ブロウチェク氏の旅行
世界初のSF笑劇オペラ
かどうか、本当のところは知りませんが、第1部の「月旅行」は文句無しの笑劇(ファース)だと思います。問題は15世紀のプラハへ行ってしまう第2部のほうで、これは一体何なのでしょう。'01.06.23初回公開分はそのままとして、初めてDVDで見ての感想を最後に付記します('05.05.29)。
第1部と第2部、2つのオペラと見るか、合わせて1つのオペラと見るか、微妙なところです。合計2時間弱という演奏時間から見ても、第2部で第1部からのつなぎの言葉が出てくる点を見ても、一晩で2部作合計4幕を上演するように作られているのは明らかですが、第1部は第2部と関係なく完結しているともいえます。個人的には第2部が苦手で、セット物としては、お気に入り順第5位以下とするしかないですが、第1部だけ気楽に聞き流すのは結構好きです。
あらすじは例によってこちらを紹介しておきます。とてつもなく凝った作りです。21世紀の舞台装置技術を要求しているといえるでしょう。加えて各歌手に対する音域の要求が非常に厳しいとのこと、これは素人には分かりませんが、となると本国でもそう簡単には上演できないでしょう。まして第2部はチェコのローカルネタ、世界的な普及が遅れているのもやむを得ないようです。
第1部は酔っ払いのブロウチェク氏がなぜか月世界に飛んでいってしまい(ト書きでは舞台上で視覚的にも月世界に飛んでいくことになっている)、地上での知人のように見える月の住人が、全て妙な芸術至上主義者なのでドタバタが絶えない、という比較的分かりやすい笑劇です。ヤナーチェクはこの第1部の台本作者延べ7人に文句をつけたり暇を出したり、あるいは外野から色々言われたり、で完成まで9年かかってしまっています。この第1部ではブロウチェク氏自身も滑稽なキャラクタではありますが、月世界の住人の可笑しさを引き出すのを主な役割としていて、これはこれで分かりやすい。あえて言うと、このパラレルワールド的可笑しさは第1幕だけで十分というところもあります。地上における酒屋の主人の印象が強くないので、第2幕に出てくる魔光大王の可笑しさがピンと来ません。視覚付きならまた違うかもしれませんが。
第2部では15世紀のチェコに行くわけですが、舞台上で本当に15世紀に行ったことになっているのか、ブロウチェク氏の夢という設定なのか、判然としません。第1部と同じくパラレルワールドになっているのですが、今度は行った先の住人がやたらと立派で、ブロウチェク氏のズルさセコさが強調されることになります。こちらをヤナーチェクは半年余りで完成させています。この2部作に関するヤナーチェク自身の文章から見ると、第2部がこの2部作の真髄らしいのですが、フス教徒時代のチェコに全くなじみの無い私としてはよく分からないのです。八ッあん熊さん的と呼んでも良いような滑稽な中にも親しみ易い現世での隣人達が、パラレルワールドで急に立派になってしまって、どこが面白いのでしょうか。
音楽の印象は台本の印象に引きずられます。第1部第1幕の大詰めとか、同じく第1幕のブロウチェク氏が月に飛んでいくところ、などドタバタ音楽のきわみになっているところが個人的には好きです。第1部でもドタバタ音楽に徹しきれていないのが真面目人間ヤナーチェクらしいところで、オペラだと思って聴くには一貫性を欠いているとは思います。第2部は、私見ですが、さらに一貫性を欠きます。「グラゴル・ミサ」にでもなぞらえるべきチェコ民族賛歌と、パラレルワールドの笑劇と、ブロウチェク氏の断罪と、をゴッタ煮にしたような、私にはよく分からないものになっています。
手持ちCD評
ノイマン/プラハ国立歌劇場o.盤
1962年録音、コロムビアからの国内盤 COCO-75588/9 として出たものです。まだ入手可能ではないでしょうか。とにかく日本語資料の少ないオペラですから、これに付録の解説は非常に貴重です。日本語対訳は意図的であるにせよ、「女狐」の対訳と並ぶ無類の悪訳ですから、まず解説書の方を熟読して状況を十分把握してから対訳に目を通して、対訳だけ読んでもよく分からないであろう舞台の状況を頭に作って、それから聴くことをお勧めします。勿論いきなり聴いてもいいのですが、結局同じだけの手間をかけないと訳が分からないのではないでしょうか。演奏は、これしか聴いていないので比較は出来ませんが、各々の歌手がしっかり歌っていてなかなかいいと思います。イーレク盤の方がいいというお話もあるので、また見つけることがあれば(以前店頭で見たことはあります)入手したいものです。それ以上に映像で見たい作品ですが、当分は望み薄かと思われます。
インディアナ大学歌劇場盤(DVD)
HouseOfOpera(ここに紹介しています)がまたやってくれました(DVDCC511)。例によってTV放送の録画から起こしたものです。舞台だけでなく、放送の際の解説も一緒に入っていて・・わざわざ入れたというより、編集して抜くのも面倒だから入っちゃった、という風情ですが・・それをヒアリングしたところによると、このオペラの米国舞台初演、らしいです。演奏はインディアナ大学歌劇場、ということですが?? 地方大学の学芸会という水準ではありません。東京芸大の声楽科が何かの機会を記念して、在学生・OB総力を上げてしっかりした舞台を作ったようなもの、くらいに思っておけばよいのでしょうか。私には知らない人たちばかりですが、分かる人が見たら分かるかもしれないので、主要人物をクレジットから転記しておきます。
