水琴窟
 
        登り窯広場の水琴窟
瀧田家の水琴窟は、この甕を作った陶芸家の作品です。
(高さ約60cm)
(↑の甕は”ほたる子”の店内で撮った商品です)

 水琴窟(すいきんくつ)

 地中に埋めた甕の中で水滴が水面を打って、その音が反響して
 素晴らしい音を奏でます。
 文化文政のころ、作庭家で茶人の小堀遠州が18歳の時、
 手水の下に穴を掘り、使った水が簀子を通って下の穴に落ちるように
 工夫した洞水門が始まりだと言われています。その音色は、
 土中に甕を埋めて僅かな水滴がかもしだす反響音が、鈴がなっている
 ようにすずやかな音色で、神秘的な響きは、私たちの心にやすらぎを
 もたらしてくれます。古き良き時代の自然のうつろいとともに、
 四季を愛でた粋人の姿が目にうかぶようですね。

  水琴窟とは
 水の音にもいろいろなものがありますが、例えば雨音、川のせせらぎの音、蛇口の滴の音などは琴のような音はしません。水琴窟はなぜ琴のような音がするのでしょうか。
伏せ甕の底(内側)に溜まった水滴が水面に衝突(落下)したときに、水滴の気泡の振動音が甕の空洞で共鳴して、琴の音に似たような音を響かせることから、いつの頃からか「水琴窟」と呼ばれるようになりました。庭園施設における同じ系統の用語に「洞水門」(どうすいもん)がありますが、いつの頃から「水琴窟」と呼ばれるようになったかは不明です。

 昭和50年代に朝日新聞やNHKなどのマスコミによって広く知られるようになった水琴窟。そのルーツを探ると、江戸時代まで遡ることができます。排水を目的として創案された、庭園施設における同じ系統の用語に「洞水門」があります。現在、伝承される「水琴窟」はそれを起源としたものと考えられていますが、起源についての詳細は依然として不明です。「水琴窟」の語の発祥についても同様です。
 一般的には蹲踞(つくばい)や縁先手水鉢の鉢前(うみ)の地下に造られたものです。その構造の多くは、底に小さな穴を開けた甕を伏せて埋め、手水の余水が甕の天井から「しずく」となって落ちるように工夫した、一種の発音装置(音具)です。
 伏せ甕の底に溜まった水面に落ちる水滴の音が甕の空洞で共鳴し、琴の音に似た妙なる音を響かせることから、いつの頃からか水琴窟と呼ばれるようになりました。
 明治から大正、昭和初期を経て、戦後は全く忘れられた存在となってしまいました。
1959(昭和34)年、東京農業大学の平山教授は「庭園の水琴窟について」という論文を造園専門誌に発表されました。当時、日本全国で確認できた水琴窟は二カ所のみ、それも甕は泥に埋もれ、音を聴くことは不可能でした。そのため平山教授は『幻の水琴窟』と呼びました。
 また、1981(昭和56)年に、東京農大造園工学研究室が旧吉田記念館の水琴窟調査を品川区から依頼され、そのことが朝日新聞で報じられたり、1983(昭和58)年には朝日新聞「天声人語」に水琴窟のことが二度にわたり取り上げられ話題となりました。
 そして1985(昭和60)年に、岐阜県美濃市今井邸水琴窟発見と復元のドキュメンタリー番組がNHKテレビで全国放送されると同時に大きな反響を呼び、以来静かな水琴窟ブームとなりました。今日では全国に様々な水琴窟風景が誕生していることは周知の通りです。
朝日新聞天声人語 S58.7.28(1983)
 水琴窟(すいきんくつ)というものを初めて見た。見たというよりも、聴いたといったほうがいいだろう。地下からきこえてくる音は、繊細で、しめやかで、そのくせちゃめっ気があって、なかなかの味わいだった。
 おおざ っぱにいえば、手水鉢(ちょうずばち)やつくばいの近くに、つりがね状のかめを伏せて地中に埋めこみ、中を空洞にしておく。かめの底にあけた穴から水がしたたり落ちると、水滴の音が反響して妙音を出す仕掛けをつくる。それを聴いて楽しむのが水琴窟だ(洞水門ともいう)。造園技術の最高傑作の一つだろう。
 江戸から明治にかけては盛んに愛好されたそうで、品川の旧吉田記念館の庭園に残っていることを本紙東京版が伝えていた。昨今はすっかり廃れたが、東京の小林玉来さんの家に新しくつくられたものがあるときき、見学させていただいた。
 縁側の手水鉢のすぐ前は玉石で、その下に、大きなかめが埋めこまれている。水を注ぐ。間があって、ぽぽぽん、ぽん、ぽぽんと静かな音が地中からかすかにきこえてくる。こんこんとくぐもった金属音にもなる。鍾乳洞で水のしたたる音をきくような、涼味がある。
 まことに悠長な話だが、ぽぽんのあとの余韻がいい。余韻、余情、余香、余哀。昨今は  「余」という文字をもつことばが余計者扱いにされ、肩身を狭くしている時代だけに、
この清音がなつかしくきこえた。
 昔の人は音について実にこまやかな神経をもっていた。風声にまじるこの微妙な音を
たのしむゆとりを、あわせ持っていたのだろう。今は車の騒音が水声の余韻をかき消す。
「これを作ってから車の音のうるささが気になりだしました」と小林さんがいった。
 作ったのはもう引退した庭師の榎本伊三郎さんである。榎本さんは約五十年前の
親方の仕事を思い出しながら作ったという。
あるいは、今も健在の水琴窟が全国のあちこちにあるのかもしれない。
 
