完全リタイアを記念して、かねて行ってみたいと思っていたスイスへ旅行してきました。今回の主目的は
アルプスのハイキングです。
梅雨空のもと7月4日朝ルフトハンザ・ドイツ航空でセントレアを出発。フランクフルトで乗りかえて
ジュネーブまで、12時間プラス1時間余りのながーいフライトでした。
ツアー客25名と元気な女性添乗員の姿さん一行、この日は空港近くの「ホテル・シュバイツァーホフ & カジノ」に1泊しました。
翌朝添乗員さんに「いいホテルでしたね」というと、「ここは別格。あとは山小屋みたいですよ」とのこと。
まあハイキング主体の旅ですからそれはそうだろうと納得です。
2日目はモンブランのふもとの町シャモニーへ向かいます。しかし朝から小雨模様で道行く人のなかにはコートをはおっている人も
います。それでもシャモニーに着くころには雨もやみ、ロープウェイも動いていました。
ここから白い山という意味のモンブラン(Mont-Blanc 4807m)を望むエギーユ・ドゥ・ミディ展望台までロープウェイで
一気に上ります。
初めはシャモニーの街が眼下に見えていましたが少し上がると真っ白な雲の中。やがて雪が吹きつけてくるではありませんか。
雲の上はもしや晴れているのではと抱いていた期待もむなしくエギーユ・ドゥ・ミディ展望台は吹雪です。
7月だというのに何ということでしょう気温は−4℃。そうです、ここは富士山よりも高い3842m。
展望台へ登る階段はひどい息切れと動悸で苦しくなります。
やむをえず早々に退散することにしました。
あとで聞くと高山病の症状である頭痛がしてこの日一日つらい思いをしたメンバーの方もいたようです。
残念ながらモンブランの機嫌をそこねたようですが、今後に期待してツェルマットへ向かいます。
シャモニーはフランスです。ふたたびスイスへ入国するのですが国境ではノーチェック。中国人のグループは
時々止められるそうですが日本人は信用されているようです。
国境の山道をぬけフォルクテ峠までくると空はすっかり晴れてきました。青空とともに心も晴れ晴れします。
このあたりでは葡萄の栽培がさかんです。スイスのワインというのは有名ではありません。それは国内でほとんど消費
してしまい他国に輸出していないからだそうです。
整然と並んだブドウ畑も美しいヨーロッパの景色の一つです。
バスでの移動はテーシュというマッターホルン・ゴッタルド鉄道の駅までです。環境保護のため普通の自動車はテーシュから先
へは乗り入れができずツェルマットへはシャトル列車で行かなければなりません。したがってツェルマットの村は
一部の工事用車両を除いて電気自動車が走るということになります。
ホテルにチェックインして驚いたことに、何とあのマッターホルンが部屋から見えるではありませんか。
独特の山の形、どこか神々しささえ感じさせるマッターホルンに出会い、うれしくなって何回もシャッターを切りました。
夏の日は長いので村を歩いてみることにしました。マッターホルンがもっとよく見えるところがあると
聞いていました。マウリチウス教会のところと、その近くのマッターフィスパ川に架かる橋の上だそうです。
メインストリートのバーンホフ通りの両側はホテルやみやげもの屋さんが軒をつらねています。どこもゼラニウムなどの
花が飾られていて実に華やかです。そして日本人観光客の多いこと。海外に出てこんなに日本人が多かった経験は
初めてでした。かくいう私のその一人なのですが、まるで軽井沢の街中を歩いているようです。
聞くところによると、7月から9月のハイシーズンに集中して日本人が訪れるのだそうです。
ヤギの行列にも出会いました。ヤギですが“カウベル”をカランコロンと響かせて行きます。村の上にある
ヤギ飼いの家と村の下にある牧草地を往復するため朝夕ヤギの群れが大通りを行き来するということです。
道に小さな茶色のフンを落としていきますがそれはご愛敬ということでしょう。
《マッターホルンのハイキング》
3日目(7月6日)はマッターホルンのハイキングです。といってもマッターホルンに登るのではなく、
マッターホルンを眺めながらのハイキングということです。
まず、登山電車でゴルナグラート展望台(3130m)へ上ります。
前日マッターホルンがくっきりとした姿を見せていたので期待していました。しかしこの日はマッターホルンをはじめ、山々の上の方が
