イエヌーファ

陰惨なる出世作

「劇には2種類しかない。結婚式で終われば喜劇であり、葬式で終われば悲劇である。」という、誰が言ったか知りませんが有名な二分法に従えば、なんと喜劇になってしまうのです。ヤナーチェクの出世作であることは歴史的事実です。プラハ初演にこぎつけるまでは紆余曲折があったオペラですが、一旦受け入れられると世界的に受け入れられています。いい加減な記憶ですが、とある年の英国でのこの曲の上演回数がワーグナーの全上演数を超えてしまった、という記事をどこかで見たように思います。

お気に入り順第4位ですが、私がこのオペラを聴く頻度は多くないです。心動かされる程度では第一級なのですが、背筋の寒くなる類の動かされ方なのです。殺人者の物語ではあっても共感して力が湧いてくる「死者の家から」に動かされる方が好きなのです。サスペンス映画すら苦手、ホラー映画はとんでもない、という臆病者の私の感想ですから「普通の感性」による受容とは違うようです。ホラー映画が一番好きという方も結構いらっしゃって、「普通の感性」というのはその中間辺り、なのでこのオペラが世界的に広く受容されたのでしょう。なお、このオペラの陰惨さは、因習と見栄に縛られた田舎人の暴走が嬰児殺しを引き起こしたという深刻なものであり、安手のホラー映画を少しでも想像されたとしたら申し訳ない。

おそらくは歌手を集めるのが「カーチャ」以上に容易なのだと思います。あと、ヤナーチェクのオペラとしては演奏時間が一番長いので、一晩の公演に頃合なのだと思います。他のは大抵実働1時間半程度ですが、「イエヌーファ」は2時間近くかかります。私が家でCDを聴く分には逆に短い曲に手が伸びる訳で、丁度1時間の読みきり一発みたいな「ブロウチェク氏の月旅行」にも聴く頻度で負けてます。

あらすじはこちらに紹介されています。あらすじでは人間関係のややこしさばかり気になって、あまり怖さは感じないと思いますが、台本を読むと怖さが出ます。私はグレゴル盤LPの対訳を持っているので、英語対訳に取り組んだことはないのですが、多分「カーチャ」と同じくらいの難易度、一方が何とかなるなら他方も何とかなるでしょう。

まともな親子の組み合わせが無い、ということがこの台本にリアリティを持たせた条件でしょう。その設定自体が現代日本ではリアリティを欠きますが。シュテヴァが甘やかされたおばあちゃん子でなければイエヌーファを孕ませることはなかったかもしれない。シュテヴァとラツァが実の兄弟なら頬切り付け事件は起きなかったでしょう。そして何より、コステルニチカとイエヌーファが実の親子なら、実の孫を絶対に殺しはしなかったはず。

「カーチャ」もあらすじでは悲惨な話と見えますが、「カーチャ」の台本と音楽には悲惨さを解放するところが随所にあります。第2幕でちゃんと恋人達に自分達の意思で思いを遂げさせてから第3幕に向かいますし。「イエヌーファ」の場合、第1幕のドンチャン騒ぎも第3幕の結婚式の準備も確かに明るいのですが、底辺に暗いものが流れたまま=イエヌーファもラツァも真相を知らないまま=なので、私としては解放されないのです。ようやく解放されるのは最後の最後、「誰も居なくなってしまった」以降になります。戯曲台本として比較したら、やはり「カーチャ」の方が良く出来ている、ということになるのではないでしょうか。

私としては「死者の家から」「カーチャ」「女狐」の3作の音楽を更に高く評価しますが、陰惨さを決定付けるこの音楽の力もかなりのものです。「民謡の研究の成果が生かされた最初の傑作ではあるが、後年の作品ほど独自の語法が行き渡っているわけではないのでその分取り付きやすいかもしれない」というのはグレゴル盤(LP)の解説、そういうことかもしれません。

