月と白き人形と妖精と

 「メーリさんの羊、メーメー羊♪メーリさんの羊、かわいいね♪」
アメリアの山に綺麗で、とても愛らしい歌声が響く。
声の主は、褐色の肌に美しい銀の髪というなんとも不思議な容姿の少女だった。
 「おいローラ!歌ってる暇があるなら少しは手伝ってくれよ」
シャベルを片手に、キースが非難の声を上げる。
 「・・・あなたが『俺ひとりでやるから任せとけ!』って言ったんでしょ?」
退屈そうに岩に腰掛けていたフランに咎められ、
キースは渋々シャベルを持ち直す。
 「フラン、やっぱり地球っていい所だね!」
 「・・・私達あそこから来たのよね」
2人の少女は夜空に浮かぶ月を感慨深げに見つめた。
 「さて、これだけ埋めりゃ大丈夫だろ」
 「うん!わかりっこないよね」
そう言って屈託なく微笑むローラの顔はどこか
少年ぽさを含んでいた。
 「私は新聞記者に」
 「俺はパン屋に」
夢を語る2人の顔を交互に見ながら、
ローラは羨ましそうに笑った。
 「いいなあ・・・2人はやりたいことがあって・・・」
少し寂しげなローラの笑みに、キースは意を決したように切り出した。
 「な、なあローラ?お前行くところ決めてないんだったら、
 その・・・も、もしよかったら、俺と一緒に来ないか?」
キースの一世一代の誘いを横に、フランはヒュウと口笛を吹いた。
だが、期待に反してローラのリアクションはそっけないものだった。
 「う〜ん・・・パン屋かぁ・・・そういうのも嫌いじゃないけど
 ・・・でもやっぱり、やりたいことは自分でみつけたいよ」
 「そ、そうだよな!やっぱりそういうのは自分で探すもんだよな。うん!」
全く意を汲まない返事をするローラと、
そのままウヤムヤにしてしまうキースを横目にフランはため息をついた。
 「・・・子供ね」
やがて、道が分かれだした。
 「ここでお別れね。キースもローラも元気でね」
 「ああ、フランもな。じゃあな、ローラ!」
 「うん、あ、キース!」
呼び止められ、やや緊張の面持ちで振り返るキース。
もしやと胸に期するものもある。
 「美味しいパンが焼けたら、食べさせてね!」
 「あ、ああ!約束するよ!一番に食べさせてやるよ!」
力を込めるキースに、ローラも笑顔で手を振る。
2人と分かれたローラは、早速ピンチに陥っていた。
腹を空かせたコヨーテの群れに囲まれてしまったのだ。
 「犬?・・・ああっ!!」
思わず目を閉じた瞬間、乾いた銃声が響いた。
恐る恐る目を開けると、コヨーテ達は散り散りに逃げてしまった。
ふと見上げると飛行船から銃を持った若い紳士が手を振っていた。
 「あの人が助けてくれた・・・」
飛行船では紳士の取り巻きの少女たちがキャッキャと歓声をあげていた。
 「坊やー!グエン様に感謝するんですよー!」
 「・・・女の子なんだけどなぁ・・・」
短く切った後ろ髪を撫でる。
 「さっきの人、グエン様って・・・髪、伸ばそうかな・・・」
 「全く!玩具を追いかけて溺れるなんて」
 「すいません・・・」
初めて見た地球の川にうかれたローラは、流れに飲まれて
あわやというところを地元の名主ここハイム家に助けられたのだった。
 「そんなにこの玩具が大事だったのか?」
振り返ると、ベッドの反対側にローラと同年代と思しき少年が
彼女の大事に金魚のメリーを手に悪戯っぽく微笑んでいた。
 「あ、メリー!よかった・・・ありがとう・・・?」
伸ばした手は少年に遮られてしまった。
 「ふ〜ん。メリーっていうんだコレ。
 助け賃ってことでもらってやるよ」
 「だ、大事なものなんです!返して下さい!」
取り返そうと身を伸ばすローラの匂いが
少年の鼻をくすぐり、思わず顔が赤くなる。
 「わ!?こ、こら!」
 「セシル、返してあげなさい」
 「あ、ね、姉さん!」
振り返ったローラは、そこに立っていた女性の姿に固まってしまった。
 (ディアナ様?・・・ま、まさか)
 「もう身体は大丈夫みたいね」
