コジ・ファン・トゥッテ

私がオペラの舞台を見た唯の1回の経験が、コヴェントガーデン引越し公演のこのオペラでした。手持ち音源も8つになったこの曲は、勿論最愛のオペラの一つになります。

女声の選択

登場人物は女声男声3人ずつですが、どういう声を割り当てているか、が中々面白いのです。

ベームの1962年盤に添えられた高橋保男氏の解説によると、女声3人は作曲者の指定は全てソプラノだけれど、これはメゾという分類が当時無かったからであり、声のコントラストからいってもドラベッラはメゾに歌われるのが自然である、デスピーナはスザンナ(フィガロの結婚)やツェルリーナ(ドンジョヴァンニ)と並んで典型的なスーブレット役(あえて訳せば尻軽訳知り女中役、でしょうか)で、アンサンブルでは姉妹よりも下になっている、とあります。確かに手持ち音源中、ドラベッラをソプラノが歌ったのは一つもありません。

この見解そのものになっているのは1960年代にベームが上演する時の固定メンバー、フィオルディリージにシュワルツコップ、ドラベッラにクリスタ・ルートヴィッヒ、デスピーナにグラツィエラ・シュッティ、という顔ぶれでしょう。この中ではシュッティの知名度が相対的に低くなるかと思いますが、私見では最高のスザンナ歌いです。

残念ながらこの一世を風靡した組み合わせの録音はありません。しかしベームの1955年盤でルートヴィッヒを、1962年盤でシュワルツコップとルートヴィッヒを、1956年のカンテッリ盤でシュワルツコップとシュッティを、それぞれ聞けます。その個人的感想を言ってしまうと、シュワルツコップとルートヴィッヒはどちらも好みではありません。

シュワルツコップはとにかく理知的なソプラノなのです。聞こえ悪く言えば、腹に一物ある雰囲気を常に漂わせます。「フィガロの結婚」の伯爵夫人は最高のはまり役と思う一方、私なりにどう聴いても、騙されて情にほだされて情熱に身を任せるフィオルディージには聞こえないのです。ルートヴィッヒの粘る声は元々少し苦手です。加えて、この二人の声はそれぞれ力がある分、アンサンブルでの収まりが良くないのです。

ソプラノとメゾの組み合わせの姉妹で最高と思ったのはベーム1974年盤のヤノヴィッツとファスベンダーです。二人とも大スターですが、シュワルツコップのように突出することなく、非常に奇麗なアンサンブルを作っています。

シュッティやルチア・ポップ(クレンペラー1971年盤)、レリ・グリスト(ベーム1974年盤)といった、スザンナも歌う芸達者達がデスピーナを歌うのは当然のようですが、同じ典型的スーブレットとは言いながら、スザンナはアンサンブルの一番上、一方デスピーナはメゾ役のドラベッラより下なのです。多分スーブレット役の典型はソプラノでも上の方では無いかと思うのですが。

というわけで、2000年録画のアーノンクール盤DVDのキャストを見て唖然としました。奇手とも思いましたが聴いてみれば最高の女声陣です。フィオルディリージにチェチリア・バルトリ、デスピーナにアグネス・バルツァ、ソプラノ役だと思っていたところにメゾ(あるいはアルト)の超ビッグネーム二人です。ドラベッラのリリアナ・ニキトーと合わせ、女声3人ともメゾになっています。

パンフレットを見ると、3人が3人ともドラベッラとデスピーナの両方を歌ったことがあるようです。メゾがデスピーナを歌うのは私が知らなかっただけで珍しくはなかったようですが、それにしてもバルツァです。カルメンより少し音域が高いようですが、カルメンを歌うときと同じ誇り高い迫力で歌われるデスピーナは並みのスーブレットではありません。額のしわが年寄り臭いですが、標準的デスピーナよりうんと「あねご」風になっている声と合います。(大体あのしわは1980年にベームと来日してケルビーノを歌ったときから有りましたから、加齢によるものではなく、元々のふけ顔です。)

バルトリがこの役を歌うのはこのプロダクションが初めてとのこと、それはそうでしょう、正真正銘のソプラノ役のはずですから。アリアでドーンと低い音を要求されるこの役は、むしろ上に余裕のあるメゾの方が楽だというのは、言われてみれば、というところです。この3人のメゾの中ではバルトリが一番上に回るのは無理の無いところです。声の対比はどうかというと、高橋保男氏の文章に反して、ニキトーとの声質差は非常に小さい。でもこのオペラでは声の対比は要らないのです。各々が腹に一物抱えて探りあいを続ける「フィガロの結婚」とは違って、情熱に身を任せてしまうこの劇の姉妹には、声の溶け合いの方が優先されるということは、ベーム1974年盤を聴いたときから私も薄々感じていたのですが、しかしメゾで3人揃えるというのは(素人が言うのもなんですが)偉大な発想の転換だったように思います。愛嬌ある舞台姿もオペラ歌手中では有数の美人といえます。

