《Orange life Essay》  Motaのホームページ
 Orange life


Orange life 寸景

―― 1000座登頂達成 ――

 これまでに登った山の数が1000座になった。目標を立てて計画的に登ってきたわけではないが、区切りのいい1000という山に登れたらいいなあとは思っていた山の数である。
 振り返ってみると学生時代の終りころになって山が好きになり、就職してからは鈴鹿の山やアルプスの山に登っていた。結婚後もしばらくは山へ行っていたが、勤めていた会社が倒産しかかって転職し、仕事が忙しくなってからはほとんど山へ行くのをやめてしまった。再び山へ行くようになったのは定年退職してからであり、定年後も67歳まで7年ほどアルバイト的な仕事をしていたのでその間の登頂数はそれほど多くない。したがって、1000座中の700座は67歳以後の数字である。
 登った1000座の中には標高数十メートルという超低山もあるので大きなことはいえないが、めざす山へ登っていく途中にあるようなピークは登頂した山として計上していない。例えば、鹿島槍ヶ岳への登路にある布引岳、平家岳山頂手前の井岸山、先日登った黒斑山手前の槍ヶ鞘・トーミの頭などである。また、私が普段よく行く西尾茶臼山でいえばその山塊にある西茶臼山、やすらぎ峰、小茶臼、イナバ山などの小ピークは登頂数に含めていない。 これらの小ピークは登山者の申請によって山のアプリであるYAMAPやヤマレコが山として追加認定したものである。YAMAPなどは、これらを登頂数にカウントすることでユーザーの達成感を高揚しアプリ使用の拡大をねらっているのであろう。それがユーザー登山者の喜びにつながればいいことなので否定はしない。そうしたピークも加えれば私の登頂数も数百座増えることになる。しかし、それを登った山としてカウントするのをよしとしないのは60年以上山歩きをしてきた古い時代の山好き人間の意固地なところかもしれない。そもそもこれが山であるという明確な定義はないそうだ。したがって、あくまで私が山として認識した山を登頂数としてカウントしたものが1000座ということである。
 一方、世間話をする中で、これまでに800座登りましたとか900座登りましたという話をすると日本百吊山も全部登られたのでしょうねといわれることが多い。しかしながら私が登った百吊山は半分の50座に過ぎない。百吊山制覇を目指して登ってきたわけではなく、ヤマレコなどで皆さんから聞いたいい山で行きやすい山を選んで登ってきたからである。他に愛知の130山こそ全山踏破しているが、日本二百吊山は30座、ぎふ百山は57座、静岡百山は50座、といったぐあいにいずれも中途半端な実績となっているのだ。
 1000山くらいは登りたいなあと思っていたのは間違いないが、行ける範囲でいい山に登るというのが自分琉なので今さら百吊山を全部登ろうとかいう目標は持っていない。区切りの1000山に登れたので、これからは評判のいい山やもういちど行って見たいと思った山を楽しんで登りたい。加えて健康・体力維持を目的として近場の山歩きも続けていきたいと思っている。

 2024. 9.10
back



―― 車の売却 ――

 このほど友人が乗っていた車を譲り受けた。年式が4年新しい車になったので、おそらくこれがわが生涯最後の車となるであろう。友人の好意から出た話で車の購入に関しては何も問題はなかったわけだが、これまで乗っていた私の車の売却についてはそれなりの難しさを体験した。 いくらくらいで買ってもらえるのか、どこに売ればいいのか、手続き上何が必要か、などを考えなければならない。この中でいくらで売れるのかに関しては、市場価格、すなわち基本的に年式、走行距離の車の一般的買い取り価格をネットで調べればある程度見当がつき、よくて数万円であり10万円を超えることはあり得ない。手続きは業者に買い取ってもらうとすれば求められる書類等をそろえればいいだろう。一番問題なのはどこに売るのかという業者選択である。個々の業者の実態はわからないが中古車買取り業界では、声をかけると強引に買取り商談を進められそうなダーティなイメージがある。それにBM社のような問題をおこす会社もあるので心配である。
 そこでまず私の車を購入したダイハツのディーラーに買取りの相談をすることにした。結果、外観内装とも品質的には問題ないが年式と走行距離から見ての査定では『申し訳ないが1,000円』だという。ただ、オークション販売もやっている中古車買取り販売会社なら1~3万円くらいで買ってくれるところもあると思うので当たってみたらどうかというのである。やはりそうかとは思ったがいいアドバイスをもらったと受け止め、意を決して中古車販売買取り会社に声をかけることにした。 業者を調べると、その業界の大手、古くからやっている会社として、ガリバー、カーネクスト、ネクステージ、オートバックスカーズ、ビックモーター、アップル・・・。さらに最近TVコマーシャルなどでよく目にするソコカラとかMOTAなどもある。どこがいいかわからなかったのでよくなまえを聞くガリバーに電話してみた。査定受付の対応はよく、翌日にはわが家まで車を見に来てくれた。しかしながら提示された査定額は『8,490円』だという。この半端な金額はなにかとたずねると、年式と走行距離からの査定は0円で、8,490円はリサイクル料金。次の所有者に支払い義務が移るので、その金額だという。なるほどそういうことかということだが、それでもなあと思う。考えさせてくれというと、わざわざ査定に来たんだからと、この金額での売却を迫られ、粘られてしまった。もう少し検討したいからと頭を下げて何とかお引き取り願った。
 さて、気は重いがもう一社当たらなければならない。どこにしようかと改めてたくさんある業者のWebページを見る中で、『買取り査定完全無料、しつこい営業一切なし』というフレーズが目に入った。中古車買取り販売のアップルである。家から車で5分ほどのところに店舗があったので電話して行ってみた。この選択は大正解だった。査定金額は私の希望の範囲。なんといって親切で紳士的な対応が素晴らしかった。友人から譲り受ける車の所有者変更は自分でするつもりだったが、アップルが毎週軽自動車検査協会へ登録に行っているので、ついでにサービスでやりますという。初めての登録手続きで心配もあったのでお願いすることにした。実際、私が把握していなかった自賠責保険の所有者変更登録も追加でやってもらい至れり尽くせりの対応であった。
 もっと探せば数万円高く売れた業者もあったかもしれない。しかし、車の売却に当たってしつこい営業をされない、売りたい人の気持ちに添ったサービスをしてくれるということは金額では代えられないものがあると思う。 ガリバーの商談対応は普通のことであり、ガリバーがダメだということではない。売却する車や状況によってはより有利な場合もあるだろうということは付記しておきたい。


 2024. 7.12
back



―― 車の買い換え ――

 11年乗って走行距離が10万キロを超えたわが家の軽自動車を買い換えた。先日自分のホームページに『今の車は丈夫に作られていて10万キロを越えても故障せず走り続けている。しかし、さらに使用年数が増すと故障の確率も上がってくるだろう。それに13年目以降は軽自動車税と車検時に支払う自動車重量税が増額になるそうなので、今後乗り続けるとすれば年式の新しい車に買い換える必要性も出てくる。また、高齢者の事故防止のためもう運転をやめたらともいわれる歳でもあり悩ましいところだ。はて、どうしたものだろう。』と書いた。
ところが意図したわけではないが友人にその話をしたら、もしよかったら君に車を譲ってもいいがどうかというのである。現在友人は元気ではあるが病気のこともあって息子さんからもう車の運転をはやめるようにいわれているという。車は私と同じ車種で年式が4年新しい。私ももう超高齢者なので新車を購入してこの先10年も乗ることは考えにくいが友人から譲り受けるなら4・5年は乗れるのでちょうどいい。渡りに船とはこういうことでトントン拍子に話が進みこのほど友人の車を譲り受けることになったのである。
 ところで譲り受ける価格だが、友人は私に話をする前に業者に買い取りの打診をしたそうだ。そうしたら7年、3万km弱乗った車だが、A社の見積もり購入価格は25万円、B社は16万円だったそうだ。一方調べてみると中古車市場での販売価格は50万円~80万円くらいのようである。で、二人で話し合った結果、業者の買い取り価格より高く、市場販売価格より格安にという線で譲渡価格を決めたのである。双方ハッピーな線だがどちらかといえば私の方がよりハッピーな条件となり申し訳ない気もしている。
 一方、私がこれまで乗っていた車の売却についても別途報告したいと思っている。いずれにしても友人のおかげで急転直下問題が解決したのはありがたいことである。譲り受けた車をだいじに乗りながら各地の山へ出かけようと思っている。




