インド地震非常通信レポート Huzefa Merchant-VU2HIT氏より2001.3.17.



 Mumbai( ボンベイ)のハムたちは、その日いつもの日と同様に朝7時からモEarly Birds NetモをVHFで行っていました。1月26日は祝日で、多くのハムがNetの後その周波数でラグチュー (チャット)をしていました。災害が襲った8:45AMは、ローカルで使うVHFでチャットをしていました。すぐに皆はHF (広範囲の通信に使う)セットにスイッチを入れました。インドの各地から余震の報告が入ってきました。インドの多くのハムが、それらの経験を記録しました。インドのどこかで自然災害が起こっているのは明確でした。Mumbai Amateur Radio Society Disaster Communication Teamは、出動態勢を整えました。震源地の特定を待っていました。午後12時になりテレビがBhuj( ブジ)が、災害のターゲットであることを報じました。チームの9人(Nilesh Rathod-VU2NLF, Sandesh Kamat-VU2SXF, Mukesh Jaitley-VU2UGJ, Sandip Adiwarekar-VU2UGO, P.V.Jaiprakesh-VU2JPN, Pankaj Pasad-VU2RIO, Huzefa Merchant-VU2HIT, Mehul Chovatia-VU3MBF and Kunal Mashru -VU3KUN)は、16:00にMumbai中央駅に集合しました。それを知った駅長は、直ちに彼らのためにシートを手配しました。17:10に出発しました。チームがAhmedabad (アーメダバード)に到着したのは、01:40でした。現地パートナー(Prem-VU2XMX とPravin-VU2CPV)に会いました。そしてGandhinagarの役人に会うのを急ぎました。役所に到着後、プランが議論され戦略が開始されました。それは、Mumbaiチームはブジへ向かい、現地ハム( Prem, Pravin, Kunal)は、Mantralaya, Gandhinagar Govt. Headquartersで無線のセットアップをすることでした。必要な書類が公表され、2台のジープがGujrat政府によって供給されました。Mumbai Teamは、まっすぐに災害地域へ向かいました。チームが最初にMumbaiのAdolf Shepherd-VU2AFとHFでコンタクトがとれたのは、災害地から100km離れた11:30AMでした。ブジへいく道すがらの村は、全滅状態で人々は右往左往していました。ブジへ着くと役人と役所で働くJagdish Pandya-VU2JGIに会いプランを検討しました。3つのチームを結成しました。Sandesh, Huzefa, Mehulがブジに残り、直ちに無線をセットしました。Nilesh, Mukesh, Sandeepのチームは、Bachauに向かいました。Pankaj , Jaiprakeshのチームは、Anjarへ向かいました。BachauとAnjarに着くと、それぞれのIAS役人 Mr.Atanu Chakraborty- IAS Officer incharge in Bachau and Mr.Sanjay Gupta-IAS officer incharge in Anjar に会いました。すべての通信手段が途絶されており、彼らは歓迎されました。短時間に各局がセットアップされ通信が確保されました。こうして、Bhuj, Anjar, Bachau, Gandhi, Nagarそして安全な地域とのリンクが確立しました。インフォメーションが流れ出始め、重要な政府のメッセージが通信されました。大災害の犠牲者であった地元の人々からの100以上のメッセージがラジオによって親類と親族に流されました。Mumbaiのハム Rajen Kavadia-VU2RIG, Minoo,Contractor-VU3MHC, Nafisa Shikari-VU2NFS, Sarla Sharma-VU2SWS, Mahesh Vhatkar-VU2IIA らは、Gandhinagerでのチーム同様に、災害地からのすべてのメッセージを受信し無事であることを親族に電話連絡しました。インドの多くの局、また世界中の何局かがこれらに参加しました。チームが通信に忙しい間に、Zyros Zend-VU2ZRSとGeorge Phillips-VU2GTによりMantralayaとMumbaiに局が設置された。これは、MantralayaのMr.Ashish Bhargava やBachauのMaharashtra Government official Mr.Sarangiとの連絡に重要であった。そしてこの間に重要な情報が流れ始めた。Nair Hospital, KEM Hospital, Sion Hospital各病院からのBrihan Mumbai Mahanagar Palika医師が避難民のけがの治療のためBachauに到着しました。ハムでもあるDr. Sudhir Shenoy - VU2REK医師は、無線を傍受していました。もう一つMumbaiのDr. Sudhir Shenoy inとBachau医療チームとの間にリンクが張られました。Bachauのハム無線局を通じて医療情報が流れました。必要とされる薬や外科用資材の注文が無線を通じ行われました。チームは、毎日朝6時から深夜1時まで、過酷なコンディションで、睡眠はBachauチームはジープで、AnjarとBhujチームはテントで、ビスケットと水の限られた食料で6日間維持していました。最終的に政府がSat-Coms and V-Sats (衛星電話)を設置しました。Bhuj, Anjar, BachauではMobile cellular network(携帯電話)が復旧してきました。またインド全国から多くのハムが駆けつけました。そして引き上げる時期が決定されました。チームはBHUJに集まって、インドの空軍によってMumbaiに空輸されました。


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