雲に隠れていてやや残念といった感じでした。それでもスイスの最高峰モンテローザ(Monte-Rosa 4634m)と
リスカム(Liskamm 4527m)の間にあるグレンツ氷河の豪快な流れに目を奪われました。
ほかにもゴルナー氷河、ツヴィリンゲ氷河など立派な氷河をいくつも見ることができます。ここだけ見ていれば、その氷河の末端が
温暖化の影響で年々後退していることがわからないほどです。
マッターホルンのハイキングはゴルナーグラートより一つ下の駅ローデンボーデンからスタートします。
30代後半でしょうか、スイスにきて9年になるという山岳ガイドの田村さんに案内してもらういました。
田村さんはマッターホルンにも何回も登っているいかにも山男といった頼もしい感じの人です。
ロッククライミングの仕方やマッターホルンへの登り方の話、高山植物や花の名前を教えてもらったりしながら
ゆっくりハイキングを進めます。小さな池みたいなものですが、途中のリッフェル湖(Riffel-see)やウンターリッフェル湖
ではようやく晴れてきたマッターホルンが湖面に“逆さマッターホルン”の姿を映していました。
このハイキングの終点であるリッフェルベルク近くでおにぎり弁当の昼食後、登山電車でツェルマットまでもどりました。
午後はフリータイムでしたが、一行のうち16名でクラインマッターホルン(Klein-Matterhorn=小さなマッターホルン)
の展望台まで行くことに決めていました。みんなでロープウェイ代として5フランずつ出し、添乗員の姿さんにも一緒に行ってもらう
ことにしました。
ロープウェイからは今朝見られなかったモンテローザやリスカムの姿も遠望できました。
途中、フーリ、トロッケナーシュテークの2つの駅でロープウェイを乗り継ぎ1時間ほどで到着。
このクラインマッターホルンの展望台は標高3883mで、ヨーロッパで一番高いところにある展望台だそうです。
晴れていればモンブランまで見えると聞いていましたが、あいにく雲がかかっていてだめでした。
帰りはロープウェイの途中駅・フーリでみなさんと別れ、一人でツェルマットまで約1時間のハイキングしながら戻ることにしました。
この選択は大正解でした。お花畑のなかの小屋とモミの木、遠くには雪を頂いた山並み。最もスイスらしい風景を楽しむことが
できたのです。
下からもたくさんの人たちが登ってきます。日本の山と同様、挨拶をかわします。「ハロー」というと「ボンジュール」、
今度は「ボンジュール」というと「グーテンターク」と返ってきます。そうです、スイスは多言語国家なのです。
相手が何語を話すかはわからないのです。
自分の愚を知りました。私は日本人なので「こんにちは」でいいのです。そのあと、相手が「ハロー」
ならば、こんにちはに続いて「ハロー」と返えすことにしました。
これはお店で何かを買った時も同じです。「ありがとう。ダンケシェーン」ということですね。
今日は一日スイスの山のハイキングを堪能することができて最高の気分でした。明日は氷河特急にも乗り、インターラーケンへ
向かいます。
《ツェルマットからアンデルマット、フルカ峠を越えてインターラーケンへ》
4日目。この朝は5時半過ぎに目をさましてしまいました。かなり明るくなってきていてどうやらいい天気のようです。
窓から見えるマッターホルンの形がだんだんはっきりしてきました。そして山頂付近が赤く染まりはじめたのです。
そうですモルゲンロート(Morgenrot)です。
山頂の1点が赤くなり次第に下の方に広がっていきます。あわててカメラを向けました。赤色が広がるにつれて
黄金色に変わってきます。やがてマッターホルン全体に陽が当たるようになると本来の真白な輝きをとりもどしました。
今日は世界一遅いといわれる氷河特急に乗ってアンデルマットまで行きます。さらにバスに乗り換えて絶景が見られるというフルカ峠、
グリムゼル峠を越え、ユングフラウの町インターラーケンまで行くという行程です。
氷河特急は斜めの天窓がついた明るい車両です。雲ひとつない青空から太陽がさんさんと車内に降りそそぎ暑いくらいです。
乗った車両は私たちのツアー貸切のため気がねなく列車の旅を楽しむことができました。
今回のツアーは全部で25名。そのうち男性が7名、女性は18名でした。ツアー3日目ともなるとお互いに気心も知れてきて