 2024. 6.19
back



―― 11年、10万キロ ――

 2013年に購入したわが家の軽自動車の走行距離が10万キロを越えた。11年乗ったことになるので年換算では約9,000kmである。調べてみたら、通勤で毎日乗る方の場合平均で年間10,000km前後。通勤以外の方の場合は6,000km前後だそうだ。通勤利用者でない私の場合、普通の人より年間走行距離が5割くらい長いということになる。その要因は、日頃の生活は徒歩あるいは自転車でこと足りており、車を使うことはあまりないが月に3・4回山へ出かけているからだろう。遠い山の場合は1日に300~400km乗ることがあるので距離が増すのは当然のことではある。山好きの持ち主の期待に応えて高速道路をバンバン走り、悪路の林道を車体を弾ませながら走ってくれるわが軽自動車はよきバディでもあるといえよう。
 ところでふと思ったのだが、私が若い頃の車のオドメーターは5桁だった。そのため10万キロ乗れば目盛りは再びゼロになるわけで、車を売るときに走行距離が少なく見せられるといわれたものである。あるいはまた10万キロを越えてなくてもメーターを細工して走行距離を減らして売却したという話も聞いたことがある。しかし、現在の私の車のメーターはちゃんと6桁目があり、今日時点で100823kmと表示されている。昔と違って走行距離をごまかすことはできない。
 今の車は丈夫に作られていて10万キロを越えても故障せず走りづけている。しかし、さらに使用年数が増すと故障の確率も上がってくるだろう。それに13年目以降は軽自動車税と車検時に支払う自動車重量税が増額になるそうなので、今後乗り続けるとすれば年式の新しい車に買い換える必要性も出てくる。また、高齢者の事故防止のためもう運転をやめたらともいわれる歳でもあり悩ましいところである。はて、どうしたものだろう。




 2024. 5.31
back



―― スマホ忘れて道迷い??? ――

 先日岐阜県の箱岩山へ登ったが、スマホを家に忘れて出かけたため道迷いしかけてしまった。結果的には道迷いの時のセオリーである元の場所に戻って改めてルートを確認し 無事下山してきたわけだが山歩きも今やIT技術に頼り切っていることを再認識させられた。
 今ではスマホには便利な山のアプリがある。登るルートを事前に計画しスマホアプリに入れておけば、GPSによって現地で自分の位置が正確にわかる。標高は何メートルで、進む方向は合っているか表示されるので安心して歩けるのである。そしてもし道間違いをすれば『予定のルートから外れているようです。アプリを開いて確認し、間違っている場合は元の場所に引き返してください』というメッセージが流れ警告してくれるのである。
 昔はスマホも山のアプリもなかったから国土地理院の2万5千分の1の地図と方位磁針(コンパス)を持って出かけていた。登山では自分の位置確認が最も重要なことであるが、技術革新でスマホでの山のアプリを利用するスタイルに変わってしまったわけである。山のアプリを使い始めたのは2015年ころだと思うが、当時と比較すると現在は先記の道迷い警告など機能が格段に進歩し、ますますその恩恵を受けている。それだけにアプリに頼り切りによることの危惧も感じられる。今回は紙の地図は持っていたがコンパスはスマホのアプリを使うので持っていなかった。自分の現在位置特定には極めて上備である。箱岩山は1000mに満たない山でもあり元の場所に戻って確認の上で下山してきたので問題はなかった。しかし、スマホを持って行ったとしても電池切れや故障もないわけではないので、その対応も考えておかねばならないと思った。もちろんスマホを家に忘れていくというのは論外のこと。出発する時の持ち物チェックリストを作成したので大丈夫だとは思うが・・・。

 2024. 4.30
back



―― 脳画像(MRI)健康チェック ――

『高齢者の脳機能変化と認知症に関する研究』が愛知県大府市にある国立長寿医療研究センターで続けられている。その研究活動の一環で脳画像(MRI)健康チェックが行われたので受診し、このほど結果報告書が送られてきた。2015年にも脳のMRI検査と認知機能検査を受けたが9年が経過してどういう変化があるかもう一度検査を受けることになったのである。被験者はモルモットみたいなものだが、無料で脳と体の健康状態を調べてくれるというので今回も行ってきたわけである。
 今回送られてきた検査結果は・・・
◆脳のMRI判定は『B』で、精査の必要はないが加齢性の変化、軽度の白質変成がある
◆脳の健康度は、『記憶力』『実行力』『処理能力』はまずまずだが『注意力』の点数がやや低い
 『筋力』では手の力(握力)が弱く、判定は5段階の『2』
◆体組織測定では、体脂肪率=13.4  BMI=20.2 脚部筋肉量点数=96点(注:100点以上の点数もある)

 ということで、結果の数値だけを見れば前回9年前と比較してあまり変わっていないので まあよかったと思う。一つだけ自慢させてもらえるとすれば脚部筋肉量が20歳代だったということ。質の方は別として、しょっちゅう山へ登っているからであろう。



 2024. 3.20
back



―― 『山のアルバムⅫ』を作成 ――

 このほど12冊目となる山のアルバムを作成した。山へ行ってくるたびに記録として書いていて、今回の山のアルバムⅫは 2023年2月末から2024年1月初めまでの山行記録をまとめたものである。前立腺がんの治療としてホルモン療法が2023年の年初から始まり、ほぼ 1年続けられていた間の山行記録となる。
 ホルモン療法を始めて半年後の7月下旬から8月中旬まで20日間の放射線治療も受けた。放射線治療そのものは痛くもかゆくもなく1回15分程度で済むのでいいのだが頻尿症状はこの上なく、かつ出たくても尿が出ないのが苦痛であった。放射線医からは『前立腺がんでは死なないようにしましょうね』といわれ、これが終われば楽になると信じてやってもらったわけである。そんな状態ながらがんの病よりも山の病の方が勝っていたようで、治療中も山行を続けていた。山バカといわれても仕方ないかもしれない。 放射線治療も終わり、処方された薬で尿の出もよくなったので、以後は従前と変わりない山行に復帰できて助かった。結果、2023年1年間の山行は40回(日)で105座。そのうち新しい山が97座ということになった。したがって、若干期間が異なるが、この山のアルバムⅫには84座を掲載している。
 年齢も84歳となったので、これから前立腺がんがどうなるのか、あるいはほかの病になるのかもわからない。しかし、わからないことに悩んでも仕方ない。前巻を作成した時にも書いたが『80歳の壁』という和田秀樹さんの本でいう、長生きするのが大事か、残された人生が大事か、という二者のうちの後者を旨として超高齢者人生を過ごそうと思っている。  

これまでに達成した山リスト
山の区分登頂山数備 考
 愛知の130山
130
 明神山、岩古谷山、日本ヶ塚山など
 分県山ガイド・愛知県の山
62
 八嶽山、鳳来寺山、寧比曽岳など
 奥三河吊山八選
 茶臼山、宇連山、天狗棚など
 三河・遠州の超低山
59
 神石山、八形山、八剣山など
 鈴鹿セブンマウンテン
 藤原岳、釈迦ヶ岳、雨乞岳など
 鈴鹿10座
10
 御池岳、イブネ、天狗堂など
 亀山7座
 臼杵ヶ岳、四方草山、高畑山など
 阿智セブンサミット
 恵那山、高鳥屋山、蛇峠山など
 本巣七吊山
 能郷白山、雷倉、倉見、岩岳など
 山県市吊山
 舟伏山、釜ヶ谷山、相戸岳
      〔注〕山リスト区分間で重複する山がある
         山のアルバムⅫ掲載分までの総登頂数は942座