朝日新聞天声人語 S58.8.9(1983)
 「このあたり目に見ゆるもの皆涼し」は芭蕉の句だが、猛暑の日々はせめて、涼しげなものを見、涼しげな音をききたい。蛍、少女のゆかた、水中花、よしずとラムネのある風景、音では松の声、ひぐらし、鐘の音。
 涼しげな音の最高傑作の一つは、水琴窟(すいきんくつ)の音だろう。騒音時代の今はほぼ絶滅したといわれる水琴窟のことを本欄で書いたら、「わが家の水琴窟は健在です」というお便りをいくつかいただいた。幻の水琴窟が各地に生きていることがわかったのは、大変な収穫だった。
 徳島県の井形花枝さんの便りには「作られたのが江戸か明治かは定かでないが、わが家にも水琴窟がある。手水鉢(ちょうずばち)は 青石で高さ一㍍余、その左下に水がめがうつぶせに埋められていて、水がしたたるとポポン、ポポンと涼しげに響く。亡父はよく、これは古くて珍しいものだ、大切にせよといっていた」とあった。
 愛知県の金子清さんの便りには「中庭に三カ所のつくばいがあり、それぞれに水琴窟がある。水滴が落ちると、金属性の琴のごとき音となる。私の家は文久年間に作られたものだが、水琴窟が同年代のものかどうかは不明」とあり、「夕立一過水の琴鳴りたそがるる」というご自身の句がそえられてあった。
古い能舞台の下にも、かめが使われている。大阪の大槻能楽堂移設のさい、舞台の下に口径一㍍のかめが七、八個、底のほうを土の中に埋めた形で置かれてあることがわかったそうだ。役者が足を踏み鳴らすときの響きをよくするためのものだろう。お寺の鐘下にかめを埋めこんでおくのも、長く鳴り響かせるための工夫らしい。
 昔は中学の柔道場の下にも大きなかめをいくつか埋めたものだ、と飛騨の大工の親方にきいたことがある。昔の人はそれほど「いい音」にこだわり、余韻を大切にした。水琴窟の発想は、その余韻の美学の頂点に立つものではなかろうか。
 
  古都の水琴窟
 泉涌寺 雲龍院
 泉涌寺の塔頭・雲龍院の庭園には、2017年に新しく水琴窟が登場。皇室ゆかりの菊紋が象られています。「龍淵のさやけし」という名は、その昔、雲龍院に大きな池があり、「忠臣蔵」で知られる大石内蔵助が、紅葉の映るこちらの池を「龍淵」(龍のすみか)と名付けたことにちなむそうです。“さやけし”は「水の音のすがすがしさ」などの意味があり、その名の通り、高く澄んだ音が響き渡ります。
 
 松花堂庭園
京都府八幡市の松花堂庭園の水琴窟です。ここのお庭も綺麗に管理されていて、苔むした庭園がとても魅力的でした。音を聞くための竹筒が見えます。あの有名な松花堂弁当の起源となっている庭です。
 
 永観堂
「秋は紅葉の永観堂」モミジの名所として知られる永観堂、山に沿って造られた「臥龍廊」の途中には水琴窟があり、立ち止まって心ゆくまで音色を聴くことができます。こちらの水琴窟は井戸のような形をしていて、柄杓で水を注ぐと、水が流れていく音と透明感のある水滴の音が響きます。
 
