逆襲のシャア外伝

 ルールは単純だ。
 作戦時間内に、大佐の機体を守り通せばいい。
自機が生き残るのは、その手段だ。「大佐を守るためならば命を落してもかまわない」などというのは自己満足でしかない。
なぜなら自機が撃破されれば大佐を守る盾が減るからだ。
だから私は生き残らなければならない。私は、大佐を守るためだけに存在し、それ以外のために存在しない。
「作戦終了です。大佐の機体を守りながら、撤退しなさい」
 ナナイ作戦参謀の指令に従い、機体を転換させる。
 大佐の帰投を確認し、自機を着艦させたところで、シミュレーションプログラムの電子合成音が「ミッション終了」を告げた。

 ネイ・アスはシミュレーションボックスを出ると、ヘルメットを取り、無表情のままノーマルスーツの胸元を開けた。
ナナイの声がスピーカーから流れる。
「撃墜数12。サザビー無事生還。ヤクト・ドーガ無事生還。完璧よ、ネイ」
 しかしネイは、ニコリとも笑わず、無機質な声で「ありがとうございます、ナナイ参謀」と呟いただけだった。
実戦ならばともかく、シミュレーションの数字に、それほど重要な意味はない。そして、それ以上に、ネイには感情と呼ばれるものの大多数が欠けている。
それは「過度の強化によるもの」と説明を受けていたが、実はナナイの作為によるものであることを、ネイは知らない。ネイの心の中には、ただ、大佐への忠誠心があるのみである。
だからネイは、笑ったことがない。


「ネイの様子は、どうか」
 その男、シャア・アズナブルは、金髪をかきあげながら、ナナイの耳元でつぶやいた。
「良好です。二人目は感情抑制が上手くいっています。彼女の行動原理は、大佐に対する忠誠心のみです」
「そうか。一人目は、つまらぬ事故で破棄してしまったようだからな」
 シャア・アズナブルの声を聞きながら、ナナイは心中、唾を吐きたい気分だった。
 ナナイは知っている。大佐が『一人目』を抱きながら、その耳元で「そろそろ、婆さんも用済みだ」と呟いていたことを。
 そして、ネイ・アスの一人目はニヤリと笑いながら、ナナイに言ったのだ。大佐が言ってたわ。ハイブリッド・ニュータイプが完成すれば、婆さんも用済みだって。
 だからナナイは、事故に見せかけて『一人目』を殺めた。ハイブリッド・ニュータイプであるネイ・アスが完成しなければ、自分が大佐に見捨てられることもない。
 そして二人目のネイ・アスには感情抑制をほどこした。シャア・アズナブルが、抱く気さえ起きないように、無反応なつまらぬ少女にしたてあげたのだ。
「そんなことより、大佐・・・」
「ナナイ、プライベートな時間に、そういう呼び方は好きではないな」
「では、なんと呼びましょう。シャア?クワトロ?それとも、キャスバル?」
「意地が悪いな、ナナイは」
 そういいながら、シャアは苦笑する。そして二人は互いのナイトガウンを脱がしながら、舌を、肢体をからめあう。
 シャアに抱かれながら、ナナイは、喘ぐ声の裏でそっと自分につぶやく。大佐を、誰にも渡さない・・・


ハイブリッド・ニュータイプ。
 二人目。
 自分が陰で、そう呼ばれていることを、ネイ・アスは知っている。そう呼ばれることに好意も敵意も感じないが、疑問に思うことはある。感情が無くても、思考は働くからだ。
 ララァ・スンやカミーユ・ビダンなどという、もはや希少な資料でしか知ることのできなくなったニュータイプの先達の遺伝子(それをシャア・アズナブルがどのように入手できたのかは不明であるが)を合成し、短期間で培養されたクローン・・・
どうやら、それが自分らしいということは、分かる。
そして、その一人目の実験体は何らかの理由で破棄されたらしく、実戦に耐えられる生体は「二人目」と呼ばれる自分だけだ、ということも理解できる。
 だが、そんな複雑な事情は、ネイにとってはどうでもいいことだった。
 自分は、ただ、大佐の役に立てる存在であれば、それでいい。それが自分にとっての幸福なのだ。たぶん。
 スピーカーから、オペレータの声が聞こえる。
「作戦開始時刻合わせ・・・3、2、1、0。作戦スタートです」
 ネイはノーマルスーツのヘルメットをかぶった。
 初めての実戦。
 フィフス・ルナの核エンジンに火が灯るまで、それを一機で守り通す。それが今回、ネイに与えられた指令だった。
 コクピットに座ると、無表情な声でつぶやく。
「ヤクト・ドーガ、出ます」


恐怖。
 ネイが初めて記憶することになった感情は、恐怖だった。
 シミュレーションとは違い、圧倒的な力量で迫る敵。その機影、リ・ガズリィに乗るパイロットが、あのアムロ・レイであることを、ネイは知らない。
 ネイの一射がリ・ガズリィのビームライフルに当たる。しかしそれは運がよかっただけだと、ネイは分かっていた。
 早々とライフルを捨てたリ・ガズリィがサーベルで迫る。
「これが・・・実戦?」
 動揺しつつ、かわす。右腕を切断される。
 怖い。怖い。怖い。
 これが恐怖?これが感情?
 私は大佐の役に立てず、ただ死んでいくだけなのか?
 そう思った瞬間、フィフス・ルナの核パルスに火がついた。


『しまった!これではフィフスが地球に落ちる・・・シャアめ!』
 リ・ガズリィのパイロットの思考が、ネイの頭の中に飛び込んでくる。それがアムロだけでなくネイのニュータイプ能力によるものだということを、ネイ自身、理解できていない。
 ネイは、ニュータイプというものを正しく把握していない。ただ、自分のように戦闘能力に特化した存在だとしか思っていないのだ。人の意志が通じ合うとか人は理解し合えるなどということが分からないし、そうしたいという感情さえ、ない。
 だから、アムロの意志がとびこんできた瞬間、ネイは無防備になった。歴戦の猛者、アムロ・レイがその隙を見逃すはずがない。
 リ・ガズリィのサーベルがヤクト・ドーガに迫る。
 ネイは死を覚悟した。その瞬間、シャアのサザビーがリ・ガズリィに迫った。
「アムロ!」
 シャアに反応したアムロがリ・ガズリィの方向を変える。
「シャア!なんでこんなものを地球に落す!」
「このシャア・アズナブルが人類を粛正しようというのだよ!」
 互いの魂をぶつけあう男の間に、ネイのような一少女の入りこむ余地はない。ネイを助けにきたはずのシャアでさえ、ネイの存在を忘れ戦いに没頭した。
 アムロのサーベルがサザビーにせまる。
「大佐!」
 サザビーをかばうヤクト・ドーガを、リ・ガズリィのサーベルが斬る。爆発。
 だがシャアは動揺しない。それどころか、その爆発を目くらましに利用してアムロに攻撃をしかけた。過去、自分をかばったエルメスが撃墜された時とは、正反対の行動だった。
 結局、シャアにとってネイはララァの代わりになるような存在ではなかったのだ。


