高山線・太多線駅めぐりの旅!

夏休みも近づいた6月24日、名古屋駅から国鉄型気動車列車が発車しました。
JR東海の週末恒例行事であるさわやかウォーキングが高山本線の飛騨小坂駅周辺で開催されたのです。
そのアクセス用として「さわやかウォーキング飛騨路号」が運転されることになったので乗ってきました。
そのときの旅の模様を報告します。

旅の始まりは名古屋から


まだ夜も完全に明け切らない瑠璃色の空の下、刈谷駅を早朝に発車する列車で名古屋駅まで向かいました。
私が着いたとき、5番線ホームにいる人はごくわずかでした。
しかし、各方面からの列車が着くたびに御老人が増え、入線直前にはホームが御老人で埋め尽くされてしまいました。
ホームに張られた臨時の乗車位置表示を見ると、どうやら2扉の気動車が来るようです。
これで3扉のキハ75が入線する可能性はゼロになりました。
いつもは見られないLED表示と相俟って私のテンションを上げるのには充分すぎる状況になりました。
(右写真の向きはわざとです。)

ついに入線!キハ40系!!


そして、ついに案内放送が流れ、列車が姿を現しました。
なんと、今回の型式はJR東海色のキハ47−6000とキハ48だったのです!
6000番台はエンジンを英国のカミンズ製に換装した車輌です。
この型式が名古屋駅に入線するのは、武豊線がキハ75に占領された後はごく稀になってしまっていたのです。
何はともあれ、3時間ほどの長旅に備えて座席を抜かりなくゲットしなくてはなりません。
当然のようにボックスシートの「進行方向左側逆向き」をゲットしました。(理由は後ほど…。)
実はこの時、まさに「ドリフの大爆笑」のようなハプニングが起こったのです。
ドアが開いた途端に乗り込もうとした前の人が二人そろってズッコケたのです!!(爆笑)
席を取りたい気持ちはわかるけど、気動車特有のドアステップを見逃すなんて…。(´_ゝ`)ププッ
こみ上げる笑いをこらえるのに必死でした。
席を取った後はひたすら写真撮影をしました。
名古屋駅のセントラルタワーズとキハ47の組み合わせは本当に貴重ですよ。

車輌観察


左写真はキハ47の側扉のステップです。
まさにこのステップで前述の事件が発生したのです。
この車輌は国鉄形気動車の中では少数派の両開き扉を持っています。
主に都市近郊の非電化通勤路線で快速列車として使われていたようです。
武豊線でも、90年代半ばまではこの車輌が当たり前に使われていました。
キハ58系と共に直通快速にも充当されていましたが、今では思い出の風景になってしまいました。
右写真のような先頭車同士の連結も気動車列車の味の一つです。

キハ40の車窓から


名古屋を発車してしばらくすると、尾張一宮に停車しました。
その少し手前から名鉄本線が並行しはじめます。
そして、最高のタイミングでパノラマスーパーが併走してきました。
キハ40系の車内から見るこのデッドヒートも貴重な1シーンです。

岐阜からはスイッチバックして高山線に入ります。
これが「進行方向左側逆向き」の謎を解くためのヒントです。
つまり、高山線に入った途端にその席は「進行方向右側前向き」になるのです!
しかも右写真の「飛水峡(ひすいきょう)」をはじめとする絶景ポイントは右側に集中しているのです!!
全行程中の2時間以上を占める高山本線の車窓風景を楽しまない手はありませんよね。
このような旅の時には鉄道の知識が旅の面白さを倍増させてくれるのです。
最高の席を取るのは鉄道ファンの得意技の一つなのです。
「フフフ、一般人とは違うのだよ、一般人とは!」(シャア再び)

観光化されてしまった下呂駅


長時間停車を何度もしながら、列車はやっと下呂駅に到着しました。
私はウォーキングに参加するつもりも無く、青空フリーきっぷの範囲がここまでなので下車することにしました。
この駅は丸屋根の跨線橋とホームにある温泉を使った手水場(右写真右端)が特徴です。
駅舎は木造なのですが、駅前に出てみて唖然としました。
当然といえば当然なのですが、すっかり観光化されてしまっていたのです。
ご飯にしようと思ってもやたらと高い「名物」しかありません。
仕方なく駅のキオスクでパンとお菓子を買ってしのぐことにしました。
暫くしてやって来たキハ40系ワンマン列車に乗って次の駅に向かいました。

ナチュラルな魅力! 飛騨金山駅


次に降りた飛騨金山駅は本当に魅力的な駅でした。
観光化されていない小奇麗な木造駅舎と町並みがとても魅力的でした。
駅舎のL字型の構造は久留里線の横田駅を思い出させてくれました。
昔は木材を積んだ長物車が居たであろうヤードや保線車輌の車庫も備え付けられていました。