 「は、はい。おかげ様で・・・」
応えながらも、その顔に見入ってしまう。
よく知る、あの高貴な方とあまりに似すぎている・・・と。
 「そう・・・こちらには働き口を探しに?」
 「あ、はい。こちらにはハイム家という名家があるそうですから、
 そちらで働かせていただこうと・・・」
ローラの言葉に、姉弟は顔を合わせる。
 「あ、あの・・・私なにか変なことを?」
 「あなたは運がいいわね」
 「へ?」
セシルが足元を指差す。
 「ここだよ。ハイム家へようこそ!」
 「あ!」
 「お仕事の件、お父様にお願いしておいてあげますね」
 「ありがとうございます!」
それから2年、ローラはハイム家の使用人としての仕事を完璧にこなすまでになっていた。
 「ローラ、今日の晩御飯は?」
親しげに声をかけるセシルに、ローラは箒を止め微笑む。
 「あ、セシルさん・・・今日はシチューに・・・
 あと、奥様がマロングラッセもお作りになられるみたいですよ」
 「誰もいない時くらい、『さん』って付けるなよ。
 俺、どうも苦手なんだよな。そういうの」
 「そういうわけにはいきませんよ」
 「ローラは真面目だねえ」
 「フフ、それだけが取り得ですから」
 「もうここの仕事は慣れたか?」
 「ええ、旦那様を始め、みなさん良くしてくださいますから。それに・・・」
 「それに?」
 「こうしてセシルさんが気にかけてくださいますから」
そう言って、微笑むローラの、2年前より随分伸びた髪が揺れた。
 「そ、そっか。まあ、俺も暇だしな!」
そんな二人のもとに、使用人のジェシカが駆け込んできた。
 「あ、ローラ!こんな所にいたのかい!旦那様がお探しだよ!」
 「旦那様が?」
 「お前、なんかやらかしたのか?」
 「え?そ、そんなはずは・・・」
 「とにかく急いで!客間にいらっしゃるから!」
 「は、はい!」
慌てて客間に向かうと、ハイム家当主のディランと共に、
お客と目ぼしき若い紳士がいた。
 「す、すいません!お待たせしてしまって・・・」
 「ローラ、エプロンのままで・・・あ、グエン様、こいつがそのローラですよ」
 「ほう、君がローラか・・・」
精悍なその紳士に見つめられ、ローラは少し体が緊張するのを感じた。
 「あ、あの・・・?」
 「ああ、説明がまだだったね。私はグエン・ラインフォード。
 若輩の身ながら、この土地の領主を務めさせてもらっている。
 ハイム家に自動車の運転が出来る使用人がいると聞いてね」
フッとローラに微笑みかける。
 「女の子、とは聞いてなかったがね」
 「ローラ、いい機会だ。グエン様はお前に学校に行くための勉強もさせてくださるそうだぞ」
 「わ、私が・・・ですか?」
 「ああ、思い出したよ、その髪の色!」
 「え?」
 「いつぞやコヨーテに・・・」

ローラの頭に、2年前の光景が浮かぶ。
 「あ、あの時の!そうか、グエン様ってあの時・・・
 あの時はお礼も言えずに・・・ありがとうございました!」
 「髪を伸ばしたんだね。私としたことが、こんな可愛らしい子を男と間違えるなんてね」
そう言って、ローラの肩に手を置く。
 「あ・・・」
 「フム、君は良いレディになれそうだ。
 是非とも私の傍で新しい時代を創る仕事をしてもらいたい」
 「おお、そうだローラ!もう一つ朗報があるんだ」
ディランは得意気にウインクしてみせる。
 「今年の成人式、お前もセシルと一緒に参加するんだ。
 それも、主役としてな」
 「わ、私が・・・ですか?でも、私はよそ者で・・・」
 「いやな、今年成人になる男連中が、是非ともローラを、とうるさくてな。
 ・・・これでお前も、晴れてこの土地の一員ってわけだ」
 「私が、ここの一員・・・」
言葉にして、感極まったローラはポロポロと泣き出してしまった。
そんなローラを、セシルは少し複雑な面持ちで見つめていた。
 「で、ではホワイトドールの前で聖痕を授けあいます!
