ウラガナ、がんばる!

  「ウラガナ、うかれる!」の巻



 チィィ――――――ンンン―――‥‥‥
 指で弾くと、壺は部屋中に響き渡る、澄み渡った音色を奏でた。
 その音を満悦そうに聞き入っている男がいる。やや痩せ気味の面立ちに、流れるような長髪。
パッと見では軍人とは思えない外見だ。だが、彼こそが現ジオン公国地球方面軍の事実上の司
令官であるマ・クベ少佐その人なのである。
 たかが少佐如きが何を、と思う人間も多いことだろう。だが、彼がジオン公国最大の派閥、
ザビ家の長女キシリア・ザビの懐刀的存在だと知れば、少なくともジオン軍の内情を多少でも
知る者は納得するだろう。そして、彼の今までの功績―――多大なる資源の確保を考慮に入れ
れば、その職にあっても何等不思議は無いのだ。
「いい音色だろ?」
 マ・クベは誰に言うとも無く呟いた。と、
「はぁい!」
 司令室にいたもう一人の人物が、底抜けに明るい声で彼に答える。
 うら若い女性兵であった。年の頃はまだ十代半ばほどか。三つ編みに結い上げた髪、黒斑の
眼鏡。そこそこに整った顔立ちではあるが、これといって目を見張るほどでもない風貌。頬に
あるそばかすが特徴的といえばそうなのか。その表情にはフワフワとした微笑がいつも絶えな
かった。
 ウラガナ少尉。マ・クベ少佐とは別の意味で軍人とはかけ離れた風貌だ。

「よいものなのですかぁ?」
 尋ねるウラガナに、マ・クベはうなずいた。
「北宋、だな」
「はぁー」
 よく判らない(事実判っていない)面持ちで、返事をするウラガナ。
 ちなみに古代中国、北宋文化では主に青磁器が主流とされており今マ・クベ少佐の前にある
ような白磁の壺が製作された可能性はかなり低いのだが‥‥‥敢えてここでは言及しない事に
する。
「で?なにかね?」
「はいぃ。おおせの通り、ランバ・ラル大尉には木馬の位置をお教えしておきましたですよぉ」
 舌足らずな声で報告をすると、マ・クベは頷いた。
「うむ。奴等が早めに木馬を片付けてくれれば、この辺りをうろつかれることもなくなろう‥
‥‥」
 パチン、とマ・クベは指を弾いた。
「あ!は、はいぃ!」
 慌ててウラガナは、司令室の隅にあるティーセットに足を向けた。指を弾くのは茶の合図だ。
直接口で言えばいいのに、と思うが、口に出せば怒られそうなので言わない。
「マ・クベ様ぁ〜。これもよいものなのですかぁ?」
 緑色の葉を見て、珍しげにウラガナは言った。
「玉露だな」
「はぁ〜」
 マ・クベ少佐は芸術品の収集家としても知られており、特に東洋の文化にはひどく興味を持
っているようであった。このグリーン・ティーもそんな趣味の現われなのだろう。ウラガナは
ティー・ポットに葉を入れると、温めのお湯を少し入れて、蓋をした。蒸らして味をよく出さ
せるためだ。
「あっ、それとですねぇ、南部地域の連邦軍の動きが活発になっているみたいですよぉ」

「何‥‥‥連邦軍め、この鉱山を包囲し殲滅させるつもりだな?」
 マ・クベの双眸が薄められる。その鋭い魔物のようなまなざし、そこにこそ彼のおそるるべ
き本性が現れる場所であった。マ・クベは不敵に笑うと、慎重にポットに湯を注いでいるウラ
ガナに言った。
「連邦軍内部に侵入させている諜報部員の数を増し、組織作りを強力にせよ」
「はぁい、かしこまりましたぁ!」
「レビルめ‥‥‥作戦中に足元をすくわれ、吠え面をかかねばよいがな。フフフ」
 お茶請けの栗羊羹を齧りながら、肩を揺らすマ・クベ。そんな彼の背中をウラガナはうっと
りと眺めていた。
(さすがは、さすがはマ・クベ様!いつもながら完璧な作戦です!このウラガナ感服しました!
どこまでもあなたに着いて行きます!そして、いつか、いつか、きっとマ・クベ様と‥‥‥キャ
ア!やだ、私ってば!)
 そんな今時り○んのヒロインでもやらないような想像に入り浸りながら、頬に手を当てて首を
イヤイヤとしきりに振るウラガナ。と。
「何をしているのだ?はやく茶を持て」
「あっ、あっ!すみません!ただ今‥‥‥」
 妙な行動をしている所を見られたウラガナは、顔を赤らめてトレイを持った。
「ま、待て!貴様は慌てると‥‥‥」
「あっ、あっ―――きゃあーっ!?」
 ガッシャァーン!
 何も無い場所で、ウラガナはものの見事に転倒した。熱さ満点の茶と高価な陶器が、宙に舞っ
てマ・クベに向けて飛来した。
「ウ、ウラガナぁーっ!」
「す、すすすすす、すみませんっ!マ・クベ様、すみませぇんん!」
 マ・クベの怒声と、ウラガナの泣き声を聞いて。司令室の外に立っていた警備兵は「またか」
という顔をするのだった。
 その2「ウラガナ、パシる」の巻



 ガルマ・ザビ大佐の仇討ち部隊、歴戦の猛者ランバ・ラル隊。彼らをもってしても、
連邦軍の新型戦艦《木馬》ことホワイト・ベースの部隊を相手取る事は骨のようであ
った。新鋭機グフをはじめとしたかなりのMS、そしてパイロット達を失ったという。
「と、いう訳でぇ、ランバ・ラル大尉からMSの要請が入りましたですぅ」
 ウラガナの報告に、マ・クベは考え込むように一人ごちた。
「うむ‥‥‥キシリア様がジオンを支配する際、この鉱山は役に立つ。実態はギレン
総帥にも知らせる訳にはいかん」
 ジオン軍はけして一枚岩ではない。特に、総帥ギレン・ザビと突撃機動軍司令官キ
シリア・ザビ少将との確執は一部の高官には有名な話であった。そしてキシリアに心
酔しているマ・クベにとって、宇宙攻撃軍司令ドズル・ザビ中将配下であるランバ・
ラルもまた、疎ましい存在であったのだ。
「奴らはここを知りすぎた。ランバ・ラル、どうやら時期を逸したようだな‥‥‥。
MSの補給要請、だと?ウラガナ、もちろん次の手は判っているであろうな」
 ぼやかすようなマ・クベの物言いに「はぁい」と頷くウラガナ。
「ちゃあんと最新鋭MSドムをファット・アンクル輸送機に搭載済みですぅ!ラル大
尉のカラーにも塗装完了してあるですよぅ」
 どがたっ!
 にぱり、と笑顔で堂々と言われ、マ・クベは椅子から転がりかけた。
「これで今度こそ木馬も一網打尽です〜!キシリア様もお喜びになられますですよ」
「違うっ!」
 ガッツポーズなど見せているウラガナに、マ・クベは怒鳴った。