ニキトーという歌手は私が聴いたのは初めてですが、ドラベッラを持ち役にしている超ビッグネーム二人との共演に気後れすることなく、という以上に素晴らしい。加えて舞台姿がバルトリを上回って美しい。ドラベッラをやるために生まれたような容姿をしています。

男声の選択・・と解釈と演出

同じく高橋保男氏の解説では、フェランドがテノール、グリエルモがバリトン、ドン・アルフォンゾがバス、と一応した上で、下の二人は何れもバスとされたりバリトンとされたりすることがあることを述べています。フェランドの性格はどの演奏でも殆ど変わりません。残り二人が全体の雰囲気を決めます。ドン・アルフォンソが「セビリアの理髪師」のドン・バジリオのようなバス・ブッフォみたいな性格であるにもかかわらず、アンサンブルではグリエルモより上、ということが多様な解釈を許す原因です。

第2幕のグリエルモのアリアを、文字通りの女性への憤りとして歌うのか、恋人に裏切られたフェランドに対する慰めのようで実は優越感を隠し切れずに半ばからかうような歌として歌うのか、グリエルモ像を大きく左右します。ドン・アルフォンソを虚無的な悪魔的な人物にするか、酸いも甘いも知り尽くした人生の師にするか、声の質と演出とで随分変わってきます。

男声陣では一番最初に聞いたベーム1955年盤のデルモータ/クンツ/シェフラーが未だに一番好きです。うぬぼれの強いグリエルモに憎めないドン・アルフォンソという喜劇路線の中で、特に声に余裕とユーモアがあるのはクンツとシェフラーの二人です。二人ともバスといっていい声の持ち主です。ベーム1974年盤のシュライヤー/プライ/パネライも同路線で、55年盤ほどは徹底しませんがこれも悪くない。74年盤のライブでの観客の楽しそうな笑い声から想像するに、ベームは元々このオペラをスピード感ある平和な喜劇として扱っていたように思います。このオペラでスピード感を出すにはカットは避けられません。手持ち音源の何れもそこここにカットがあるようですが、特にカットが多いのがベーム55年盤です。74年盤のカットも多い方です。カットが少なく世評は高いけれど私が全然好まないベーム62年盤は結局「よそ行き」になってしまったのでしょうか。

比較的まじめなグリエルモに悪魔的ドン・アルフォンソ、の典型がアーノンクール2000年盤DVDです。これはこれで素晴らしい。単なるブッフォとは言っておられない深刻な歌が、殆ど漆黒に終止する背景と完全にマッチします。ベームの74年ライブを見たことは無い(この映像売ってませんよね?)のですが、きっとこちらは陽の光のふりそぞくイメージの明るい舞台だったに違いありません。アーノンクール盤ではカットが少なく、アーノンクールの指揮も随所に「間」をたっぷりとっており、スピード感を全然指向していません。しかしきめの細かい演出で退屈させません。私見ですが、このオペラ、音だけの場合かなり大幅なカットは避けられないけれど、映像付きで演出がよければ冗長と思われるところも間が持つのでは無いかと思います。

手持ち音源

ベーム(1955) 男声陣はトップクラス。カット特に多し。
カンテッリ(1956) シュッティ目当てで購入したが、録音が悪すぎる。
ベーム(1962) 世評は高いが、私は好きでありません。
クレンペラー(1971) 異様に遅いテンポに何とも怪しいドン・アルフォンソ。一聴の価値あり。
ベーム(1974) バランスよく楽しいライブ、お勧めできます。
プリチャード(1975) LD。何ともだれた演奏だが、訳知りのドン・アルフォンソ像は一つの典型と思う。
クイケン(1992) 印象薄し。第24曲のフェランドのアリアまであるということは完全全曲盤かもしれないが、映像抜きのカットなしは少々退屈という例
アーノンクール(2000) DVD。最強の女声陣。厳しくも美しい舞台。

 

フィッシャー指揮ウィーンフィル(2009.07.30ザルツブルク)
(09.08.29
追加)

