青春18きっぷの旅 記録保管所


学生時代の“青春18きっぷ”での幾度かの旅の記録写真です。 そこから駅や乗車した汽車を写した物を出来る限りご紹介いたします。
数十年前のスリーブ(ネガフィルム)を引っ張り出して改めて見直してみましたが、当然の事ながら原版の退色は酷く、カビの様な染みも発生してしまっていました。 当時は撮影技術も相当未熟で、芸術性等微塵もありませんが、振り返ればどれも楽しい想い出です。 さっと見渡してもカメラブレやピンボケの画像の方が多くてお恥ずかしい限りです。
フィルムカメラしかなかった当時は、貧乏な学生の身分(いまだに貧乏なのは変わりなし)では気軽に何枚も撮影出来なかった様で、旅のほんの一部しか記録されていないのは非常に残念で、躊躇無くどんどん撮れるデジカメが普及した現代とはさすがに隔世の感があります。
ちなみに、当時は50mmと135mmの二本しかレンズは持っていなかったものですから、ご紹介の画像は其のどちらかで撮影した物です。
現像時のプリントの様な鮮やかな色は出ませんが、EPSONスキャナーで退色復元機能を使い、その他は特に手を加えずに全自動お任せの色彩です。 手動での露出補正やトリミングも敢えて一切していません。 尚、画像は一駅一枚を基本に単純に撮影順に並べています。

北海道一人旅 昭和61年夏
同級生四人旅 昭和62年春
18きっぷ消化の旅 昭和62年春
入試よりも連絡船 昭和63年早春
板谷峠の冬休み 平成元年冬


青春18きっぷ
青春18きっぷ

年を追う毎に少しづつ値上げされて行きました。(つられて切符の大きさもどんどん大きくなった・・・) 初めて買った時の値段は五枚綴りで一万円。 最初の一枚(二千円)で掛川から青森迄行く事が出来ましたので、とってもお得な切符でした。 左のチラシは旅先の北海道の駅で見つけて持ち帰ってきた物の様です。(記憶失念・・・)
残念ながら、初めて買った切符は紛失してしまった様で見つけられませんでした。


道内時刻表と入場券・乗車券
道内時刻表と入場券・乗車券

国鉄当時の北海道の鉄路を旅するなら必携の“道内時刻表”。 道内には国鉄本社は未承認の仮乗降場成る停車場が沢山ありまして、其れは此の時刻表が無いと発車時刻はおろか、其の存在さえ知る事が出来ませんでした。 其れ等仮乗降場は、JR移管後正式な駅に格上げされましたが、後の過疎化の進行等、利用者の減少に依って多くが廃止され消えてしまいました。


青函連絡船旅客名簿
青函連絡船旅客名簿

汽車で青森(上りは函館)に近づくと、車掌さんが巡回して渡してくれた乗船名簿の様な紙切れです。 通常は下の無色の、上の薄緑はグリーン船室利用者用の物で御縁はありませんでした・・・
此の区間に限った事ではありませんが、普通列車でも始発駅の発車直後と終着駅到着間際の車内放送を知らせる懐かしのチャイムメロディー、「さあ、これから乗り換えだ」  昔の思い出が蘇って来ます。 又ああいう旅をしてみたいとつくづく思います。便利さと引き換えに失った物は甚大也。


私鉄の切符
私鉄の切符

旅の途中で利用した私鉄の切符が一部残っていました。
一番上は、銚子電鉄の珍しいクーポン一体の往復乗車券。
下は小田急ロマンスカーの特急券ですが、一年違いで硬券からコンピューター発券のペラペラな物に変わってしまった様です。
右下は利用の記憶失念の静岡鉄道・日本平ロープウェイの硬券乗車券。


名鉄の切符
名鉄の切符

地元の名古屋鉄道の切符も幾らかの有りました。
其の中でも思い出深いのが中央の縦長の車内発行の乗車券。 パッと見は路線図の様ですが、車掌さんが乗車駅と下車駅、それに日付等に該当する部分にパチパチと穴をあけて渡してくれました。 地元駅が基本的には無人だったので大変お世話になった切符です。 今なら携帯端末で味気無いレシートみたいな紙切れを渡されるんですよね・・・
右は同形態の車内特急券です。
当時の名鉄は路線延長民鉄第二位で、此の切符の範囲に含まれない岐阜にも個性あふれる何本もの路線が有り、とても奥深い魅力の鉄道でした。 それが小泉竹中時代の法律改正以降、東京や大阪のつまらない鉄道と同じ位凡庸な、旅の楽しみとは無縁の会社に成り下がってしまいました。 因みに“ふるさとの赤い電車”の蒲郡線も、名鉄にとっては最後に残った“お荷物路線”以外の何物でも無い存在の様です・・・


