名古屋臨港の鉄路
まだまだ道路事情の悪かった戦前・戦中の名残で、昭和中期頃までは国内各地にも縦横無尽に張り巡らされていた貨物線。
我が故郷からすぐの小都市・蒲郡にさえ、駅から港へと延びる引込線が存在したのを、子供心に眺めた懐かしい記憶。
何処から来たのか、何処へ行くのか。
人気のない傍らに佇む貨車に指し込まれた車票。
そこに記された地名に、まだ見ぬ彼の地への旅情を感じたりもした。 平成も終わろうとしている今日、そんな時代は遠に過ぎ去り、その断片さえも消え去りつつある。 あの童心の哀愁風景を探して、せめて記憶にだけでも留めておきたい・・・ |
休日の貨物駅 《平成28年1月上旬》 |
貨物ターミナル 《平成28年1月上旬》 |
臨海工業地帯 《平成28年1月中旬》 |
騒音御免 《平成28年1月中旬》 |
経済成長の担い手たち 《平成28年1月中旬》 |
名古屋臨海鉄道の拠点駅として、又、車両基地として比較的活況を呈しています。
時折、廃車体の請負解体作業などが行われる為、その車両の一時保管場所にもなっています。 |
参考画像は昭和五十七年。
広大な貯木場以外、現在とそれほど変わらない様に見える俯瞰風景。
但し、地上で感じる景色は様変わり。 臨海鉄道とは直接関連はないものの、画像右上隅に笠寺駅から伸びていた大同特殊鋼工場への引込線も確認出来ます。 |
物流の交差点 《平成28年1月中旬》 |
東海道線の笠寺駅と臨海鉄道の拠点・東港駅とを結ぶ連絡路線。 |
参考画像は昭和五十二年。
東港線上を貨物列車が走っています。
車運貨車・タンク貨車・有蓋貨車の混結に見えます。
知らなかったのですが、笠寺駅西側に貨物ヤードが存在していた様です。
本線脇の側線と共に、空の車運貨車が多数留置されているのが目立ちます。 前述の大同特殊鋼工場への引込線の他、少し駅寄りにもセメント工場と思われる施設への引込線が確認出来ます。 名古屋高速は目下鋭意建設途上。 最初の区間・高辻〜大高間はこの二年後に開業します。 |
昭和町駅 《平成28年1月中旬》 |
定期列車のない休眠路線。
大部分の軌道は残っているものの、途中駐車場等に転用された区間もあり、事実上の廃線状態。 近年急激に軌条の撤去・再開発が進んでいます。 |
参考画像は昭和五十二年。
東亜合成にタンク貨車、昭和町駅に有蓋貨車が目立つ。
この頃までは案外多くの引込線が稼働していた様。 画像左上の造船施設(石川島播磨重工業)は、別の五十七年画像ではピカピカの他業種工場に転用されてしまって、ドック等は痕跡すら残っていませんでした。 なお現在は、中古自動車のオークション会場になっている模様。 |
日一日と記憶の彼方へ 《平成30年8月下旬》 |
汐見町線 《平成28年1月中旬》 |
日一日と記憶の彼方へ 《平成30年8月下旬》 |
昭和町線同様、定期列車のない休眠路線。
軌道の残存状況も同様。 近年急激に軌条の撤去・再開発が進んでいます。 |
一枚目は昭和五十年の潮見地区北側。
埋立地北端(画像上隅)の汐見町駅から縦横無尽に引込線が張り巡らされていました。 二枚目は昭和五十二年の地区南側。 石油基地のイメージが強い当地ですが、案外、自動車の輸出拠点の役割も担っています。 現在では伊勢湾岸道の巨大斜張橋が上空を横断しています。 |
白水踏切 《平成28年1月中旬》 |
連絡線的機能の東港線を除いて、名古屋臨海鉄道で唯一の元気路線。
但しそれも途中まで・・・ |
一枚目は昭和五十二年の名古屋南貨物駅周辺。
駅に停車しているのは大量の無蓋貨車に見えます。
長閑な駅周辺と相まって、当時は何を運んでいたのでしょうか・・・ 駅西の新たな埋め立て地は新日鉄の製鉄工場。 構内軌道が確認出来ます。 二枚目は昭和五十七年の知多駅周辺。 今では完全廃線状態の当駅。 この頃は多数の引込線を抱え、活況を呈しています。 今ではそのほぼすべてが失われてしまっています。 県内では国鉄末期頃まで頻繁に走っていた、飼料貨物輸送の拠点の一つでもあった様です。 |
臨海工業鉄道 《平成28年1月上旬》 |
現在は臨海鉄道と名鉄とを結ぶ連絡線。
時折、海外への輸出車両や名鉄への配送列車が走っている様です。 |
参考画像は昭和三十八年。
名古屋臨海鉄道東港線建設途上の時期の東築線沿線。
当時は名鉄築港線の支線。
今では失われてしまった路線網が確認出来ます。 大江駅の南、環状線に沿って常滑線を陸橋で越える鉄路の様な線が確認出来ます。 路面電車でも走っていたのでしょうか? 調べてみたところ、名古屋市電の東臨港線との事。 この路線は東名古屋港駅付近の大江町電停で大江線(画像下方の東亜合成付近が終点・昭和町電停)と接続。 その大江線は築港線と平面交差していたとの事です。 東臨港線自体も東築線とは平面交差だったのでしょう。 その詳しい様子は、残念ながらこの画像(インターネットの高解像度表示)では確認出来ません。 |
ダイヤモンドクロッシング 《平成28年1月上旬》 |
築港線と東築線が直角に交わるマニア的地点。
各地に散在していたこの形式の線路も、今でも現役は此処だけの様。 |
参考画像は昭和五十二年。
前出画像から十四年後。