 私と一緒に行ってくださるか、かかた?」
 「緊張すんなよ!ローラちゃーん!」
 「愛してるよー!」
 「俺だ!俺を選んでくれ〜い!」
祭壇の上のローラに、熱い声援が飛ぶ。
ローラは戸惑いながら、眼下の男女たちを見渡した。
ふと、見慣れた顔に目が止まる。
セシルは一瞬恥ずかしそうに視線を逸らしたが、
意を決したように壇上のローラに手を掲げた。
それを見たローラも優しく微笑む。
 「セシル・ハイム、祭壇に昇ってください!」
一瞬の静寂の後、
 「あ〜あ」
 「やっぱりなぁ・・・」
 「ヒューヒュー!」
 「ねえ、やっぱりそうなのかなあ?」
 「もちろんそうでしょ!素敵よね〜」
様々な声が飛ぶ中、セシルは気恥ずかしそうに
ローラが待つ祭壇へと登っていった。
壇上の2人の間に、なんともいえない気まずい空気が流れる。
 「じゃ、さっさと始めちまおうぜ」
 「あ、はい!・・・あのセシルさん」
 「ん?」
 「えっと、どうやったら・・・」
 「あーその、な」
困り顔で頭をかく。
 「背中向けて、服脱ぐんだよ」
 「ふ、服をですか?・・・はい」
背中越しに布が擦れ、落ちる音が聞こえる。
セシルは胸の鼓動が早くなるのを覚えた。
 「脱ぎ、ました」
 「そ、そうか。じゃあ、ビンを預かってるだろ?それを」
 「あ、はい。これですね」
振り返ったセシルの目にローラの背中が映った。
月の光に照らされたその美しい背中に、セシルは思わず息を呑んだ。
 「あ・・・・じゃ、じゃあ、聖痕をつけるぞ」
そう言って開いたビンからはヒルが顔を覗かせた。
 「な、なんです?その気持ち悪いのは?」
背中越しに振り返ったローラの顔が青ざめる。
 「ヒルだよ。これで背中に聖なる痕をつけるんだろうが」
 「そ、そんなグロテスクなもの・・・で?」
 「お前、2年遅れの成人式なんだからな」
 「そうですよね、お、大人になるためですよね。我慢、我慢しなきゃ・・・」
ローラの反応に、セシルもついつい意地悪したくなってしまう。
 「そうそう、じゃあ、一匹目いくぞ」
 「え?ちょっと、まだ心の準備が・・・ひゃうっ!つ、冷たい!」
 「おい、動くなよ。まだあと5匹いるんだからな」
その時、彼方に閃光が走った。
 「な、なんだ?」
下の方でも、既に騒ぎになっている。
 「あれ、火だろ?」
 「ノックスの方が明るくなって」
 「火事じゃないのか?」
壇上のローラとセシルも、その異変に戸惑うばかりだった。
 「なんだ、アレは?」
 (あの光、ディアナ・カウンターの長距離ビーム?)
 「あ!こっちに・・・!」
 「きゃあ!?」
ホワイトドールをかすめたビームに、ローラとセシルは
ガレキの下へと埋まってしまった。
 「う・・・・」
崩れてきた岩に、ローラは思わず目を閉じた。
 (・・・・・あれ?生きてる?)
 「くっ・・・だ、大丈夫か?」
恐る恐る目を開けると、頭上にセシルの顔が会った。
 「え?セシルさん、私をかばって?」
 「・・・成人式のパートナーに選ばれた男は、何があっても主役を守らなきゃいけないんだよ」
 「!!・・セシルさん!血が!」
言われて初めて、額から血が流れていることに気付く。
 「ん・・・大丈夫だって。小さい石コロが当たっただけだ!」
 「いけません!ちゃんと手当てしないと・・・」
手当てを拒むセシルと、腕の掴み合いの様な形になる。
 「大丈夫って言って・・・!?お、おいローラ!」
 「え?」
急に真っ赤になって顔を背けるセシルに、首をかしげる。
 「ど、どうかしましたか?・・・傷が痛むとか!」
 「服!な、なんか着てくれ!」
 「へ?・・・・・・・・・・・きゃ、きゃあ!?」
ようやく、一糸纏わぬ自分の姿を思い出し、座り込んでしまう。
 「み、見ないでください!」
 「み、見てない!何も見てない!」
背中を向け、目隠しのポーズをしてみせるが、
本当はさっき見たものが目に焼きついて離れなかった。
 (あ、あれが女の子・・・・ローラって意外と着痩せするんだなって、そうじゃなくて!)
