働コストも安いので軌道に乗れば発展するだろうが、まだまだ現状脱却には時間がかかりそうだ。
シェムリアップで現地の旅行代理店で働いている若い日本人の女性に会った。
なぜこの国に来たのですかという問いに、とにかくアンコールワットが好きなのですというのが
彼女の答えだった。
カンボジアで働くそういう人たちのためにも、この国の今後の発展を期待したいところである。
行 程
〔1日目〕中部空港→ホーチミン市内観光→ホーチミン(泊)
〔2日目〕ホーチミン→シェムリアップ・アンコールワット観光→シェムリアップ(泊)
〔3日目〕アンコールトムなど観光→シェムリアップ(泊)
〔4日目〕アンコールワットの朝日観賞→トンレサップ湖観光→ルアンパバーン→ハノイ→ハロン湾(泊)
〔5日目〕ハロン湾観光→ハノイ市内観光
〔6日目〕(機中泊)→中部空港
Orange life
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