 2024. 1. 8
back



―― 私もたまにはがんになる その3 ――
《放射線治療を受ける》

 このほど前立腺がんの放射線治療を受けた。今年1月からホルモン治療を開始し、半年後に放射線治療に入ると医師から言われていて、それが予定通り実行に移されたということである。放射線治療とは、病巣に放射線を照射することで 細胞分裂に必要な遺伝子情報を傷付けることにより、がん細胞の増殖を抑えて がん細胞を死滅させる治療方法だそうだ。その手順として先にホルモン療法によって がん細胞をある程度弱らせたうえで放射線を照射してやっつけようということらしい。
 私の場合、放射線照射は20回だった。土日祝日を除いて毎日病院に通うことになるので 7月中旬から8月中旬まで 1ヵ月通院治療を受けたわけである。放射線治療そのものは毎回15分ほど。照射時間だけなら5分といったところで痛くも かゆくもない。しかし、施術回数が進むにつれて 頻尿、尿勢劣化、排尿時違和感、便回数増加といった副作用が出てくるのだ。そのため 夜間に5~7回起こされるのには閉口した。これは事前に医師から言われていた通りであり、放射線治療が終われば 徐々に回復するのでがまんせよというのである。
 こうして治療を受けたわけだが、前立腺がんの場合でもがん治療となると専門分野の医師・技師が それぞれの立場で治療に当たってくれることがわかった。治療の全般を見るのは もちろん泌尿器科医で、放射線治療方法を具体的に考え、経過を見てくれるのが放射線治療医。加えて 放射線を的確にがん細胞に照射するコンピュータプログラムを組み、実際に治療してくれるのが 放射線治療専門技師。彼らが連携して治療してくれるということなのだ。 私が受けた治療は『強度変調放射線治療:IMRT』〔写真〕というそうだ。放射線の強度を変えることで 腫瘊部分に放射線を集中的に照射するというもの。最新のコンピュータ技術で ねらった部位にのみ十分な放射線を当てることができるようになり、前立腺以外の近接臓器に悪影響を与えることが少ないという。これも医学の進歩でありがたいことである。
 何はともあれ これで放射線治療が終わったので、多少は延命できるのではないかと思う。放射線医からは『前立腺がんでは死なないようにしましょうね』と 言われた。前立腺がんの手術、放射線治療後の生存率はがんの中では高い方なので、放射線治療医としては しっかり治療してやったんだから治療責任は果たしたよ。死ぬならほかの病気で死んでくれと言っているのだろう。
 放射線治療が終わってから1週間後に泌尿器科を受診した。その時に頻尿、尿勢劣化が回復しないのだがと訴えたところ 症状を軽減する薬を処方してくれた。薬を飲みはじめたら症状は回復に向かって随分と楽になり、これ幸いと 山登りに出かけているといった状況である。とはいえこれで一件落着ということではない。以前にも述べたとおり、慢性病としてとらえて 前立腺がんと仲良く生きていくということが大切なことだと思っている。


IMRT(Intensity Modulated Radiation Therapy)

 2023. 9. 7
back



―― 新語・流行語・短縮語・SNS語 ――

 先日友人からはがきをもらった。その便りの中で 『働くパパママ川柳』の入賞作品を見たのだが、世間を風刺したこっけいな、味のある川柳ばかりで感心した。しかし、 普段耳にしたことがない言葉がたくさん使われていてとまどったという。 例えばリスキリングとかバリキャリなど、文章の前後関係から推察したり 国語辞典で調べてもわからず、家人にスマホで調べてもらいやっと理解できたという。私も83歳という高齢だがその友人も私より2歳上でスマホは持っていない。 年寄りが社会から見放されたようにも思ったというのである。その思いは友人ならずとも私とて同じようなものだ。 新聞などでは、はじめは解説をつけて書かれる新しい言葉、英語、カタカナ語、略語だが、次々新しいものが現れるので 覚えるのが追い付かない。というか、いったん覚えたつもりでもすぐ忘れてしまうのだ。
例えば、インフルエンサー(世間に大きな影響を与える人)、フォトジェニック(写真映えする)、エモい(言葉にできない感動)、 サブスク(サブスクリプション・利用期間が決まっているサービスに対し 定額料金を支払うこと)、ダイバーシティ(国籍、性別、年齢など、人間の多様性)、 ICT技術(Information and Communication Technology情報通信技術)、IoT技術(『モノ』とインターネットが繋がる技術)、 アサイン(職場で使われるビジネス用語で、『任命する』『仕事を割り当てる』)・・・。てえてえ(尊いという感情を表すインターネットスラング)、現代の若者やビジネスマンはこうしたすべての言葉を理解していないと友だち付き合いや仕事ができないのだろうか。
また、最近では小説でもいっぱい出てくる。先日読んだ桜庭一樹さんの『彼女が言わなかったすべてのこと』という本には スクショ(スクリーンショット・見ているスマホ画面を写し取ること)、フォロバ(フォローバック:フォローされたら、こちらからフォローをして返すこと)、 KWSKというような語句があった。私はスマホを使っているので大体わかるが中には意味がわからないまま 読み飛ばしている語句もある。『kwsk』はわからなかった。そのあとの文章を読んでわかったのだが『詳しくは』だそうだ。 SNSやLINEなど、目まぐるしい速さで打ち込む若い人たちにとってはスクショやKWSKと表示する方が よっぽどタイパ(時間短縮効果)がいいということなのかもしれない。桜庭さんは1971年生まれの51歳。直木賞作家でもある中堅どころの作家さんだが、このくらいの年齢の人たちも若者の仲間なのだということがわかる。
冒頭の友人ではないが、こうした語句を理解し、知っているに越したことはないが、われわれ高齢者がそれを知らなくても 生きていけないわけではない。日々の生活に困るほどではないので、わかる範囲で新語・流行語・短縮語におつきあいすれば いいのではないだろうか。決して社会から見放されたと考えなくていいと思っている。友人にはそう返信しておいた。
《働くパパママ川柳の入賞作品例》
◇パパ育休 リスキリングは 家事スキル
◇バリキャリか ゆるキャリしかない 女性像
◇家事仕事 二刀流だし 二倊速

《桜庭一樹の小説文例》
向こうも急に画面を閉じ、しばらくしてその作品らしきもののスクショを送ってきてくれた。通話に戻り、『ほんとだ そっちには存在している作品なんだね・・・』
 2023. 8. 8
back



―― トイレ詰まりを直す ――

 先月のことだがトイレつまりが起きた。自分の家を持ってから初めてのことである。わが家にトイレは2つあるので 差し迫って困ったことにはならないが早く直すに越したことはない。
 真っ先に頭に浮かぶのは水の救急110番とか、頼むとすぐ駆けつけてくれるという業者である。しかし、どうも むやみに依頼することには抵抗がある。宣伝では格安な修理費用を掲げているが実際にはどれくらいかかるのか 心配が先に立つ。
 次に思いつくのはラバーカップといわれる道具だ。棒の先に黒いゴムのお椀のような形のものがついているものである。 調べてみると1000円から3000円くらいだったがいくつか違う形状のものがあり洋式便器、和式便器などそれぞれの排水口にあったものを 使う必要がある。たぶんこれが合いそうだと買って来たものの微妙に違っていて効果がなかったら困るなあとも思われた。 悩みながらネットをさらに調べていたらペットボトルを使う方法というのを見つけた。半信半疑だったがカラのペットボトルなら 家にいくつも転がっている。費用がかかる訳ではないのでダメもとで試してみることにした。結果を先にいうと これが大正解で簡単に見事にトイレつまりが解消できたのである。トイレつまりなど めったに起きることではないが、参考のために書き残しておこうということで、その方法を以下のように したためた。

(1)ペットボトルを加工する
   といっても至極簡単。使うのは500~525mlのペットボトルで、カッターナイフなどで底の部分から3cm
   くらい上で切り落とす〔写真左〕
(2)キャップは付けたまま、便器の中の水中で排水口の方へ勢いよく押したり引いたりを繰り返す〔写真右〕
   作業はただそれだけ ※便器内の水が減ってきたらバケツなどで水を注ぎ足す

(3)しばらく押したり引いたりの作業を続けると『ゴボゴボ』というような音が聞こえてくる。
   そうなれば作業は大成功。やがて水が自然に吸い込まれていくようになる

 要するに、便器内、あるいはその先の排水管内にトイレットペーパーなどが詰まっているというのが一般的な原因なので、ペットボトルでのピストン運動で つまりものが管の中で水とともに前後に動き、少しずつつまりが解消していくということである。単に水を流しただけでは つまり物が動くまでには至らない。それを前後に動かしてやることによって 開通するということである。
 今回はこの方法によるトイレつまり解決の1事例にすぎないが、ネット上にもいくつか載っていることを考えれば それなりに有効な対処方法といえる。何しろただでできるのだから もしうまくいかなかったとしても、次の方法で対処すれば いいということである。
 そんなこんなでトイレつまりは解消し、現時点に至るもトイレは正常に稼働できている。