それはさておき、暗くて長い第2幕がこのオペラの中核でしょう。覚悟決めてこの曲を聴くからには、第2幕のコステルニチカの声に背筋が寒くならないと聴く甲斐が無い。タイトルは「イエヌーファ」ですが、意志を持って行動して劇の流れを支配するのはコステルニチカです。勿論イエヌーファも次いで重要な役ですが。

それに比べると男声陣はあらすじ読んで感じるよりは軽い役のような気がします。それぞれ実力者故当然かもしれませんが、手持ち音源のどちらを聴いてもシュテヴァもラツァも余裕が有り余っているように聞こえます。

手持ちCD評

マッケラス/ウィーンフィル盤
1982年録音、これも現在は輸入盤 ( Decca 414 483-2) しか入手できないと思います。イエヌーファ役をゼーダーシュトレームが歌っています。この役が「意思の人」ではないだけに、カーチャやマルティ(マクロプーロス事件)のように「唖然とするほどのミスキャスト」とは思いません。十分許容可能ですが、でもやっぱりこの人の声は好きになれません。せっかくルチア・ポップを使えたのに何故カロルカみたいな全くどうでもいいような役に回したのか。
ランドヴァー(マッケラス/チェコの「カーチャ」でカバニハを歌っています)のコステルニチカも悪いわけではないですが、マッケラス/ウィーンの方の「カーチャ」でカバニハを歌ったクニプロヴァーならもっと良かったろうに、と思って調べてみると、グレゴル盤でもイーレク/ブルノ国立劇場盤(77,78年録音、未聴です)でも、コステルニチカをクニプロヴァーが歌っているのですね。82年時点でクニプロヴァーが現役だったかどうかは知りませんが。
と、配役については容易に改善できたはずと思うゆえの不満が少し残りますが、マッケラス指揮のウィーンフィルが実に立派な音を出していて、十分お勧めできます。シュテヴァをドヴォルスキーが歌っていてこれも立派過ぎるほどです。

 

グレゴル/プラハ国民劇場o.盤
私が最初に聴いた演奏、1969年録音、LPで持っています。輸入盤CDなら最近でも店頭で見かけます。
ドマニーンスカーのイエヌーファは、もっと上がありそうにも思いますが、ゼーダーシュトレームよりは好き、クニプロヴァーのコステルニチカは流石です。オケの迫力はマッケラス盤に負けますが、声の迫力を邪魔していないという見方も出来ます。ラツァとシュテヴァはノイマン盤「死者の家から」のルカとスクラトフのコンビ、これも強力なわけです。
昔から聞いていて馴染みがあるせいもあって、マッケラス盤よりこちらの方が少し好きかも知れませんが、いずれにせよ大差ではありません。慣用版による演奏で、原典版のマッケラスとはオーケストレーションが一部違うらしいですが、違いに気付くほどには聞き込んでおりません。多分「死者の家から」程も違わないのでしょう。 (^_^;)

 

アンドリュー・デイヴィス指揮ロンドンフィル/グラインドボーンオペラ : VHS (01.08.16追記)
amazon.com で VHS & Janacek でサーチすればすぐ出てきます。グラインドボーンオペラはご存知と思いますが、世界唯一の個人運営による小規模劇場でのオペラです。この劇場の映像が手元に「コジ・ファン・トゥッテ」「カーチャ・カバノヴァー」と合わせ3点になったのですが、何れを見ても思うのはこの劇場狭すぎるのではないか、ということです。良く言えば質素、悪く言うと貧乏臭い演出ばかりですが、狭い舞台では腕の振いようも無いように思えます。そこそこある奥行きを生かして何とか工夫しているのは分かるのですが、「マクロプーロス事件」やチューリヒの「コジ・ファン・トゥッテ」のように広い舞台を暗く使って得られる拡がりのある演出と比べてしまうと、この劇場ではオペラを堪能できる演出は不可能なのではないかと思えます。この曲ですと第1幕のダンスの場面、蛸壺のようなところで踊っていますが、広い野原をイメージできる舞台の幅があれば全然違うだろうと思うのです。
演出で違和感があったところを一点、最終幕コステルニチカが自らを市長等の手にゆだねた後での乱暴狼藉はこの陰惨な話から救いのチャンスをもぎとるようで、好みません。
VHS再生装置が最悪なことをかえりみず音の面にも触れますと、狭い劇場のいいところは無理をしなくても声が通る点です。全て初対面の歌手の声に対する採点はどうしても甘くなります。イエヌーファ役はアフリカ系の人でしょうか、一見少し違和感がありますが愛嬌はあるし、ほんの少しハスキーな声も十分魅力的。コステルニチカは甘い採点でもなお、もう一歩踏み込んだ迫力が欲しい。
英語字幕は非常に簡明です。個人的にはCD聴きながら日本語対訳見るよりさらに楽なくらいです。
・・・しかし、この陰惨なお話を映像で見たいかというと、、、能天気な私としては、音声だけでもう沢山です。