「ふぇ?違うんですかぁ?えっと、でもでも、ゲルググは設定上最低でも十一月中旬過
ぎないと出せませんですよぉ」
「何を訳の判らん事を言っているのだ」
「あ、それともマ・クベ様のグフを回されるおつもりなんですかぁ?どうせ乗られませ
んしねぇ。それでも、あの純金製のヒート・ロッド解体させちゃいましたから弱くなって
ますよぉ」
「それも違―――って、待たんか!そんな事をさせていたのかっ!?」
「だってもったいないですよぉ。資源は有効に使わなきゃいけないんですからぁ」
「その件は後でゆっくりと聞くぞ‥‥‥。いいか、私の言いたい事は、ラル隊の要請を
握り潰せということだ」
「え、ええ!?」
 なんとか平静を取り戻して告げるマ・クベに、彼女はすっとんきょうな声をあげた。
「MSは送らないんですかぁ?」
「そういう事になるな」
「ザクでもですかぁ?」
「一機たりとも、だ」
「じゃあ、ザクタンクならどうですかぁ?」
「‥‥‥。いや、認めん」
「あっ、今マ・クベ様、ほんのちょぴり『ザクタンクくらいならいいかも』って思った
ですねぇ」
「やかましい!」
 マ・クベはたまりかねて机を叩く。びく、とウラガナは仰け反った。

「奴にはここで散ってもらう必要があるのだよ。ドズル旗下の者に、私の鉱山を知られた
のはまずい‥‥‥つまりはそういうことだ」
 机を叩いた拍子で倒れかけた古伊万里の皿を慌ててキャッチした姿勢のままで、マ・ク
ベは冷徹に言ってのけた。
「はいぃ、マ・クベ様ぁ。で、でもぉ、ラル大尉にはなんて言えばいいんですかぁ?」
 おずおずと涙目で聞く副官に、マ・クベは笑った。
「心配無い。奴は生まれついての職業軍人だ。そんな事は考えはせんよ」
「は、はいぃ。では、ウラガナ、行って参りますですぅ!」
 不安は拭いきれなかったが、マ・クベが言うなら、きっとそうなのだろう。自分を言い
聞かせるとウラガナは、しゅたっ、と敬礼して司令室を去ろうとした。
「待て、ウラガナ」
「はぁいぃ?」
 振り向くウラガナに、マ・クベは行った。
「ラル隊に行く時は、その猫耳と尻尾は外していくのだぞ」
「あ、はぁい」
 マ・クベ気に入りの備前焼の湯呑みを割った為に課せられていた罰則を思い出すと、ウラ
ガナは再び敬礼するのだった。

                     *

「で、では‥‥‥ドムは届かんというのかっ?」
「はいぃ。残念でありますぅ」
 報告を受けたランバ・ラル大尉は、さすがに動揺の色を隠せぬようであった。ウラガナも
音に聞く《青い巨星》に対峙した事と、その相手に虚言を弄することに対する圧力に、かす
かに足が震えている。
 ジオン軍中に知られるトップ・エース、ランバ・ラル。そこにいるだけで全身から滲み出
る風格と闘志。まさに、軍人という言葉を擬人化した様な男であった。この男を前に、本当
にこのような見え透いたともとれる言い分が通じるのだろうか?見れば、配下の者達も、い
かにも修羅場を潜り抜けてきたといった風体の強面ばかりである。
「補給船から救援信号をキャッチしましたが間に合わずぅ‥‥‥中央アジアに入る前に撃破
されしまいましてぇ、ドムは‥‥‥」
 だが、彼女のその怯えた態度がかえって迫真の演技に変えていたのかも知れない。ランバ・
ラル大尉はひとつ頷くと、こう言ってのけた。
「いや‥‥‥このランバ・ラル、たとえ素手でも任務はやり遂げて見せるとマ・クベ司令に
お伝えください」
「えっ?」
 彼の言葉に、ウラガナは目を見開いた。
「す、素手でですかぁ‥‥‥?」
「そうお伝えくだされば宜しい」
 どうという事もなさげに、ランバ・ラルは真摯な目でウラガナを見る。
「貴方はお若いので存ぜぬようだが、この私は元々ゲリラ屋です。MSが届かぬなら、白兵戦
で直接、木馬を仕留めるというだけです」
「そ、そうだったんですかぁ」
 目をしばたたかせて、ウラガナは彼の後ろの兵達を見た。ランバ・ラルに付き従う幾人かの
士官達はあっけにとられる彼女に、自信溢れる態度を顕にしている。
(この人達なら、本当にできる‥‥‥かも)
 彼等を見ると、ウラガナにも実際そう思えてきた。
「では」
 と敬礼をしかけるランバ・ラルに、ウラガナは何かに気づいて「待ってくださぁい」と言った。
「?まだ、何か」

「あ、あのぉ、失礼かもしれないんですけどぉ‥‥‥」と、ウラガナは懐から手帳を取り出した。
「サ、サインお願いできませんですかぁ?」
「‥‥‥サイン?」
「は、はいぃ。高名なラル大尉とお会いできた記念に、というかですねぇ‥‥‥」
 怪訝そうな顔を見せるランバ・ラルではあったが、ふと、後ろに控えていた私服の女性が、
「あなた、別にしてあげてもよろしいのではなくて?」
 そう促した。
「ん?そう思うか、ハモン」
 察するに、ランバ・ラルの愛人か何かなのだろう。だが、彼女にはその辺りの情婦では決して
纏えぬ気品があった。
「あなた、お名前は?」
 匂い立つ様な微笑を向けられ、ウラガナは慌てて「ウ、ウラガナ少尉でありますぅ!」と答える。
ハモン、と呼ばれた女性は「そう」とウラガナの手から手帳を取って、ランバ・ラルに手渡した。
「司令によろしく伝えてくださいましね」
 彼女にそう言われ。何故かウラガナは、顔が熱くなるのを感じた。


「ご苦労でした」
 手帳を渡すと、ランバ・ラルはそう言って敬礼する。
「失礼致しますぅ」
 返礼して、ウラガナもドップに乗り込む。操縦士に言って発進させると、見る間にランバ・ラル隊
の陸上戦艦ギャロップは小さくなっていった。
 手帳を開いて、その力強い筆跡を見つめているウラガナは、ふと思った。
 今までにどんな相手も粉砕してきた連邦軍の新型MSが搭載されているという、ホワイトベース―――
木馬に対してゲリラを仕掛け、果たしてそれがどれ程の確立で成功するものだろうか、と。
(戦【いくさ】馬鹿っていうのは、ああいう男の人の事を言うんですねぇ‥‥‥)
 ふと胸の中でそう浮かべて、ウラガナは手帳を閉じ、ポケットにしまい込んだ。
 そして、目元を袖で、一度だけ擦った。
 その3「ウラガナ、すくむ」の巻



ランバ・ラルが戦線に復帰する事はなかった。ジオン軍中にその名を
轟かせた《青い巨星》は―――連邦軍の新型兵器部隊の前にその身を散
らせたのである。そして撤退命令が出ていたにも関わらず、生き残りの
部隊も玉砕に近い作戦を敢行し、結果、返り討ちにあった。ジオン屈指
の部隊であるランバ・ラル隊はこうして全滅した。
 そして、その事実は遂に地球方面を統括しているキシリア・ザビ少将
旗下きってのエリート部隊を動かす事となった。


 細く、小さな煙が風に流され、消えていった。だがそれは軍事基地内
の硝煙にしては、どこか風靡な香りを匂わせた煙であった。地面に置か
れた紫の細長い棒の穂先に点いた、赤い火から流れている煙だ。
「ラル大尉、ハモンさん‥‥‥やすらかにお眠りくださいぃ」
 その前に屈んで手を合わせているジオン士官服を羽織った人間がいた。
十代も半ばほどだろうか。黒髪を三つ編みに結った、黒斑眼鏡の女性兵
であった。これといって見目麗しいという器量ではないが、太い眉とそ
ばかすが個性といえばそうなのか。
 ウラガナ中尉は、立ち上がって顔を上げた。