懐かしい鉄道施設


そして、この駅の美濃太田寄りにはトラス構造が美しいシグナルタワーが建っています。
ここまで立派なシグナルタワーがあるのは本線の中規模以上の駅に限られる特徴でしょう。
跨線橋の中も磨りガラスと細い鉄骨のリベット止めという昔ながらの取り合わせで造られています。

実はこの駅でちょっとあせった事件がありました。
発車時間まで30分ほどあるにもかかわらず乗る予定の列車が入線してきたのです!!
駅まで走って戻っても、臨時列車が出るという案内は一言も有りませんでした。
とにかく列車に乗って待っていると、謎は氷解しました。
普通列車が着いてから20分も後に、特急「ワイドビューひだ」が入線してきたのです。
ここが本線であるということを改めて意識させられた出来事でした。

きれいな駅舎の焼石駅


飛騨金山から予定通りにキハ40系の列車に乗り、途中で見つけた木造駅舎がきれいな焼石駅で降りました。
この駅の魅力はなんと言ってもアイボリーに塗られた羽目板張りの駅舎でしょう。
窓枠まで木造という完璧な状態で残っている木造駅舎は特にJR東海管内では珍しくなってしまいました。
この駅の駅務室側の窓枠はとても数少ない貴重な例なのです。
さりげなく残ったストーブ煙突の基部がここが雪国であることを教えてくれました。
そのせいかこの時期はちょうど良い暖かさで、昼寝には最高の季節でした。
これまた木造の待合室の長椅子に横になっていると、まるで昭和時代にタイムスリップしたような錯覚に陥りました。
もっと寝ていたかったのですが列車の時間が近かったので早々に写真を撮って移動準備をしました。

街道沿いのオアシス 中川辺駅


この中川辺駅も偶然発見した駅です。
この駅は下見板張りの木造駅舎はもちろん、古レールを組んだ跨線橋が現役なのが一番のポイントです。
実は高山線岐阜近郊の駅の跨線橋は、ほとんどが歩道橋のような味気ないものになってしまっているのです。
たぶん構内踏切を撤去することだけを優先した結果でしょう。
その点この駅は昭和40年代には跨線橋が架かっていたようなので昔のままの設備が残ったのでしょう。
(鉄道資産標を探してみると駅施設の歴史を読み解けて結構面白いですよ。)
この駅でちょっと意外だったのが、駅前を街道が通っていて車が結構頻繁に行き来していたことです。
そんな街道筋にこんなにもきれいな駅施設を持った駅があることが本当に不思議でした。
ちなみに、右写真のオレンジ色のミラーの下にあるホームの切り欠きは腕木式信号機の操作ワイヤーの穴です。
昔はその穴のあるホーム上に小さな小屋が建っていて、中には腕木式信号機の操作梃子があったのです。
そんなふうにして駅の歴史を読み取るのは鉄道ファンの特技と言えるでしょう。

白川郷の玄関口 白川口駅


この白川口駅は時間が余ったので入れてみたのですが、結構良い駅でした。
一番の収穫は右写真の貨物側線と貨物ホームの跡を見ることが出来たことです。
バラストが砂と一体化して埋もれている様子や錆付いたレールが魅力的です。 また、駅前には「名倉変電所」や鋼鉄製のトラス構造の柱を持った頑丈なつり橋など、面白い物がたくさんありました。
白川郷行きの路線観光バスが発着していて、ここがまさに「白川郷の入口」であることを実感しました。
ここから美濃太田まで青空フリーの特徴と特定特急券を生かしてワイドビュー飛騨に乗りました。
久しぶりに乗ったキハ85系のリクライニングシートはとても快適で、それ以上に電車顔負けの俊足っぷりに驚きました。
たまには特急に乗るのも良いものです。

美濃太田の絶品駅弁


美濃太田駅に戻った私は太多線の列車を待つ間に腹ごしらえをしようと思いました。
そう、この駅には有名な絶品駅弁があるのです。
その名も「松茸釜飯」!
実はこれ以上に貴重な「舟弁当」という陶器製舟に入った弁当があるのですが、要予約なので食べれません。
そして、この駅には貴重なものがもうひとつ残っています!
なんと、未だに弁当立ち売りの売り子さんが列車が来るたびに現れるのです!
こんな駅は今ではめったにありません。
橋上駅舎の味気ない駅ですが、そこだけはとても良いものです。
これからも末永く続けていただきたいですね。