 宙を流れる脱出ポットの中で、ネイは思考した。
 私は大佐のために命を盾にする覚悟だった。しかし私は脱出ポットを作動させ、こうして生きのびている。
 そして私が守ろうとした大佐は、私を守ってくれる存在ではなかった。
 私は、なんのために生きているのだろう。
 深い思考の底に沈む前に、ふっと、漂流するシャトルが見えた。思いの外、距離が近い。
「助かる・・・」
 ネイは救難発光信号を上げた。脱出ポットだけならば、連邦MSのものかネオ・ジオンMSのものか、民間人には区別はつかないだろう。
ネオ・ジオンのノーマルスーツがかつてのジオン軍のような装飾のないシンプルなデザインではないことも、ネイにとっては運がよかった。
 襟首から階級章だけをはぎとったネイはシャトルに収容されると「自分は近辺を航行していた私営シャトルの搭乗員だったが、戦火に巻き込まれてしまった」と、身分を偽った。
 そして、ネイが民間人として紛れ込んだシャトルにハサウェイ・ノアとクェス・パラヤが搭乗しており、やがてロンド・ベルのラー・カイラムに拾われることが、三人の少年少女の運命を、大きく変えていくことになる。
しかし、ネイ・アスは、今は、そのことに気がついていなかった。
 ハイブリッド・ニュータイプといえども、未来のことなど分からない。人は逆立ちしたって、神様にはなれないのだ。
「クェス、俺、2機撃墜したぜ」
「それじゃ、私と同じだね」
 シャトルで知り合った少年と少女が、無邪気に戦闘シミュレーションの結果を言い合っているのを、ネイは黙って聞いていた。
連邦高官の娘やラー・カイラム艦長の息子と知り合いになれたのは、思わぬ幸運だ。
こうして、民間人だと身分を偽っても疑われず、それどころかMSデッキの見学まで許可されるなんて。
「ネイもやってみなよ」
 ハサウェイという少年が、笑顔で言う。この少年は、本当に屈託がない。
このように陰のない笑顔ができる人間は、いままで、ネイの周りにはいなかった。
だからネイは、ハサウェイの屈託のなさに戸惑うばかりだ。
「私は・・・」
「いいから、やってごらん。そんなに難しくなかったよ」
 戸惑うネイの手を、ハサウェイが握る。少年らしい強引さ。暖かい。不思議だ。今まで私に触れる人の手は、皆、冷たかった。
「頼んだぞ、ネイ」と言いながら肩におかれた大佐の手さえ、暖かいと感じたことは一度もなかったのに・・・
 戸惑いつつもジェガンのコクピットに座る。無精ヒゲのエンジニアが隣りに立ち、操縦法を教えてくれる。
ヤクト・ドーガより簡単だ。しかし動きは鈍いようだ。ネイは知らぬまに、自分の中のパイロット・プログラムを起動させてしまっていた。
 シミュレーションが始まる。制限時間は5分。
 1機、また1機、落す。5機撃墜したところで、ふっと我にかえる。隣りでアストナージが呆然とスクリーンを見ていた。
 いけない。疑われるかもしれない。このあたりで撃墜されておこう・・そう思いつつ、先に体が反応してしまう。結局、5分無傷でクリアしただけでなく着艦作業までこなしてしまった。


ハッチをあけると、集まった人々が驚きの表情を浮かべていた。
「すごいね、ネイ!」ハサウェイが大声でいう。
「ふん!私だって、もう1回やれば、そのくらいできるよ」クェスが強がる。
 そして大人達は、畏怖の目でネイを見ていた。
「あなた、いくつ?」
 金髪のパイロット、ケーラ・スゥが訊いた。
 いくつ?そうだ、私は何歳なのだろう。ネイの思考が止まる。彼女には1年ほどの記憶しかない。そのほとんどが、訓練の記憶だ。
シャア大佐から優しくしてもらった記憶さえ、少しも・・・・いや、あれはいつだろう?大佐が私の肩に優しく手をおいて、何かを語りかけた、断片的な記憶。大佐の唇に触れた記憶・・・なんだろう、この記憶は?混乱する・・・
「どうしたの、ネイ?」
 ハサウェイの声に、はっとする。
「少し疲れただけ。17です。17才」
 適当に応えておく。ハサウェイやクェスよりは年上に見えるが、20才というには無理があると思ったからだ。
「これほどの実力があったら、今すぐ、実戦に出られるよ。ねえ、大尉」
 ケーラがそばにいる青年に言う。その言葉に、ネイは瞳を暗くする。
 結局ここでも、同じなのだ・・・大人達は、私の能力に驚き、恐怖を隠しながら、私を戦場へと駆り立てる・・・私は、戦うことでしか、周りから価値を認めてもらえない。
 しかし、大尉と呼ばれた青年は意外な言葉を口にした。
「子供が戦争なんかするものじゃない。子供に戦争させるのは、悪い大人のやることさ、ケーラ」
 子供?私は、子供なのか?私は、戦争をしなくてもいい存在なのか?私に戦争させる大佐は・・・悪い大人なのだろうか?
「でも、アムロさんが初めてガンダムに乗ったのは、15才の時なんでしょ?」
 好奇心いっぱいの眼差しで、ハサウェイが訊く。アムロと呼ばれた青年を、ネイは見つめた。
 この男が、アムロ・レイ?大佐を困らせる男?私の機体を撃墜した男?
 ただ優しいだけの、およそ戦士としての猛々しさを感じさせない男が、あのアムロ・レイ?
「アムロ、こっちです!」
 向こうのνガンダムの方から、チェーン・アギの声がしたのをきっかけに、アムロは優しく微笑み「レクレーションは終わりだ」と言って、床を蹴って体を流した。