 その目線の先には、金属の塊が仁王立ちしている。MS−09ドム。
今でこそ黒色に塗られているが、本来ならランバ・ラルのパーソナルカ
ラー‥‥‥青に塗られていた筈の機体である。そう。本来ならランバ・
ラル大尉の部隊に回される筈だったMSなのである。だが、その要請を
ドズル派とキシリア派の違いというだけで消し去ったのは他ならぬ自分
達なのだ。
 だが他にどうしようがあったというのだろう。自分が尊敬し、敬愛す
るマ・クベが下した決断に逆らうなどウラガナには出来はしない。何よ
り彼女にとってマ・クベは単なる上官以上の存在であったのだ。
 それでも、どうにか画策し生き残り部隊に使い古しのマゼラ砲とザク
を回す事は出来たが―――マ・クベにそれを知られ、ひどく叱責を受け
てしまった。
 そんな自分のした行いも、結局は無駄であったようだ。いや、なまじ
自分が半端な補給をしたために、かえって彼らに無謀な作戦を強いさせ
てしまったのではないか?
 そんな思いを含みながら、ウラガナはドムを見上げていた。
 だが。
「おい、お前!そこで何をやっているんだ」
 そんな野太い声が、後ろから響いてきた。
「‥‥‥は、はい?」
 咄嗟に振り向き、そして、ウラガナは固まった。
 そこに、三人の男がいた。それも、とてつもなく巨大な。びく、と後
じさって、首を振って目を擦る。
 恐ろしく巨【おお】きく見えたのは、気のせいだったようだ。いや、
先ほど錯覚したドムに勝るとも劣らぬ巨躯よりは小さかったものの、間
違い無く彼らの体は並外れて大きかった。
 上背がある。幅も厚みもある。そしてなにより、彼ら自身から放たれ
る重厚な威圧感が彼らを巨大に見せていた。

「し、失礼しましたぁ!私、この基地のマ・クベ司令の副官、ウラガナ
中尉と申しますぅ!」
「ほぉう。貴公が司令のか」
 と、顎鬚をたくわえた男がジロリとウラガナを見下ろす。
「うん?なんだぁ、そりゃあ」
 三人の中で最も背の高い男が珍しそうに煙を出す棒を見た。
「あっ、あの、それは、お香ですぅ!」
「オコウ?」
 片目に傷を負った男が、腕を組んだままで尋ねる。ウラガナは、「は
いぃ」と舌足らずに彼らに言う。
「これはですねぇ、東洋の慣習でしてぇ、線香と言いますぅ。死んだ人
の魂を安らかに眠らせる物なんですよぅ」
 と、彼女は説明したが、実際ウラガナの炊いているそれは中国の香で
ある。スペースノイドの彼女にとっては同じ様な物なのかもしれなかっ
たが‥‥‥。
「おいおい、縁起でもない事をしてくれるな。こいつは、今から俺たち
が乗るMSなんだぜ」
 堪りかねた様にウラガナを睨む大男。それはそうだ。パイロットは古
来、験を担ぐ物である。そのような不吉な事をされてはたまったもので
はない。
「ちっ、ちちちち、違いますぅ!これには、訳がぁ!」
 ウラガナは半泣きになると、必死でこのドムとランバ・ラルのことに
ついて説明した。無論、マ・クベ司令の画策はそれとなく隠したが。す
ると三人の男は合点が言ったように頷いた。
「ランバ・ラル、か。確かに惜しい男を亡くしたもんだな。奴の死はジ
オンにとって大きな痛手だ」
「ヘッ、だがよ、安心しな。俺達が必ずや仇はとってやるぜ。このドム
でな。なぁ?」
「おうさ」
 そんな彼らであったが、どうも先程からチラチラとウラガナを見やっ
ている。別に今の誤解とは関係が無いようだ。

「あ、あのぉ、何か?」
 おずおずと聞くと、顎鬚の男が代表するように
「‥‥‥いや、妙な格好をしているもんだと思ってな」
 と気まずそうに言ってのけた。
 その言葉にウラガナは木綿製の白地の半袖、紺のパンツ姿の上に前を
開けた仕官服を羽織った姿のままで、にぱっ、と笑顔を作った。
「あぁ、これはですねぇ、東洋に伝わる伝統的な運動着だそうですよぉ。
えーっと、“ぶるまぁ”っていうらしいですぅ」
「うむ。だが寒そうだな」
「仕方ないんですぅ。これも罰則ですからぁ」
 なぜか、ウラガナは少しだけ彼らの態度が穏やかになっている気がし
た。
(そう言えば、マ・クベ様が言っていましたねぇ。これを着ていれば自
ずと基地内の士気を高める効果があると‥‥‥本当ですぅ!さすがはマ
・クベ様!東洋芸術の神秘ですぅ)
 なにか勘違いした感動を胸にしていると。ウラガナは「あぁ―――っ
!」と叫んだ。彼らの黒いノーマルスーツと言動に、今更ながら気づい
たのだ。
「あ、貴方がたはもしかして‥‥‥く、《黒い三連星》ですかぁ!?ガ
イア大尉、マッシュ中尉、オルテガ中尉ぃ!」
 言われた彼らはどこかこそばゆそうに互いの顔を見回した。
「おい、聞いたか?マッシュ」
「ああ。俺たちもまんざら捨てたもんじゃあないらしいぜ」
「ははは、ま、ていの良い便利屋扱いだがな」
 正体を知ってウラガナは、ようやく彼らから滲み出る空気に納得がい
った。《黒い三連星》。連邦軍の総大将、レビルをルウム戦役で捕虜に
したエース中のエース。前線にとどまりたがるあまり、佐官になる事を
自ら拒否しているという―――。

 ランバ・ラル大尉に勝るとも劣らぬその気迫。ラルがどこか泰然とし
た物で有れば、彼らは攻撃的な闘争の匂いが強いかも知れない。
 粗野に笑い合う三人に、ウラガナは勇気を持ってはだけた軍服から手
帳を取り出した。
「み、皆さん‥‥‥お願いがあるんですぅ。これにぃ、サインをお願い
できませんでしょうかぁ?」
 と、小さな手に握られた手帳とペンを見、黒い三連星は訝しげな表情
を作る。
 と、突然クルリと後ろを振り向いた。
「あ‥‥‥?えっ?あの?」


 《黒い三連星》部隊の隊長、ガイア大尉は小声で仲間に呟いた。
「聞いたな‥‥‥今のを?オルテガ」
「おうガイア。お、俺ぁよ、あんな若い女と口を聞くだけでも久々だっ
てのに」
「馬鹿野郎、うろたえるな!マッシュはどうだ?俺たちと組む前は?」
「言うなよ‥‥‥涙が出らぁ」
 しみじみと言う戦友達。三人は絆を高めあうように、肩を叩きあった。


 何か哀愁を漂わせている三人に、ウラガナは目をぱちくりとさせ呆然
と立ちすくんでいる。
「あ‥‥‥や、やっぱり失礼でしたかぁ?」
 びくびくしながら聞いた途端。
 ザシャア!
 三人が、全く同じタイミングで振り返った。その鬼気迫る気迫にウラガ
ナは思わず後じさる。
「す、すすす、すみませんっ、すみませぇん!やっぱり取り消し‥‥‥」