美濃太田機関区


美濃太田から太多線のキハ11系軽快気動車に乗り進行方向左側を見ていると、中川辺駅の手前に線路群が広がります。
それがJR東海高山線の運転上の中心である美濃太田機関区です。
そこには常時キハ11系やキハ40系、そして特急用のキハ85系が駐機して整備を受けたり出番を待ったりしています。
この機関区は周辺に道路があり、中川辺駅が至近駅なので撮影や観察にはもってこいです。
中川辺駅に一番近いところには右写真のような列車たちが眠っています。
165系やら103系やら381系と言った突っ込みを入れたくなるような列車も混じっています。
できることならもっと近くで観察してみたい車輌たちばかりです。
早く一般公開してくれないかな〜。

絶景望める美濃川合駅


気動車が機関区脇の陸橋をくぐるとすぐに美濃川合駅に着きます。
この駅自体は待合室も新しすぎて味気ないのですが、すぐ脇にとてもすばらしいパノラマが広がっています。

ダム湖を渡る大鉄橋!!


それがこの大鉄橋です!
美濃川合駅はダム湖のすぐ脇に位置しているのです。
駅のホームからもトラス鉄橋が向こう岸まで一直線に伸びているのが見えます。
そして、ちょっと歩いてダム湖の護岸道路まで行けばこんな写真が撮れます。
ちょうど運よくキハ47が来てくれました。
キハ11もクロスシートの鋼製車体なので好きなのですが、やっぱり国鉄型の迫力には負けますね。

カーブホームの下切駅


2,3本ほど列車を見送った後、再びキハ11に乗ってこの下切駅に降りました。
この駅はすぐ裏に小さな医院があり、街道が家屋の向こうを通っています。
そのせいか踏切を渡る車が結構多く通りました。
この線は中央線と高山本線の2大幹線を結ぶ路線なので廃止されることは無いと思いますが、少し悲しくなりました。
この駅から美濃太田方面の列車に乗ったのは私と2人の老婦人だけでした。
これが地方交通線の現状なのでしょうね。
環境よりも自分の便利さを重視する現代人が地球を壊しつくす時は近づいていると言うのに…。

木造駅舎と腕木信号機・可児駅


次に降りたのはこの可児駅です。
この駅は赤いトタン屋根の木造駅舎が現役で使われています。
すぐ脇にはスイッチバック式の配線で知られる名鉄新可児駅があります。
そして駅前には腕木信号機とポイントの矢羽表示機が「道しるべ」と題されて飾ってあります。
この信号機は太多線が全通した年から昭和61年11月26日まで可児駅で使われていたそうです。
腕木信号機も東海地方からは名松線と明智鉄道を最後に姿を消してしまいました。
現役の仲間に会えるのは、東海地方から近いところではくりはら田園鉄道ですが、そこも2007年の3月を最後に消えてしまいます。
もうこんな悲しい思いはしたくないです…。

ブロック積みの根本駅


次に降りた根本駅は特徴的な駅でした。
建物自体は定光寺駅を思わせるコンクリートブロック建築ですが、なんと水色に塗られているのです。
いくらなんでもセンスが悪すぎます。
ナチュラルなコンクリートの色のほうがよっぽど良いと思いますが…。
この駅もカーブホームになっていて、気動車はカントのせいで斜めになって停まります。
可児駅と小泉駅と共に有人駅なのが唯一の救いと言ったところでしょう。

哀れなり…、姫駅


この駅に降りた途端、愕然としました。
味のある木造駅舎だったはずが建て替えられてしまっていたのです。 それも最悪なステンレス地肌剥き出しの待合室に!
他の雰囲気はとても良いだけにテンションが一気に最低値をマークしてしまいました。
そして、出来るもんなら力いっぱい蹴飛ばしてやりたくなりましたが人がいたのでやめました。
人がいなかったら絶対やっていました。
JR東海は倒壊してしまえば良いのにとまで思ってしまう駅でした、

きれいな駅舎の小泉駅


しかし、この駅に降りた途端一気にテンションがMaxに戻りました。
旅の最後に可児駅と同じほどきれいな木造駅舎に巡り会えたのです。
しかも、腕木信号機の操作梃子がある小屋も物置として残っていたのです。
ちゃんと有人駅なのも嬉しいところです。
駅前にはコンビニがあり、そこでおでんを買って全駅制覇の祝杯としました。

今回の旅行で木造駅舎の標準設計パターンが掴めました。
この駅にも見られるように、L字型になっているのが国鉄木造駅舎の標準形のようです。
久留里線の横田駅も同じような構造でした。
しかし、焼石駅のような長方形の建物もあるようなので、一概には言えませんけど…。
やはり『模「景」を歩く』ことが実物のようなジオラマを作るには欠かせないことなのだな、と実感できた旅でした。


鉄道写真館へ
トップページへ