インド西部地震日本赤十字国際医療救援に参加して-現地の通信について- JR2TDE

【はじめに】2001年1月26日午前8時50分にインド西部グジャラート州(パキスタンとの国境近く)にRichter7.9の地震が発生した。震源地はBhuj(ブジ人口15万人)の北30kmの地点。死者3万人以上にのぼった。ブジには国際赤十字・赤新月社連盟(以下連盟)が28日に入り活動を開始した。ブジキャンプには、ノルウェイ・フィンランドのERU(emergency response unit)-hospitalのほか各国赤十字の派遣員130名が生活していた。日本赤十字は、28日には第一陣を派遣し、2月1日からはブジをベースにSukhpur(スクパル)で診療所を開設した。またmobile clinicを行い近郊の村のアセスメントと移動診療を行った。私は、この日赤国際救援に3月2日から22日の21日間派遣され多くの貴重な経験をした。私は医療チームの整形医師として派遣された。残念ながらインド政府から許可が下りなかったのでアマチュア無線の運用はできなかった。地震後一ヶ月を過ぎた赤十字の通信関係について報告する。
【通信ERU】今回の地震に対して各国赤十字がERUで対応した。通信関係は、オーストリアとスペイン赤十字が無線ERUを設置した。今回、赤十字にはインド政府から短波帯の許可は下りずVHFのみの運用となった。3月1日 にオーストリア赤十字のArois氏に会い話を聞いた。Arois氏は、連盟関係の通信の確保とメンテナンスを行なっていた。彼はアマチュア無線の免許は持っているが,今はソフトの関係の仕事が忙しくて運用していない。よってコールサインは切れているとのことであった。
【赤十字VHF】国際赤十字は、150-160MHz帯を使用していた。16chの割り当てのうち、1から13chをシンプレックスで各国赤十字の連絡用に使用していた。16ch(英語)はレピータチャンネルとしてあり広範囲で使用できた。日本は、ch5(日本語可)を使用した。16chのレピータは、ブジキャンプ近くの倒壊しなかった給水タンクの上に設置、ソーラーパネルでバッテリーを充電し電源を確保、25wで半径20kmをカバーしていた。7km離れたスクパル診療所からもハンディでアクセス可能であった。3月後半には、ハンディーのバッテリーは充電のメモリー効果で傷んできていた。リグは、5wハンディ(Motorola製)と25wモービルタイプ(車戴)を使用していた。コールサインは国のフォネティックコードJapanのJ「Juliett 名前」を使用した。たとえば「Juliett base, this is juliett sato over」のように交信した。
【電気】ブジ市内の要所には2月中旬に電気が復旧した。標準電圧は230V50Hzであるが、200から280Vと不安定で良く停電していた。赤十字活動は自己完結型の救援であるので、ブジの連盟コンパウンド内は200V発電機が四六時中動いていた。
【携帯電話】Bhuj市内の電力の復旧と共にセルフォンも使えるようになった。各国の派遣員は、赤十字のVHF無線機とヘビーデューティタイプのオレンジの携帯を腰につけていた。ブジ市内を離れると携帯電話は使用できなかった。
【Satellite phone】衛星電話は、電源さえ確保できれば通信が確実に確保された。日本赤十字は衛星電話を、ブジキャンプ本部に2台、スクパル診療所に1台設置し連絡を取れるようにした。
【コンピュータ】連盟のテント内はノートパソコンが多く使用されていた。現地は全く雨が降らず乾燥し、非常に埃が多く電気製品の接触不良が続出していた。コンピューターのキーボードも埃だらけで使う前にまず「ふっー」と吹きかけて使うありさまだった。デジカメを多用し、PCカードで取り込み、画像をカットと圧縮しインターネットを通じて画像を転送することが出来た。
【インターネット】日本赤十字では、ブジ本部にKDD mobileセットでISDN 64kで国際電話しNifty.comにつなぎインターネット接続が可能であった。ここからインターネットブラウザやメールのやり取りができた。業務連絡は、現地nifty.comのメールアカウントを使用した。私個人は、MSNのhotmail.comを使用した。衛星64kは比較的ストレス無く接続できた。自宅との連絡もメールで行なえ家族を安心させることができた。
【画像の転送】インターネットのメールに添付ファイルとしてデジタル画像が送ることが容易に可能であった。デジタルカメラで撮った画像をレタッチ圧縮し、メールに添付して送る。PC-card経由でノートパソコンに撮りこみ、Photoshopで加工、メールに添付した。この熊本赤十字の活動は、遠隔地の診断や治療に有効としてニュースとなった。以前、私も太平洋のヨット上からHFパケット通信で画像を送ったことがある(1991年CQ4月号)。文字だけでなく画像は説得力がある。今後は、デジカメつき国際携帯電話やPDAでいとも簡単にまた高速に災害現場から画像を送ることができるだろう。
【アマチュア無線】3月1日 にブジキャンプ内でボンベイ在住VU2HIT Huzefa Merchant氏に会うことができた。彼によると地震直後より11人のハムが非常通信を運用した。14MHzを使ったそうだ。ARRLから、この周波数を広く開けるよう世界にアピール、JARLの広報ページにも掲載された。一方現地では、外部から入った一部のNGOにハムの運用が許可されたという情報もあったが、確認できなかった。しかし3月に入り、すでに電気や電話も復興しかけており、都市部ではG-phone(cell phone)が使えたので、アマチュア無線の活動は収束した。
【まとめ】日中40度を超すテント生活で、医療を行った。発電器や車整備など医療以外の無線ほか電気の知識が役に立った。日本赤十字社も通信ERUを持っている。英語の実力(ベルリッツ5)は必要であるが、無線の免許を持っている方で赤十字活動に興味のある方は連絡されたい。日本赤十字社事業局国際部03-3438-1311代

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掲載 CQ誌2001.6月号P.210-211

平成13(2001)JARL愛知県支部大会「ハムの祭典」にて展示