「中尉、手帳を開けて、俺たちのほうに向けてくれ」
「ふ、ふぇえ?」
 弾かれたように。ガイアに言われるまま、ウラガナは手帳の空いたペー
ジ開ける。
「こ、こう‥‥‥でしょう、かぁ〜」
 指先でつまんで開いたウラガナに、ガイアは「よぉーし」とうなずいた。
 そして、高らかに宣言する。
「マッシュ!オルテガぁ!」
「「おぉう!」」
「えっ!?えぇっ!?」
 ガ  カ  カ  ア  ァ  ッ
 ウラガナには、咄嗟に何が起こったか全く判らなかった。
 ただ一瞬、三つの影が一列に交錯し―――そのまま、疾風の様に自分の横
を駆け抜けていった、とだけしか感じ取れなかった。
 そして、いつの間にか目の前に立っていた三人の大男が姿を消していた。
ウラガナはへなへなと、その場にへたり込む。
「立てるか、中尉」
 数秒経って、後ろから声がした。ガイア大尉だ。
「は、はぁいぃ〜」
 目を回しながら、どうにか立ち上がるウラガナ。そして手帳に目を落とし、
驚愕する。あの瞬時に、見事に三つ並んだサインが記されているではないか。
(こ、これが、『あの』‥‥‥!?)
「地上だろうが、MSが変わろうが、生身だろうが俺達の連携に狂いは無い」
「どうだ?中尉」
「少しは面白かったろ」
 戦慄するウラガナを余所に、男達は口々に言った。
「は、はぁい!凄いです!大感激ですっ!このサイン、大切にしますぅ!」
 子供の様にはしゃぎながらウラガナは、ポケットからまた何かを取り出し
て三人に渡す。

「‥‥‥これは」
「東洋のお守りですぅ!とぉってもご利益があるってマ・クベ様が仰ってま
したぁ!」
 屈託の無い満開の笑顔を見せるウラガナ。《黒い三連星》はそっけなく礼
を言うと、手渡されたお守りを懐に入れる。
 わずかにその手に力が入っている事に、ウラガナが気付こう筈も無かった。

                   *

「貴公等が《黒い三連星》か?」
 マ・クベ司令は、ドムの前に立つ男達に声をかけた。
「一個師団にも匹敵するといわれるその力、存分に発揮してもらうぞ」
 相手が勇士だろうと、彼には関係無い。あくまで尊大にマ・クベは言う。
 と。
「だぁっはっはっは!まぁ、任せておけ!」
 三人の大男は、とてつもなく明るい表情でマ・クベに振り向いた。
「シャアと我々では訳が違うて!なぁ、お前達!」
「おうよ!」
「俺達のジェットストリームアタックをかわせる奴なんていやしねぇ!」
 浮かれながら、バシバシとマ・クベの体を叩く三人。
「な、何をするかっ!?」
 抗議するマ・クベなど全く眼中に無いといった風に、《黒い三連星》は
ドムに向かう。

「行くぞ、マッシュ、オルテガ!出撃だっ!《黒い三連星》っ!えいえい
‥‥‥!!」
「「おぉ―――っ!!」」
 意気揚揚と発進するドムの後姿を、呆然と見送るマ・クベ。
「ま、まあ、士気十分な様で何よりだな」
 土埃を払うマ・クベの後ろに控えるウラガナは、彼ににぱり、と微笑んだ。
「はぁい!これもマ・クベ様の手腕の賜物ですよぉ〜!」
「‥‥‥私の?」
 相変わらず理解不能な己の副官に、マ・クベ少佐は首を傾げた。


 誰も知る者はいなかった。
《黒い三連星》がウラガナに手渡されたお守りには、それぞれ『交通安全』
『安産祈願』『試験合格』と記されていたという事を―――
 その4「ウラガナ、押し倒す」の巻



 オデッサ・デイ。
 U.C.0079年十一月七日より、ヨーロッパ方面において展開された地球連邦
軍の一大反抗作戦の総称である。この戦いの総指揮を連邦軍はかの名将レビ
ル将軍が受け持つという。それだけで、この作戦が並々ならぬものであると
いうことをジオン軍を率いるマ・クベ少佐も感じ取っていた。
 一方、この作戦前に起こったもう一つの戦いがある―――ジオンのエース
部隊《黒い三連星》と連邦の新兵器部隊ホワイトベース、《木馬》の激突が
それだ。誰もが、味方である連邦軍の上層部もが木馬危うしと見たこの戦い
であったが勝利を収めたのは、木馬、ホワイトベース側であった。《黒い三
連星》は、激戦の結果としてマッシュ中尉を失い、退く事となったのである。
 そしてオデッサの戦いも佳境に入る頃、今や二連星となった《黒い三連星》
隊が再び出撃しようとしていた。
「マッシュ‥‥‥お前の死は無駄にはしない」
 ドムのコックピットでガイア大尉は呟いた。通信モニター向こうのオルテ
ガ中尉も、表情を硬くしている。
 マッシュは昔から組んでいたガイアとオルテガと違って、最後に仲間にな
った男であった。彼が加わって初めて《黒い三連星》が誕生したのである。
 やや寡黙なこの男とガイアとオルテガは、仲間以上の―――まるで兄弟の
ように感じていた。戦場でも、この男がいたから安心して戦えたのだ。
 マッシュを失った悲しみを、二人はけして忘れはしない。それを奪った木
馬への怒りも。

 と、ガイアのドムが360mmバズーカの巨大な筒先を、夜空に向かって上げた。
『何をするんだ?』
 オルテガが尋ねると、ガイアは笑う。
「あいつに線香をあげてやろうと思ってな」
 なるほどな、とオルテガも頷く。二人の間にそれ以上の言葉は要らなかった。

                  *

 マ・クベ司令は不機嫌そのものであった。
 当然といえばそうであろう。連邦軍の圧倒的物量、レビル将軍の指揮。あ
らかじめ前もって立てられていたこの大掛かりな攻勢の前に、ジオン側は後
退を余儀無くさせられていた。
 回線から来る報告は全て苦戦、苦戦、苦戦の一言のみ。プライドの高いマ・
クベにとって、現状は屈辱の極みにあった。
「もうよい!」
 マ・クベはうんざりしたようにモニターを睨む。
「とにかく、これ以上の敵の侵攻を許すなっ」
 そう吐き捨てて画像を切る。
 まさか連邦軍がこれほどの力を持っていようとは。さんざ敵の無能ぶりを
見てきたマ・クベにとって、猛将レビルの采配はおよそ初めて目にする連邦
の奮闘であったのだ。
「ウラガナ!」
「はっ、はいぃ!」
 苛立つマ・クベが叫ぶと、副官のウラガナ中尉はびくり、とその身を強張
らせた。

「《黒い三連星》はどうした!?」
「え、えぇとですねぇ、死んだマッシュ中尉の弔いとかでぇ‥‥‥」
 びくびくと言う黒斑眼鏡の少女の言葉を聞くなり、マ・クベは画像を繋げ
た。
 二機のドムが、天空に向けてバズーカを撃ち放っている姿が司令室のモニ
ターに映される。バズーカの硝煙が、まるで線香のように、オデッサの風に
流されていった。
(ガイア大尉、オルテガ中尉‥‥‥)
 その姿から滲み出る哀しみに、ウラガナは胸を締め付けられるような思い
で小さな拳を握る。あの豪放磊落な二人が、コックピットの中でどのような
顔をしているのだろう。そう考えるだけで辛かった。
「何をやっておるかっ!!」
 だがマ・クベが回線を開いて彼らを焚きつけるように怒鳴ると、びくっ、
とウラガナは肩を震わせる。
「既に戦闘は始まっておるのだぞ!」
 だが、モニター向こうのガイア大尉は、そんなマ・クベの恫喝など全く意
に介せずにこちらを見た。
『あぁ、判っておるわ。マッシュの仇はこの手で必ず取ってみせる』
「仇討ちではない!これは作戦行動だっ!」
 ヒステリックに叫ぶマ・クベ。通信が切れると、彼は、らしからぬ事に、
その手袋に包まれた拳を机に叩き付けた。
「キシリア様の推薦があればこそ使ってやっているというのに‥‥‥どいつ
もこいつも‥‥‥!」
 ウラガナはこんな時にただオロオロとしているだけで何もしてやれぬ自分
がもどかしかった。大切な人間の力になってやれぬ己の無力さが、ただただ
憎く、口惜しかった。