「なに、あの女。こっちでーす、だって」
 クェスがネイに、トゲのある声で呟いてから、アムロたちがいるのとは反対の方向に体を流した。しかしネイには、クェスが何で怒っているのか分からない。
 不思議そうな顔をしていると、ケーラがそっと教えてくれた。
「子供でも女だね。あれ、妬いてるつもりなんだよ」
「妬いてる?」
「嫉妬ってことさ。連邦高官の娘は、大尉みたいなヒーローが自分の方をむいてくれないから、拗ねてんの。ワガママだね」
 やはり、ネイにはよくわからない。
 この艦に拾われてから、よくわからないことだらけだ。
 クェスのワガママ。それは自分にはないものだ。
 ハサウェイの笑顔。優しいアムロ。今まで自分の周りにはないものばかり。

 窓から、宇宙が見える。
「あんたのところの家族は、離れていても、わかりあってんだ?」
「オヤジは、いつも口うるさいけどな」
「私の父さんなんか、一緒に地球でくらしてたのに、私のこと、ちっとも分かろうとしないんだよ」
 ドリンクを飲みながら、ハサウェイとクェスが互いの家族のことを話しているのを、ネイはボウッしながら聞いていた。
 家族。
 私に家族はいない。
 ただ、大佐を大切に思うという気持ちがあるだけだ。だけど大佐は私を大切にしてくれているのだろうか?今、こうしている間も、私を捜してくれているだろうか?
 そんなヒマはないだろう。今頃、大佐は連邦との交渉のため、ロンデニオンに向かっているはずだからだ。
しかしこの艦もロンデニオンに向かっているという。それならば早く到着して欲しい。
今、ネイは、早くシャアに会いたいと思っている。守るべき対象であるシャアに対して、このような気持ちを抱くのは、初めてかもしれない。


「ネイの家族は、どうしてるの?」
 ハサウェイが聞く。
「私には、家族はいない」
「あ・・・悪いこと聞いちゃったかな」
 家族がいないと、悪いことなんだろうか?
「いいじゃん、いなくても。私なんか、あんな父親、いない方がマシだよ」
 クェスが言う。
「でもさ、本当にいなくなったら、きっと寂しいはずだよ」
「そんなことない!ネイだって、家族がいなくても、寂しくなんかないよね!」
「私は、寂しいという感情が、よく理解できない」
 ネイの言葉に、一瞬、ハサウェイもクェスも、キョトンとした。
「寂しいとは、何か?」
「えーと、それは、だから、一人は嫌だとか、誰かと繋がっていたいとか、そういう気持ちのことかな」
 ハサウェイが言う。
 なるほど、とネイは納得する。それが寂しいというのであれば、私は今、寂しいのかもしれない。早く大佐に会いたいと思っているのだから。
このコロニー、ロンデニオンには大佐がいるはずだ。早く大佐の元に戻らなくては。
 理屈では分かっているのに、ネイはハサウェイやクェスと一緒に、アムロが運転するバギーに乗って草原を走っていた。
 自分でも、この気持ちがよく分からない。ただ、もう少し、暖かい人たちの近くに居続けることができたらと思う。
 だが、バギーが湖の側を走りきったとき、林の向こうから現れたのは・・・巧みに馬を操る、シャア・アズナブルであった。
「シャア!なぜここに!」
 アムロは叫び、ネイは迷う。今すぐ、大佐の元にかけよるか、それとも・・・
 ハンドルをハサウェイに預けると、アムロは馬上のシャアに飛びかかった。転げ落ちる二人。
「私は貴様と違って、パイロットばかりしているわけにはいかんのだ!」
 ハサウェイがブレーキをかける。バギーから飛び降りる少年少女たちの前で、二人の男がぶつかりあう。
「重力に縛られた人々がいては、人の革新はできん!地球が持たない時がきているんだ!」
「人類の知恵は、そんなものだって乗り越えてみせる!」
 殴り合いながら出るシャアの言葉を、クェスは正しいものとして受けとめていた。しかしネイは、二人の言葉を聞いていなかった。
 フィフス・ルナの時と同じだ。大佐は、アムロと戦う時は、私のことなど忘れている・・・
 シャアを殴り飛ばし、距離をおいてから、アムロは銃をかまえようとした。しかし走りよったクェスがその銃を叩き落とすと、シャアの側にかけより、アムロに銃口を向けた。
「何をするんだ、クェス!」
 ハサウェイが叫ぶ。しかしクェスは銃口を下ろさない。
「アムロ、あんたバカァ?この人は正しいこと言ってるんだよ!チェーンみたいな女に骨抜きにされているあんたとは違うんだ!」
 シャアは、叫ぶクェスの銃口を下ろさせると、そっと耳元でつぶやいた。
「くるかい?」
「え?」
 返事を待たず、シャアはクェスの手を取り、アムロが乗り捨てたバギーに向かう。
「待て!」
 おいかけようとしたアムロの足下を、弾が撥ねた。振り向くと、ネイが、表情を殺したままアムロに向けて銃を構えていた。

「ネイ!・・・君は、僕たちを騙していたの?」
 ハサウェイが言う。しかし少年には何もできない。
 沈黙。アムロに銃を向けながら、ネイは、迷っていた。
 大佐は私を見ていない。しかしクェスを連れていった。私は要らない存在なのか?
「ネイ、乗れ!」
 シャアがバギーを走らせながら、腕を伸ばす。
 その瞬間、ネイは決めた。
 大佐が私の名を叫ぶ。私に向かって腕を伸ばす。やはり大佐のそばに、私の居場所はあるのだ。
「さよなら、ハサウェイ」
「そんな・・・さよならなんて、哀しいこと言うなよ、ネイ!」
 バギーが横をかすめる。大佐の手を握る。冷たい。でもしっかりと握る。そしてバギーに飛び乗る。
「クェスー!ネイー!」
 ハサウェイは、ただ叫び、二人の少女を連れ去り走り去るバギーを見つめるしかなかった。