交通公社の本
交通公社の本

懐かしい響き“日本交通公社”。 今は何と言う社名に成ったんでしたっけ? とりあえず横文字のJTBなら今でも通用しますが・・・
書棚から引っ張り出してペラペラめくってみると、どうやら此の本で青春きっぷの存在を知ったのかもしれないと思う様にも成って来ました。 内容的にはサラッと「そんな切符も有りますよ」程度の記述では有りますが・・・
右側は同シリーズの海外版、“ヨーロッパの鉄道旅行”です。

鉄道旅行術       1985年 6月 1日 改訂13版
ヨーロッパの鉄道旅行  1986年 2月20日 改訂 7版



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どこで知識を得たのか今となっては謎ですが、青春18きっぷを二冊買ってただ漠然と夏の北海道へ一人旅


沼津駅と大垣夜行  昭和61年夏
沼津駅と大垣夜行  昭和61年夏

深夜の沼津駅に長時間停車中の上り“大垣夜行”


上野駅と夜行列車群  昭和61年夏
上野駅と夜行列車群  昭和61年夏

東北からの何本もの夜行列車で賑わっていた頃の上野駅


函館駅  昭和61年夏
函館駅  昭和61年夏

青函トンネル開通前の先代の函館駅


坂の町  昭和61年夏
坂の町  昭和61年夏

はぁ〜るばるぅ〜きたぜ は〜こだてぇ〜〜〜


函館市電  昭和61年夏
函館市電  昭和61年夏

連絡船の保存運動があったみたいです


大沼駅  昭和61年夏
大沼駅  昭和61年夏

異様に高く伸びた煙突は今もまだあったかな?


大沼公園駅  昭和61年夏
大沼公園駅  昭和61年夏

煙突はさておき今も変わらぬ大沼公園駅


函館の夜景  昭和61年夏
函館の夜景  昭和61年夏

最初にして最後の函館山からの百万ドルの夜景には現役の青函連絡船


函館駅と41列車  昭和61年夏
函館駅と41列車  昭和61年夏

函館本線 函館〜札幌間の夜行鈍行には座席を取り外したカーペットカーも


札幌駅と41列車  昭和61年夏
札幌駅と41列車  昭和61年夏

道内一の都会の昭和末期とは思えない哀愁漂う駅でした


函館本線夜行41列車  昭和61年夏
函館本線夜行41列車  昭和61年夏

当時は郵便車や荷物車を併結した列車がたくさん走っていました


追分駅と特急おおぞら号  昭和61年夏
追分駅と特急おおぞら号  昭和61年夏

青春きっぷは特急には乗れません!


帯広駅と急行列車  昭和61年夏
帯広駅と急行列車  昭和61年夏

なんとなくたどり着いた帯広駅 ちなみに急行にだって乗れません!