Operashare#71691。スコウフスのアルフォンソと、プティボンのデスピーナ、となれば、恋人達が見覚えの無い歌手であっても見てみたいと思った・・のですが、変な演出でした。男どもが碌に変装しないコジ・ファン・トゥッテがあっていいものでしょうか。
上のほうで、「アルフォンソを
悪魔的にするか、訳知りにするか」というようなことを昔書いているのですが、どちらにしても不機嫌なアルフォンソというのも解せません。プティボンは本当は可愛いのに(この「コジ」と前後して放送されたらしいインタビュー映像も見ましたが、普段着姿は本当に可愛い)、わざと突っ張ったような演技に終始して可愛げを意図的に出さないようにしているようです。細身の体に似合わない太い腕が目立ちました。ジムにでも行って鍛えている?
声は女声陣は安定していますが、男声陣はスコウフスも含め安定しません。文字通り揺れが目立ちます。
お勧めというより「怖いもの見たさ向き」かと思います。
Miah Persson, Fiordiligi
Isabel Leonard, Dorabella
Topi Lehtipuu, Ferrando
Florian Boesch, Guglielmo
Bo Skovhus, Don Alfonso
Patricia Petibon, Despina
Vienna Philharmonic
Concert Association of the Vienna State Opera Chorus
Adam Fischer, Conductor

 

バレンボイム指揮スカラ座(2014)

 Operashare#111437。モーツァルトのマイナーなオペラはあまり見ていないながら、大体見当ついちゃった、というところで、メジャーなオペラでも偏愛するのは「フィガロ」「コジ」の2曲、これらも色々な歌唱を聴き、色々な演出を見てきて、「想定外」に出くわすことも少なくなってきて、operashareでアップされていても歌手陣をチラと眺めるだけでスルーすることの方が多くなってきたのですが、ペルトゥージがドン・アルフォンソを歌っているので取ってみました。
 他に名前で分かる歌手は、フェランドのヴィラゾン、この人は私がもっと積極的にオペラを漁っていた時期に最大限に歌いまくっていた人で、勿論存在は認識していましたが、なんとなく避けていて・・・野獣系の顔に全くそそられなかった、というのはあります・・・その内に喉の不調で第一線からは退いていたのがようやく復活してきたところです。
 演出は現代衣装、それもかなり趣味が悪い方です。ペルトゥージが魔法使い(?)で、その場に居ない人の幻影を出すことができる、というつもりか何だか分かりませんが、冒頭の男共の論争の場面の後ろを姉妹がうろうろしている時点で私の中では「論外」です。変装しているはずなのに同じ衣装のまま、というのも、これが初めてではありませんが、演出者の神経が信じられません。
と、演出全体は全く評価していないのですが、その中心で演じているペルトゥージはどこから見ても最高です。「マフィアのドン」みたいにニヤニヤしながらどっしり座って(元々そういう顔です)、姿でも声量でも圧倒的な存在感です。他が凹んでいるから一段と際立って見える、というのも否定できませんが。
 姉妹は、顔も体型もまずまずながら、何というか「華がなくて」魅力ありません。フィオルディリージ役は音程は正確ですが(それだけでもこの役では大変でしょうが)声量が決定的に不足、ドラベッラ役も多少声が出ている程度でやはり不足です。デスピーナ役が女声陣では一番マシと思いますが、他に色々見てきたのと比べると、格別魅力的な点は見出せません。グリエルモ役は表情が殆どない大根役者で、声量こそまあまあですが、存在感が希薄で、これまた魅力ありません。
 となると、消去法でヴィラゾンのフェランドが第二位ということになりますが、他のフェランドと比べてそう魅力的とも思えません。前述の事情で全盛期の声とは比べられないながら、一流と言っていい声だとは思いますが、この役には重すぎる声であるように思います。野獣系の顔も演技も私の勝手なフェランド像からは距離があります。大昔には毛嫌いしていたバレンボイムの指揮には特に文句はありません。
 以上ボロカスですが、ペルトゥージのドンアルフォンソだけでも見るに値すると思った映像でした。

Orchestra  e Coro del Teatro alla Scala
Direttore d’Orchestra DANIEL BARENBOIM
Maestro del coro BRUNO CASONI
Maestro al cembalo JAMES VAUGHAN

Personaggi e interpreti:
FIORDILIGI MARIA BENGTSSON
DORABELLA KATJIA DRAGOJEVIC
GUGLIELMO ADAM PLACHETKA
FERRANDO ROLANDO VILLAZON
DESPINA SERENA MALFI
DON ALFONSO MICHELE PERTUSI

Scene CHRISTIAN SCHMIDT 
Costumi ANNA SOFIE TUMA
Luci MARCO FILIBECK
Regia CLAUS GUTH

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