「ウラガナ!」
「は、はいぃっ」
「エルラン中将に直ちに連絡を取り、これ以上の侵攻を止めさせよ。即刻行
動を起こし連邦を裏切れとな!」
「はいぃ!」
 と、マ・クベは言ってから、ようやくいつもの落ち着きを取り戻す。
 そう、このような場合のためにスパイを潜入させていたのではないか。戦
争とは何も戦術のみではない。むしろ、戦場以外の場所で行われる策謀――
―戦略によってその趨勢は決まるのだ。東洋の“孫子”に載っているように。
 ニヤリとマ・クベは口端を吊り上げた。そして、己の副官に更なる指令を
かける。
「ここも安全ではなくなったな。ダブデに司令部を移すぞ。それと、例の物
を積み込むのを忘れぬよう、兵には言っておけ」
「?れ、例の物、ですかぁ〜」
「そう言えばよい」
「りょ、了解しましたぁ」
 返事をして部屋を出て行こうとする彼女に、マ・クベは続ける。
「向こうに移った時、茶の用意をしておくのだぞ」
「ふぇ?‥‥‥あっ!‥‥‥は、はぁいぃ!マ・クベ様ぁっ」
 何故かひどく嬉しそうに返事をするウラガナに、マ・クベは眉をひそめる。
「何を笑っておるか」
「えへへぇ、なんでもありませぇん」
 上機嫌で、ウラガナ中尉は敬礼した。

 だが戦局は思い通りには運ばなかった。
 エルラン中将の軍に変更が無く、侵攻を続けるする様は彼が裏切ったか―
――もしくは連邦に彼のスパイ容疑を感づかれたかのどちらかであろうと知
れた。おそらくは後者であろう。
 また《黒い三連星》からの通信も途絶え、音沙汰不通となっている。
 すでに勝敗は決した。
 戦術の素人であるウラガナにも、それは確実に伝わっていた。
「マ、マ・クベ様ぁ‥‥‥もう、もうここもぉ‥‥‥」
 今にも泣き出しそうな顔で訴えかけるウラガナ。だが、対するマ・クベの
表情はあくまで強気である。彼はこう言ってのけた。
「レビルに通信を繋げ」
「えぇっ?は、はいぃ」
 一体何をするつもりなのか。よもや、降伏などするつもりでは有るまい。
ウラガナの知るマ・クベは、その様な事をする男ではない。では‥‥‥?
 案ずるウラガナをよそに、通信マイクを握ったマ・クベが敵将レビルに向
けた言葉は衝撃的な物であった。これ以上の侵攻を止めねば、水素爆弾を使
用する、というのだ。
「十分間の猶予を与える。その間に全ての部隊が後退せねば核弾頭ミサイル
を‥‥‥」
 と、そこまでマ・クベが言った所で。悲鳴に似た声が通信に混じった。
「マ、マ・クベ様ぁ〜っ!か、核兵器は南極条約で禁止されているですよぉ
ぉ〜!?そんなの駄目ですぅ!キシリア様に怒られ‥‥‥むぎゅ?」
「か、核弾頭ミサイルを発射するぞっ!いいな!これは脅しではない!!」
 暴れるウラガナの口元を手で抑えたまま、マ・クベは早口で言い終えると、
通信を切った。
「馬鹿者っ!いきなり大声を出すな!」
「だってだってぇぇ!核はまずいですよぉ!激ヤバですよぉ!3×3EYES
風に言うと『ヤ、ヤクい!』ですよぉ!」

 懐かしい言葉を交えて抗議するウラガナ。だがマ・クベは動じない。
「これは戦争なのだよ。戦争にルールなど無い‥‥‥判るか?」
「そ、そうなんですかぁ〜?」
「そういうものだ」
 釈然とせぬウラガナに、マ・クベは一息ついて、椅子に座る。
 と。
『連邦軍が一斉に侵攻を再開しました!』
 がんっ!
 間を置かずに入った報告に、机に頭から突っ伏すマ・クベ。
「ええい、見ろっ!貴様が妙な声を入れるから見くびられたではないかっ!」
「す、すすすす、すみませんっ!すみませぇぇんんん!」
 目を三角にするマ・クベに、ウラガナは頭を抱えて計器類の下に逃げ込む。
「で、でもぉ、本当にミサイルを撃ったり‥‥‥しませんよねぇ?」
 と、まるで小動物か何かのように、棚の下からマ・クベの顔色を伺うウラ
ガナに、彼は「甘いな」と司令室の一角に足を向けた。
「これは駆け引きなのだよ、ウラガナ。連邦は我々の要求を無視したのだ」
 言いつつ、ひとつのキイを鍵穴に差し込み、捻る。
 ―――核弾頭ミサイルスイッチの解除キイだ。
「彼らは、その報いを受けるのだよ‥‥‥」
 そしてマ・クベは目の前にあるボタンに、細い指を向けた。冷徹なその瞳
に何を思うのか。
 くわっ
 双眸を見開き、マ・クベは高らかに宣言する。
「ミサイル発‥‥‥!」
「や、やっぱり駄目ですぅぅっっ!!」
 刹那、後ろからウラガナが飛びつくようにマ・クベに止めにかかった

「‥‥‥しゃぁ、あぁっ!?」
 いきなりの全力タックルを受け、勢い余って計器類に倒れこむマ・クベ。
ウラガナもマ・クベともつれ合ったまま計器類に乗り出してしまう。
「放さんかっ!」
 ウラガナをどうにか振り払い、マ・クベは強引にスイッチを押した。
 すぐさま陸船艇ダブデのハッチが開き―――あたかも一本の巨大な矢の様
に―――核ミサイルが煙の尾を引いて、夜空へ飛び上がっていった。
「フフフ、これでレビルも一巻の終わりだな」
 ほくそ笑むマ・クベ。だが、ふと、コンソール上に映る画面を見て、青ざ
めた。ミサイルの着弾点が、いつのまにやら―――我が軍の中心部に変更さ
れているではないか。
 詰まる所、このダブデの真上である。
 おそらく先程もつれ合った際に、計器類をいじってしまったに違いない。
「ウっ‥‥‥、ウ、ウ、ウ‥‥‥」
 マ・クベは痙攣する拳を固めながら、目を回してふらふらと立ち上がる副
官を見下ろし。
 ありったけの声を張り上げた。
「ウラガナあぁぁぁぁ――――――っっっ!!!」
「え、えええっ!な、なんですかあぁぁぁっ!?きゃあっ!す、すみません!
マ・クベ様!すみませぇぇぇぇぇ――――――んんん!?」
 二人の声は、オデッサの爆音響く星空の中に消えていった。

