【第2回】・【第22日・10月15日(木)】

 雨の中、朝6時20分門田屋を出発。今日の順路は地図第30図第31図。次の44番大宝寺まで距離11.0kmと短い。このほか46番浄瑠璃寺・47番八坂寺を打つ予定で天気の回復を祈る。

表に出たところで自動車の女の人からおにぎりのお接待を受けた。昼の心配をしていたところで大いに助かった。
宿を出てすぐ、町名は再び久万町となる。国民宿舎もあり、その一帯の山を古岩屋という。

”古岩屋”・畑野川峠に源を発する渓流と嵯峨山から流れ出た渓流に挟まれた地域が古岩屋の景勝地で、一帯にかけて、頂上に茂りあう松を頂いた30〜40mに及ぶ円錐状の礫岩峰が、数十座も屹立して、見事な景観を展開している。四国カルスト県立公園に属し、国の名勝に指定されている。

峰御堂トンネル入り口から左に入る遍路道があり、大宝寺裏手に出るようであるが案内板が曖昧で結局県道を行き、大宝寺の山を巻いて参道に出た。9時5分着


「第44番・菅生山・大宝寺(真言宗豊山派)」 愛媛県上浮穴郡久万町菅生

境内・参道は杉や檜の大木が鬱蒼と茂り、昼も暗い境内は霊場らしい雰囲気に満ちている。
境内は静かだが、この寺もどこかの寺と同じで納経所と団体世話役の関係があまりにも露骨で、遍路者の不信を買っていた。

9時50分大宝寺を出発。


  お久万大師堂
 長い参道を旧道まで戻り国道33号を横断したところに番外・お久万大師堂がある。

「番外・お久万大師堂」・
お久万と呼ばれ地元の人から崇敬されている。
町祖とまでいわれるようになったお久万婆さんの伝説があり、町名の由来ともなっている。




  

久万町の国道を暫く歩くと旧道と合流する。この辺り標高500mで、ここから三坂峠まではかなりきつい登りで国道歩きとなる。

入野・西明神・東明神部落
を登ると三坂峠(標高705m)に着く。44番から8.5km標高差200m。12時に到着
峠にはドライブインがあり昼食を済ませ、下り道に入る。

三坂峠は、久万高原の高地で、久万町と松山市の境界でもある。峠からは道後平野の展望が良く、瀬戸内海や中国山脈が望まれる。
下りの遍路道は、昔は久万街道といい明治25年旧国道の完成まで松山までの主要街道であったという。

三坂峠を下ると最初の部落、桜部落に着く。
桜部落は標高230mでここで道は二筋に分かれる。右手の道を行くと、番外・網掛大師堂がる。

  
  網掛大師堂・旧大師堂と名古屋
   同行二人会の石柱



 網掛大師堂・新しい大師堂

「番外・網掛大師堂」・
  
弘法大師網掛石、伝説の場所。ここを通る遍路者は石の割れ目に納札を挟見込みだり
  だり賽銭をあげて通過する慣わしであった。
  実際にご利益を受けた者が、大師の石像を奉納し、この石の上に安置していた。
  
  後にこの石像を祀り直したのが横に建つ大師堂で最近再建された。
  右の石柱は名古屋同行二人会のメンバーが建てたもので、西尾市の名も見られる。
  道路脇のものは昭和6年建立の大師堂。


浄瑠璃町に入って、三輪車で柿を売っている人からお接待を受けたが、話がはずむうち5kgほどの柿を今日の宿へ運ぶ羽目になったのには大弱り、なんでも長珍屋は親戚だと言っていたが、重い荷物を長珍屋まで運んで、長珍屋でも有がた迷惑そうな顔をされ少々ムッとする。
14時40分今日の宿長珍屋に着く。荷物を預けすぐ前の浄瑠璃寺と八坂寺を打った。


「第46番・医王山・浄瑠璃寺(真言宗豊山派)」 愛媛県松山市浄瑠璃寺町

  寺名の”浄瑠璃”と本尊薬師如来のことで、”薬師瑠璃光如来”からきたもという。
  松山市には、46番から53番まで8ヶ所の札所がある。
  本堂石段左手に正岡子規の句碑がある。 ”長き日や衛門三郎 浄瑠璃寺”。
  15時10分、浄瑠璃寺を後に次の八坂寺へ向かう。おおよそ1kmと近い。15時25分着


「第47番・熊野山・八坂寺(真言宗醍醐派)」 愛媛県松山市浄瑠璃寺町八坂

 寺の近くの水田の中には八塚群集古墳があり、これは弘法大師を追い払おうとした衛門三郎という人が大師の鉄鉢を割ったため急死した。八人の子供の墓といわれる。

16時10分長珍屋帰着。

 今日の行程 (泊)「民宿・長珍屋」  L=29.5km   50,200歩

長珍屋は民宿だが、団体専門の宿、今日も団体バスの一団が着いている。民宿のよさは見受けられない。
同宿に町田市玉川学園の67歳竹内治美氏と夕食時話がはずむ。竹内氏とは四国霊場納経札を交換した。