井 筒<謡曲の解説>

           あ ら す じ

 諸国一見を志す旅僧は、奈良の七堂を周って初瀬へと向かう途中、在原寺(ありわらでら)へと立ち寄りました。 
 この在原寺は、昔、在原 業平(なりひら)と紀(きの) 有(あり)常(つね)の娘の夫婦が暮らしていた処で、『風吹けば 沖つ
白波龍田山』の歌を詠んだのも此処だというのを聞き、この夫婦を弔うことにしました。ただでさえもの寂しい秋の夜、人通りも稀な古寺に一人の優美な女人が現れて、薄に囲まれた井戸の水を汲んでは、まるで弔いをするかのように古塚に手向けています。
 僧が尋ねますと、「私はこの辺りに住む者です。この寺を発願した業平は世に名を残した人。この塚は業平の墓で、私
は詳しくは知りませんが花水を手向けて弔いをしています。」と答えました。
 僧の「業平とは遙か昔の世の人、さては縁のある方なのでしょうか。」との問いには否定しつつも、女人は業平のことを
語りだします。
 「業平は春は花、秋は月を愛でながら長年お住まいでした。その頃は有常の娘と浅からず契りながらも一時、高安の
里の女の許に通っていまいしたが、有常の娘の詠んだ、
             風吹けば 奥津(おきつ)白波龍田山  夜半にや  君が一人行くらん 
という歌に託した、自分のことを案じる真心に打たれて他所の女の許に通うのを止めたという話や、幼い頃に井戸の水面に並んで姿を映して遊び戯れた二人が、長じてからは恋仲になり、

             筒井筒 井筒にかけしまろが丈  生(おい)にけらしな 妹見ざる間に  (業平)

            
比べこし 振分髪も肩過ぎぬ  君ならずして 誰か上(あ)ぐべき    (有常の娘)

と、互いに歌を詠み交わして夫婦となったのです。」 
 そして、「有常の娘とも、井筒の女とも呼ばれたのは私です。」と明かして、末永い夫婦の誓いをした歳を現す井筒(十
九)の陰に隠れて消え行きました。僧は、ちょうど来合わせた櫟本(いちのもと)の里の者からも業平夫婦の話を聞き、弔いをするように勧められました。夜は更けて月の光の下、僧は昔を今に返して見ようと、衣を裏返して仮寝の夢を待ちました。
 やがて、業平の形見の冠を頭に頂き、装束をまとった井筒の女が現れました。「桜はすぐ散る為、徒(あだ)が無いと思っていましたが、徒の無いのはめったに来てくれないあなたです。」と言いなが
ら、形見の直衣に触れて業平への恋慕の舞を舞い、月の光の下、井筒の水面に姿を映しては、それが我が姿であることは分かりつつも業平の面影を偲ぶのでした。
 やがて暁を告げる鐘が鳴り、夜はほのぼのと明けだし、古寺の松や芭蕉葉にそよぐ風の音が聞こえるだけでした。
僧も夢から覚めたのでした。