「ナナイ達が、ネイが連邦のスパイなったのではと疑っているのは、わかっているかい?」
 シャアの個室に入ったネイは、直立不動のままだった。
「だからナナイは、お前を処分し、3人目を用意しようと言っているのだが」
 いつものネイならば無表情のまま「はい。私が死んでも代わりがいるならば」と応えただろう。しかしネイは、命よりも、自分の中に芽生えつつある「感情」というものを失いたくなかった。だから黙るしかなかった。
「研究所のことはナナイにまかせてあるが、3人目の個体を準備する余裕はないはずだ。しかしナナイは、お前を処分して3人目を用意できると言う。これは、どういうことかな」
 そのあたりの事情は、ネイにもわからない。
 


シャアは話題を変えた。
「ロンド・ベルの連中は、優しくしてくれたか?」
「優しいということの意味が、わかりません」
「笑いかけてくれたか、ということだ」
「ハサウェイという少年は、笑いかけてくれました。彼は誰にでも笑いかけていましたが」
「ほう・・・ブライトの息子が」
 シャアは微笑した。ネイはハサウェイの屈託ない笑みを思い出した。ハサウェイの笑みは暖かく、大佐の微笑は冷たい。大佐は優しいのだろうか?そうではないのだろうか?
「その少年は、他にどんなことを教えてくれたのだ?」
「寂しいとは何かを、教えてくれました。誰かと繋がっていたいという感情だそうです」
 シャアはクックックと、低い声で笑った。
「それは寂しいのではなく、恋しいのだ」
 ネイには、シャアの言っていることの意味がよくわからない。
「寂しいだけなら誰でもいい。しかしネイは、誰に側にいて欲しいと思った?」
「大佐に、です」
「それを、恋しいというのだ。繋がっていたいとは、そういうことなのだよ」
 シャアはスッと立ち上がると、ネイに近づき、頬に触れた。冷たかった。そのまま、軽く唇を重ねた。ネイは驚かなかった。
そもそも、キスやセックスがどういう意味を持つかということを知らないのだから。ただ、大佐の手はハサウェイの手より冷たいけれど、唇は暖かいと思っただけだ。
「キスは、初めてだと思うかね?」
「は・・・いえ、かつて、このようなことをした気がします」
 シャアは視線をそらすと「やはりな」とつぶやいた。
「ナナイめ、姑息なことをする。1人目は処分したと言っていたが、記憶の消去と、新しい記憶の刷り込みをしたのだな。3人目とはつまり、また記憶を刷り込み直すということか」
「何のことでしょうか」
「何でもないよ。お前は1人目の記憶を持つ2人目ということだ。それを私が思い出させてあげよう。軍服を脱ぎなさい」
「は・・・」
 とまどいながら、ネイは軍服を脱いだ。大佐の命令は、やはりネイにとっては絶対だった。
 


「憶えているかい、ネイは何度も、こうして私と繋がっていたのだよ」
「私が・・・大佐と・・・繋がっていた・・・」
「その証拠に、今、私を受けいれた時にも痛みを感じなかっただろう」
「は・・い・・・・・」
 シャアは少しずつ動いた。ネイの小さな胸が小刻みに揺れる。
「気持ちがいいかい?」
「はい・・・・」
「それは、ネイがまだ、一人目だったころの記憶が蘇ってきているのだ」
ネイは薄く目をあけた。大佐の厚い胸板が見える。その上に浮かぶ微笑は冷たかった。脚と脚の間に埋められた大佐の男はとても熱いのに、大佐の微笑は冷たい。その冷笑から目をそむけるように、ネイは、また目をつぶった。動きが激しくなっていく。
「また私のために、戦ってくれるか、ネイ」
 子供に戦争させるのは悪い大人だと言ったアムロの言葉を思い出す。しかしもう遅い。ネイは、あの湖畔でアムロより大佐を選んだのだ。ハサウェイにさよならを告げて。
「はい・・私は・・大佐のために・・・・戦います・・・」
「ふふ、そう言ってくれるネイは、可愛いな。それが恋しいという感情なのだよ」
「これが、恋しい?そうなの?・・・あ!んん!」
疑問に思った瞬間、ハサウェイの笑顔が脳裏に浮かんだ。
私が恋しいと思うのは、本当は・・・・
しかしそれも、シャアの激しい愛撫と腰の波に押し寄せられて、耐え難い快感の奥に埋もれて消えてしまった。
満員電車の向こうから、花束が手渡しで近づいてくる。最後にネイがシャアに渡すと、向こうから老女の「ジーク・ジオン」という声が聞こえてきた。ネイとクェス、二人の少女を従えて、総帥は列車を降り、民衆に手を振った。

「大佐はかっこだけじゃないんですね」
 窓から乗り出してそう言うクェスに、車から降りたシャアは、軽く口づけをした。頬を染めるクェスの隣りに座っているネイは、見ないふりをする。
「やってくれ」
 シャアが運転手に告げると、少女二人を乗せた車が動き出す。後部座席に並んで座り、先に沈黙を破ったのは、クェスだった。
「あんた、大佐のこと、どう思ってんのよ」
「私は、大佐を守るためにだけ存在している」
「そんなこと訊いてんじゃないのよ!あんた、大佐のこと、好きなんでしょう!」
「好きって、何?」
「あんたバカァ?体を重ねたいとか、思うことでしょ!」
 そんなことなら、もう何度か大佐としている。しかし、それで満足したことはない。体が満足しても心が安定しないのだ。
大佐に抱かれた後に聞く「ララァ・・・私を導いてくれ」という寝言。そのとき、ネイはなぜかハサウェイの笑顔を思い出し、感情が無いはずの胸がチクチクと痛む。だからもう、大佐とセックスをしたいとは思わない。
「私は大佐の盾。それ以上でもそれ以下でもない」
「あっそう。私は大佐に抱いてもらったわよ」
 それはクェスの嘘だ。しかしその一言がネイの頭に薄い靄をかける。なんだかイライラする。これがケーラの言っていた「妬いている」ということなのか?
 妬いている?私はクェスに嫉妬している?
「大佐はね、私を抱きながら耳元でささやくの。ネイより、クェスの方が才能があるって。ナナイも言ってたわ。私、あんたよりファンネルとの相性がいいんだって」
 クェスはネイを横目に身ながらニヤリと笑ってみたが、ネイの表情が変わらないので、不機嫌な表情を浮かべ、突然、ネイの脚を蹴った。
しかしネイは顔色一つ変えない。クェスは黙って窓の外を見るしかなかった。
 そのまま、沈黙を運んで車は走り続けた。
 今頃、シャアがナナイの胸で甘えていることを、二人は知らない。