 「あ、あのセシルさん?」
 「な、なんだ?」
 「着てきたローブ、岩の下敷きに・・・」
 「えっと・・・」
祭壇の上を見渡す。
 「これ、使っちまおう!」
祭壇の上に敷かれた大きな敷物を乱暴に引っ張る。
上に置かれた祭具がガラガラ音を立てながら落ちていく。
 「い、いいんでしょうか?」
 「非常時だ!」
敷物をバスタオルくらいの大きさに、
手と歯を使って裂く。
 「これ、巻け!」
 「は、はい!」
手元に残った敷物を見やる。
 「・・・これじゃ、腰巻にしかならないな」
ようやく、申し訳程度の衣服で最低限、
「隠すべきところは隠した」といったいでたちになった。
 「よし、これで・・・」
 「あ、待ってください!」
祭壇に残っていた大きめのハンカチーフを、セシルの頭に巻きつける。
 「あ・・・」
髪が触れそうな距離で、ローラが自分の手当てをしている。
それだけのことが、セシルの鼓動を早くする。
 「とりあえず、血止めだけでもしておかないと・・・」
手際よく、応急処置が施される。
 「あ、ありがとな」
 「いえ・・・・」
見ると、少しローラの目が潤んでいる。
 「ど、どした?」
 「お礼を言わせていただくのは私の方です・・・守っていただいて」
 「あ・・・いや、いいんだよ!そんな・・・それより!」
動揺する自分を抑えようと、語気を強くする。
 「どうやって、ここから降りるかだけどな」
来た階段は、見る影もなく崩れてしまっている。
 「ホワイトドールも壊れちまって・・・・え?」
 「どうしました?」
 「・・・おい、あれ!」
 「あ!」
跡形もなく崩れたはずのホワイトドールがあった場所に、
見たこともない鋼鉄の巨人が立っていた。
 (あれは・・・モビルスーツ!?でも、なんだってホワイトドールの中なんかから?)
 「・・・なんだよ、あれは?」
 「コックピットが開いてる?」
 「コック・・・なんだって?」
ローラが発した聞きなれない言葉にセシルが顔をしかめる。
 「え?あ、う、運転席に見えませんか?ほら、あそこ!」
 「運転席って・・・自動車みたいに動くってのか?こんなのが!」
 「えっと・・・ほら!なんか光ってるじゃないですか!だから、きっと動くんですよ!」
自分でも、苦しい説明だと思った。
 「そういうもんか?よし!あそこなら降りれそうだ」
 「え?」
 「ここも、いつ足場が崩れるかわからないだろ?あそこの方が安全そうだ」
 「ちょ、ちょっと!セシル!・・・さん」
 「へ〜。これが運転席だってのか?」
少し楽しげにシートに腰掛けるセシルに、思わずため息が出る。
 「2人入ると狭いですね」
コックピット内を注意深く伺う。
 (フラットとは全然違う・・・でも、とても古い型のMSとは思えない?)
おそるおそる機内を観察するローラとは対照的に、セシルは興味ありありといった風に
コックピット内のあちこちをいじっていた。
 「へえ。すごいな。どこを押したら動くんだ?」
 「!!セ、セシル!下手に触っちゃ!」
止める間もなく、セシルの出鱈目な操作で、MSのハッチは閉じてしまった。
 「きゃあ!?」
そのショックで転んだローラをシート上のセシルが受け止める。
 「だ、大丈夫か?」
 「ええ、あ!」
 「どうした?」
 「機体に火が入った?モニターも・・・」
そのモニターには、遥か遠くのディアナ・カウンターのMSウォドムの姿を捉えていた。
 「あ、あいつがさっきの火を?」
 「ええ、きっと・・・それより、こっちから向こうがわかるということは・・・」
モニター越しのウォドムが、ゆっくりと向きをこちらに変えようとする。
 「あ!あいつ、こっちを?」
 「気付かれましたね・・・なんとか・・・そうだ!通信機はあるはず!
 交戦の意思がないことを伝えて・・・」
初めて触る機体を、フラットのコックピットを思い出しながら必死で動かそうとする。
 (なんとか!セシルさんに助けてもらったんだ!今度は私が、なんとかしなきゃ!)