仲間意識もできてきます。列車が動き出したとたん、男性たちは宴会がはじまります。だれが持ち込んできたのかウイスキーや
ワインが供され、本場のチーズもたくさん出てきました。聞くと昨日村のスーパーで仕入れてきたようです。
私はおなかの調子がよくなかったのでお酒はセーブしましたが、解放された旅の雰囲気を十分に味わうことができました。
雪を頂いた山々、ヤギや牛が草を食む牧場と草原、あくまで青い空の下、渓谷の中を氷河特急はのんびりと走ります。
以前はローヌ氷河のすぐ近くを走っていたため氷河特急の名前がついたそうです。しかし現在は長いトンネルができて
氷河は列車から見ることはできません。
冬期に列車が走れないことからトンネルがつくられましたが、氷河特急という名前だけはそのまま残したそうです。
昼食は途中の駅で連結されたクラッシックな食堂車で食べることになりました。こうしたツアーでは一般的にはお弁当だそうで、
何回もきている添乗員さんも食堂車での昼食は初めてだと喜んでいました。このランチで一番よかったのが野菜のサラダ
でした。スイスの食事ではほとんど野菜はでてきません。それがこの食堂車ではお皿に山盛りの新鮮な野菜サラダが
出されたのです。「料理」というものではないのに、これには一同感激でした。
下車するアンデルマットでちょっとしたハプニングが発生しました。予定ではポーターさんが列車からスーツケースを
おろしてバスに積みこんでくれることになっていましたがいっこうに現れませんでした。
列車の発車時刻がせまってきたので男たち7名、バケツリレーの要領でスーツケースを大あわてでおろす羽目に
なっていまいました。なんとか発車までに荷物をおろすことができやれやれということでした。
トラブルはこの1回だけであとはすべて問題ありませんでした。時間もしっかり守ってくれますし、ゲルマン系の人が
多いためかスイス人の対応は全体的によかったと思います。
アンデルマットからは少し戻る感じでフルカ峠をめざします。峠への道をバスが登っていくとアンデルマットの街方面が
きれいに見おろすことができました。
やがてフルカ峠に着きます。ここはローヌ氷河の先端に当たるとともに、白く輝くアルプスの山並みを一望にできる
絶景地点です。今日は快晴なのでマッターホルンまで見通すことができ、爽快な気分を味わいました。
フルカ峠にはたくさんの観光客がきていました。峠の駐車場はほぼ満車状態。バイクも多いですし、中にはマウンテンバイクの
人もいます。下りはいいでしょうが、こんなに長くて標高差のある坂道をほんとうに登ってきたのかとあきれるばかりです。
フルカ峠は現在はローヌ氷河の先端部に位置しています。むかしは峠の下の方まで氷河がつながっていたのが地球温暖化で
毎年後退し、とうとうこの峠まできてしまったようです。添乗員さんの話でも、数年前にきた時はみやげもの屋さんの近くまで氷河が
あったのが、いまはだいぶ後退した感じだとのことでした。近年氷河の後退が加速しているのでしょうか。
このローヌ氷河には観光用のトンネルが掘ってあります。5スイスフラン(約500円)をみやげもの屋さんで支払って
行ってきました。
トンネルの天井と壁面は氷河を透過した太陽光で真っ青に輝いていて神秘的でもあります。氷河の奥まで入っていくに従って
濃い青色となり薄暗くなってきます。もちろん寒〜い空間です。
バスはフルカ峠からいったん下の村まで一気に下り、ふたたびグリムゼル峠に向けて登ります。グリムゼル峠からは
蛇行する道を下り2時間余り走り、今日の宿泊地・インターラーケンについたのは17持ころでした。
インターラーケンはユングフラウなどへの玄関口として知られる街で人口約5000人。トゥーン湖とブリエンツ湖の2つの湖に
はさまれているため、“湖の間”という意味のインターラーケンと呼ばれているそうです。
夕食までにはまだ時間があったので街を散策しました。街の中央にある広いヘーエマッテ公園からユングフラウの真白な
姿を見ることができました。
ユングフラウの写真を撮っていると馬車の音と歓声が聞こえました。見ると新婚さんを乗せた馬車が参列者の馬車とともに
パレードをしています。新婚さんたちは沿道の人たちに色とりどりのキャンディをまいて行くのです。
さわやかな高原の街でこうした結婚披露というのもいいものですね。
インターラーケンは小さな街です。鉄道のインターラーケン西駅や旧市街地などにも行ってみました。旧市街地「ウターゼーン」