愛国駅  昭和61年夏
愛国駅  昭和61年夏

愛国から幸福行きの切符を買いました


広尾駅  昭和61年夏
広尾駅  昭和61年夏

祝!八角親方大関昇進の頃


浦幌駅  昭和61年夏
浦幌駅  昭和61年夏

もっと先へ行って太平洋を見たかったけれど浦幌で断念


池田駅とワイン城  昭和61年夏
池田駅とワイン城  昭和61年夏

今なら写欲をそそられるものばかり目につく池田駅構内


幸福駅  昭和61年夏
幸福駅  昭和61年夏

今も観光施設として保存されているようです


幸福駅  昭和61年夏
幸福駅  昭和61年夏

当時から落書きだらけの駅名板


キハ22  昭和61年夏
キハ22  昭和61年夏

青春きっぷの十勝の旅はほとんどこの車両でした


上更別駅とキハ22  昭和61年夏
上更別駅とキハ22  昭和61年夏

かわいい単行気動車から子供の笑顔


上更別駅  昭和61年夏
上更別駅  昭和61年夏

無駄な地面ばかり入れてのっぽの煙突切るなよな・・・


士幌駅とキハ22  昭和61年夏
士幌駅とキハ22  昭和61年夏

どの駅も皆同じような作りで見分けがつきません


士幌駅  昭和61年夏
士幌駅  昭和61年夏

よく似ているけれどやっぱり違うんだね


糠平駅  昭和61年夏
糠平駅  昭和61年夏

この先は過疎化につき当時既に代行バス区間でした


十勝三股駅  昭和61年夏
十勝三股駅  昭和61年夏

今はただの荒野らしい十勝三股駅構内


十勝三股駅  昭和61年夏
十勝三股駅  昭和61年夏

この駅舎も廃止早々に取り壊されてしまったそうです


キハ22  昭和61年夏
キハ22  昭和61年夏

士幌線末期の行先表示版


国鉄代行バス  昭和61年夏
国鉄代行バス  昭和61年夏

こちらが同乗旅行者みんなで遠足気分を楽しんだ国鉄代行バスです


帯広駅  昭和61年夏
帯広駅  昭和61年夏

無料で泊めていただいたビジネスホテルの社長さん ありがとうございました


新得駅  昭和61年夏
新得駅  昭和61年夏

たぶん今もあまり変わらぬ新得駅


盛岡駅と特急はつかり号  昭和61年夏
盛岡駅と特急はつかり号  昭和61年夏

青春きっぷ御一行はもちろん右側の青い汽車です


東北本線普通電車  昭和61年夏
東北本線普通電車  昭和61年夏

東北新幹線開業後余った特急車両で鈍行の旅も快適


快速天竜号  昭和61年夏
快速天竜号  昭和61年夏

乗ったのか乗っていないのか・・・ 飯田線で帰ったのか中央本線か・・・


上諏訪駅と急行列車  昭和61年夏
上諏訪駅と急行列車  昭和61年夏

東京からの帰りは夜行の上諏訪行きが重宝していました



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どういうきっかけかてんで思い出せませんが、青春18きっぷで中学の同郷同級生四人、東京と箱根を旅しました


奥多摩駅  昭和62年春
奥多摩駅  昭和62年春

今なおほとんど変わらぬ佇まいの奥多摩駅


強羅駅  昭和62年春
強羅駅  昭和62年春

こちらも多分変わっていないだろう強羅駅


強羅駅とケーブルカー  昭和62年春
強羅駅とケーブルカー  昭和62年春

大人気のケーブルカー


小田原駅とベルニナ号  昭和62年春
小田原駅とベルニナ号  昭和62年春

登山電車小田原直通の頃


辰野駅  昭和62年春
辰野駅  昭和62年春

どのように降り立ったのかまったく記憶にありませんが・・・


ミニエコー  昭和62年春
ミニエコー  昭和62年春

数年前まで活躍していた「赤い電車」も元は「緑の電車」


岡谷駅  昭和62年春
岡谷駅  昭和62年春

こちらも足取り不明の国鉄からJRに変わりたての春の旅


上諏訪駅  昭和62年春
上諏訪駅  昭和62年春

新宿から上諏訪行きの夜行鈍行で早朝にやって来たのは覚えています


天竜峡駅  昭和62年春
天竜峡駅  昭和62年春

その後は延々飯田線乗りっぱなしの旅で唯一の長時間停車の天竜峡駅



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同じ春、一枚残った18きっぷで大井川鉄道のSLを撮りに行きました(ということらしい・・・)


金谷駅と大井川鉄道の電車  昭和62年春
金谷駅と大井川鉄道の電車  昭和62年春

きっとこの電車に乗ったのだろうけれど記憶がありません・・・


大井川鉄道の古い電車  昭和62年春
大井川鉄道の古い電車  昭和62年春

結局撮っていたのは何の変哲もないただの鉄ちゃん写真!