必死の表情に、セシルはローラの「座席」にされていることを抗議することもできなかった。
 「どれ?どれがそうなの?・・・あ?」
 「ロ、ローラ!こいつの右手が!」
 「・・・!ビームライフルなの?あ・・・や、やめて!」
ローラの叫びも空しく、MSの機械人形はウォドムに向け真っ直ぐに
ライフルを撃ち込んだ。
間一髪でビームをかわしたウォドムは、退散していったようだった。
 「お、追っ払ったのか?」
 「え、ええ。でも・・・」
ローラの顔色は優れなかった。
 (これじゃ、交戦したってことじゃ?地球と、月が・・・?)

 「ローラ、なにを探してるんだ?」
シートの足元を、腕を伸ばして探るローラの後頭部に呼びかける。
 「手引書みたいなもの・・・自動車にも・・・メシェーのところの飛行機にも、
 必ず運転席に置いてるでしょ?それを・・・あった!」
 「この薄っぺらいのが?・・・文字が出た?」
 「ええ、多分・・・フィルムの高性能なやつみたいなのが入ってるんじゃ・・・」
なんとか、MSを動かせるようにしようと必死のローラは、
いまだにセシルを「座席」にしていることに気付いていないようだった。
 「あ、あのローラ?」
 「はい?なんでしょうか?」
 「いや、その・・・そろそろ足の方の『血の流れ』が悪くなってきたかなーって・・・」
 「・・・・・・」
ようやく、自分が仕える主人を、椅子にしていたことに気付いた
ローラの顔がみるみる青ざめていく。
 「あ、も、申し訳ありません!すぐにどきますっ!」
 「あ、いやそのどけって言ってるわけじゃ・・・」
ローラの予想外の慌てように、釣られるように、セシルも軽いパニックに陥る。
 「ロ、ローラ!」
なぜ、そのような行動にでたのかはわからない。
気付いたら、セシルは離れようとしたローラを背後から抱きしめていた。
 「・・・・・・・!?」
 「・・・・?・・・・・・!!!!!」
お互い、一言も言葉を発することが出来なかった。
 (え?・・・・これって、どういうこと?)
 (な、なにやってんだ俺は?)
頬が触れる、髪が擦れあう、胸に押し付けられたローラの背中に、
じっとり汗が滲んでいるのがわかる。
鼓動がお互いに伝わるのではと思えるほど心臓が近い。
なにより、布一枚お互いを隔てる状況に、セシルは知らず、唾を飲み込んでいた。
なにか、言わなければ、この状況をなんとかせねばと、声を出そうとする。
 「あ、その・・・」
 「!」
が、発した言葉の吐息が耳に触れたのか、ローラの肩がピクンと震える。
その反応に、思わずローラを拘束する腕を強めてしまう。
 (気持ちいい・・・・)
実際、セシルが感じたローラの肌の感触は
彼にとって全く未知のものであった。
もし、もしも地上に『温かい雪』というものが存在するなら、
きっとこんな感触なのだろうと思えた。
 (俺は、なにをしようとしているんだ?)
理性は、もはや風前の灯だった。
 「あ・・・セシ・・・」
同じく、自分の置かれた状況にどうすればいいかわからない
ローラが伸ばそうとした手は、
運悪く(運良く?)、MSの操作パネルに触れてしまった。
 「え?きゃあ!?」
 「う、うわ!?」
球状のコックピットは、次の瞬間一気に地上間直まで急降下していった。
 「あてて・・・」
 「痛・・・大丈夫ですか?」
 「あ、ああ・・・」
落下の時に、密着していた身体はいつの間にか離れていた。
が、先程までの余韻と気まずさで、しばし2人の間に沈黙が流れた。
 「・・・なにやってんだ?お前ら」
沈黙を破ったのは、第三者だった。
 「あ!お前はシドじいさんとこの?」
 「・・・ジョゼフさん?」
 「お嬢さんたちがそいつを動かしとったのか?」