は落ち着きのある街並、ブリエンツ湖からとうとうと流れ下るアーレ川の乳白色の水の色が印象的でした。
この旧市街地からはユングフラウのほかメンヒの雄大な姿も見ることができました。明日はこれらの山々に
じかに接する予定です。今日のような天気がつづけば最高です。ハイキングへの期待が高まります。
《ユングフラウのハイキング》
5日目はこの旅行のハイライトの一つであるアイガー、メンヒ、ユングフラウの3名峰を正面に眺めながら歩く
ハイキングです。
朝8時にホテルを出発してバスでグルントへ。グルントからロープウェイに乗ってメンリッヒェン(2222m)まで
30分で上ります。快晴の青空のもと、眼下には広大な緑の牧場が広がっています。静かに高度を上げていく4人乗りのゴンドラ。
開け放った窓から心地よい風とともに「カランコロン、カランコロン」という、のどかな音が入ってきます。
放牧された牛たちが首に下げた“カウベル”の音です。まさにスイスの情景の中に身を置いているという喜びを感じました。
メンリッヘンは台地状になったピークでほぼ360度の展望が得られます。南には4000m級の3名峰、アイガー、メンヒ、
ユングフラウが真白な山姿を誇らしげに見せています。
台地の西の端に展望台があります。その直下は巨大なU字谷になっていて、はるか下の方にヴェンゲンとラウターブルンネン
という村が見えました。このU字谷はむかし氷河が削り取ってできたのだそうです。その規模の大きさに驚かされました。
ここメンリッヒェンからクライネシャイデックまでハイキングに出発します。今日の山岳ガイドは、40歳くらいの方だと思いますが、
スイスの方と結婚された真紀子さんという女性です。
ハイキングコースは歩きやすく整備されていて、正面に見えるチュッゲン山(2520m)の東側を巻いて行きます。道の両側には
赤、黄、青、白など色とりどりの花が咲き、この世のパラダイスそのものといった感じです。
さすがにガイドの真紀子さんは花の名前をよくごぞんじで、次々と説明してくれますが、なかなか覚えられるものでは
ありません。
エーデルワイスはまだ少し時期が早いとのことで残念ながら見ることはできませんでした。
スタートしてチュッゲン山の横あたりにくるとやメンヒやアイガー北壁が少しずつ近づいてきます。アイガーの左方向には
シュレックホルン(4078m)やヴェッターホルン(3701m)が峻嶮な姿を見せています。
左手下方には緑の牧場が広がり、そのはるか先にはグルントやグリンデルヴァルトの村が見おろせます。
暑くなく寒くもない気温、清澄な空気、青い空、雪の山、緑の牧場、色とりどりの花が咲くお花畑。ガイドの真紀子さんの
話を聞きながら笑顔の一行が歩きます。どんどん歩を進めてしまうのがもったいないような気がしました。
やがてアイガーの北壁(写真左)やメンヒ(写真右)の雄姿が目の前にせまってきます。
アイガー、メンヒ、ユングフラウの3つの山は並んでそびえています。
ユングフラウ(Jungfrau・下の写真)は名前のとおり若い女性、
アイガー(Eiger)は男性です。そしてその間にあるメンヒ(Monch)は修道士ということで、アイガーとユングフラウの恋の
仲立ちをしているのだそうです。アルプスの山は恋をするようですね。
1時間あまり歩くとクライネシャイデックはもうすぐです。そこにアイガー北壁の登頂図がかかげられていました。
北壁ルートで最初に登頂したのはドイツ隊とオーストリア隊で1938年(Normalroute)だそうです。
その後、1966年にJohn Harlinが新たなルートを登り、1969年には加藤滝夫、今井通子、加藤保男らの日本隊が別の
ルートで登ったということです。
ただし日本人で最初に北壁を登頂したのは1965年の高田光政でした。登頂まであと300mというところで気象が急変し
パートナーの渡部恒明が墜落・負傷。救助を求めるために山頂を経由した際に達成しましたが渡部はその間に謎の墜死を遂げた
のだそうです。骨折の痛みと孤独に耐えきれずに自らザイルを解いたとのではないかともいわれています。
私はまだ読んでいませんが、これをもとに新田次郎は「アイガー北壁」という小説を書いています。クライネシャイデックには
『アルプスを愛した日本の作家新田次郎ここに眠る』というレリーフがありました。