ブロウチェク氏 : |
James Pressler |
マーリンカ/エーテル姫/クンカ : |
Sylvia McNair |
マザル/青空の君/ペトシーク : |
Richard Walker |
堂守/月森の君/ドムシーク : |
Martin Doss |
ヴィルフル/魔光大王/役人 : |
Thomas Potter |
少年給仕/神童/生徒 : |
Kim Swennes |
指揮 : |
Bryan Balkwill |
*クレジットにオーケストラ名は出なかったので、多分大学関係者によるオケなのでしょう |
英語訳詞なのが少し残念です。どうせ殆どヒヤリングできないのですから、原語の方が有り難味があったというものです。たまにヒアリングできるところでは、英語のイントネーションと合っていないのが分かったりします。画像・音質は、HouseOfOperaの水準からすると、まあまあなのですが、心の準備の無い方には、とんでもなく酷いと感じられるかもしれません。画像は中程度に荒れていますが、色飛びは殆どありません。音はヒスレベルが高く少しひずみ気味ですが、兎にも角にも声が前に出てくる録音で、にぎやかになるのは作品には合っています。
とかいいながら、映像付きでこの作品を鑑賞できただけでも大満足です。演出は特に不思議なことはやっていません。ト書きを予算の許す範囲で忠実に視覚化しただけなのですが、それによって各登場人物が生きてきます。ピンと来なかった第2部を真顔で演じられても、喜劇の枠は崩れず安心して観ていられます。ト書きと録音があっても舞台を思い浮かべられなかったのは、私に演出者としての才能が全く無いということか、とも思いましたが、開き直って消費者に徹しましょう。
「月行き」が、ト書きではブロクチェク氏が叫びながら月に向かってどんどん上昇する「見せ場」のはずなのに、この映像では叫んでいるだけで飛ばないのが残念かつ期待外れで、もう一つのワープ、「15世紀からの帰還」でも演出では何も出来ていませんが、青空の君がちゃんとアクリル製ペガサスに乗って飛んできたのには観客も私も大喜びです。このあたりが予算と技術の限界でしょう。
演奏の方は、迫力を誇張するような録音にかなり誤魔化されていると思いますが、みな素晴らしい歌唱に聞こえましたし、演技もすこぶる達者です。
最近ご無沙汰とはいえ、10回以上は聞いている作品なので、1回目に見るだけでも十分ついていけましたが、2回目にノイマン盤対訳を片手に見るとさらに細かい所が分かってさらに楽しめました。その対訳、悪訳と思うのは相変わらずですが、パラレルワールドの人達の大げさな言い回しの訳としてはそう悪くないな、と思えてきたのも、舞台録画を見た効果です。第2部でいくらかカットがあるようですが、音楽だけでは分かりませんでした。予めこの作品を知らずに見たなら、どのくらい楽しめるか、私には最早判断できないのですが、少なくとも知っている人には大いにお勧めできるように思われます。
なお、このDVD、「ブロウチェク氏の旅行」の後に、カタログにも箱書きにも書かれていない、カタラーニのオペラ"La Falce"(1875)が入っている「らしい」ですが、画質音質ともさらに悪く、かろうじて粗筋が分かった程度の作品の、演奏者も分からない演奏で、同じ番号で注文しても付いてくるかどうかも分からないシロモノについてコメントするのは控えます。
ノイマン指揮プラハ国立歌劇場(映画版)
Operashare #74438、モノクロ・モノラルのTV向け映画仕立て、です。1963年に共産圏時代のチェコの名歌手を集めて作ったものらしいです。但し音質画質とも年代を考慮しても良い方ではありません。
優等生的なマーリンカの役作り等に共産圏臭が漂ってきます。映画仕立てなのに演出に華は無く、ワープシーンで見せ場を作れていないし、青空の君はペガサスを引きずっての登場で、インディアナ大学盤以下です。口パク等、映画仕立て故の不自然さはここでも感じます。
インディアナ大学盤を見ていなくてこれが初めての映像版であれば、対訳と音だけでは見当つかないところが分かって感激もしたのでしょうが、こちらを見るのが後になってしまうと、原語上演であること以外インディアナ大学盤に対して特に優れている点は無いなあ、というのが正直なところです。
ブロウチェク氏 :
Bohumir Vich マーリンカ/エーテル姫/クンカ :
Libuse Domaninska マザル/青空の君/ペトシーク :
Ivo Zidek 堂守/月森の君/ドムシーク :
Premysl Koci ヴィルフル/魔光大王/役人 :
Karel Berman 少年給仕/神童/生徒 :
Helena Tattermuschova