 「シドじいさんも?」
 「おやっさん、これって黒歴史の・・・」
 「ああ、間違いないじゃろうな。お前さんたちこれを・・・」
『服!服を貸してください!』
 「・・・・は?」
二人の声は、見事にシンクロしていた。

 「・・・・じゃあ、家に帰ろうぜ。あっちの方も火が上がってたから心配だ」
ようやく、ジョゼフに借りた服に身を通したセシルは、
まだ少し気恥ずかしげにローラを振り返る。
 「あ、はい!ノックスのキエルお嬢様と奥様も、心配ですし・・・」
 「おい!こいつ置いてくのか?」
呼び止めるジョセフに一礼する。
 「すいません!それ、お願いしますね!」
 「お願いするって・・・」
小走りにセシルを追いかけていくローラの背中を見ながら、ジョセフは首をかしげた。
 「坊ちゃま・・・うっ、ううっ・・・・」
出迎えた使用人2人の態度と、半壊した屋敷がなにが起こったかを暗示していた。
 「お、おい・・・冗談はよせよ・・・親父!」
 「セ、セシルさん!」
屋敷に駆け込むセシルを追いかけると、セシルは廊下に座り込んでいた。
目の前には、見慣れたハイム家当主、ディランの靴が、布から覗いていた。
 「だ、旦那様が・・・・」
その残酷な光景に、ローラも思わず膝をついた。
 「・・・ょう・・・・ちくしょう!あいつら!」
駆け出そうとするセシルをローラが必死に止める。
 「なにをするつもりですか!」
 「決まってんだろ!親父を殺した奴らを、ブチ殺してやるんだ!」
 「やめてください!死んでしまいますよ!」
 「うるさい!お前になにがわかる!死んだってかまうもんか!」
次の瞬間、セシルは頬に鈍い痛みを覚えた。
ローラがセシルの頬を張ったのだ。
 「痛・・・なにを・・」
睨みつけたローラの目からはポロポロと涙が零れていた。
 「旦那様に続いてセシルさんにまで、なにかあったら、私、私・・・」
目の前で泣き続けるローラに、セシルは立ち尽くすだけだった。
 「セシル坊ちゃま、お辛いでしょうが辛抱してくだせえ」
 「ああ、わかってる・・・」
 「では、すいませんが、ここに遺族の方の署名を・・・」
 「ん・・・」
無表情のセシルがサラサラと自分の名前を、
父親の名前の下に書く。
 「坊ちゃん、最初の土をお父様にかけてやってくだせえ」
 「ああ」
周りの大人の言うとおりに葬儀の段取りを淡々とこなすセシル。
本当は泣きたいはずなのに、
ショックで熱も出ているのに、
新・ハイム家当主としてそんなことを
微塵も感じさせない姿に、ローラは胸が締め付けられる思いだった。
タイミングの悪い来客というのもいるもので、
先程から視界の隅にキースの姿がちらちらと映っている。
なにもこんな時に・・・そう考えると唇を噛み締めてしまうローラは、
結局この来客を葬儀やその後の諸々の仕事が終わるまで
随分長い時間待たせることになった。

 「なんだって、こんな時に来るのよ」
ローラが人を待たせた上でこういった口調で
責めることはめずらしい。
が、キースはそんなこと聞こえないといった風に、
ローラに見せてもらっている
ホワイトドールのマニュアルを弄っていた。
 「・・・へえ、すごいじゃないか。最新式だっていっても誰も疑わないぜ」
 「ちょっと、キース!私の話聞いてるの?」
怒ったような顔で、キースからそれを取り上げる。
 「あ・・・」
 「もう、なんの用なの?」

セシルは、葬儀の疲れもあり、家の中で休んでいたが、
篭っていると気が滅入るということもあって、フラフラと
裏手の森を散歩していた。
と、偶然ローラとキースが話している場面に遭遇した。
 (・・・あれは、いつぞや町でローラと話してたやつの片割れか?)
