おにさんこちら
屋根の上で鬼ごっこ~ この紋所をみてください
瓦の生産日本一の高浜では、現役を引退したエントツや、庭先に
たたずむ飾り瓦、さりげなく置かれた、瓦を作る三河土でできた
置物など、楽しい景色を街じゅうで見かけることができます。
高浜市とお隣の街々の風景を訪ねてみました。
 
家紋入りの瓦。金で作った家紋もあります。流行った時代があったそうです。

家紋は ” 笹竜胆 ” でしょうか?
 笹竜胆(ささりんどう)は鎌倉幕府を樹立した
 源頼朝の家紋と言われており、『勧進帳』)や
 『曽我の仇討』などの歌舞伎でも、
 源氏を表現するものとして表現されています。

   
” 三本杉 ” 又は ” 重ね三本杉 ”(かさねさんぼんすぎ)の家紋
奈良県の大神(オオミワ)神社:神酒(ミワ)神社から求めた杉葉で作った鞠状の飾り(杉玉・酒林)が、むかしから酒屋の看板となっています。緑の杉玉が飾られると新酒の季節で、徐々に茶色くなるにつれてお酒も熟成していくのです。三輪神社の神職は大神氏で、三輪の神を祖神とし「三本杉」を家紋としているそうです。近江国の建部神社の神紋も三本杉紋ですが、これは、神社が創建されたときに植えた三本の杉が一夜に成長した伝説にもとづいていたものだそうです。

 
” 本多立葵 ”
奈良県の大神(オオミワ)神社:神酒(ミワ)神社から求めた杉葉で作った鞠状の飾り(杉玉・酒林)が、むかしから酒屋の看板となっています。緑の杉玉が飾られると新酒の季節で、徐々に茶色くなるにつれてお酒も熟成していくのです。三輪神社の神職は大神氏で、三輪の神を祖神とし「三本杉」を家紋としているそうです。近江国の建部神社の神紋も三本杉cが、これは、神社が創建されたときに植えた三本の杉が一夜に成長した伝説にもとづいていたものだそうです。
”本多立葵”の家紋
「葵」といえば徳川氏の代名詞ともいえる意匠であり、「葵の御紋」は権威そのものの象徴として長きにわたって用いられるのは周知のとおりです。徳川氏の「三つ葉葵」が葉のみを三方向に配したものであるのに対して、本多氏の「立ち葵」はその下に茎のような部分が立ちあがっているのが特徴です。
本多忠勝氏が使用、その他三河岡崎藩本多氏、陸奥泉藩本多氏、伊勢神戸藩本多氏

「本多忠勝」
「徳川三傑」とも「徳川四天王」とも称される最古参クラスの家康家臣であり、猛将としてつとに名高い人物です。

水難除けの ”水” と書かれています。
家紋は ” 三つ巴に十二曜 ” でしょうか? 両側には華やかな菊花の飾りが!
 

 
この家紋も角字紋で「水」と書かれています。 ”水”
  
   角字とは
角字は漢字、主に篆書体(てんしょたい)の文字を四角形に文様化
したもので、「腰文字」とも呼ばれています。
印鑑に使われている書体の中でも、実印として最もよく使われいる書体です。
篆書体は、日本の紙幣に使われている二つの印影
「総裁之印」と「発券局長」にも使われている書体で、日本最古の
印鑑といわれる「漢委奴国王」の金印もこの書体で作られています。

↓ 角字いろいろ ↓
” 神 ” ” 鶴 ” ” 福 ” ” 猫 ” ” 赤 ” ” 青 ”
  紙幣に捺印(印刷)されている判
お札の印影「総裁之印」 お札の印影「発券局長」
 「漢委奴国王」の金印
純金製の漢委奴国王印 ≒ 2.347cm四方の印面 漢委奴国王の印影

”丸に九枚笹 ” と ” 九枚笹 ” 竹中半兵衛など竹中家の家紋” ” 丸に16枚菊 ”
 

 
 
立浪



十六目結門
十六目結紋は、上杉景勝の佐渡攻めで滅亡した「佐渡本間家」の家紋で、本間とは新田開発の先駆者のことをいうそうです。
 
目結紋(めゆいもん)とは
目結の名称は染文様の絞り染めにちなみ、布を糸で括って染めると、白く染め残る箇所ができます。これを「目結」と呼んで文様化しました。近江源氏の佐々木氏が「四つ目結」を家紋に使い、諸国に広まりました。配列や他の紋との組み合わせで、種類も多く、江戸時代には大名家や旗本家などで広く使用されていました。

別名を「鹿子絞り」「纐纈(こうけち)」といいます。武具の意匠に多く使われたことから、家紋としては尚武的意義によると思われます。四つ目が多いのですが通常は「三つ目結」から「一六目結」まであり、それ以上は「滋(しげ)目結」といういます。
重ね五つ目菱

屋根の上の鳥たち
あの鳥全然動かないなぁ~と思っていたら、なんと焼き鳥(いぇ、焼き物の鳥)でした
~(^_^;)
 
     
      
  
屋根色いろ
 
 



maruni