第1巻:ワルツ集 お勧め度:S
この巻がSになるのは最初から決まっていました。fj.rec.music.classical に投稿していた頃にも一度ならず推薦文を書きました。ただし、誰彼となくお勧めするようなものか、という疑問から序文が必要以上に長くなるきっかけを作った巻でもあります。
だってそうでしょう、ショパンの作品中ワルツ集というと、あえていえば二流作品群です。そして、リストのワルツで有名といえるのはメフィストワルツの一番くらいで、これすらショパンの中くらいに知られているワルツ程度かそれ以下の知名度しかありません。リストのワルツを最高傑作と呼ぶだけでは、リスト全体がショパンの二流以下と決め付けているように誤解されかねません。
この巻のコアは冒頭から交互に続く、「忘れられたワルツ」「メフィストワルツ」各2,3,4番、殆ど知名度0に近い最晩年の6曲です。これらは、「音楽」が「意味」を脱ぎ捨てて走り出した曲なのです。
ベートーベン以来、音楽が括弧つきの「意味」を背負うのは当然のことになりました。勿論標題音楽/絶対音楽という区別ではありません。荘厳ミサ曲に添えられた「こころよりいでしものねがはくはこころにいたらんことを」、あれです。ベートーベンの全交響曲、わけても「エロイカ」以降は「田園」を標題音楽と呼ぶ呼ばないに関係なく、「意味」をしっかり背負っています。この「意味」はロマン派ではますます当然のものとなり、シューベルトの最後の年のソナタにしても、ショパン最晩年の「幻想ポロネーズ」にしても「意味」が深く重くなったことにより近づきにくさが生まれています。
シューベルトやショパンのような夭折作曲家では重くなる一方、ベートーベンでは? ベートーベンが最後に自身で最高傑作と呼んだ弦楽四重奏曲第14番では「意味」は最高傑作たる所以の中心には居ませんが、まだ「意味」が重たい曲だと思います。ベートーベンが「意味」に背を向けて「音楽」にひたるに至った曲があるとすれば、ぼろぼろの健康と精神状態で書かれた最後の作品、弦楽四重奏曲第16番および同13番の差し替え終楽章でしょう。いずれもベートーベン後期にあっては比較的評価が定まらない曲です。
リストはさらに長生きなのです。おかげで晩年の作品といっても幅が広い。巡礼の年第3年を最著名作とする1870年代とワルツが書かれた80年代でも大分違います。さらに80年代を大雑把に分けて、「意味」が自家中毒しそうな程に重い「悲しみのゴンドラ」等、全集第11巻にまとまっている作品と、それを突き抜けてしまったワルツ・チャルダッシュを始めとする舞曲系に分けられるかもしれません。リスト愛好家たるもの、前者が嫌いとは言いませんが、後者がすぱっと決まる作品と演奏と録音の組み合わせはこたえられません。それがこのアルバムです。
まず最初の「忘れられたワルツ第2番」の出だしを聴いてください。そんなに音の数は多くありません。当てるだけなら私にも出来ます(多分:楽譜は見てないので・・・)。しかし絶対にこの雰囲気の真似は出来ません。鍵盤をしっかり叩いてしっかり離脱するという基本中の基本で、一流プロと二流アマチュアの差が出てしまいます(一流アマチュアなら問題ないところです)。ここから始まって、穏和な「忘れられた」と哄笑の「メフィスト」が交互に続きます。「メフィスト」の絶対的テンポはそう早いわけではないですが、身軽な疾走感は代えがたいものがあります。・・・大好きなこの6曲についてもっと書き続けたい気もするのですが、個別に紹介するのも白々しく思えますので、このあたりでやめておきましょう。作曲年代は「メフィスト」第2番が1881年、「忘れられた」第2番、第3番と「メフィスト」第3番が1883年、「忘れられた」第4番が1884年、「メフィスト」第4番が1885年(但し不完全な楽譜をハワードが補筆)、です。
最初6曲、もの凄い曲を聞いていたと実感するのが、7、8曲目の「レントラー」(1843)と「ワルツ形式のアルバムリーフ」(1842)に至ったとき。何れも1分にみたず、演奏者本人解説でも「アンコールとして入れた」とありますが、1842,3年の作品としてもスカタンです。スカタンですが、緊張の6曲の後に思いっきり緩めるアルバム構成だ、と気付いてしまえば、ますます好きになります。
続いて3曲、壮年期のノーマル(と言ってもショパンやシュトラウスに近いわけではない)なワルツが3曲続きます。日本語訳の自信が無い(邦題アンチョコに欠番がある!)ので、そのまま書くと、「Valse-impromptu」(1852)、「Valse melancolique」(1850)、「Valse de bravoure」(1850)です。ここで緩めきった緊張感を徐々に締めなおす構成は見事です・・曲の方は水準でしょうか。それより3曲の順番がいい。
そして最有名曲3曲に至ります。まず「調性の無いバガテル」(1885)、原題はメフィストワルツの第4番で、その後独立し、新たに今の第4番が出来たそうで。メフィストワルツ2,3,4番と比べるとこっちの方がむしろ現世に色目を使っているようで、その分意外と親しみやすいかもしれませんが、私はあっちを取ります、といっても1885年時点の超前衛として勿論大注目の曲です。続いて「忘れられたワルツ第1番」(1881)、これは2,3,4番と比べると無性格なような気がします。だから知られているのかもしれませんが。最後に「メフィストワルツ第1番」(1862)、ただしわずかですが聴きなれないパッセージを含む珍版(ノーマルな方は第38巻にあります)。これについても他のメフィストワルツの方を高く評価する私ですが、楽しくぶち上げてくれるこの曲も勿論嫌いではない。アルバムの最後はこう締めてもらわなくては。
ハワードの演奏は文句なしでしょう。といっても、最後3曲以外で手元で比較できるのは、メフィスト2,3,4番のカツァリスしかないのですが、この比較ならハワードの圧勝です。また、この巻の曲の原形やら異稿やらがかなりあり、第28、38、55、56巻に分散して録音されていますが、曲・演奏のどちらの面でもこの巻が優れています。