「クェス、実戦の空気を感じるだけでいい。無理はしないように」
「私に命令しないでよ、この無表情女!」
 2台のヤクト・ドーガが戦場を走る。
 一瞬、クェスの紅いヤクト・ドーガが、ネイの蒼いヤクト・ドーガの背中に照準を合わせる。
このまま引き金を引いて、あんたを殺しちゃえば、ナナイなんておばさんに私が負けるはずがないんだから、大佐は私のもの。
しかし戦場は、そんなクェスの思惑を許さない。初陣のクェスに、意図的に味方機の背中を、しかも偶然のふりをして打ち抜くなどという芸当はできなかった。
「きゃあ!」
 紅ヤクトの左腕が被弾する。
「撤退して、クェス」
「黙れ、ネイ!あんなところにも敵がいる!」
 隠れた旗艦のブリッジを、クェスの一撃が砕く。彼女の父、アデナウアー・パラヤは娘の手にかかり宇宙の塵に消えた。
「何、これ?・・・気持ち悪い」
 その瞬間、クェスは自分が父を殺したことを悟った。
「助けて!助けてよ、シャア大佐!」
「大丈夫か、クェス」
「うるさい!あんたに心配されるくらいなら、死んだ方がましよ!」
 クェスはノーマルスーツの胸元を開いた。
「父さんを殺した私には、もう怖いものなんてない!次の戦場では、あんたの背中を撃ってやる!そうすれば、大佐は私のものよ!」
 ここまで激烈な感情を放出できるクェスを、ネイは、初めて羨ましいと思った。嫉妬とは違う、羨望に近い感情。
 ネイは、ふと思う。
クェスという鏡を見ながら負の感情を蓄えて、私はヒトに近づいていくのだろうか?


父を殺し混乱していたクェスに、ナナイは優しくなかった。クェスがルナツーを離れ、アクシズのシャアの元に向かう理由は、それだけで十分だった。
被弾した紅いヤクト・ドーガがデッキを出て、無断発進する。
 蒼いヤクト・ドーガのコクピットの中にナナイの声が響く。
「クェスをサポートして、先行してアクシズに向かうように」
 その後、小さな声でナナイの本音が聞こえた。
「クェスを死なせると、大佐が拗ねる」
 そんなものだろうか。だとしたら、人の感情というものは、何と身勝手なものだろう。
 いや、考えるのはよそう。私はシャア大佐の盾でしかないのだ。
 ネイは蒼ヤクトを発進させた。
「ついてこないでよ、無表情女!」
「そうはいかない。命令だから」
「私は大佐のところにいくの!私とナナイと、どっちが大事か訊きに行くのよ」
 そういう感覚をストレートに放出するところに、クェスの魅力があるのかもしれないと、ネイは思う。
「邪魔するなら、あんたも撃つわ!」
「言いあいをしているヒマはない、クェス。敵は前にいる」
 前方の空域では、アクシズとロンド・ベルが既に交戦状態に入っていた。
「熱源・・5つ。核か」
 ネイはクェスにかまうのをやめた。意識を集中させる。ファンネルが全ての核を落すと、大きな火球が5つ、宇宙に咲いた。
「あれ、ネイがやったの?私だって、私だって大佐の役に立ってみせる!」
 クェスはアクシズに向かう一機を発見した。
 ガンダム?そう思い近づくが、それはケーラの乗るリ・ガズリィだ。
「でも近くに、アムロはいる。そう感じるもの!こいつを捕まえればガンダムが来る!」
 破損したヤクト・ドーガでも残りのファンネルを駆使して、リ・ガズリィの四肢を破壊し行動不能に落しいれるだけの力が、クェスにはあった。
「ケーラ!早く脱出するんだ!」
 叫びながら、アムロのガンダムが近づく。
「来たな、プレッシャー!アムロだろうと誰だろうと!」
「大尉、私にかまえず!あぅ!」
 リ・ガズリィのハッチを開けて脱出しようとしたケーラの体を、紅ヤクトの手が捉える。

「ガンダムに乗ってるの、アムロでしょ!ガンダムから降りなさいよ!さもないと、このパイロットを握りつぶすわよ!」
「クェス?クェスなのか!」
「早くしなさいよ!」
 舌なめずりをするクェス。早く!早く!気持ちだけがあせる。汗がにじむ。
 ガンダムを手に入れることができたら、アムロを殺すことができたら、私はいつだって、ネイなんか倒して、大佐に愛される女になれるんだから!
 その時、ネイの蒼ヤクトがクェスを見つけた。
「あの手にいるのは、ケーラ・スゥ?」
 ラー・カイラムで、クェスの感情に「嫉妬」という名前があることを教えてくれた女性。
ネイが近づく。それを見たクェスがあせる。
「アムロ!早くしないと、ホントに握りつぶすよ!」
「待て、クェス!今、ファンネルを外す!」
 νガンダムからファンネルが外れていく。
「ふざけないで!放熱板を外したからって、なんだってのよ!」
 紅ヤクトのファンネルがアムロのコクピットを狙う。その瞬間、アムロの警戒心に過敏に反応したファンネルがクェスのファンネルを撃ち落した。
「反撃した?このクェス・パラヤの警告を無視するなら!」
 グシュ・・・
 紅ヤクトの手が、ケーラの体を握りつぶした。
 その瞬間、ネイはケーラの最後の声を聞いたような気がした。

