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鉄路の彼方へ
鉄路の彼方へ
初冬の旅路〈2〉
前の季節
大雪 冬至の頃
次の季節
大井川鐵道:抜里駅
昭和から平成への改元時
青春時代の思い出いっぱい
懐かしの日々も足早に
記憶の中の風景と消え
そして再び新たな時代へ
豊橋鉄道:前畑〜東田坂上
数年振りに訪れた石畳の坂道を望む歩道橋
ここは目の前の小学校への通学路
土曜日にもかかわらず登校する子供たち
以前と変わらず挨拶を交わす視線の先の
古民家は雨戸が開かれることはなかった
豊橋鉄道:井原
日本全国路面電車斜陽の時代に
僅かひと区間ながら珍しく新規延伸された
井原電停の運動公園前に至る分岐交差点
通称「R11.」は半径11m
そのきつさは鉄道模型並み
豊橋鉄道:札木〜市役所前
一時期路面電車は邪魔者扱い
先見の明を持たぬ為政者によって
記憶の彼方へ葬り去られた
国道一号に残るはここだけ
地下鉄よりも便利だけれど (続く)
豊橋鉄道:札木〜市役所前
路面電車が今も活躍する町の
地元の人なら至極日常風景
黄色の灯火の矢印信号は
今や貴重な絶滅危惧種
運転免許持ってる人ならわかるでしょ!
豊橋鉄道:豊橋公園前〜東八町
(続き) 次も目指す政治屋さんは
カネを落とす箱モノにこだわる
結果庶民は上へ下へと階段と格闘
年を取るとくたびれる日本の都市
そしたら「バリアフリー」に目を付けた
EINE FÜHRERIN 《平成28年12月中旬》
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豊橋鉄道:新川〜札木
富士の写真を撮っていたもう随分と昔のこと
撮影地で新幹線の元運転手さんとお会いした
大卒事務系でJR東海に入社したものの
無理やり運転手にさせられたとか
お嬢さんは自身の意志なのかな?
豊橋鉄道:駅前停留所
豊橋鉄道の走る居酒屋
年末恒例のおでんしゃも
今年で十年大盛況
赤提灯の暖簾くぐって
今夜も満員出発進行!
豊橋鉄道:運動公園前停留所
実際に乗ってみたことはないのだけれど
こっそり覗けばおでん以外にもお寿司とお酒
なかなか豪華な組み合わせ
賑やかな雰囲気が好みの方には
一年納に楽しい思い出如何ですか?
Adventsführerin 《平成26年12月上旬》
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豊橋鉄道:駅前大通〜新川
年の瀬を迎える大通り
この冬一の寒波襲来
道行く人も家路を急ぎ
街が静まり返る頃
なお淡々と夢運ぶ人
名古屋鉄道:東幡豆駅
海へ山へ 行楽客を迎えたふるさとの駅
鉄道会社の期待の線路は
今では存続の瀬戸際へ
主を失った小さな駅に
残るはささやかな巡回業務
ユニチカ豊橋事業所専用線跡
昭和の時代は各地の私鉄も
結構貨物輸送が盛んだった
国鉄の合理化であおりを食らい
JR移行後はネットワークすら危うい
これはやっぱり分割方法の失敗例だ
豊橋鉄道:高師(車両区)
渥美半島カラフルトレインは
花々をデザインした十色のカラフルな電車
中でもシックな1802号はお気に入り
モチーフの「はまぼう」の自生北限
堀切は渥美線が目指した目的の地
豊橋鉄道:南栄〜高師
南栄駅を出た渥美線は
緑深い森を潜り抜ける
樹齢八十年以上の黒松は
旧帝国陸軍の置き土産
今は市民憩いの緑地公園
豊橋鉄道:南栄〜高師
日独伊三国同盟締結で
石油禁輸の憂き目にあい
国民動員で頼ったのは
到底無謀な強がり施策
これも言わば戦争の傷跡
季節の一枚 ページ
豊橋鉄道:愛知大学前〜南栄
・・・ ここで兵隊が銃剣を持って人の出入りを監視していました。
見張り番は厳格で「誰何三唱、返答なきは射殺可」
(お前は誰かと、三度聞いて返答のないときは射殺してもよい)