 

クーベリック指揮バイエルン国立歌劇場Operashare#43898(08.11.30追記)
マックス・ブロート訳詩の独語版によるレンネルト演出の
1970年の舞台、異様なまでの高水準です。画質音質とも1970年としては驚異的に良いというのにとどまらず、歌手陣の演技もカメラワークも完璧で、映画仕立てみたいな感覚さえ感じられます。映像記録前提で余程稽古したのでしょうが、それにしてもカメラアングルに至るまで全く隙がありません。歌手が指揮を見ている気配もありません。第3幕のお祝いのシーンでイエヌーファがカロルカを凄い目付きでにらんでいるのには、こういう演出の仕方もあったのか、の大感服です。
クーベリックの指揮は第1幕、第2幕冒頭の打楽器のリズム感など格好良いですし、余り写りませんが姿も格好良いです。原語上演でないのと字幕が無いのが問題になりますが、それらを除けばグラインドボーンとは次元の違う上演です。ヤナーチェク好きなら一度は体験すべき映像のように思います。
Jenufa: Hildegard Hillebrecht
Kuesterin: Astrid Varnay
Laca: William Cochran
Stewa: Jean Cox
Old Buryja: Lilian Benningsen
Conductor: Rafael Kubelik
Munich State Opera 1970

 

Hanus指揮バイエルン国立歌劇場Operashare#103691(13.04.21追記)
 今年3月の公演、上のと同じ劇場ですが、原語上演です。プラハ初演に向けての改定前のブルノ初演稿によるもののようです。客席の反応が、第1幕終了時は幕が下りてから暫く間をおいてから控えめな拍手、第2幕の終わりは即座の拍手にブラボーが混じり、そして第3幕の終わりにはブラボーの大合唱に大歓声、と変わっていきます。第1幕の出来が悪いのではありません。第2幕第3幕がこうなると予め分かっていたのなら第1幕から
ブラボーを飛ばしていたのに、と思った観客が多かったに違いありません。
 第1幕の幕が開いて、しばらく音楽は始まりません。背景には風力発電所の影が映っています。現代の田舎が舞台のようです。そこで心配事をかかえているような様子のイエヌーファを演じるのはカリタ・マッティラ、ぱっと見には中年のおばさんの無理な若作りです。このあたりから、その場の観客も、映像で見ている私と同じく、一旦は当惑したようなのですが・・・。
 イエヌーファが「客観的にも美しい、良い娘」であるはず、と思っていたのは私一人の誤解だったかもしれません。ともかく、その先入観からはマッティラの姿には違和感大でしたが、実は第1幕ではシュテバの子まで宿してしまった「困った娘」なのであり、それが第2幕では未婚の母になることで少し成長し、色々あった第3幕の大詰めで本当に大人になる、という成長ぶりを実感させる演出であることを理解してから振り返ると、第1幕のイエヌーファも、ラツァ共々、見事な演技でした。
 少しハスキーな声はマッティラとしてベストではないかもしれないのと同様、コスレルニチカ役も声だけならベストではないかもしれませんが、こちらも身勝手な狂信的堅物を迫力満点に演じていて見事でした。
 時代設定を動かした演出ですが、産後間もないイエヌーファの動作など、リアリティと説得力がありました。イエヌーファを可愛い子ちゃんにした70年の映像より何か深くえぐるものがあり、こちらの方が一枚上であるように思えてきました。オケも切れ味鋭く、しかも邪魔にならない、秀逸な演奏だったと思います。日本国内放送とかDVD化とかされるかもしれませんが、そうならないなら、気が向いたら日本語字幕をつけるかもしれません。
Janacek:
Jenufa - Bayerischen Staatsoper, 9/3/2013
Jenufa: Karita Mattila
Die Kuesterin Buryja: Gabriele Schnaut
Die alte Buryja: Renate Behle
Laca Klemen: Stefan Margita
Steva Buryja: Ales Briscein
Altgesell: Christian Rieger
Dorfrichter: Christoph Stephinger
Frau des Dorfrichters: Jitka Zerhauova
Karolka: Laura Tatulescu
Schaeferin: Angela Brower
Barena: Silvia Hauer
Jano: Iulia Maria Dan
1. Stimme: Golda Schultz
2. Stimme: Andrea Borghini
Bayerisches Staatsorchester
Chor der Bayerischen Staatsoper
Musikalische Leitung: Tomas Hanus
Inszenierung: Barbara Frey