山の天気は実に変わりやすく、午前中あれほど晴れていたのに昼からはすっかり雲につつまれてしまいました。
午後はユングフラウとメンヒの間に位置するユングフラウヨッホという展望台まで登山電車で登ります。
この電車はアイガーとメンヒの山腹を穿ったトンネルの中を登っていくのです。そのトンネルの中に停車駅があり、
アイガーの山壁にあけた窓から展望することができます。残念ながらこの日は雲がかかっていて眺望はききませんでした。
終点のユングフラウヨッホには標高3454mのスフィンクス展望台があります。しかし外は寒い上に雄大なパノラマを
見るということはできませんでした。それでもプラトウテラスからはユングフラウの雪山を間近に見ることができました。
帰りはいったんクライネシャイデックまでもどり、登山電車を乗り換えてヴェンゲンを通りラウターブルンネン
まで行きます。
このヴェンゲンとラウターブルンネンは今朝メンリッヒェンの展望台から見下ろした巨大なU字谷の底にあります。
むかし氷河が削り取った深〜い峡谷です。岩壁は垂直にそそり立ち、いく筋もの滝が村に流れ落ちているのが
見えました。ことに落差300mといわれるシュタウブバッハの滝は豪快です。
ラウターブルンネンからは迎えに来ていたバスに乗り換えて一路インターラーケンの街までもどります。
今日は午後から雲が出てしまいましたが、今回の旅行のハイライトであるユングフラウのハイキングが好天に恵まれた
ことが何より素晴らしい思い出になりました。
《古都ルツェルンとピラトゥス山》
スイスの旅も終りに近づきました。
7日目はあいにくの小雨もようです。朝インターラーケンを出発して古都ルツェルンへ向かいます。
バスの中で、歴史が好きだという添乗員さんから観光とはちがうスイスの話を聞かせてもらいました。
もともとゲルマン系(独)、ブルグンド族(仏)、ランゴバルド族(伊)など多言語・多民族から成るスイスの建国は
1291年。ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州が独立のための同盟を結んだのが最初ということです。
彼らは他国を攻めるのではなく、同盟を結び不戦の精神で国をつくり、それに賛同する周辺の州を同盟に加えて連邦国家を
形成していったわけです。
しかし1815年のウィーン会議で永世中立を勝ちとるまでの道のりは厳しく、ライオン記念碑に象徴されるように収入を
得るために他国に傭兵を派遣しなければならないといったような悲しい歴史もありました。
そして今は国民皆兵。地図にのっていない飛行場や地下シェルターを設置するなど、中立を何としても維持するそなえと
努力は並みたいていではないでしょう。
ただその根底にあるのは、決して他国を侵略しないという精神であり民族観だと思います。
それをまわりの国々、世界の国々に理解され、認めてもらうということがあってはじめて成り立っていると
いうことです。
日本は他国との歴史認識の違いもあって、特に周辺諸国からは「日本は侵略しない国だ」ということがまだまだ理解されて
いないと思うのです。その理解を進めることこそが大事なことではないかと私は強く思いました。
ルツェルンはフィールヴァルトシュテッツア湖(Vierwaldstattersee)の湖畔にある、人口57,000人ほどの市です。
大都会ではないのですが、これまでアルプスの村や小さな町しか見てこなかったので、ひさしぶりに街に出てきたという
感じがしました。
湖と山々に囲まれ、中世の町並が美しいルツェルン。
その見どころは、ライオン記念碑のほかに、カペル橋、シュプロイヤー橋、ホーフ教会、イエズス教会、
そして旧市街地の建物群といったところです。
カペル橋あたりが街の中心になるようで、湖から流れ出るロイス川の両側に市街地が広がっています。周辺をあちこち散策しました。
旧市街地には旧市役所の建物など、古い時代の建物がたくさん並んでいます。
小雨が降ったりやんだりの天気でしたが、かえって古都の落ちついた雰囲気が感じられるようでした。
カペル橋はロイス川にかかる全長約200m、ヨーロッパ最長の屋根付きの木橋です。
14世紀初頭に木橋としてつくられたもので、梁にはルツェルンの守護聖人の生涯を描いた100枚余の連作板絵が
かかげられています。
1993年に放火にあって橋の半分以上が焼失しましたが翌年には復元され、今も使用できるようになっています。