 宝泉院
大原の山里に佇む宝泉院。庭園「盤桓園(ばんかんえん)」を望む客殿隅の縁側に「理智不二(りちふに)」と名付けられた水琴窟があり、珍しい二連式となっています。竹筒に耳をあててみると、地中にある甕に水滴の落ちる音が共鳴し、「キーン、コーン・・・」と澄んだ音色が。左右それぞれリズムや音の高さが微妙に異なるります。
 延暦寺
 世界遺産・比叡山 延暦寺は、比叡山のほぼ全域を境内とし、山上には
「東塔
(とうどう)」「西塔(さいとう)」「横川(よかわ)」の3つのエリアに約150の堂塔が並んでいます。水琴窟があるのは、伝教大師が延暦寺を開いた場所と伝わる、東塔エリア。阿弥陀堂前のお庭に2つあり、これは手水舎のすぐ側にあるものです。それぞれ音の高さが違います。
 
 圓光寺
詩仙堂から徒歩3分ほどに位置する圓光寺でも素敵な音色が楽しめます。庭園「十牛之庭」入り口近くにある水琴窟は、珍しい “盃型”で、古くから「圓光寺型」と呼ばれているそうです。音色を聴くための竹筒もありますが、耳をあてなくてもあたりには幻想的な音が響き、清らかな気配を漂わせています。書院から庭園へと向かう時や庭園を散策した後など、近くを通るたびに音が耳に入ってきて、優しい音に自然と気持ちも和らいでいきそうです。
「十牛の庭」(​じゅうぎゅうのにわ)には、洛北最古の泉水といわれる栖龍池(せいりゅうち)や水琴窟があります。
「十牛の庭」は、牛を追う牧童の様子が描かれた『十牛図』(じゅうぎゅうず=中国宋代の禅の入門書)をモチーフにした池泉回遊式庭園で、書院に座って鑑賞する風雅な庭になっています。
 十牛図は、禅の悟りに至る道筋を牛を主題とした10枚の絵で表したものですが、この牛は、まさに自分のことで、「自分を見つめなさい」という禅の教えを、美しい庭に潜ませているのです。

牧童が禅の悟りに至るまでの道程、懸命に探し求めていた悟りは自らの中にあったという物語です。修行道場として、これまで多くの雲水たちもこの十牛之庭を眺めました
十牛之庭
 
「十牛之庭」(じゅうぎゅうのにわ)
書院前に広がる十牛の庭。牛を追う牧童の様子が描かれた「十牛図」を
題材にして、近世初期に造られた池泉回遊式庭園。
「十牛図」(じゅうぎゅうず)
中国宋代の禅宗の書。仏道入門から悟りに至るまでの道程を、牧者と牛に
託して10の絵と短文で示したもの。廓庵禅師のものが広く行われた。
「十牛図」は以下の十枚の図からなります。
ここで牛は人間が生まれながらにして持っている仏心をあらわしています。
また或いは、牛を悟り、童子を修行者と見立てています。
1 尋牛 - 牛を捜そうと志す。悟りを探すがどこにいるか分らず途方にくれた姿
2 見跡 - 牛の足跡を見出すこと
3 見牛 - 優れた師に出会い「悟り」が少し見えた状態
4 得牛 - 力づくで牛をつかまえること
5 牧牛 - 牛をてなづけること。悟りを自分のものにする為の修行
6 騎牛帰家 - 牛の背に乗り家へ向かう。悟りが得られて世間に戻る姿
7 忘牛存人 - 家にもどり牛のことも忘れる。
悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく
8 人牛倶忘 - 全てが忘れさられ、無に帰一すること。
悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく
9 返本還源 - 原初の自然の美しさがあらわれてくること。
悟りとはこのような自然の中にあることを表す
10 垂手(にってんすいしゅ) - 悟りを得た修行者(童子から布袋和尚の姿になっている)が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことをあらわす
 詩仙堂
水琴窟ではありませんが、「鹿おどし(ししおどし)」の発祥の地が詩仙堂です。
一乗寺の山麓にある詩仙堂は、石川丈山が隠棲のために造営した山荘で、現在は曹洞宗のお寺です。庭園に設けられた「鹿おどし」は、丈山発案によるもので、庭を荒らす鹿や猪を追い払うために作られたそうです。書院に座っていると「コンッ」という鹿おどし、そして洗蒙爆
(せんもうばく)と呼ばれる滝の音が響き渡ります。自然を感じる音が心地よく、ずっと聞き入っていたくなります。