黄檗山万福寺で普茶料理を食べる


京都の伏見より南方、木幡の地にある萬福寺は、黄檗宗の大本山である。黄檗山と号し、開山は明国より来朝した隠元隆g(いんげんりゅうき)。
隠元隆gは、明国の万歴20年(1592年)福建省に生まれ、日本へは後光明天皇の御代・承応3年(1654年)7月5日に長崎へ来港。
長崎の興福寺、摂津国普門寺(現在の大阪府高槻市内)の住持を経て、
後水尾院を始め徳川家綱等の帰依尊崇を受け、山城国木幡にある中和門院の旧領地を賜り、寛文元年(1661年)に萬福寺を開創。
寛文13年(1673年)4月遷化。82歳。
大正天皇より真空大師という諡号を勅賜されている。






羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)像。
自ら腹を切り裂き、『一切衆生悉有仏性(一切の衆生は悉く仏性を有する)』を示している。


普茶とは、「普(あまね)く人々に茶を差し上げる」という意味であり、
法会や仏事の終了後に慰労会の意味も込めて、僧侶や檀家が一同に介し、茶を飲みながら食べる精進料理である。
油や葛餡を用いる中国式の調理法を伝えている。
ひとつの座卓を4人で囲み、大皿料理を分け合って食べるのを基本としているので、料理は4人前からとなっている。
しかしそれでは夫婦ふたり連れ等、対応出来ない部分も有るので、「普茶弁当」という形で1名からも予約出来る様になっている。

筝羹(しゅんかん)・・・蓬麩を焼いて田楽味噌を塗ったもの。豆腐の味噌漬け。山芋製蒲鉾モドキ。飛竜頭。小茄子の煮物。けんちん信田巻き等。
麻腐(まふ)・・・・・・・・胡麻豆腐。
寿免(すめ)・・・・・・・・揚げ豆腐、三つ葉、針ショウガを入れた、昆布の吸い物。
浸菜(しんつぁい)・・・浸し物。青菜の白和え。
雲片(うんぺん)・・・・・野菜の葛懸け。(※これは今回の弁当には入っていなかった)
油じ(ゆじ)・・・・・・・・材料や衣に味の付いた天麩羅。カボチャ、オクラ、エリンギ等の野菜の天麩羅。梅干しの蜜煮の天麩羅。
飯子(はんつぅ)・・・・・御飯物。炊き込みご飯。山菜御飯・栗御飯・豆御飯等。
掩菜(えんつぁい)・・・香の物。奈良漬け等。
水果(すいご)・・・・果物(蜜柑、イチゴ、メロン)、抹茶団子等の甘味類。

(※巴饅頭の天麩羅や、もう少し色々入っていたけれど、撮る前に食べてしまったので、この写真には載っていません)



「寿免」すめ(唐揚げ汁・お吸い物)と菓子も付いている。
昆布出汁のせいか、あっさりとした味がする。

.「雲板(うんぱん)」
雲を模った青銅板で、木槌で打ち、粥座(朝食)斎座(昼食)の際、
修行僧へ食事の準備が整ったことを知らせる鳴らし物である。
典座に備えられている。


拝観を終え、普茶料理を戴いて山門を出ると西側に、

山門を 出れば日本ぞ 茶摘歌」 と彫られた菊舎尼の句碑がある。
田上菊舎は一字庵と号し、
宝暦3年(1753年)10月に長門国豊浦郡田耕村に生まれ、16歳で嫁ぐが24歳で夫と死別し、子がなかった為に実家へ戻り、
俳諧の道を志して松尾芭蕉を慕い、出家し尼僧となって諸国を行脚。
芭蕉十哲のひとり・各務支考の流れをくむ美濃派の宗匠・朝暮園傘狂の指導を受けたりしている。
菊舎が萬福寺を参拝したのは寛政2年(1790年)3月。38歳のときで、旧暦で茶摘の季節であった。

「見聞に耳目を驚かしつつ 黄檗山のうちを拝しめぐり 誠に唐土の心地し侍れば
                                                山門を 出れば日本ぞ 茶摘歌」


明朝様式の諸堂を巡拝し終え、三門を出たときに、門前の茶畑から茶摘唄が聞こえ、
異国情緒のなかから、はっと我に返ったその心情を詠んでいる。
菊舎は文政9年(1826年)8月に長門国長府にて死去。74歳。著書に『手折菊』等がある。



木幡から南に下れば、茶どころ宇治。
今回は、対鳳庵で茶を飲み、宇治橋のたもとの通圓で茶を買う。



宇治川に沿って平等院の少し上流まで歩くと、茶室・対鳳庵がある。
茶の生産地として知られる宇治市が所有する市営の茶室で、茶道の普及と宇治茶の振興に活用されている。
平等院に向かって道を隔てた土地に造られたことにより名付けられ、平成5年に建てられた。
誰でも気軽にお手前を見る事ができる茶室で、本場の抹茶と季節のお菓子を味わえるのが嬉しい。

源氏物語のなかで宇治を舞台としたものに、
光る源氏の君の亡きあと、その余光ともいえる薫と匂宮、故八の宮の3人の娘達との物語・『宇治十帖』がある。

匂宮と浮舟の女とが眺めた橘の小島は、宇治橋の下流にかつて有った中州を指すようで、どうやら現在の橘島とは違うらしい。
宇治川の瀬音が、常にこの物語の背景に聞こえる。

「まろは、いかで死なばや。世づかず心憂かりける身かな。かく、憂きことあるためしは、下衆などの中にだに多くやはあなる」

「親に先だちなむ罪失ひたまへ」とのみ思ふ。


橘の 小島の色は変はらじを この浮舟ぞ 行方知られぬ









「漫遊録」に戻る。