もちろん人だけが渡れる橋で、橋の中ほどには小さなおみやげもの屋さんがあるのには驚きました。
カペル橋の少し下流に架かるシュプロイヤー橋も同様な橋でした。
午後からはフィールヴァルトシュテッツァ湖を遊覧してアルプナッハシュタットというところまで行き、そこから
登山電車に乗ってピラトゥス山(2132m)まで上ります。
この登山電車は最大傾斜度48%という世界一急勾配を登るラックレール式といわれる電車だそうです。
ケーブルカーではありません。もともと車両が傾斜した形につくられているので、乗っていてそれほど急勾配の感じは
しませんが、写真で見るとすごい角度で登っていることがわかります。
ピラトゥス山は尖った形の山です。「360°スイス」と現地のパンフレットにあるように天気がよければフィール
ヴァルトシュテッツァ湖やルツェルンの町が一望できるようです。しかしこの日は曇っていて全く眺望はきかず
残念な思いで下りてきました。
それでも下りのロープウェイからは湖や周辺の山々も望むことができたのがなぐさめでした。
これでスイスの旅も終わります。最後の宿泊は5っ星ホテルの“パレスホテル”でした。
ヨーロッパの格式あるシティホテルは初めてです。外観もそうですがロビーなどもクラシックな雰囲気で、ちょっと
身がまえる感じがします。いつも元気そのもの、大声で一行を案内する添乗員さんも、「ちょっとここでは大きな声を
出せないので、皆さんもう少し近くに集まってください」と、スケジュールなどを伝えていました。
さて蛇足ですがスイスの食事です。
彼らの主食はジャガイモです。私はもともとジャガイモが好きですのでどの料理もおいしくいただきました。
おもな名物料理としては、ラクレット、ミートフォンデュ、レシュティでした。
そのうちミートフォンデュは長いフォークの先に小さな肉をひとつづつ刺して油で揚げてたべるのですが、いちいち
面倒です。そこでみなさんと相談して一度に油の中に肉を入れてしまい、揚がったものから突き刺して食べる
ようにしました。
われわれ日本人は総じてせっかちですが、スイス人たちはゆっくりと食事を楽しむのかもしれません。
ラクレット
ラクレットチーズの切り口を熱で溶かし、そのチーズをナイフでそぎ落として
ゆでたジャガイモに塗って食べる郷土料理です。
ちょうどジャガバタのチーズ版ということでしょう。
ミートフォンデュ
深い鍋で油を熱し、細長いフォークの先に刺した肉を揚げて、好みのソースをつけて食べます。
似た料理にチーズフォンデュというのがあります。これはサイコロ状に切ったパンを細長いフォークの先に刺して
溶かしたチーズに付けて食べます。しかし、日本人にはチーズがだめという人がかなりいるので、
ツアーの食事ではミートフォンデュにしているそうです。
ただ、今回は少しだけチーズフォンデュも食べさせてもらいました。ミートフォンデュ同様に美味でした。
レシュティ
ポテトを細切りにして炒め、パンケーキ状にしたもので、ハッシュドポテトに似た料理です。
今回のスイス料理でいちばん気に入ったのがこのレシュティでした。
最後の方の食事に出てきたので、スイス料理になれてきていたからかもしれません。
今回の旅行は名鉄観光主催の『世界一急勾配の登山電車と3大名峰・氷河特急の旅』という、長い名前のツアーでした。
スイスは小さな国とはいっても8日間だけのかけ足ツアーではすべてを見て回ることはできません。
しかし、あこがれであったスイスアルプスの自然を味わう経験ができてよかったと思います。そして、わずかではりますが
スイスという国を肌で感じ、理解できたのかなとも思っています。
機会があればもう一度訪ねたい国『スイス』です。
今回の旅行行程
〔1日目〕セントレア→フランクフルト→ジュネーブ〔泊〕
〔2日目〕ジュネーブ→シャモニー→ツェルマット〔泊〕
〔3日目〕ツェルマット→ゴルナーグラード→ツェルマット→クラインマッターホルン→ツェルマット〔泊〕
〔4日目〕ツェルマット→アンデルマット→フルカ峠・グリムゼル峠→インターラーケン〔泊〕
〔5日目〕インターラーケン→グルント→メンリッヒエン→クライネシャイデック→ユングフラウヨッホ→インターラーケン〔泊〕
〔6日目〕インターラーケン→ルツェルン→ピラトゥス山→ルツェルン〔泊〕
〔7日目〕ルツェルン→チューリッヒ→ミュンヘン→フランクフルト→〔機中泊〕
〔8日目〕→セントレア