安城の三河萬歳【三河万歳】あれこれ


”萬歳の 謡流れきて おらが春”
  誠に芽出度候ふ


  【三河萬歳【三河万歳】 豆知識】

テレビでおなじみの「漫才」は、江戸時代の「萬歳」が元祖です。
”新しい年が良い年でありますように”
萬歳はそんな願いを新春の寿ぎ(ことほぎ)の台詞(せりふ)にこめて舞う祝福芸(たとえば獅子舞などと同じ)です。
二人の萬歳師がかわす滑稽な会話が人々の笑いを誘い、それが福をもたらすと考えられていたのです。
三河の萬歳師たちは徳川家の庇護のもと、関東一円で幅広く活躍しました。
そのため江戸では、「萬歳」といえば三河萬歳のことを指すほどでした。
安城の三河萬歳は、西尾市、幸田町の三河萬歳とともに、平成7年に「国指定重要無形民俗文化財」の指定を受けています。
(三河萬歳保存会総会資料より抜粋)

安城の三河萬歳は現在では、30名の保存会員で演じられ、また丈山小学校、西中学校、安城農林高校、等では、郷土の伝統芸能保存のために クラブを結成し演じられ、守られています。

このように”安城の三河萬歳”は「国指定重要無形民俗文化財」”三河萬歳”保存のための中心的な存在となって活躍しています。



初春に舞う  三河御殿萬歳(万歳)
あらすじは、新春に鶴と亀が訪れ、家屋を建てる柱に神々が呼びこまれ、瓦をふせる。
そこへ七福神が入ってきて、賑やかに祝う、という筋である。               .
太夫は扇子を手に舞台中央に座り、才蔵は鼓を持って左右に2〜3人ずつ座って演じ
られるめでたさを強調した萬歳である。
                            .
  

満開の桜の下で舞う三河御殿萬歳(万歳)
JAあいち中央榎前支店 春祭りにて
  


初春に舞う   神道三河万歳
明治のはじめに演じられた「三羽鶴の舞」「七草の舞」(旧風という)と、明治19年、萬歳師が神道
教導職となった頃より演じられた「天の岩戸開きの舞」(新風という)の祝文(歌詞)三曲が別所萬歳
として伝承されている。 江戸時代の仏教的色彩の強い陰陽道を受け継ぐ萬歳師が明治新政府
の神仏分離令の方針に沿うことで生まれた萬歳といえる。                      .
  




初春に演ずる  三曲万歳
祝言を述べ舞い家々を回る万歳が、江戸時代には滑稽な部分を強調し、
舞台で演じられるようになる。天保ごろ(1830年代)当時の人気を博してい
た歌舞伎の場面を取り入れ、鼓・三味線・胡弓と三つの楽器を使うことから
「三曲万歳」あるいは芝居万歳と言われる。                  .
演目に「忠臣蔵三段目」「神霊矢口の渡し」「神崎弥五郎東下り」などがある。

写真は「神崎弥五郎東下り」の一場面である。                 .
平成16年1月11日「新春招福の初舞」 安城市歴史博物館公演にて撮影.
     


   榎前町敬老会で舞う  丈山小学校”三河万歳クラブ”
  


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