との話しが残っているほどです。 ・・・
栄校区まちづくりを考える会 現地掲示板より抜粋
東海道本線:新所原〜二川
新所原駅の西側に残る二俣線の連絡橋
国鉄から天竜浜名湖鉄道への移管以来
いきさつは知らないけれど直通列車は廃止
改札は別々 乗り継ぎ客は移動が増えた
経済役人主導の机上改革は実情に無頓着
天竜浜名湖鉄道:尾奈〜知波田
運営主体の変更に際して
大幅増発・駅も新設
四半世紀の時代の流れで
街並はそれなりに変わったけれど
浜名湖と蜜柑畑の車窓は健在
東海道本線:新居町〜鷲津
東海道は海の道
その一つがここ舞坂と新居の渡し
江戸時代の浮世絵は
帆掛け船が列を成し
当時の関跡だけ今も残る
東海道新幹線:浜松〜豊橋
昭和の学生時代の知識では
浜名湖といえばウナギでした
時は移ろいかつての養鰻場は
ほとんど埋められ太陽光発電所
けれど海苔の養殖はまだまだ元気
東海道本線:浜松
西高東低
低い日差し
無機質な都会に
陰影の悪戯
街が輝く時間(とき)
季節の一枚 ページ
東海道本線:豊田町〜天竜川
大正元年アメリカンブリッジ製
元をたどれば現在の上り線に
複線化の為増築された曲弦プラットトラス
天竜河口域の広い河原を
十九連ねた姿は壮観
富士急行:上大月〜田野倉
海側で育った人間にとって
富士山は静岡のイメージ
けれども山側にまわってみると
より一層この霊峰と共に
暮らしてきた歴史感じる存在感
名山の旅 付録ページ 大月市・菊花山眺望
中央本線:鳥沢〜猿橋
塩尻方の丘の直上は
未だ開発の手の及ばない
昔ながらの長閑な集落
見下ろす汽車は昭和色
谷に響く轟音も今では町の子守歌
季節の一枚 ページ
中央本線:鳥沢〜猿橋
冬の夜空を見上げる時
必ず探すオリオン座
この日は天高く半月輝く
絶好の観察日和ではないはずも
大星雲まで目視できる美しい町
豊橋鉄道:大清水〜老津
渥美は三河湾と太平洋に挟まれて
細長く突き出た丘陵地
故に元来水に乏しく
昔の人は苦労した
現代は用水が完備され一大農産地
ダイレクトコントローラー 《平成28年12月下旬》
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サンテパルクたはら
直接制御器と言うらしい
運転手さんがガチャガチャ回して
電車の速度を調節する装置
最前席でよく見た記憶も詳しい仕組みはいまいち不明
どうも電気にはめっぽう弱い・・・
サンテパルクたはら
夢の地で余生を過ごす豊橋鉄道デワ11
彼は大正生まれの木造電車
十九世紀は石油ランプだった前照灯も
この時代には大きなレンズの電気式
照らす未来は輝いていた
サンテパルクたはら
幼少の頃の名鉄電車は
深緑色 薄水色 そして
卵色に赤帯なんてのもあった
その後全てが赤色になって
懐かしの思い出蘇る
三岐鉄道:丹生川駅(貨物鉄道博物館)
昔の駅の片隅には
たいていぽつんと貨車がいた
汽車を待つひとときに
差し込まれた車票に視線が向かう
まだ見ぬ彼の地へ思いはせた日
蒲郡市博物館
木のぬくもりと
陶器でできた洗面台
昭和の時代の合理主義は
経済偏重で肩身が狭い
あの時代が懐かしい・・・
遠州鉄道:第一通り
記憶の彼方に残る浜松は
修学旅行の品川行きの急行電車
当時再開発の駅前は 見渡す限りの荒れ野原
ぽつんと残った線路を電車が行ったり来たり
今ではお城も見下ろすテクノポリス
初冬の旅路〈2〉
前の季節
大雪 冬至の頃
次の季節
鉄路の彼方へ
早春の旅路〈1〉
早春の旅路〈2〉
春の旅路〈1〉
春の旅路〈2〉
初夏の旅路〈1〉
初夏の旅路〈2〉
盛夏の旅路〈1〉
盛夏の旅路〈2〉
秋の旅路〈1〉
秋の旅路〈2〉
晩秋の旅路〈1〉
晩秋の旅路〈2〉
初冬の旅路〈1〉
冬の旅路〈1〉
冬の旅路〈2〉
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