第25巻:太陽賛歌、ゆりかごから墓場まで お勧め度:D
珍品集です。玉石混交ですが、ざっとみて魅力が乏しいと言わざるを得ません。
最初2トラックが「聖フランチェスコ−太陽賛歌へのプレリュード」(1880)及び「アッシジの聖フランチェスコの太陽賛歌」(1881)ですが、まずこの2作品の関係が解説読んでもよく分かりません。いずれも、2曲目と同タイトルの宗教合唱曲(1862)の編曲らしいのですが。冒頭はいずれも第8巻の「十字架の道」を思い出させますが、1曲目は魅力が出る前に曲が終わってしまいます。2曲目は徐々に調子が出て、9分過ぎから、おおっ、と思わせるのですが、その直後に曲が終わってしまいます。引き合いに出しては「十字架の道」に申し訳ないかな?
「ゆりかごから墓場まで」(1881)はリストの最後の交響詩(第13番、1881-1882)のピアノ編曲。内実は、ピアノソロ → ピアノデュオ or 管弦楽 → ピアノソロ という経緯、とのことです。最初のゆりかごは第11巻のトラック6で聞き覚えのあるものです。真ん中は「生存競争」と訳してしまってよいのでしょうか、特徴的なリズムですが面白くはありません。最後の墓場は前2つの材料を使って静かに終わっていますが、正直な所、ゆりかごだけで十分です。
ここまでで5トラック、続く中盤の7トラックは、非常に動きの少ない曲ばかり並んでいますが、その内、「Ave maris stella」(1868)は第7巻に7つ出てきたアヴェマリアの内の一つの第2稿、拍子が違います。どっちでもいいようなものですが、こういうCDに入れられてしまうと聴く機会が減るので、ますます拍子違いが違和感になります。
「Il m'aimait tant」(1843)以降の最後4トラックは自作歌曲の編曲、これらは大分いいですが、第19巻の方が好きです。「Romance 'O pourquoi」(1848)はこの分野では少数派の短調の曲、リスト自作歌曲編曲全体の中でもちょっと光りそう。「君を愛す」(1860)と、「ノンネンヴェルトの僧坊」(1880)(第4稿!)は動きが少なくてこの巻には似合っていますが、私の好みからすると静か過ぎます。
第26巻:The Young Liszt お勧め度:D
16才になるまでの作品を集めた1.5枚+フィルアップ。間違いなくコレクターズアイテムですが、そうだと思って聴くと、それほど悪いものではありません。大人が神童に期待する通りのものが正しく実現されている、というところでしょう。チェルニーの影響が強い?そうかもしれません。何はともあれ、これをぜひ聴いて欲しいというものはありません。
CD1はディアベリのワルツによる変奏曲から始まります。ベートーベンでおなじみ、というほどメジャーだとは思っていませんが、例の主題は全く同じで、いきなり踏み外したような変奏になります。と、聞こえるのは、ベートーベンが主題の痕跡として残しつづけたリズムの骨格を変えているからでしょう。10才かそこらの神童の注目作かもしれませんが、それ以上ではありません。
・・・と片付けてしまうと、CD1についてこれ以上書くことはなくなるのですが、1つ選べば、トラック7の「Allegro di Bravura」でしょうか。ませがきヴィルトゥオーゾの得意顔が目に浮かぶ、かもしれません。
CD2の冒頭は12の練習曲、この2枚組の目玉といえるでしょう。最終形を知らない方が求めて聴くものではないですが、超絶技巧練習曲の元の元です。チェルニー風とも言えますが、あの練習曲集の楽想の原形=ちょっとずつ幼稚に聞こえるのは致し方ないとしても、なにせあの曲集の原形=がうかがえます。CD1のはただの神童、14才のこちらはただでは済まない神童、位の違いでしょうか。これの11番がオミットされて(これも中々いいと思うんだが)、7番が調性をかえて11番に回り、7番にはCD1のトラック6のイントロが回る、それ以外はそのまま超絶技巧練習曲につながる、という関係です。