今まで、ネイはいくつかのMSを撃墜してきたが、それらのMSに人が乗っていることさえ気にかけたことはなかった。しかし・・・
『子供でも女だね。あれ、妬いてるつもりなんだよ』
 そういいながら、笑ったケーラの顔が、思い出された。
 なんだろう、この不快感。胸がキリキリと痛い。
悲しい?そうか、これが「悲しい」とう感情なのか。
また一つ、クェスのために、ネイの胸に負の感情が蓄積されていく。
人は悲しいとき、どうするのだろう?泣く?泣くとは、いったいどういうことだろう?わからない。わからない。
 ふと気がつくと、ケーラの遺体を収容し、νガンダムは撤退していた。紅ヤクトがシャアのサザビーの元に向かうのを、ネイは表情を失った瞳のまま、見つめるしかなかった。
クェスが大佐に甘える姿を想像するのは、ネイには苦痛でしかなかった。
ハサウェイに会いたい。ふと、そう思った。
大佐に甘えられないのであれば、せめてハサウェイの笑顔を見て安心したい。そうか・・・これが恋しいということなのか?
しかし、それも今のネイには到底叶えられない望みであった。
 旗艦の自室に戻ると、シャアはノーマルスーツの胸元を開けて、ドサリと椅子に座り目を瞑った。
 アムロ達が、核パルスエンジンに火がつき月軌道からゆっくりと移動を開始したアクシズの進路予測及び作戦修正を行い、第2波を送り込んでくるまで、あと2時間といったところだろか。
 こちらも戦力を整え、ルナツーの核をアクシズに積み込む作業は、ナナイ達が上手くやってくれるだろう。
「ララァ、これでいいのだろう・・・私の望みは、アムロに勝つことだけだ」
 人知れず呟いたとき、ドアが開いた。クェスだった。シャアは薄く目を開いた。
「クェス、αの整備は済んだのか」
「大佐!私、ララァ・スンの代わりなんですか?」
「誰からそんなことを聞いた?」
「ナナイが言ってたわ。大佐が私を大切にするのは、ララァの代わりだからだって!」
 いつもの余裕を取り戻し、シャアはフフッと笑った。
「ナナイは意地悪なことを言うな」
「そうよ、意地悪よ!だから、あんな年増女なんかより、私を愛して!」
「困ったな」
「どうして?私は大佐を愛してるんですよ!」
「クェスは、まだ子供だ」
「私は大人よ!大佐の盾になることだって、大佐の女になることだって出来るわ!」
 クェスはノーマルスーツの胸元をグイッと開いた。弾力のある胸の間の影が、襟首からのぞく。
「だから私を見て!」
「わかった。私はララァとナナイを忘れる」
「なら、私はαで大佐を守ってあげる!」
 クェスはシャアにとびつくと、その首に腕をまわし、幼い唇を押しつけた。
「だから私をいっぱい愛して!ネイなんかより、ずっと愛して!」
 シャアの慣れた指がクェスのノーマルスーツを脱がしていく。その唇が首を、胸を、腹をすべるたびにクェスは背をそらせる。舌が腿の間を割ると、思わず声をこぼした。
「大佐・・大佐!愛してるわ・・・だから私だけを見て・・・あ!」
 シャアを受け入れた瞬間、痛みとともに、少女はドアの向こうまで聞こえるような声をあげた。


 聞かなくてもいいものを、聞いてしまった。
 自分が恋しいと思うのは、本当に大佐なのか。もう一度、大佐の微笑を見れば、その答が出ると考え、シャアの部屋の前に立ったネイの耳に届いたのは、そのシャアの愛撫に応えるクェスの声だった。
 大佐は誰でもいいのだ。
 寂しいだけなら誰でもいい。
 他ならぬ大佐自身が、ネイに言った言葉。
 だから大佐は、恋しいのではない。寂しいのだと、ネイは思う。
 いや、本当にそうだろうか?違う。きっと違う。
 大佐は、やはり恋しいのだ。そして、その相手はララァ・スンでなければいけない。
 そのララァがいないから、大佐は寂しい男になってしまった。
 そして私は・・・ハサウェイの笑顔を思い出しながら、大佐に抱かれたいと思うならば、私も、ただ寂しいだけなのだろう。
 寂しい。
 あれほど新鮮だった「感情」というものを持ってしまったために、こんなに苦しむのであれば、感情なんていらない。
 私はもう一度、表情のない戦闘マシンになろう。何も求めずに大佐を守るだけの盾になろう。
「大佐・・私を・・・もっと愛してください・・・私を・・私だけを・・・は・・あぁ!」
 クェスの声が聞こえる。ネイは眉ひとつ動かさず、そのまま振り向くと、いつまでも廊下に響くクェスの声を置き去りにして、ドアの前から歩き去っていった。


「フフフ、墜ちろ墜ちろ!」
 シャアの体温が残る、火照る体をもてあましながらα・アジールに乗るクェスは、ネイのヤクト・ドーガと共にジェガンを次々と火球へと変えていった。
 その2機の防衛ラインを突破しようとする機体・・νガンダムにネイが気づき、急襲する。
「アクシズには、いかせない」
「この感じ、ネイか。あの大きいのがクェス?」
 ネイのファンネル攻撃を、アムロのフィンファンネル・バリアが弾く。
「そんなもの、αの力で!」
 クェスのα・アジールが横殴りにビームを乱射しバリアが散開するが、アムロはクェスの攻撃全てをかわしながら、αの大型ファンネルを撃破していく。
「そんなんで、大佐を困らせないでよ!」
「私は大佐の盾。だから逃がしはしない、アムロ・レイ」
 ヤクト・ドーガの照準が、νガンダムを捕捉した。

『罵りあっているだけじゃダメだよ!クェス!ネイ!』

「今の声、ハサウェイ?」
 その一瞬のためらいが、ネイに引き金を引かせなかった。
「ネイの殺気が消えた?」
 その一瞬の隙をアムロは見逃さない。サーベルがヤクト・ドーガのライフルを叩き斬る。
 同時にフィンファンネルが、ハサウェイの声を捉えきれなかったクェスの敵意に反応して、αの両肩にあるサイコミュ式メガアーム砲を破壊した。
「ああう!大佐!助けて!」
 直撃を免れたコクピットの中で、死神の鎌に首筋をなでられたような錯覚に陥り、クェスは悲鳴をあげた。
「これ以上、子供につきあっていられるか」
 νガンダムがアクシズに向かう。
「クェス、私はガンダムを追う。αの装備はメガ粒子砲しか残っていない。クェスは撤退したほうがいい」
「うるさい!私が聞きたいのは、あんたの声なんかじゃない!大佐、どこです?一人で死ぬのはイヤ!助けて、大佐!私だけを見てって、お願いしたじゃない!」
 クェスはパニックを起こしていた。
 しかしガンダムがアクシズに近づけば、大佐が危険になる。
 私は、大佐を守る盾。そのためだけに存在している。
 ネイは、クェスよりシャアを守ることを優先し、ガンダムを追ってアクシズに向かった。
 そして錯乱したクェスは拡散メガ粒子砲を乱射しながら、戦場を無駄に走り抜けていく。