「連邦が勘違いしてくれて、よかったですねぇ〜」
「やかましいわっ!」
 大気圏外へと向かう、戦艦ザンジバルの中で、にこやかに笑うウラガナにマ・
クベは怒鳴る。
 結局核弾頭は、着弾点の変更に気付かなかった連邦軍が必死で撃墜したよう
であった。
 慌てて戦場を離脱したマ・クベだが、結局の所、あの水爆が予定通り連邦に
向けられていたとしても勝敗は動かなかったということである。むしろ早めに
脱出できた分、正解であったかもしれない。
「でも、地上に残された人達が心配ですねぇ」
 窓から、遠ざかる大地を見ながらウラガナは呟く。ちなみに、今回の罰則と
して紺一色の水着に着替えさせられていた。
「奴等にも、このザンジバルの姿は見えておろう。早々に撤退するはずだよ。
‥‥‥それと、あれは指示通りにしたであろうな?ウラガナ」
「はいぃ。残りの核はユーリ・ケラーネ少将の部隊に渡すようにしておきま
したぁ」
「うむ。窮地に貧した少将があれを使えば、核を用いた責任は私でなく奴に
向ける事ができるな」
「はぁ〜」
 よくもまあ、あの状況でそこまで計算できたものだ。
「そして、戦いはこの一戦で終わりではないのだよ‥‥‥考えても見ろ、我
々が送り届けた鉱物資源の量を。ジオンは後十年は戦える。フッフッフ」
 言い含めて、マ・クベは机の上の壺を弾いた。
「そ、そんなにですかぁ〜?十年って、中学生が大学卒業しちゃいますよぉ?
VがSEEDになっちゃうくらいですよぉ?」
「後半はよく判らぬが‥‥‥我々が送りつけた物資は、それだけの物だとい
うことだよ」

 壺を磨きながら、マ・クベは誇るように言う。地上での敗北が何だという
のか。要は最後に勝てば良いのだ。
「わぁ!さすがはマ・クベ様ですぅ〜」
 目を輝かせるウラガナ。
「うむ。では、先程キシリア様から送られてきたデータに目を通しておくか」
 悦に入りながら、マ・クベが言う。ウラガナは「はぁい!」と元気良く返
事をすると、データをモニターに映した。
「これが新型MAビグ・ザムですぅ!Iフィールド機能を搭載した初の機動
兵器でぇ、ムサイ二隻分のコストだそうですよぉ。ジャブロー攻略のため、
ガンガン量産するってプランがあるみたいですねぇ」
 ピタッ
 マ・クベの壺を磨く手が止まった。
「次に、この空母ドロス級!なんとなんと、MSが百機以上も入っちゃう超
大型空母らしいですよぉ!これも結果如何でバシバシ建造する予定らしいで
すぅ!さすが我が軍の技術力!まさに驚異の一言ですねぇ〜」
 プルプルと手を震わせるマ・クベの様子に気付かず、満開の笑みを浮かべ、
ウラガナは頬を赤らめる。
「でもでも!もっと凄いのは、十年も戦える資源を確保したマ・クベ様です
よぉ〜。さすがですぅ〜」
「‥‥‥十年?何の事だ」
「ふぇ?」
 目をしばたたかせるウラガナ。マ・クベはあらぬ方向に顔を向けながら続
けた。
「私は後五年は戦えると言ったのだ」
「えっ、で、でもぉ、さっき‥‥‥」
「―――何か言ったか!?」
 ギロリ。有無を言わさぬひと睨みに、ウラガナは慌てて首を振った。
「い、いえぇ!なんでもありませぇん!」
「うむ」
 満足そうに頷き、マ・クベは白磁の壺を弾く。美しい音色が、司令室に鳴
り響いた。
 その5「ウラガナ、哀しむ」の巻



 0079年十二月二十五日(二十七日との説あり)、ジオン公国軍宇宙要塞ソロ
モン陥落。
 ジオン国国軍総帥ギレン・ザビは、ア・バオア・クーと月要塞グラナダを
結ぶ最終防衛ラインを宣言したという。
 間違い無く、戦争は終局に向かいつつあった。


(でも、まだ我が軍が負けると決まった訳では有りません!)
 ウラガナ中尉は、シャワーを終えた後の上気した手を握り締めた。
(我が軍にはまだまだ戦力と、新兵器がたっぷり残されてますぅ!戦いは負
けると思ったら負けなんです!負けてないと思ったら負けじゃあないんです!)
 子供のような理屈を胸で呟きながら、ウラガナは濡れた髪を拭く。彼女は
この場でも、まだジオン軍の勝利を疑っていなかった。その小さな体に秘め
られた闘志はこの艦内において何者にも勝っていたかもしれない。
 と。
「‥‥‥しっかし、アレだなぁ。マ・クベ大佐もすっかり落ち目だよなぁー」
(!?)
 ドアの向こうから聞こえた声に、ウラガナは目を見開く。どうやら廊下を
歩いている一般兵の話し声らしい。

「そうそう。キシリア様の懐刀なんて呼ばれてたのも昔の話さ。オデッサか
らこっち、たいした活躍も見せてないしな」
「ソロモンの援軍にだって、大佐がチンタラやってたから間に合わなかった
って言うじゃあないか」
「いくら地球で穴掘りが上手かったからって、肝心の戦場で働いてくれなき
ゃあなあ。俺、バロム大佐に乗り換えようかな」
「そっちの方が懸命かもな。はっはっ」
 そんな会話をしながら兵達が笑う。すると。
 ごげしっ!
「ぐぇぶっ!?」
 突如飛来してきた消火器が、兵士の後頭部に直撃した。
「だ、誰だっ!いきなり何を‥‥‥!」
「何をじゃあありませぇぇぇんっっ!」
 ぼこっ、と、今度はシャンプーの瓶が顔面にぶつけられる。鼻先を押さえ
て兵士が顔を上げると、そこには烈火の如き形相で仁王立ちしている下着姿
の眼鏡をかけた女性兵がいた。
 やけに背の小さい女性兵は、大股で詰め寄ってくると怒鳴り散らした。
「あなた達は恥かしくないんですかぁっ!マ・クベ様は、これまでジオンの
為に一生懸命尽くされなさってきたのですよぉっ!その功績を忘れて、そん
な風に言うなんて、ジオン軍人失格ですぅっ!」
「な、なにぃ?」
「ソロモンに遅れたのだって、ちゃあんと理由がおありなんですっ!それに
一度や二度の失敗くらいが何ですかぁ!?マ・クベ様に比べてあなた達がな
にをやったっていうんですかぁ!マ・クベ様は、マ・クベ様は‥‥‥っ!」

 目から涙を流して怒鳴り散らすウラガナの剣幕に、面喰らう兵士達。が、
やがて兵士の片割れが、もう一人に言った。
「お、おい。こいつ確かマ・クベ大佐の」
「!」
 肩を揺らして泣きじゃくるウラガナの顔を見て、兵士達は後じさりする。
「い、今のは、ただの噂だから‥‥‥気にしないでくれよ?いやっ、お気に
なさらず!」
 そう言い捨てて一目散に去っていく男達には最早目もくれず、ウラガナは
一人涙を流していた。