 

Metzmacher指揮ウィーン国立歌劇場(19.08.04追記)
 
2016年の公演の映像を、直後に入手していたままになっていたのを、パソコン故障・買い替えに伴う在庫整理をしている中で再認識して見てみました。入手元が現在見当たらないので、日付まで合っているかどうか怪しいですが、4月前後の公演であることは間違いなさそうです。
 レシュマンのイエヌーファと、デノケのコステルニツカ、イタリアオペラではお見掛けしないこともあって、そう沢山見ている訳ではないなりに、歌唱演技容姿のどれをとってもお気に入り、の二人が要の二役に入っています
。すぐに思い出せる範囲で、レシュマンは、フィオリディリージ(コシファントゥッテ)とフロリンダ(シューベルト作曲のフィエラブラス)で見ています。デノケはヤナーチェクでは、カーチャと雄狐で見ていて、抜粋だとサロメでも見ています。なお私は見てませんが、デノケは別の舞台ではイエヌーファ役も歌っています。
 そのデノケのコステルニツカはどうなのよ、と見ていたのですが、やはりイメージが大分違います。この作品については、一つ上で紹介した2013年の方のミュンヘンの舞台映像により、私の中での作品感が不可逆変化を起こしたようです。歌唱の差ではなく演出の差、なのですが、その一方で、デノケではどうにもミュンヘンのコステルニツカには成りようがないようにも思えます。
 丁寧な演技で、ミュンヘン
2013年とは違うコステルニツカ像を作ろうとしていて部分部分を見れば見事に演じられているように見えるのですが・・・作品全体を通してみた時の説得力では、ミュンヘンには及ばないのです。
 レシュマンの方は、ミュンヘンでのイエヌーファにも成れるとは思いますが、マッティラを超えられるかというと微妙でしょう。マッティラよりは
断然可愛らしいのですが。
 実はこの駄文を書くために、ミュンヘンのを念のため全部見直しました。中年歌手二人が並んで腰かけているミュンヘンの幕切れに、この照明に凝りすぎのウィーンの舞台は遠く及ばない・・と思えた自分自身を再確認しております。
Dorothea Roschmann | Jenufa
Angela Denoke | Die Kusterin Buryja
Aura Twarowska | Die alte Buryja
Christian Franz | Laca Klemen
Marian Talaba | Stewa Buryja
Il Hong | Altgesell
Alexandru Moisiuc | Dorfrichter
Donna Ellen | Frau des Dorfrichters
Hyuna Ko | Karolka
Lydia Rathkolb | Schaferin/Magd
Ulrike Helzel | Barena
Annika Gerhards | Jana/Jano
Maria Gusenleitner | Tante
Chor & Orchester der Wiener Staatsoper
Ingo Metzmacher | Dirigent
Wiener Staatsoper
6. April 2016

 

 

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