 2023. 6.14
back



―― 趣味としての読書 ――

 趣味は? と問われると、山登り、旅行、読書 と答えている。その中の読書だが、これまでに読んだ本が2000冊になった。といっても自慢しているわけではない。大学の時の友人は、もっと若いころに5000冊読んだといっていたし、上には上がいるわけで、読んだ本の数を競っているのではなく、多ければいいというものでもない。あくまで楽しみに本を読んでいるだけである。 読んだ本は記録に残している。それを集計したら2000冊になったが、記録する目的は以前読んだ本を重複して読んでしまうのを防ぐためである。同じ本を繰り返して読む人もいると思うが、私は新しもの好きなので常に新しい本を読むようにしているからである。
これまでに読んだ本を調べてみたら、会社に勤めていたころは小説・エッセイが43%でビジネス関係の本が35%だった。それに対して定年後は小説・エッセイが92%となっている。これは当然の成り行きであるが、高校時代からじっくり読書をしたいと思っていたというに伏線がある。『ゆく河の流れは絶えずして・・・』が 鴨長明の方丈記であるとかいうことを暗記しなければならないような受験勉強ではなく、本は本として読みたいということだった。
記念すべき(?)2000冊目は青山文平さんの『やっと訪れた春に』だった。あまり時代小説は読むほうではないが、これはなかなか面白い小説だった。読んだ本の記録の事例をこの小説の場合で記すと次のとおりである。
『藩の事情で本家と分家から交代で藩主を勤めてきたこともあって長沢と団藤の二人が近習目付を勤めてきた。次の藩主の急逝で藩主が本家に固定されることになり近習も一人で何とかなるめどがついた。長沢が先に職を辞し、団藤も致仕(退職)願を出したのだが 藩の重鎮が暗殺される事態が発生。隠居の身ながら長沢は暗殺者の探索を始めるが・・・。およそ100年前の粛清事件の流れを汲んだ長沢と団藤だったが、もう一人存在が定かでない者がいるかもしれないことがわかってくる。藩の事情や長沢と団藤の信頼関係。武士の身の処し方、考え方、武家の日々の生活なども描かれて興味深い。ストーリー作りが難しい時代物ミステリーにあって、なかなか面白く書かれた小説として評価できる』。
 記録として特にほめられるようなものではないが、このように書いておけば、年を経ても概略どんな本だったかわかるということである。これからもこうした記録を残しながら、せっせと読書を続けようと思う。

 2023. 1. 8
back



―― 山の写真集『山景選集Ⅱ』をつくる ――

 もう2年半前になるが各地の山に登って撮った写真を集めて『山景選集Ⅰ』を作った。 登山を始めて60年、80歳になった節目にということで、それまでに撮った写真の中から特に気に入ったショット100点を 小冊子にまとめたものである。
 山へ行ってきた記録は『山行記』を作成してホームページに掲載し、Web上で YAMAPやヤマレコにもアップして山仲間と情報交換をしている。 さらに『山のアルバム』として冊子にもまとめていて、すでに10冊になった。これは山行行程の時間と地図、写真、 山の状況・印象などを紙ベースで残す記録である。時々出してきて歩いてきた山のことを思い出したり、 次に行く山を計画するときの参考にしている。それはいいのだがスペースの関係で掲載する写真が小さくなり、 せっかくの山の景色に迫力がないというのが欠点。そこで考えたのが『山景選集』で、写真を主役とし見ただけで 楽しめる山の記録として作成した。
 前作から2年余りが経過し、撮りだめた写真も膨大な数になったので『山景選集Ⅱ』を作ろうと思ったわけである。 それに年が明ければ83歳という高齢になるし、前立腺がんも抱えているためこのあとアルプスなどへは行きづらくなり、 いい写真が撮れる機会が少なくなるとも考えたからである。今回写真集に掲載したのは、2019年以降 2022年秋まに登った約250座の山で撮った写真から選択した101点。 前作では約600座の中から掲載する写真を選んでいるので、今回の方がやや質が劣る写真も入っているかもしれない。 それでも現地に行って見た山の景色に心を引きつけられて撮影してきた写真なので思い出もあるし、それなりに魅力がある 写真だと自賛している。近い将来山へ行けなくなった時、引っ張り出してきて写真集を広げ、 登った時のことを思い出してみるのもいいのではないだろうかと思っているわけだ。 別途『山景選集・海外編』も昨年作成したのであわせて3冊が私の山の記録写真集ということになる。 このあと『山景選集Ⅲ』をと望むのは無理かもしれない。しかし、山へ行ける限りは、 現地で感動を得るとともに思い出となるいい写真を撮ってきたいと思っている。

 2022.12.22
back



―― 私もたまにはがんになる その2 ――

 前回診察を受けてから5ヶ月、マーカーのPSA値が上がり 私の前立腺がんはすくすく成長しているようだ。そこで決心して1泊2日の入院で生検をしてもらうことになった。脚本家の三谷幸喜さんもしたという チャッカマンそっくりの機械バイオプシーガン(超音波探触子・プローブ)をおしりから入れて前立腺の組織を採取するというものである。聞いただけでも恐ろしくなる生検なので 一大決心ともいえる。
 午前11時過ぎに入院して説明を受け 止血剤が入った電解質と検査後の前立腺炎症防止抗生剤の点滴、検査前に痛み止めの注射をする。そして 直前に浣腸をしたあと車いすに乗せられて生検に行くという手順だ。検査室では 床屋の椅子に似た検査台に座らされる。この椅子は乗せた足が自動で7・80度左右に開くようになっている。あられもない姿で恥ずかしいが。これは 例の超音波探触子(プローブ)をおしりから挿入するためである。やがて医師がきて『作業』開始。カーテンが掛けられて 機械も先生も見えないが、針を刺す肛門から直腸を消毒、すぐにガンが挿入される。その挿入感はそれほどつらいものではない。 『これから組織を取る針を刺しますよ』と先生。私の場合高齢であること、MRIで左側にかげがあるということで 左側に5本、右側に2本打つという。通常6本~12本というから負担が軽いということである。針を打つ時 ちょっと痛みがあるが普通の注射よりも痛さは少ない感じだった。それでもあと4本、あと3本と頭で数えながら 早く終わってほしいという思うのは人情である。そして採取終了。取った組織を見せてくれた。保存液に浸けられた小瓶の中にあったのは 直径0.5mm、長さ2cmくらいの半透明で白っぽいひも状のものだった。見る限りではきれいではないか。これなら がん細胞が含まれていないかも、という淡い希望的な思いもするのであった。この間10分ほどで思ったよりも短時間ですんだ。
 その後は病室に戻って1時間は絶対安静。トイレも行ってはいけないという。午後8時までという点滴は着けたままだが ようやく解放されてトイレへ行く。おっとー、聞いていたが血尿が出る。それに下血も。一般に血尿は10~20%出るそうで 肛門からの出血は程度の差はあれ必ずあるという。まあ直腸の壁を貫いて針を刺すのだから 血が出るのは当然だろう。心配した血尿と肛門出血だが2回目以降は出なかったので安心した。
 そして翌朝、尿検査と血液検査で異常なしということで10時前に無事解放されて帰宅したというのが 今回の検査入院であった。ちなみに費用は2割負担で約25,000円。
 生検の結果と今後の対処については2週間後ということになった。これまでのPSA検査やMRI検査の結果から見ると 生検結果ががんでないという確率は低いと思っている。当然それは受け入れ、QOLを確保するための治療に入るということだろう。 三谷幸喜さんが言っているように、がんを慢性疾患にすること。すなわち、定期的に検査をし、必要に応じてがん細胞の増殖を抑制する治療を行い がんと共生しながら寿命を全うすることである。
 たった2日ながら医師や看護師・スタッフさんに感謝の入院だったが、病院の中で限りない生活を送るというのだけは避けたいという思いが強くなった。大学の同期生の3分の1は すでにあちらの世界に旅立っている。近い将来死を受け入れることに背理はできないが、治療しながらもう少しの間、できる範囲で 山登りや読書が続けられればありがたいと思っている。

(※)超音波探触子(プローブ):画像で前立腺の状態をみながら生検を行うための超音波画像装置

 2022.12. 7
back


―― 私もたまにはがんになる ――

 後期高齢者に仲間入りしたらあとは人生の余白。それをどう埋めようかと考え、山登りと旅行と読書の3つにしようと決めてこれまで過ごしてきた。それに必要な条件は健康とお金と自由な時間。仕事はしていないので時間は自由になる。お金は小遣いを合理的に使うことにすれば何とかなると考えた。
 それはよかったのだが、2年前の健康診断で前立腺がんが疑われ 検査の結果経過観察(監視療法)ということになった。そして1年後のMRI検査でがんの影が明確になったがまだ初期の状態なので経過観察継続を継続するという診断。しかし今回7月の3回目となるMRI検査でがんの存在がより鮮明になったので治療すべき段階に来ているというのが医師の見立てである。
 すでに高齢のため手術は対象外となる。一般的に前立腺がんの進行は遅いそうで、75歳以上の人はメリット・ディメリットを考えると手術はせず、ホルモン療法、あるいは放射線療法で細胞の増殖を抑制する治療になるという。ただ、治療を開始する前に1泊2日の入院で生検を受けなければならない。それが現時点でなかなか踏ん切りがつかず少しだけ先に延ばしてもらっている。
前立腺がんに関してはネットで調べたりしているが、昨年、脚本家、演出家で映画監督でもある三谷幸喜さんが『ボクもたまにはがんになる』という本を出した。主治医・頴川先生とのユーモラスながらマジメで明るい対談集で、三谷さんは、『前立腺がんって実は、まったく怖くない、恐れること無かれということをこの本を通じてと伝えたかった』という。
 私の場合、今日まで先延ばしにしているのだが、がんが成長して骨にでも転移するとかなりつらいことになる。さてどうするか。三谷さんによると生検では、『チャッカマンそっくり』の機械(バイオプシーガン)を肛門から入れて前立腺の組織を採取するそうだ。想像するだに恐ろしい話ではある。それでもここは決心のしどころだろう。数か月のうちには生検を受け、実際の治療に入ろうと思う。そしてこれも受け売りだが、前立腺がん治療のめざすところは、がんを慢性疾患にすること。すなわち、手術をした場合もしなかった場合もケアが大事で、定期的に検査をし、必要に応じてがん細胞の増殖を抑制する治療を行い がんと共生しながら寿命を全うすることだという。
 治療に入るとこれまで続けてきた山登りにも制約が出てくることになり、日常生活の態様も必然的に変わらざるを得ない。それでもできる範囲で山登りと旅行と読書の3つで残り少なくなった人生の余白を埋めていくのがいいだろうというのが結論である。