 ジオン軍巡洋艦チベ。その司令室でマ・クベ大佐は新たに手に入れた壺を
愛でつつ、ウラガナ中尉の報告に返した。
「木馬をキャッチできたか」
 そう言って、司令席に座ったまま尋ねる。
「ウラガナ。私のギャンの整備はどうか?」
「はぁい。いつでも大丈夫ですぅ」
 どこか力なく答えるウラガナ。先程の兵士達の会話が、未だに耳について
いた。情けない。あんな会話が、マ・クベの乗るこの艦内でなされていよう
とは。これは、管理体制をしっかりと整えていなかった副官である自分の責
任ではないだろうか?だが、彼女にとってはその不甲斐無さよりも、目の前
でマ・クベを侮辱された事に対する怒りの方が大きかった。
 だがマ・クベはそんな彼女の様子に気付いた風もなく、壺を眺めている。
出所はウラガナも知らないが、相当の名品らしい。その壺を愛でつつ、マ・
クベは指示を下す。
「よし。エリア2まで進んでリックドム発進!
―――私も、ギャンで出動する」
「はぁい‥‥‥え、えぇぇっ!マ・クベ様がご出撃なさるんですかぁっ!?」
「そうだ」
 あっけに取られるウラガナに、マ・クベは目を閉じた。
「で、でも、でもでもでもぉ、マ・クベ様が自らお出になられる事はないと
思いますぅ!」
 ウラガナは狼狽した。そう、何せ相手はあの《木馬》部隊なのだ。我が軍
の名だたるエース、新型MS、MAを次々になぎ倒し、重要な戦局をことご
とく覆してきたこの部隊は、今ではニュータイプ部隊とジオン軍全てに怖れ
られていた。
 そのような相手に指揮官が直接出向くなど、ほぼ自殺行為である。まして
マ・クベは慎重で知られる男だ。迂闊とも思えるこのような行為をする男で
はない。
 もしや、マ・クベは兵達からあの様な事を言われている事を知って、この
ようならしくない行動に走っているのでは?
 ウラガナはそう案じて止めようとしたが、マ・クベは不敵に笑った。
「‥‥‥あるのだな、これが」
「ふえぇ?」
「ギャンは、私専用に作っていただいた機体だ。キシリア少将に男としての
面子がある」
「!!」
 電流に打たれたような衝撃がウラガナにはしる。
 ウラガナは、彼が自らの上司であるキシリア・ザビに並みならぬ思いを抱
いている事には気付いていた。
 だが、その為に。愛する者の為、己の誇りの為、それまでに頑なに守って
きた自分の主義をかなぐり捨て、命を賭してまで勝てるとも判らぬ強敵に立
ち向かおうとは。
 なんと気高い男なのだろう。なんと誇り高い男なのだろう。ウラガナ中尉
は、彼の心意気にひたすら感動していた。

「それに、シャアにはあの機体はまだ届いていないと聞く。奴の目の前で木
馬を―――」
「ふええぇぇんっ、マ・クベ様あぁぁぁぁっ!」
「だぁっ!?」
 副官にいきなり抱きつかれて、マ・クベは取り落としかけた壺を必死で死
守する。
「マ・クベ様、マ・クベ様ぁ!ウラガナは一生マ・クベ様に着いて行きます
うぅっ!」
「来んでいいっ!」
 感涙にむせび泣くウラガナを引き離し、マ・クベは襟元を整えた。
「私は勝てぬ戦いはせぬ男だ。木馬に対する策も十分に計を嵩じてある。後
はあのガンダムだが‥‥‥私が直接仕留めたとなれば、キシリア様もお喜び
になられよう。あのMS・ギャンならば不可能な事ではないのだよ」
「あーっ!それで、毎晩シミュレーターでこっそり訓練なさってらっしゃっ
たんですねぇ!」
「し、知っていたのか」
 見られたくない所を見られてしまっていたと判り、複雑な表情をマ・クベ
は作った。
「はぁいぃ!大丈夫ですよぉ!マ・クベ様なら必ずやガンダムを倒せますぅ!
 照れ隠しなのか、自分から視線を逸らしたマ・クベに、ウラガナは満開の
笑みを向けた。
「うむ。そういえば」
「なんでしょうかぁ?」
「‥‥‥いや、なんでもない。そろそろ木馬が仕掛けてくる頃だ。私のスー
ツを持て」
 何かを言いかけ、しかし、マ・クベはかぶりを振って立ち上がった。
 ウラガナ中尉はいつものように「はぁい!」と明るく答えるのであった。

「ウラガナ、木馬の足を止めるのは任せたぞ。相手は一隻だが油断はするな
よ」
 ギャンに乗り込んだマ・クベは、チベの艦橋に控えるウラガナに言う。
「はぁい!マ・クベ様も、どうかお気をつけて!」
「ウラガナ、先程のことだが」
「はいぃ?」
「この所忙しかったせいか、貴様の入れた茶を久しく飲んでいなかったな」
 マ・クベの言葉に、ウラガナは二、三度瞬きをした。それから、ようやく
自分が何を言われたかに気づくと、心の奥底から湧き上がる感情を胸いっぱ
いに膨らませて、頬を染める。
「はぁいぃっ!最高のお茶を用意してお待ちしておりますぅっ!!マ・クベ
様ぁぁ!!」
「行ってくるぞ」
 そう言って、マ・クベは通信を切った。
 ウラガナは、通信を切る前に初めて―――マ・クベが自分に微笑を作って
くれたような気がした。
 気のせいかもしれなかった。だが、たとえ気のせいだったとしても。ウラ
ガナにとって、それは最高に幸せな瞬間であった。


 そして、その数時間後、マ・クベ大佐は連邦軍のMSガンダムと一騎打ち
の末に散る事になる。
 しかしその様な結果を、この時のウラガナが知ろう筈も無かった。
 その6「ウラガナ、目覚める」の巻



『もう、剣を退けぇっ!』
 開いたままの通信回線から、敵パイロットの声が聞こえてきた。
 彼は驚愕した。
 ―――馬鹿な!
 これは子供の声ではないか。
 では、これまでに我が軍を苦しめ、戦局に亀裂を走らせたMSはひとりの少
年が駆っていたとでもいうのか?
 己が今の今まで本気でやり合い、それでもなお押されている相手が、年端も
いかぬ子供だと!?
 ニュータイプ。人の革新、人類の未来への道標。
 そんな言葉が彼の脳裏をよぎる。
 だが、お構い無しに少年の声は告げる。
『汚い手しか使えないお前は、もうパワー負けしている!』
 憐憫すらこめられている声に彼は激昂した。
 痩せても枯れても、彼は軍人である。それ以前に男である。こうまで言われ、
誰が退けようものか。
 そして、彼には勝たねばならぬ理由があった。
「シャアを頭に乗らせぬ為には、ガンダムを倒さねばならんのだよ!」
 半ば自分に言い聞かせるように叫ぶ。
 操縦桿を操り、ビーム・サーベルを目の前の白い機体目掛け、突く。突く。
突く。斬り上げる。凪ぐ。払い返す。また突く。
 フィールド・モーター駆動、MSギャンの攻撃はあくまで滑らかにガンダム
を執拗に襲った。

 だが当たらない。
 高出力のビーム・サーベルはことごとく空を切る。まるで、こちらの動きを
先読みされているかのようだ。
 そして、ガンダムが背中からもう一本のビーム・サーベルを抜き放った。両
の手に握った閃光の刃を、あたかも人間のごとくガンダムは華麗に操り―――
ギャンのサーベルを素早く弾く。
「な、何だ!?」
 一瞬、謎のプレッシャーが彼を襲う。全く得体の知れぬ感覚であった。
 あるいは彼にもその『素養』があったのかもしれない。
 だが‥‥‥今となっては遅過ぎた。
 ガンダムのふたつのビーム・サーベルが、体勢の崩れたギャンを挟み込むよ
うに捕らえたのだ。
 高熱の光が装甲を溶かし、中に食い込む。その衝撃はコックピットにも伝わ
ってきた。計器が悲鳴を上げ、モニターがぶれる。火花が散る。
 彼の脳裏に、これまでの様々な出来事が一気に駆け抜けた。
 そんな中で最も彼の脳裏に強く思い描かれたのは彼が想い続けた女性であった。
 どうか、不甲斐無い自分をお許しくださいませ。
 凛々しく才気溢れる女性将校に彼は謝罪した。
 そして、そんな彼女に捧げる予定であった壺の事が気がかりであった。あの
当代の名品を、さぞかし彼女は喜んでくれたに違い有るまい。