臨海鉄道の開通以外は、それ程劇的な風景の変化は読み取れませんが、前述の路面電車網は全廃されてしまっています。
この付近の道路が必要以上に広いのは、そんな名残だったとは知りませんでした。 |
帰宅の時間 《平成28年1月中旬》 |
京浜地区なら大川駅、阪神地区なら和田岬駅。
そんな存在の、工場休業日には閑散とした労働者の駅。 |
参考画像は昭和五十二年。
前出画像の立体視用隣画像の様です。
臨海鉄道が開業したとは言え、まだまだ貨車で混み合う東名古屋港(貨物)駅。
現在の駅は当時、東名古屋港東口と呼ばれていたそうです。
そちらにも有蓋貨車が止まっているのが確認出来ます。
貯木場も健在です。 |
築港線 《平成28年1月中旬》 |
海の向こうへ 《平成28年1月上旬》 |
付近は工場地帯で住宅はなく、昼間の列車運転のない工場労働者向け通勤路線。
旅客営業もしていた貨物路線で、並走していた市電の廃止もあり、主従逆転後も生き残った幸運な異色路線。 |
参考画像は昭和五十二年。
前出画像の立体視用画像更に隣。
岸壁埋め立てが拡大され、埠頭への引込線(現存)が引かれました。 |
現存最古の跳上橋 《平成28年1月上旬》 |
現存最古の跳上橋 《平成30年8月中旬》 |
名古屋港に残る“登録有形文化財”並びに“近代化産業遺産”。
橋梁は開いた状態で静態保存されています。
近年、橋脚等の補修が施されました。 |
参考画像は昭和五十年。
東臨港線の華やかなりし最晩年。
地区いっぱいに伸びる貨物線。
岸壁に並列停泊している大量の船舶。
水面に浮かぶ材木。
今では想像もつかない活気にあふれる夢の時代。
出来る事なら行ってみたい・・・ |
松重閘門 《平成28年1月上旬》 |
中川と堀川を繋ぐ運河。
そこに発生する水位差を調節する為の水門。
“選奨土木遺産”。
核心の設備・機能は水路の埋め立てによって失われ、残念ながら中身はない張りぼて常態。 |
参考画像は昭和五十二年。
現役だった頃の面影残る松重閘門。
付近には材木も確認出来ます。 画面右下端、今では市内で確固たる地位を築いた金山。 当時は中央線にしか駅がなく(地下鉄駅はあり)、線路間に草の生い茂る、少し離れた名鉄金山橋駅と共に、ちょっとうらぶれた雰囲気だった記憶です。 中日ドラゴンズの本拠地だったナゴヤ球場も確認出来ます。 二三度観戦に訪れた懐かしの球技場。 現在は二軍の本拠地として、外野席を中心に観覧席が大幅に撤去縮小されつつも、当時の面影を留めています。 |
六番町 《平成28年3月中旬》 |
東京方面からの新幹線が名古屋駅に到着する直前。
乗り換え等の案内が流れている位の時でしょうか。
線路すれすれに立ち並ぶ家々が、まだまだ高速で走る車窓を横切ります。
其処が六番町。 |
参考画像一枚目は昭和三十八年。
二枚目が昭和五十二年です。 一枚目は今正に新幹線建設の突貫工事中。 二枚目画像左上方の橋梁直ぐ南側。 線路に大きな影が映し出されていますが、そこが当時(昭和四十五年以降)既に存在した、作品撮影の高層賃貸集合住宅。 線路の正に直ぐ脇に住宅地が広がる、此処は新幹線公害訴訟の地でもありました。 堀川にはまだまだ材木が大量に浮かび、南方貨物線は建設途上です。 |
南方貨物線 《平成28年1月上旬》 |
南方貨物線 《平成28年1月上旬》 |
名古屋地区の貨物輸送網改善の為計画された、一連の貨物線の一部。
大府〜名古屋貨物ターミナル間のそのほとんどが姿かたちになった頃、国鉄貨物輸送改革等により計画は中断(最終的に中止)。
分割民営化後も東海・貨物両鉄道会社共に関心を示さず、跡地は徐々に売却されて現在に至る。 |
参考画像は昭和五十二年。
一枚目は笠寺駅分岐から新幹線を交差して国道247号付近まで。
今では道路上などは殆ど撤去されてしまって歯抜け状態の高架橋も、当時はほぼ完成間際だった事が確認出来ます。
余談ですが、名古屋高速はまだまだ建設が始まったばかりの時期。 二枚目は大高駅付近。 建設の推移は知らなかったのですが、南方貨物線建設に合わせて付近の高架化事業が進められた様です。 先にこの高架貨物線を増築して仮の東海道線に転用していたのでしょうか。 旅客ホームらしき影が確認出来ます。 なお天白川橋梁付近のみは、平成に入ってからこの貨物線に軌条が移設され、南方貨物線跡を再び列車が走り抜けています。 |
入替 《平成30年8月中旬》 |
夕暮れのコンテナターミナル 《平成28年1月中旬》 |
終業に向けて 《平成30年8月中旬》 |
前述の通り、名古屋地区の一連の貨物輸送網計画で、幸運にも完成に至った施設。
計画線路網がすべて完成していれば、東海道・関西・中央の各線間で、方向転換無しで直通運転出来る筈だった。
なお、構内の列車入れ替え業務等は名古屋臨海鉄道が請け負っています。 |
参考画像は昭和五十二年。
名古屋貨物ターミナル駅はまだ建設途上で、整備中の更地が広がっています。
又、南東から合流予定の南方貨物線の真新しいコンクリートの高架橋が目を引きます。
当時の西臨港線は細々と地平を走っていて、中部鋼鈑工場への引込線が目に留まります。
工場内に張り巡らされてる資材運搬軌道は現存の様です。 |