 2022. 8. 1
back



―― マイナンバーカードを取得 ――

 国が進めているマイナンバー制度にはメリットが感じられず 手続きをしてこなかったわけだが、一転 このほどマイナンバーカードを取得した。
 総務省がいうところのマイナンバーカードのメリットは、本人確認書類になる、各種証明がコンビニで取得できる、 健康保険証として使える、民間のオンライン取引に使える、というようなことである。しかし、本人確認は免許証やパスポートがあり、 この年になって住民票も印鑑証明も取得する必要性はほとんどないし、健康保険証は常に持ち歩いているので ダブって所持しても意味がないのである。 特別必要に迫られないカードなので若い人たちはどうなのかと思い、年末に帰省した娘に聞いてみたら 家族4人みんな取得したよ、という。マイナポイントがもらえるからね、と現金なものであった。
 その後 先月のことだが、マイナンバーカードをまだ持っていない75歳以上の方へということで 交付申請書が送られてきた。申請書は書かなければいけないし、顔写真も撮らなければいけないことは 知っていたのだが、読んでみると電子申請もできるし写真はデジカメ写真でもいいと書いてあった。 それなら簡単かもと思い、娘ではないがマイナポイントももらえるならやってみようということにしたのである。 スマホで顔写真を撮り、パソコンで電子申請にかかった時間は20分ほどだった。 そしてこのほどマイナンバーカードを入手。引き続きマイナポイントの申請をし、すでにその一部ポイントが還元されたのである。 メリットがないとこれまで抵抗していたのにあっさり翻意してしまい意志薄弱をそしられるかもしれない。
 ただ、私にとってそれ以外のメリットがほとんどないことに変わりはない。 直近の普及率が43%と聞いたマイナンバー制度は、お題目である国民の利便性の向上よりも行政の効率化、社会保障、税、災害対策の分野で 効率的な情報を管理というお役所のためのもの。百歩譲って業務の効率化と公平・公正な社会の実現のための 社会基盤づくりにせいぜい活用してもらいたいものだと思っている。

 2022. 4.18
back



―― 2022年 新しい年を迎えて ――

 年が明けるたびに毎年言っているが1年過ぎるのが早い。1月8日生まれなので正月が明けるとすぐ82歳ということになる。
毎日を漫然と送るなかで先日感慨深いことがあった。世間様では普通のことではあるが、年末にわが家に来てくれた孫娘と一緒にお酒を飲むことができたのである。ついこの間生まれたと思っていたのに昨年成人式、今はもう堂々とお酒も飲める21歳になったわけである。わが家は息子も娘も下戸なので私の晩酌に付き合ってくれたことは全くない。それが一世代飛んでようやく孫娘とビールが飲めたのである。きわめて個人的なことながらこの喜びはジジイの長年の希望がかなえられた格別な感覚だったのである。
 さて、1年を振り返ってみると、世間様同様に新型コロナウイルスの影響は大きかった。昨年前半は趣味の登山も近場の山のみ、旅行にも行けないので家にこもっての読書しかない状態であった。ただ、後半になって少し落ち着きが出てきて遠方の高い山へも行く機会が増えてよっかったと思っている。今年もそんな状況が続くといいのだが。 〔2021年 読書数:59冊、 登山山行日数:42日、登頂数:100山〕
 一方、一昨年の健康診断で前立腺がんが疑われて1年間の執行猶予。昨年夏のMRI検査の結果では影が現れているが半年間経過観察しようという医師の診断を受けている。まあ、考えてみれば平均寿命は過ぎているのでいつあの世とやらへ行ってもおかしくない年齢ではある。 そこで、われわれのような高齢者が何歳で亡くなっているのか調べてみた。新聞に掲載される死亡記事を数か月間拾って亡くなった年齢の平均を出してみたのだ。集計したのは70歳以上で亡くなった男性。新聞に載るくらいだから有吊な人の死亡年齢である。結果、約50件を平均したところ86歳であった。 もし自分もそれだけ生きられたとすればそれはそれでいいのかもしれないと思った。動けなくなったり認知症になって物事の判断もできなくなるまで永らえるのは本望ではない。自分の病気の状況も受け入れたうえで動けるうちは山歩きして健康と体力維持に努めようと思う。

 2022. 1. 1
back



―― 山景選集〔海外編〕をまとめる ――

 登山を始めて60年にして山行歴30年、80歳になったのを機に昨年『山景選集Ⅰ』を小冊子にまとめた。
これまでに撮りだめた山の写真の中から気に入ったショットを選んだ写真集で、まずは1964年から2019年9月初めまでの山行写真第Ⅰ集である。
このあとも山行は続けるつもりなのでいい写真がまとまれば『山景選集Ⅱ』を作りたいと思っている。だが感動的な気に入った山の写真はそうそう撮れるものではない。 そう考えたとき、海外旅行で撮った山の写真の中に気に入ったものもそこそこあることに気づき、まとめてみようという気になった。ただ海外の場合は観光が主体であり 登山目的で行っているわけではない。実際に登ったというのはごく少ないが、海外に行って見てきた山ということで割り切ることにした。
 もう1年になるが新型コロナウイルスの感染が拡大し、海外旅行には行けなくなってしまった。このあとも行けるかどうかめどが立たないので これまでの海外旅行で撮ってきた写真で一区切りとして1冊にまとめることにした。今回も撮りだめた写真の中から約100点を選定した写真集である。 カナダ、スイス、ネパールは、それぞれロッキー山脈、ヨーロッパアルプス、ヒマラヤ・アンナプルナ山脈といった本格的な山の宝庫である。その現地に行って迫力のある山を実際に見て写真に撮ってきたので それなりにいい写真もあると思っている。 そのほかこの『山景選集〔海外編〕』にはトルコ、ペルー、中国、クロアチア、モロッコ、ハワイ、スリランカの山も加えている。 ハイキングしてきた山や車窓から見ただけの山が含まれるが気に入ったいい景色の写真に変わりはないということで選定し掲載した。 とはいえ『山景選集〔海外編〕』もまた自己満足以外の何物でもない。それでも日本とはまた違った雰囲気の山で印象に残っている山の写真が多く ときどき引っ張りだしてきて眺めて楽しむのにいい写真集になったと思っている。