かわね路号  昭和62年春
かわね路号  昭和62年春

お目当てのかわね路号は陽気の加減かもひとつ迫力なし


福用駅  昭和62年春
福用駅  昭和62年春

今の駅舎もそこそこ歴史があると思っていたけれど案外新しいようです


帰りの電車  昭和62年春
帰りの電車  昭和62年春

きっとこの地元で乗り親しんだ名鉄風の電車に乗って帰ったんだろうな・・・


金谷駅(JR)  昭和62年春
金谷駅(JR)  昭和62年春

今もほとんど変わらぬ雰囲気のままです


金谷駅(大鉄)  昭和62年春
金谷駅(大鉄)  昭和62年春

この地味さも変わりなし・・・



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大学入試そっちのけで、廃止される青函連絡船の別れを惜しみ函館へ旅しました


東北本線の駅〈黒磯か郡山はたまた福島?)  昭和63年早春
東北本線の駅〈黒磯か郡山はたまた福島?)  昭和63年早春

うどん一杯280円の時代です


東北本線の駅(福島?)  昭和63年早春
東北本線の駅(福島?)  昭和63年早春

ホーム後方に見えるのは懐かしの構内テルファー


東北本線車窓  昭和63年早春
東北本線車窓  昭和63年早春

珍しくこの手の写真が撮られていました


青森駅  昭和63年早春
青森駅  昭和63年早春

連絡船の案内板と寝台特急


摩周丸  昭和63年早春
摩周丸  昭和63年早春

廃止後函館駅桟橋に展示されているのが摩周丸です


八甲田丸  昭和63年早春
八甲田丸  昭和63年早春

八甲田丸は青森駅桟橋に展示されています


函館駅可動桟橋  昭和63年早春
函館駅可動桟橋  昭和63年早春

桧山丸の貨車積み込み風景


十和田丸  昭和63年早春
十和田丸  昭和63年早春

廃止後は不運の十和田丸で別れを惜しむ乗客


十和田丸からの下船  昭和63年早春
十和田丸からの下船  昭和63年早春

憧れの大地北海道へみんなわくわく下船風景


函館駅連絡通路  昭和63年早春
函館駅連絡通路  昭和63年早春

さあこれから函館本線へ



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これまた出発の経緯も行き帰りの経路も忘れてしまった板谷峠への冬の旅


福島駅と奥羽本線普通列車  平成元年冬
福島駅と奥羽本線普通列車  平成元年冬

客車二両に機関車二両!!


峠駅  平成元年冬
峠駅  平成元年冬

スノーシェッドを抜けて峠駅に到着の普通列車


峠駅  平成元年冬
峠駅  平成元年冬

駅弁屋さんのわんちゃん佇む峠駅


峠の力水  平成元年冬
峠の力水  平成元年冬

当時は関心がなかった力水が写っていました


峠の力餅  平成元年冬
峠の力餅  平成元年冬

スノーシェッド内へ移設されたホームで今も営業を続けられているそうです


峠の力餅  平成元年冬
峠の力餅  平成元年冬

窓越しの駅弁売りも健在でした


赤岩駅  平成元年冬
赤岩駅  平成元年冬

引上げ線で折り返して赤岩駅舎脇を通過する普通列車


赤岩駅  平成元年冬
赤岩駅  平成元年冬

一段上の赤岩駅を出発して麓へ下る


赤岩駅  平成元年冬
赤岩駅  平成元年冬

今ではほとんど見放された赤岩駅も当時はどこにでもある普通の駅



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青春18きっぷの旅はこれでおしまい(記録を残していない旅は除く)、以後長いあいだ鉄道とは疎遠の暮らしを送っていました。 写真自体も十年以上の空白期の後、富士山の撮影をかじってまた暫しお蔵入り、つい数年前に復帰したところであります。
当時の旅は行きは大垣夜行、帰りは中央本線の夜行上諏訪行きをよく利用しました。 青函連絡船や鈍行夜行列車が全国的にもまだまだ残っていて、宿代を浮かすビンボー旅行が楽しめた時代でした。

国鉄末期に青春きっぷで追加料金なしに宿代わりに利用できた区間

東京〜大垣〜東京
天王寺〜新宮
高松〜高知
新宿〜上諏訪
青森〜函館〜青森(青函連絡船:数便有、但し接続先の指定券所持者が優先乗船)
函館〜札幌〜函館

そんな旅の連続でしたから、昼間の車内で爆睡してしまうことも多くて、ほとんど記憶にない線区(総武本線・北陸本線・信越本線・常磐線などなど)も結構あったりします・・・ まぁ、そんなことも楽しい想い出です。 機会があればいつかまた旅してみたいと思う今日この頃、もう一度戻ってみたい(学生には戻りたくないけどね)、今なおわたくしの心の中の憧れの時代。
御高覧ありがとうございました。


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