 自分の代わりに、あの壺を送って貰わねば。
 誰が適任であろうか?バロム、デラミン‥‥‥。
 ―――ああ、そう言えば、あれがいたか。いつも、幸せそうに傍らでで微笑
んでいる、己の副官が。とことん無能な副官だが、自分の言う事をいつもよく
聞いてくれた。きっと奴ならば必ずやキシリア様の元に届けてくれるだろう。
「ウラガナ!あの壺をキシリア様に届けてくれよ‥‥‥」
 よいものなのですかぁ?いつものように、眼鏡の女性兵が、にぱり、と呑気
に微笑んだ気がした。
 全く、いつになれば目が利くようになるのだ、貴様は。
「あれは、いいものだ―――!!」
 答えた時。目の前が急激に明るくなった。
 茶の入れ方だけは上手い娘であった。あいつが入れた茶を、自分はもう飲め
ないのだな。
 マ・クベ大佐は、少しだけ、それを残念に思った。


「‥‥‥えっ!?」
 ウラガナ中尉は、ふと、何処からか呼ばれたような気がして顔を向けた。
 だがそこに誰も居よう筈が無い。窓の向こうにある物は、コロニー・
テキサス。今、ウラガナの愛する一人の男が戦っている場所。
 声は、その方向から聞こえた。
 確かに、聞こえたのだ。
「マ・クベ様?」
 そんな筈は無い。そんな筈は。
 だが彼女には何故かそれが確信できていた。
「うそ、嘘ですぅっ!」
 有り得ない。その確信を、彼女は無理矢理に否定した。

「どうしたのですか?中尉!」
 しきりに頭を振るウラガナは、オペレーターに尋ねられて我にかえる。
 今が戦闘中であった事を思い出したのだ。
 敵艦ホワイト・ベースと、アステロイド、小隕石群を挟んだ膠着状態にあった。
 だが、こちらは巡洋艦三隻、敵は戦艦一隻。待ちに徹する道理は無い。
 そして、何よりも。
(早く、早く木馬を退けて、テキサスに救援を向かわせるんですっ!)
 ウラガナは胸の内で悲壮ともいえる思いを浮かべ、司令席に足を向けた。
 どかりとシートに腰掛け、モニターを見ている中年の将校に言う。
「デラミン艦長!戦力はこちらが圧倒的に有利ですっ!今の内に攻撃を
仕掛けるべきですぅっ」
 だが。デラミンと呼ばれた将校は「いかん」とウラガナを見もせず跳ねのける。
「敵は一隻とはいえ、大型戦艦だ。こちらがのこのこ出て行けば‥‥‥」
 いつもの彼女ならば、そこで萎縮して黙っていたであろう。しかし、
ウラガナはあくまで退かなかった。
「でもでもぉ、こちらはバロメルが攻撃を受けていますぅっ!バロメル
が運用できる今の内に動くべきですぅっ!」
「ウラガナ中尉‥‥‥君はマ・クベ大佐の下に長年いて何を学んだのだ、
アーン?」
 鬱陶しそうに、デラミンは三つ編みの女性士官を睨み上げた。それから、
たるんだ頬の肉を吊り上げ、言葉を続ける。
「間も無くバロム司令の艦がここに着く。それまで待つ」
 危険を避け、より確実な方法で敵を撃つ。少しは先を見通した戦術と
いうものが理解できたか、小娘?そういう笑いをデラミンは浮かべた。

 しかし。
「そんなの‥‥‥そんなの全然マ・クベ様の考え方じゃありませぇぇぇ
んっっ!」
「な、何ぃ?」
 いきなり声を強めるウラガナにデラミンはまぶたを広げる。この娘、
こんな声が出せたのか?ウラガナは唇を引き結んで彼を正面から見据えた。
「マ・クベ様の事をなんにも判ってないのは、あなたの方ですぅ!マ・
クベ様なら、けっしてこの勝機を逃したりはしません!そんな臆病な考
えでみすみす敵に策を練る時間を与えてどうするんですかぁ!?
援軍が必ず来る保障なんて、どこにもないんですぅ!マ・クベ様を只の
慎重な方だと思ったら大間違いですよぉっ!」
 ばしぃっ!
「きゃあっ!?」
 痛みとともにウラガナはブリッジの床に倒れこんだ。席を立ち上がった
デラミンが、平手でウラガナの横面を叩いたのだ。
 たかが十代の小娘に、ここまで侮辱されるなど、将校たる彼にとって
あってはならない事であった。
 しかしウラガナは倒れた姿勢のままで、あくまで抗議の姿勢を崩さない。
「考えても見てくださいぃ!こちらと同様に、敵の援軍が来る可能性だ
ってあるんですよぉ!?なんでそれが思いつかないんですかぁ!?」
「っ!?」
 指摘されて、デラミンは初めてその事に気付いた。
 だが、今更そんな事を認めてたまるか。
「だ、黙れ、この小娘が!」拳を震わせて、唾ごと怒鳴る。「今度へら
ず口を叩いてみろ―――営巣にぶちこんでやる!」
 駄目だ、この男は。ウラガナは、鼻息を荒くして椅子に身を預けるデ
ラミンから目を背ける。

「あっ、中尉、どこへ?」
 立ち上がってブリッジを後にしたウラガナ中尉へ、兵士が尋ねた。
「ほうっておけい!」
 デラミンは吐き捨てるように言う。後でたんまりと処罰をくれてやるわ。
 今考えると小娘のわりに、出ている部分は出ているようだった。ふん、
と鼻息一つ吹いて、デラミンは彼女への『処罰』に考えをめぐらせる事にした。


 ドアを開けると、ウラガナはマ・クベの司令室に入った。
 そして、机の上にある壺を大切に抱えると、棚の中にあった箱にしまい
込む。
 おそらく、このチベはやられるだろう。あの木馬に。
 不思議とそんな不謹慎な予想をウラガナはすんなりと受け入れた。
 テキサスに援軍を向かわせる事は、もうかなわない。
 だがマ・クベはきっと生きている。そうウラガナは信じる事にした。
 そう思わねばならなかった。
 ならば、自分の責務はたった一つだけである。
 ウラガナ中尉は壺の入った箱を抱えてデッキへ向かった。

 ノーマル・スーツに着替えるのに手間取っている合間に、何か敵に
動きがあったのか。艦内が慌ただしくなっていった。
 だがウラガナにとって、それは好都合だった。
 格納庫の奥に、一機だけ残っているくたびれたザクのコックピット
に入り込むと、ウラガナは箱を抱きしめた。
「マ・クベ様‥‥‥ご安心くださいぃ。ウラガナは必ず、キシリア様
に壺をお渡しいたしますぅ!」
 本当は、マ・クベと共に戦うときが来るかもしれないと、訓練して
いたMS技能であったが―――よもやこのような形で役立つ事になろ
うとは。
 ハッチのロックはあらかじめ手動で開けてある。兵達の幾人かは当然
気付いている筈だが、ここまで来ればもう遅い。
 ウラガナの乗ったザクはマニピュレイターでハッチをこじ開けると、
宇宙空間にふわりと飛び立った。
 艦の針路とは逆に飛んで隕石の後ろに隠れると、ウラガナはザクの
動力を切って、しばらく潜む。
 もうしばらくして、幾条もの光が交錯し始めた。艦隊戦が開始され
たのだ。
「木馬の勝ち‥‥‥ですぅ」
 ウラガナは表情を変えずに呟く。
 その予測が当たる事は、しかし、彼女にとって最も認めたくない事
であった。
 彼女のその奇妙な予感は、マ・クベの死を何よりも早く察知してい
たのだから。

next

作:ゾゴック ◆8y2tpoznGkさん


もどる