 2021. 1.31
back



―― この1年(2020年)を振り返って ――

 2020年1月に80歳となったこの1年はこれまでになく早く過ぎてしまったような感じだ。
 まずは正月早々に白内障の手術。日帰り手術が多くなっているなかで、かかった病院の眼科では慎重を期すのであろう片目ずつ 1泊2日での入院手術だった。おかげで本や新聞の読みづらさがなくなった。また遠くのものも0.7程度の視力になったので 安全のため車の運転には眼鏡をかけるが日常生活では眼鏡から解放されて楽になった。高校生時代以来62年ぶりのことである。
 しかし私だけのことではないが新型コロナウイルスの感染拡大で生活に影響が出ているのには困ったものだ。 友人と計画していた海外旅行は中止だしこのあとも行けるかどうかはわからない。
趣味の登山も同じだ。山小屋は休業や宿泊制限があるし、遠出がはばかられるので未踏の高い山への計画も中止となってしまった。 それでも近場の山へは登っていたが行けたのはせいぜい2000m程度までの山に限られた。 山に入ったのは1年で34日(回)。登った山の数は全部で74座だが 緊急事態宣言が出ていた時期もあったので2回目・3回目となる県内の山が18座も含まれている。
 勢い家の中で過ごす時間が持てるということで読んだ本は53冊。週に1冊ペースが維持されたといえよう。 といっても読んでいるのは小難しい本ではなくエンタメ本ばかり。この年齢になると理屈っぽい本は敬遠したいのだ。 読んだ本の中では『グッドバイ』朝井まかて著(2019.11刊)、『ロゴスの市』乙川優三郎(2015.11刊)、『旅のつばくろ』沢木耕太郎(2020.4刊)、 『ある男』平野啓一郎(2018.9刊)などがよかったと思う。
 それはともかく新たな今年1年、何をするにしても早く新型コロナが終息してくれることを願うばかりだ。 年が明けて81歳、昨年の健康診断では異常な数値の項目が増え悪化もしている。MRI検査で前立腺がんの発生がうかがわれるが 1年の執行猶予だといわれた。進行は遅いといわれる前立腺がんで死ぬか、突発的なほかの病気で死ぬのが早いか、 はたまたコロナでころっとということもある。まあ生殖能力を失ったじじいは使用済み核燃料と同じでじゃまでこそすれ このあと生産的なことは何もできないわけだから世間からはいつ逝っても惜しまれることはない。 かといって今はまだ体が動くので、今年1年、山登りや読書、できれば旅行もしたいものだと思っている。

 2021. 1. 1
back



―― 真夏のウォーキング ――

 長かった梅雨が明け今年も酷暑の夏がやってきた。ここ数年は天候上順の夏ばかりだったので高い山へ 遠征できなかった。ところが今年は晴れの日が連続する。ならばアルプスへ行けばいいわけだが新型コロナ ウイルスの感染拡大で県をまたぐ移動がはばかられるというのは皮肉なめぐりあわせである。
 そんな中、毎日35℃越、昼を過ぎた時間のウォーキングは人体耐熱試験をやっているようなものだ。 しかし、私の場合はもの好きというのではなく暑かろうが雨が降ろうがウォーキングが欠かせないのである。 体を鍛えるためではなく血糖値をコントロールするために朝昼晩と食後のウォーキングをしなければならないのだ。
 直近5年のHbA1Cは6.8, 6.9, 7.0, 7.0そして今年は6.9だった。ある面おおらかな主治医は血糖値は高めだが安定して いるので今の生活スタイルでいいといい薬は出してくれないのである。いいかえれば毎食後のウォーキングが薬の代わり ということなのだ。
 そのため寒かろうが暑かろうがとにかく歩かなければならない。そこでこの夏は冷感タオルを帽子の下に かぶる方法で酷暑のウォーキングをしている。ここに至る前に日傘を差して歩いてみたが直射日光を避けられる もののそれ以上に地面からの照り返しの暑さの方が強くて効果としては今一つ。次善の策として冷感タオルを首に 巻いたりいろいろ試した結果帽子の下にかぶる方法にたどり着いたというわけだ。直射日光をまともに受ける はげた頭頂部は冷感タオルで防ぎながら気化熱で冷却されるし、耳の下まで冷感タオルがカバーしてくれるので首と 頸動脈の冷却効果は抜群。
 そんなことで朝は家の掃除のあと15分、昼食後30~40分、夕食後風呂に入る前20分というウォーキングが 私の日課となっている。それはいいとして早くコロナが収まってほしい。高い山へ遠征をしたいというのが私の 切なる願いである。      

 2020. 8.15
back



―― 山の写真集『山景選集』をつくる ――

 登山を始めて60年にして山行歴30年余、80歳になったがまだ登山を続けている。 健康づくり・体力維持を兼ねた趣味である。
 だが、山歩きがいいのは山に登っている時だけではない。 計画するのも帰ってきてから記録をまとめる時間もいい。 山へ行ってきた記録は『山行記』を書いてホームページに掲載する。また、山好きの人たちのSNSである YAMAPやヤマレコにもアップして山仲間と情報交換をしている。さらに『山のアルバム』としてB5サイズ 約50ページの冊子にもまとめる。 山行行程の時間と地図、写真、山の状況・印象などで構成されているものである。 この『山のアルバム』はすでに8冊になり、時々出してきて歩いてきた山の ことを思い出したり、次に行く山を計画するときの参考にしている。 それはいいのだがスペースの関係で掲載する写真が小さくなり、せっかくの山景色に迫力がないというのが 欠点である。
 そこで、これまで山に登って感動した景色のワンショット、思いどおりの構図・色彩・動きを撮ることができたと 思われる写真を選んで写真集を作ってみようと考えたわけである。山で撮った写真はパソコンやUSBに 取り込んであり、必要なときに検索して見ることはできる。しかし、パソコンの画面上ではなくプリントされた 写真をいつでも見られるというのは別の良さがあると思ったわけである。
 ということでまずは約100点の山の写真を選び『山景選集Ⅰ』としてまとめてみた。今回は1964年から 2019年9月初めまでの写真を集めたもの。これからも山行は続けるつもりなのでいい写真がまとまれば 『山景選集Ⅱ』を作りたいと思う。できれば海外の山も加えてみたいものだ。海外の場合は登山目的で行った わけではないのであくまで見てきた山ということになる。それでも日本とはまた違った雰囲気で強く印象に 残っている山も多いのでそれもまたありかなと思っている。

 2020. 7.26
back



―― ダニに噛まれる ――

 山でダニに噛まれた。周知のとおりマダニはツツガムシと同様噛まれると感染症を発症する可能性がある。 『マダニ感染症』は治療薬がなく致死率が高い恐ろしいものである。
 ダニに噛みつかれているのを知ったのは家に帰り夕食後風呂に入ったときだ。湯船に浸かり山歩きの心地よい 疲れをいやしながらふと右足を見ると何か黒いものがついている。よく見るとでっかいダニではないか。 痛くもかゆくもなかったので全く気が付かなかったのだ。
 友人がやはり山でダニに噛まれ、数日して家人が気付いて医者へ行きメスを入れて取ってもらったという話は 聞いていた。ダニは鋏角と呼ばれる針状のもので皮膚を切開し、口下片という突起物を差し込んで血を吸うという。 食いついたダニをへたに引っ張りはがすと鋏角などが皮膚内の残ってしまい炎症を起こすようだ。そのため皮膚科 の医者に処置してもらうのが一番ではある。しかしすでに医者はやっていない時間なのでどうしようかと考えた。
 まずはダニを風呂の中に浸けておけば苦しくなってはがれるのではないかと思ったが3分ほど浸けていたが効果なし。 やむをえずダニ勲章を脚につけたまま風呂を上がる。殺虫剤をかけて殺してしまうことも考えたがダニをはがす という観点からすると無意味だ。そこでネットで調べてみることにした。わかったことは、感染症の病原体は すぐに人体へ侵入しないのでできるだけ早く除去すること。食いつかれて時間がたつと分泌物質によって口器が 皮膚へ強固に固着するという。そこで除去の仕方だが、これも調べてみると決定的な方法はないがピンセットで ダニをつかみ裏返したり横方向に繰り返しひねったりして取ったというのが一般的のようである。また塩をかけて効果が あったというのであわせてやってみた。塩をふりかけ水滴を垂らすことによって濃い塩水につけるという方法である。 これがきいたかどうかはわからないが3分ほどピンセットで優しくひねくり回していたらポロっととれたのである。 まずはよかったーと一安心。
 ひとまず成功ということだが問題は感染症。調べてみると私に取り付いたのは体調約8mmの『タカサゴキララマダニ』。 SFTS(重症熱性血小板減少症候群)ウイルスを媒介するやつだった。昨今の新型コロナウイルスと同様、 現時点での治療薬はない。潜伏期間は6日~2週間だそうだ。マダニ類がすべてこのウイルスを持っているという ことはなく、これまでに三重県・京都府・福井県・石川県以西の大半の府県で症例が報告されているという。 私がダニに噛まれたのは愛知県なのでたぶん大丈夫だとは思ったが症例の地域が拡大しているというので安全の 確証はない。 2週間が経過、結果的に大丈夫だった。この間上安を抱えていたが何事もなかったので無罪放免ということである。
 何はともあれダニに噛まれないことが第一だ。私がダニに取り付かれたのは湖西連峰の金山(423m)のふもとで、 桜の園というところから近道をしようと草ヤブに入ったときだろう。草ヤブの道が上明瞭になったためすぐ 引き返したがこのときが一番怪しい。もちろん長ズボンに長袖シャツだったが、ダニ対策としては靴下の中に ズボンのすそを入れた方がいいという。ズボンの上から食いついている写真も見たのでタイツなど薄いものでは 効果がないかもしれない。
とにかくこれからは山に入るときはダニに用心を心掛けたいと思う。