「あれは、クェス!」
 ハサウェイが操るジェガンが拡散メガ粒子砲をかいくぐり、αの頭部にとりつけたのは、奇跡と言ってよかった。
「なれなれしい!誰!?」
「クェス、クェスだろ?」
「大佐?来てくれたの?」
「僕だよ!ハサウェイだ!」
「大佐じゃない?何で?離れろ、こいつ!」
 イヤイヤをする子供のように首を振るαに、必死でしがみつくジェガンのコクピットで、ハサウェイは叫び続けた。
「ダメだよ、クェス!そんなだから、敵ばかり作るんだ!ハッチを開いて!顔を見れば、そんなイライラなんか、消えちゃうから」
「あんたなんかに、私の何がわかるって言うのよ!幸せな家族と心が繋がっているハサウェイなんかに!」
 その時、αの頭部の近くを、リ・ガズリィのビームが走った。サイコフレームの力に導かれて、ここまで辿り着いたチェーンだ。
「ハサウェイ、どきなさい!」
「チェーン、やめてくれ!僕がクェスを助けるから!」
「その子は危険よ!」
「その声・・・嫌な女!あんたさえいなければ、アムロのそばにいられたのに!」
 クェスが叫ぶ。その瞳からにじんだ涙が、コクピットの無重力に浮かぶ。
「クェス、寂しいなら、僕と繋がればいいじゃないか」
「子供のくせに、図々しいのよ!」
「だって僕たちは、まだ子供だろ?今からだって遅くないよ」
「遅いのよ!私はもう、大佐の女なんだから!」
「なんだって?」
 女の全てを受けとめるには、ハサウェイは若すぎた。その一瞬の動揺のせいで、激しく揺れるαの頭部からジェガンが振り落とされてしまった。
「クェスー!」
「あの時、大佐と一緒に走る私を、どうして止めてくれなかったの?アムロも嫌い!ハサウェイも嫌い!皆、皆、大嫌い!」
 αの拡散メガ粒子砲が火の雨を降らせる。リ・ガズリィがミサイルを放った次の瞬間、火の雨の一粒が直撃し、チェーンを焼いた。
 そして、チェーンが最後に放ったミサイルが、αのコクピットを直撃した。
『シャア大佐・・・お父さん!』
 それは、クェスの最後の声であり、意志であった。
「クェス・・・クェスー!ネイ、ネイ!クェスが、クェスが死んじゃった・・・」
 チェーンが持っていたサイコフレームが紡ぐ細い光の糸が、ハサウェイの意志を運ぶ。ネイの胸へと。


 ネイはガンダムを見失っていた。それ以上に重大な驚異がアクシズに近づいていたからだ。
「熱源5つ・・・そこ」
 ファンネルに打ち抜かれた核が、アクシズにたどり着く前に光の数珠と化した。
「さすがだ、ネイ」
 気がつくと、意外と近くまでシャアのサザビーが接近していた。
「さすがだな、ネイ。今ので、おそらく核攻撃は最後だろう。次波はアクシズへの直接上陸を狙ってくるはずだ。ネイ、私を守ってくれ」
 はい。そう応えようとしたときだった。
 細い一筋の光の帯が、サザビーとヤクト・ドーガの間をすり抜けた。その瞬間、その声はネイの胸に届いた。

『ネイ、ネイ!クェスが、クェスが死んじゃった・・・』

 ハサウェイ?ハサウェイが戦場に出てきているなんて。
「どうした、ネイ。迎撃体勢を取れ」
「ダメ・・・」
「なに?」
「ハサウェイが呼んでる・・・だから、ダメ」
 ネイはヤクト・ドーガを急速旋回させた。
「どこへ行く!ネイ!」
 シャアを置き去りにして、ネイはハサウェイの元へと急ぐ。
「フフフ・・・所詮、私はいつも、一人だったということか」
 自嘲気味に笑うと、シャアは、長年の好敵手を迎え撃つべく、ファンネルを機動させた。
 少年だという理由は、戦場では通用しない。ギラ・ドーガのサーベルがジェガンの左腕を切った。
「ちぃ!僕は・・・クェスのところに行くのか?」
 ハサウェイがそう言った瞬間、一筋のビームがギラ・ドーガを打ち抜いた。
「ネイ!ネイだろう!」
 ハサウェイはハッチを開けるとコクピットから乗り出し、ヤクト・ドーガのコクピットへと体を流した。ネイもハッチを開けて、ハサウェイを受けとめた。二人のバイザーが触れ、声が聞こえる。
「ハサウェイ、なぜ戦場に出てきた」
「君とクェスを連れ戻しに来たんだ!」
「ここは、あなたが来るところではない。戦場は、あなたの笑顔を消してしまう。だから、早く戻りなさい」
「ネイ・・クェスは死んじゃったんだよ。君まで、そんなことになったら・・・だから、僕と一緒に行こう、ネイ!」
「私は・・・」
 ハサウェイの声に導かれて、思わずここまで来てしまった。しかし私は・・・私は大佐を守る盾。でも・・・ハサウェイ・・・
 ネイが迷う間に、アクシズの中央に火の筋が走った。大小、無数の岩盤を散らせながら、アクシズが2つに割れていく。岩の群れが迫る。
「ここは危険。早く待避しなさい、ハサウェイ」
「ネイ、僕と一緒に行こう!」
 なぜ、こんなにも心が揺らぐのだろう。ハサウェイと一緒にいたい。ハサウェイの笑顔を見つめながら、ハサウェイと繋がっていたい。
 そうか・・・これが恋しいということなのだ。
 私は、恋を手に入れた。感情を持たず、ヒトでさえなかった私が。だから・・・それだけで充分。
「私は大佐のところに行く」
「どうして!」
「ハサウェイには家族がいる。だけど、大佐は寂しい人」
「だからって、ネイが行くこと、ないじゃないか!」
「大佐の盾になることが、私の役目」
「そんなこと、どうだっていい!僕はネイと一緒にいたいだけなんだ!ネイは、違うの?」
「ハサウェイ、好き」
 表情がないまま、ネイはポツリと言った。一瞬、二人から言葉が消える。ネイはもう決めたのだ。だからハサウェイは何も言えなかった。
「さよなら」
トンッと軽くハサウェイの体を押すと、ネイはヤクト・ドーガのハッチを閉じ、ヤクト・ドーガの方向を変えた。
「ネイ!待って、ネイ!」
 ハサウェイはジェガンのコクピットに飛び込むと、急いでハッチを閉めた。モニターに見えるネイのヤクトは、すでにアクシズを目指して急発進し、遠い点となっていた。
「まだ間に合う!」
 しかし、破損したジェガンで飛び散る岩盤を避けながらネイを追いかけるだけの技量を、ハサウェイは、まだ持っていなかった。アクシズの破片を回避するだけで精一杯だった。
「ネイー!」
 少年の声は、もう少女には届かない。