トラック16以降最後のトラック27までは断片集とでもいうべきものです。作曲年代は1840年代中心になります。第1巻のワルツ集で聞き覚えのあるメロディ(あちこち多数)や、「愛の夢第2番」や「子守歌」の第1稿(これらは控えめでかなりいい)、他小品が並んでいます。一番耳を引いたのは「ノンネンヴェルトの僧坊」の第3稿と、最後の「Apparitions」かな、しかし、やはりどうみてもコレクターズアイテムです。
第27巻:国民の歌&国歌編曲集 お勧め度:D
この不思議なアルバムをお勧めする気にはなりませんが、解説の前口上が気に入っています。リストはハンガリーでフェレンツェと呼ばれようと、ドイツでフランツと呼ばれようと、フランスでフランソワと呼ばれようと、一切お構いなし、では本人のアイデンティティがどこにあるかというと、膨大に残っている自筆の手紙をいくら探しても、例え自分の子供宛でも、”FL”か、”FLiszt”の署名しかない、というのです。こういう筋金入りのコスモポリタン振りを見せられると、歴史上掃いて捨てるほどいる「筋金入りナショナリスト」達が軒並み幼稚なように思えてしまいます。曲の方は「ぶんて、らいへ」のように退屈しきるわけではないですが、ピンと来ることも余りありません。この方面でのリストの代表作「ハンガリー狂詩曲集」「スペイン狂詩曲」、さらに第21,22巻あたりも除いた、残りかす、とまではいいませんが、そういうアルバムです。
最初が「Szozat und Ungarischer Hymnus」(1873)、曲目解説もごちゃごちゃしていて読む気がしないけれど、まあどうでもいいでしょう。次がイギリス国歌「God save the Queen」(1841)、イギリス演奏旅行の際のご挨拶曲、でしょう。これもどうでもいい。次が「ナポリ風カンツォーネ」第1稿(1842)、これはちょっといいです。
続く3トラックが「Ungarishe Nationalmelodien」(1840)ですが、これはハンガリー狂詩曲第6番の破片集です。これが目立ってしまうようでは、アルバムのレベルが知れてしまいます。「ナポリ風カンツォーネ」第2稿(1842)は第1稿とさほど変わりませんが、どちらかというと私は第1稿を取ります。「Hussitenlied」(1840)も妙に元気だけいいですが、どうでもいいでしょう。最後はちょっとだけ格好いい。
続く3トラックが「Glanes de Woronince」(1847-1848)、Woronince というのはウクライナにあったカロリーネ・フォン・ザイン=ヴィトゲンシュタイン侯爵夫人の所領の名前だか、所領があった場所の名前だか、です。この侯爵夫人がリストの後半生の伴侶だったのですが、細かい話は伝記でも見ていただくとして、第1曲が「Ballade ukraine (Dumka)」、Dumkaは訳すなら悲歌、というところ。渋くて中々よろしい。次が「ポーランドのメロディ」、まあまあの出来のマズルカ風。最後が「Complainte (Dumka)」、これは不平、でしょうか?、こういうぐずぐずした曲は好みではありません。
次がフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」(1872)、堂々と始めて途中で鎮めて最後を締めるあたり、イギリス国歌よりはいい。月並み調といってしまえばそれまでです。「Viva Henri W」(1870?-1880?)は、「ビバ!国王アンリ4世」だと思いますが、フランス民謡だそうです。どうということなし。「La cloche sonne」(1850?)もフランス民謡だそうです。ちょっと怪しいけれど、どうということはない。
最後が、「ラコッツィ行進曲」第1稿(1839-1840)、全部で8つ録音されているうちの一番古いもので、他のどれよりも変わっているバージョンです。下手向きバージョンではなく、かなり難しそうです。この巻にあっては、断然光ってしまいます。