 2020. 6.30
back



―― 初めてのサングラスをゲット ――

 初めてサングラスを購入した。 今年1月に白内障の手術をしたら世の中が一変したように明るくなった。 おかげで高校3年のころからお世話になっていたメガネ生活から解放され メガネなしの毎日は快適になった。 だが、冬の間は良かったのだが5月ともなると太陽がまぶしく感じられるようになった。 黄変した水晶体サングラスを手術で除去してしまったからである。 山に行ったりするとき、これまでは紫外線対策で眼鏡の上からかぶせるクリップオンタイプのサングラスを 使っていた。 しかし、手術のおかげで眼鏡がいらなくなったので、普通のサングラスを買うことにしたわけである。
 そこでサングラスを調べてみることにしたわけだが、ネットで見ただけでもその種類の多さには驚いた。 しかもおしゃれ向けのはけっこう高額なのだ。ブランドものということもあるが 頭の禿げた80歳のジジイにはもったいないし、第一似合うはずもない。 冷静に考えると、私にとってサングラスの用途は日々のウォーキングと登山である。デザインよりも実用的に 考えるべきだということに気が付いた。 そして近くのホームセンターで Colemanの紫外線カット、偏光レンズのスポーツ用サングラスを見つけた。価格は税込みで3,278円。 買えない値段ではないがその前にネットで見てみようということで調べたところ同じものが税込み・配送無料で 1,990円であった。 ホームセンターさんにはまことに申し訳ないがネット通販で買わせてもらうことにしたわけである。
 余談だが、ネットのカスタマーレビューを見ると私と同様、白内障手術をした本人が買っていたり、 おやじに買ってやって喜ばれたとかいうのもあった。
 初めてのサングラス。 はたして実際の使い勝手はいかがであろうか。また、似合っているかどうかということもわからない新体験である。

 2020. 5.31
back



―― 脳画像健康チェックの結果 ――

 2ヵ月ほど前にMRIによる脳画像健康チェックを受けた結果が送られてきた。4年前にも受けたが、 その後の変化を調べたいという国立長寿医療研究センターが無料で実施してくれたものである。 検査は脳画像の撮影・読影と認知機能テストだった。
 受診ではMRIは文字通りまな板の鯉状態で任せるしかない。一方認知機能検査の方ではなかなか答えられず 冷や汗をかいたため、結果がみじめなものになるのではないかと心配していたのである。そのため結果の封筒を 開けるときは、学校で先生からわたされる通信簿をそっと開いてみるのと同じドキドキする心境であった。
 その結果だが、MRIの画像判定は〔B〕、認知機能は〔★★★〕だったのでまあまあということである。 コメントとしては『あなたは、同年代と比べて認知機能(脳の全般的な能力)の健康度がよく保たれている状態です。 今の状態を維持できるよう、よい生活習慣を続けてください』とあった。
 ただ、脳のMRI診断では特に異常がないA判定ではなくB判定。〔加齢性変化あるいは精査上要な所見を認めます〕 ということで、わずかにしろ異常があるということだ。前回は委縮度は0.40。脳全体の委縮は2.08%という 定量的数値で示されていたが今回はそれがない。あまり明確に数値を示すとかえって心配させるという思いやり なのであろうか。いずれにしても脳の老化は進んでいるとみるべきだろう。片や認知機能検査の結果では注意力と いう項目が〔5〕ではなく〔4〕だった。私の場合、何ごとにもめんどくさなってきた自覚があり、目的に意識を 向ける能力が衰えてきているようだ。〔まあいいか〕と思うことが多い日常だが、そのうち生きていることにも まあいいかとなる日が来るかもしれない。
 ということで、この結果をよいことと理解してこれまでの生活スタイルを続けようと思う。次回の脳の健康度に 保証はないが。


 2020. 3.31
back



―― メガネをやめてメガネを購入 ――

 矛盾したことをいっているようだが『メガネをやめて新しいメガネを購入』した。すなわち毎日の生活では メガネのお世話になるのをやめ、車を運転するとき用に新しいメガネを買ったということである。
 これまで高校3年生の時からなので62年間メガネ生活をしてきた。それが、今回白内障手術によって よく見えるようになり日常生活ではメガネが上要になったのだ。白内障の手術で装着する眼内レンズの 焦点を30cm~40cmにしてもらった。本を読んだりスマホやパソコンを使ったりするのに具合が いいようにということである。ところが手術によって水晶体の濁りがなくなり明るくなったため遠くの方も そこそこ見えるようになった。両眼裸眼の状態で0.7くらいの視力に回復したのである。裸眼でも運転免許 が取れる視力になったわけでメガネなしでも普段の生活に全く支障はない。ありがたいことである。ただし、 車の運転には安全性確保の意味から眼鏡をかけた方がいい。これまで使っていたメガネでは強すぎて度が合わ ないのであたらにメガネを調達することにした。
 ということで、病院の眼科で新調するメガネの処方箋を書いてもらった。それを持ってメガネ屋へ行った のだが戸惑うことが起きた。私のメガネを見て「なぜガラスのレンズを使っているのですか?《といわれたのだ。 ガラスレンズでも作れるがほとんどはプラスチックレンズだというのである。もちろんプラスチックレンズが あることは知っていたが、好みによってガラスレンズを選ぶ人が半分くらいいるのだろうと思っていたのである。 ところが家に帰ってネットで調べてみたら今では95%がプラスチックレンズだそうだ。ガラスレンズに する人は、例えば強度の近視でプラスチックレンズだといわゆる金魚鉢の底のように分厚くなってしまう からである。
 この話を友人にしたら笑われた。今どきガラスレンズかプラスチックレンズか迷うなんてどうかしている。 まさに『化石人間』だね、といわれてしまった。ただ、ガラスレンズは汚れたらハンカチで拭いても問題ないが、 プラスチックレンズは傷つきやすいのでそれはだめだそうだ。またプラスチックレンズの寿命は2~3年、 メガネの平均使用年数は4.3年だそうだ。私はこれまで8年から10年使ってきたのでいかがなものかと 娘にも聞いてみた。すると、昔は高価なメガネを長年使うというのが普通だったかもしれないけど、今ではメガネ を楽しむという意味も含めて、お値打ちなものでいいから数年使って買いかえたらいいんじゃないの、 ということだった。それでも結構長持ちするよという。特に私のように運転の時だけ使うなら全く問題は ないということだ。
 メガネ屋に再度出かけた。プラスチックレンズも年々進化して超薄型、非球面レンズ、防傷になっているそうだ。 あとはデザインだけ。気に入ったフレームを求め、結局K店、I店、A店、Z店などメガネ屋さんを6つもはしごし たすえA店で購入を決めた。メガネの品ぞろえが半端ではない。数千種類店頭展示されていたのだ。他人が どう思うかは別にしてその中から自分で気に入ったメガネに決めたということである。
 メガネをやめて約2ヵ月。メガネをつけたり外したりするわずらわしさから解放されて日常生活は快適に なった。時々メガネをかけずに車に乗り、あわててメガネを探すという失敗もあるが、メガネをかければ以前 よりずっとよく見えるので夜間の安全運転にもつながることは間違いなさそうだ。このあと認知症の問題は 残ったままではあるが。