「大佐・・大佐が、あそこにいる」
 落下をはじめたアクシズ後部に接近したネイは、そこで信じられないものを見た。
 巨大な岩から見れば豆粒ほどのおおきさしかないMSが集まって、アクシズを重力圏から押し戻そうとしていた。
「これは・・これは何?」
 そして、その中央に、光の帯をまといながら、赤い脱出ポットを岩盤に押しつけているνガンダムがいた。
「アムロ、大佐を離しなさい」
 しかしガンダムはフルバーニアのまま、微動だにしない。周囲の機体には、オーバーロードして焼けていくものもあった。
 ヤクト・ドーガがライフルを構える。
「大佐を、連れて行かないで」
 その時、ネイの頭の中に、二人の男の声が響いた。
『だから世界に人の心の光を見せなきゃいけないんだろ!』
『そういう優しい男にしては、クェスに冷たかったな』
『俺は、器用に父親代わりを演じられるような男じゃない』
『それは私も同じだよ。だからクェスを抱いた。一人の男としてな』
『それは、器量の小さい男のすることだ』
『ララァ・スンは、私の母になってくれるかもしれなかった女性だ。そのララァを殺したお前に言えたことか、アムロ!』
 やはり大佐は、今もララァ・スンに恋をしている。だからアムロと闘っているときには、私のことなど、目に入らない。たとえサザビーは破壊されても、今も、大佐はアムロと闘っている。信念を闘わせている。意地を闘わせている。
 そしてアムロという鏡の向こうに、ララァ・スンを見ている。
 ならば、私が大佐にララァ・スンを忘れさせる。アムロ・レイを殺すことで。それが、大佐を守るためにだけ存在してきた私の役目。
 ネイはライフルの引き金を引いた。
 その刹那、νガンダムが発光した。
 それは、ビームの直撃を受けて爆発したのではない。
 しかし機体がオーバーロードし爆走したのか、それともサイコフレームが発光しているのかは、わからなかった。
 ただ確かなことは、ガンダムが発した光の渦がビームさえ消滅させ、周囲のMSを、そしてネイのヤクト・ドーガをアクシズから弾き飛ばしたということだ。

 アクシズから離れるヤクト・ドーガの中で、ネイは、宇宙にかかる光の帯にそって巨大な岩が地球からゆっくりと離れていくのを、ただ見つめていた。
「大佐・・・」
 大佐は、あの光の中にいるのだろうか。ネイにシャアを感じることは、もうできなかった。
「何だ?視界が、にじむ」
 ネイはバイザーを上げると、指で目の縁にふれた。水滴が一粒、二粒、宙に浮いた。
「これは・・・何?」
 涙。
 声も出ず、涙だけが行き場を失ってプカプカと浮いているのを、ネイは、表情を変えず見つめた。初めて見る自分の涙を見ても、ネイは、自分が泣いているということを理解できなかった。
 ネイは涙を拭いた。もう瞳は乾いていた。
 そのとき、宇宙を漂うヤクト・ドーガに、左腕の無いジェガンが触れた。
「・・・ハサウェイ?」
 ジェガンのハッチが開き、ノーマルスーツが近づく。ネイはバイザーを下ろすと、自分もハッチを開いた。ゆっくりと近づいてきたハサウェイのバイザーが、コツンと触れる。
 ハサウェイは目に涙を浮かべながら微笑んでいた。ハサウェイの笑顔は、いつも優しい。
「ネイ・・・よかった。生きていたんだね・・・泣いているの?」
 泣いている?
 そうか。涙がにじむということは、泣くということなのか。
 人は深い悲しみに沈んだ時に泣くと、誰かから聞いたことがある。
 ケーラが死んだとき、悲しいと思った。しかし泣かなかった。でも、今、私は泣いている。私は今、悲しいのか・・・
 大佐。もう、大佐に会えない。それは、悲しい。とても、悲しい。
 でも、それはおかしい。大佐を思ったときの涙ならば、もう、全て拭ったはずだ。
 ハサウェイの笑顔を見たら、また、涙がにじんだ。これは悲しいという感情ではない。なんだか暖かい・・・何だろう、これは。
「でも、ネイが生きてて、本当によかった・・・」
 そう言ったハサウェイの瞳も、涙で濡れていた。それ以上、言葉にならなかった。
「ハサウェイは、なぜ、泣いている?悲しいの?」
 首を横にふると、ハサウェイは微笑んだ。
「嬉しいんだよ。人は悲しいときに泣くけれど、嬉しいときに泣くこともあるんだよ」
 そうか・・・私は今、ハサウェイに会えて、嬉しいのか。
 嬉しい。嬉しい。そうか、私は嬉しいんだ。
「わからない」
「何が?」
「私も、またハサウェイに会えて、嬉しい。こんなとき、私は、どんな顔をすればいいのか、わからない。悲しい時と同じように、泣いているだけでいいの?」
「・・・笑えば、いいと思うよ」
 そういえば、ハサウェイも笑っている。涙をにじませながら笑っている。
 そうか・・・笑えばいいのか。
 宇宙は静かで、地球が美しくて、ハサウェイがそばにいて、嬉しいから笑う。それだけのことだ。ヒトの感情の、何と単純で、何と素晴らしいものだろうと、ネイは思う。そして・・・

 ネイ・アスは、目をつぶると、ゆっくりと瞼を開けながら、唇の両端を微かにあげて、微かに笑い、愛しいハサウェイを見つめた。
 そう。愛しい。
 ネイはまた一つ、新しい感情を手に入れた。

fin

作:プロト ◆xjbrDCzRNwさん


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