 2020. 2.27
back



―― 脳画像(MRI)健康チェック ――

 MRIによる『脳画像健康チェック』を受けてきた。脳は加齢とともに委縮するが、その萎縮の程度は様々な 要因で個人差があるそうだ。実は4年前に一度脳のMRI検査をしてもらっていて、その後の変化を調べたいと いうのである。実施者は国立長寿医療研究センターで無料で脳のMRIをやってくれるという。 まあ、受験者は人間モルモットみたいなものであるが、その目的を難しくいうと『高齢者の身体・知的・ 社会活動参加による脳萎縮と認知症発症に関する縦断疫学研究』というものだそうだ。
 今回が2回目なので慣れているとまではいえないが要領は同じで上安はない。測定時に大きな音が するというので耳栓をして台車ベッドに仰向けに横たわると顔を覆うように剣道の面を半円筒形にした ようなものをかぶせられる。頭部を動かないように固定するためだ。そのあと暗いMRIの中にベッドごと 入っていくのだが、ふと火葬炉に引き込まれていくような連想が頭をよぎった。あわててその思いを 振り切ったが、いやはやクワバラクワバラである。  MRI撮影が始まると、『ビー、ビー、ビー・・・』、『ガン、ガン、ガン、・・・』とか間をおいて 3種類の測定撮影音が聞こえる。 撮影の切り口が3種類(3方向)あるのだろうか。午後2時ころだったこともあるが闇の中で単純な音の 繰り返しを聞いていると眠くなってしまった。この間15分くらいだったが気持ちのいい時間を過ごした 感じがする。
 このMRIのほかに日常生活に関するアンケートと認知機能テストも受けてきた。アンケートは研究者の 女性と一対一で質問に答える形式だった。週にどのくらい外出しているかとか、この1年で転んだことは あるかとかたくさんの項目に答えることになる。その中に最近物忘れが多くなったと人から言われることが あるかという設問があり『いいえ』と答えた。それはいいのだが認知機能検査で問題が発生した。『テーブル』 『にんじん』等々10種類の言葉を順次見せられ、そのあと今見せられた言葉を思い出して書きなさいという ものである。後期高齢者の運転免許更新時の認知症検査と同じようなものである。ところがなかなか思い 出せず冷や汗が出る。 さっきは物忘れが増えたことはないと答えたばかり。舌の根が乾かぬうちに記憶力低下の馬脚を現した ようなものだった。『しっかり記憶力が低下してるじゃん!』と思われたのではないか。とんだ恥さらしだ。
 恥はかき捨てとして脳の状態はどうだろうか。4年前の前回は記憶力をつかさどる脳領域すなわち海馬の 委縮度は0.40。脳全体の委縮は2.08%であった。この結果からは問題ないということだったが、 はたして今回の結果はどう出るであろうか。認知症検査の状況からはかなり悲観的といわざるを得ない。 数か月後に出される検査結果は楽しみではなく恐怖。とほほの脳画像健康チェック受診となってしまった。


 2020. 1.31
back



―― 白内障手術 ――

 80歳の節目に白内障の手術を受けることにした。もともと左眼が翼状片(よくじょうへん) という病気で9年ほど前から 眼科にかかっていた。治す手立てのない病ながら定期的に診てもらっていたが、そのころ白内障はまだ 進んでいなかった。 ところが昨年春の受診時、矯正視力が0.8と0.6で運転免許を更新するならそろそろ白内障の手術を した方がいいといわれたのだ。そして新築移転開院し眼科の手術設備が新たにで導入された市内の病院で 手術をしてもらうことにした。
 手術時期は冬にすることにした。手術後しばらく入浴できないと聞いたので汗をかかない冬の方が いいという判断である。ということで、2020年の年明け、ちょうど80歳を迎える1月の6日と20日の 2回に分けて両眼の手術ということになったわけである。
 手術を受けるにあたって、すでに白内障手術の経験がある何人かの友人に手術の様子や予後のケアなどに ついて聞いてみた。しかし、もう忘れたとか、手術前後に数種類の目薬を1日に何回もさすのが煩わしかったと いうこと以外、細かいことは覚えていないというのだ。のど元過ぎれば熱さ忘れるの類であろう。白内障の手術は 世の中ではそれくらい一般化したものかもしれない。ということでネットで調べた程度の事前知識で手術を受ける ことになった。
 手術は片方ずつ1泊2日でされる。日帰りで施術する病院もたくさんあると聞くが、この病院では安全を 期して慎重に構えているようだ。術後の感染症についても特に気を使い、入浴制限の期間もほかの病院よりも長い。 まあ、その方が安心だともいえよう。
 手術してくれるのは大学病院の眼科の若い女医さんである。一般外来診療が終わった午後、手術室に 移動しリクライニング式の手術椅子に座る。自動血圧計などを付け、片眼部分に穴が開いた手術用シートを かぶせられる。麻酔は今では局所点眼麻酔である。まぶたを開けたままにするための器具をテープ止めされる。 当然まばたきはできないので、涙の代わりとなる洗浄液を数秒毎に流し込みながら手術をするわけだ。
 手術の流れは、①角膜に沿って3mmほど強幕を切開 ②濁った水晶体に超音波をかけて乳化吸引③切開口 から眼内レンズを挿入。この間約20分くらいだろうか。自分では緊張していないつもりだったが血圧が上がった というから無意識のうちに体に力が入っていたのかもしれない。術中に「順調にいってますよー《と声をかけて くれるのが安心感を与えてくれた。術後2時間はベッドで安静ということになる。4人部屋に2人。新築間もない 病院なので明るくきれい。時間的にはちょうど24時間ばかりだがゆったりとした入院生活だった。
 さて、思い切って白内障の手術をしてよかったと思う。聞いていた通り世の中がパッと明るくなった感じだ。 これは片方の眼の手術が済んだ時に一番よくわかる。手術前の目の方で見るレースのカーテンは黄ばんで見えるが 手術した方の眼で見ると真っ白だ。その差は歴然である。したがって、両眼開眼したあとは輝く世界を訪ねた感じを 受ける。夜間の車の運転も自信をもってできそうだ。
 眼内レンズの焦点距離は30~40cmにしてもらったのでスマホやパソコン、読書は快適である。遠くの景色は 裸眼ではややぼやけるものの以前より格段によく見える。車の運転には従来通りメガネが必要になるが今までより 度を落とすことになるだろう。1ヵ月ほどして視力が落ち着いたら新しい眼鏡に買い替えようと思う。
 これで大仏開眼ならぬわが目の開眼である。認知症試験で落ちたら意味がなかったと笑われるだろうが、 視力に関してこの秋の運転免許更新はこれで万全。これから行く山の景色は 一段と美しく感動的であろう。手術をしてくれた先生や病院スタッフに感謝しなければならない。


 2020. 1.22
back



―― 微笑みの国 タイ ――

 あと1ヶ月、2020年の年が明けるととうとう80歳になる。これまで遠い国へも旅行してきたがこの年齢に なると長時間のフライトは楽ではない。そこで、同級生のO君と比較的近いタイへ行くことにした。 そして今回が最初で最後になるであろうビジネスクラス利用のツアーである。オーバーブッキングでビジネス席に まわされて乗ったことはあるが本来のビジネス利用ははじめてで、ちょっと高級な体験ができてよかったと思う。
 さて、タイは日本企業もたくさん進出しているし、比較的治安もいいことから世界でも有数の観光客が多い 国である。
 5日間の旅は定番のタイの古舞踊鑑賞から始まった。主な世界遺産観光はバンコク市内の王宮や仏教寺院、 それにアユタヤの寺院や仏教遺跡である。パンフレットや雑誌、映像でよく見る金ぴかの仏塔や仏像、巨大な 涅槃像が主なものである。実際にこの目で見てみるとでっかいし金色に輝く仏像には圧倒されるものがある。
 観光して回った中では、王宮内にある金色の仏塔、ワット・アルン(暁の寺)の巨大仏塔、 ワット・ポー(涅槃寺)のこれまた大きな金色の涅槃像。そしてアユタヤの野ざらしの涅槃像、当時の王と王子の 遺骨がおさめられているというワット・プラ・シーサンペットの3基の巨大仏塔など確かに一見の価値を認める ものであった。しかし、こうした遺跡も近隣の東南アジア各国のそれと程度の差こそあれ同じようなものだと 思った。何度もこうした遺産・遺跡を見てくると感動が少しずつ小さくなるのかもしれない。限界効用逓減の 法則が当てはまるようだ。
 むしろ今回は微笑みの国といわれるタイのおもてなしを体感する旅だったような気がする。ハードより ソフトかもしれない。 象園での象のショーや象乗り体験といった子どもだまし的なものは別にして、ニューハーフショーやディナー クルーズでは観光客を一生懸命もてなそうというタイ人の人たちの気持ちが感じられた。 ニューハーフショーでは、女性となった美人たちが元男性としての力強さを精一杯に見せるダンスと歌で観客を もてなす。ディナークルーズではチャオプラヤ川畔の高層ビル群や世界遺産の王宮や仏教遺跡をライトアップして 見せる。昼間と違う美しく高貴な造形が闇の中に浮かび、その中をミュージシャンがサックスと歌で乗船客を もてなす。最後は打ち上げ花火で桟橋に迎えてくれるのだ。観光客に対する一級のおもてなしクルージングであった。
 タイは街中も田舎もきれいだった。 農業国であり、かつ第二次産業が国の稼ぎ頭だが一方で観光立国 としての努力と誇りが感じられた。その成果が世界で10番目に入るというタイへの観光客数に結びついている のだろう。手を合わせてコップン・カー(ありがとう)とかサワディー・カー(こんにちは)といわれると、 こちらが尊敬されているようで心がくすぐったいような感じになる。5日間案内してくれたガイドのパイラット さんも立派なエンターテイナーだったと思う。そんなことも含めてタイは日本の先を行くおもてなしの国では ないかと思った今回の旅行である。


 2019.12. 8
back