2人の話を盗み聞きする形になってしまったが、
今更出て行くわけにもいかず木陰に身を潜めることにした。

 「なあ、これからどうするんだ?」
 「どうするって・・・なにが?」
そっぽを向くローラの、以前より随分ハッキリしてきた胸元や、
スカートから覗く健康的な脚につい眼が行き、ぼうっとする。
 「な、なあ・・フラット掘り出して、一緒にディアナ・カウンターに合流しないか?」
 (・・・あいつら何の話をしてるんだ?クソ!ここじゃよく聞き取れない)
 「いいんじゃない?そうしなよ・・・私はここに残るよ」
 「!?・・・なんでだよ!こんなとこにいるより、ずうっといいに決まってるだろ!」
 「だから、キースがそうしたいなら、そうすればいいじゃない!・・・私は関係ないよ」
 「・・・くない」
 「え?」
よく聞き取れなかった、調子の変わったキースの声に
ローラも座ったまま振り返る。
 「関係なくない!俺は・・・ローラと一緒じゃなきゃ嫌だ!」
ローラに返事もさせないまま、キースはローラの腕を掴み、
地面に組み敷いた。
 「え?ちょ、ちょっと・・・キース!?」
逆光でよく見えないが、見慣れたはずの優しいキースの顔が
酷く恐ろしいものに思えた。
 「キー・・・ス?」
2人の間に、風が吹き抜ける。
キースの迫力に、組み敷かれたままの
ローラも思わず後ずさる。
 「ローラが、・・・いけないんだからな!」
これから行なおうとする事を正当化するかのように呟く声からは、
いつものキースの優しさは感じられなかった。
 「ローラ・・・ローラ!」
これから己が欲望をぶつけようという相手の名を呼びながら、
その胸に顔を埋める。
その姿を目の当たりにしたローラの脳裏には、
あの成人式の夜のことが瞬時に浮かんだ。
 「嫌ッ!キース、やめて!」
ありったけの力を込めて、キースを突き飛ばす。
尻餅をついたキースは夢から覚めたかの様な表情で
目の前のローラを見る。
自分の手によって少し乱されたローラの服、
そしてその目に宿る恐怖と軽蔑の光は明らかに自分に向けられたものだった。
 「ロ、ローラ!俺・・・俺・・・」
 「帰って!」
明らかな、拒絶。
唇を噛み締め、そっぽを向くローラに、
キースの顔はみるみる青くなっていった。
結局、ローラにかける言葉も見つけられぬまま、
キースは落とした帽子を拾い、よろよろと立ち去って行った。
その後、ローラが俯いたまま屋敷へと戻っていくまで、
木陰のセシルは一歩も動くことが出来なかった。
その日ローラは、午後からの仕事に遅れたことを
ジェシカに咎められた。
さらに、いつもはそんな時にフォローしてくれるセシルにまで
なぜか冷たい口調で追従されてしまったので、
悲しくなり、つい遅くまで月を見つめて物思いに耽ることになった。
 「クソっ!・・・なにやってんだ?俺は?」
セシルは、自室のベッドの上で、苦々しげに天井とにらめっこしていた。
仕事に遅れたことをジェシカに咎められていたローラ、
その上、その前にローラがどんな目にあっていたか一部始終知っていながら、
助け舟を出すことをせず、冷たく叱りつけてしまった。
『!・・・も、申し訳ありません、セシル、さん・・・』
悲しそうに俯くローラの、「使用人」の顔。
どうして、もっと優しい言葉をかけたりできたはずなのに。
全て見ていながら・・・いや、見ていたからこそ
ローラにいつものように接することができなかったのか?
 「・・・なんだって、ローラのことなんかでこんな・・・」
祭の日のローラの肌の感触、ホワイトドールの機械人形、
父親の死、そしてローラの笑顔、
色々なモノがぐるぐると頭の中が回って気持ち悪かった。
コツ、コツと、窓を叩く音がする。
セシルの部屋はハイム家の二階にあるので、このようなことをするのは一人しかいない。
こんな時に・・・やれやれと、ベッドを立ち窓を開きに行く。
 「メシェー、たまにはちゃんと玄関から来いよな」
開かれた窓から、メシェーが靴を片手に慣れた足取りでセシルの部屋へ入りこむ。
 「いいじゃない!こっから入るのは私だけの特権なんだからさ」
べっと舌を出しておどけてみせる。
 「まあな、キエル姉さんとローラ以外に俺の部屋なんかに来るヤツなんてお前くらいだしな」
それとなく口から出た名前に、メシェーの顔が一瞬不機嫌になるのにセシルは気づかなかった。
 「ローラねぇ・・・ま、いいや・・・それより、いつまでそうやって女々しく篭ってるつもりなのさ?」
 「・・・うっせえな」
チクリと痛い言葉に、つい目を逸らしてしまう。
 「ね、私達であいつらに一泡吹かせようよ。お父さんの仇、討ちたいでしょ?」
 「親父の仇・・・」
オウム返しに繰り返す。
 「そうだよ!・・・・うちの飛行機使ってさ。セシルも大分上手くなってるし、絶対うまくいくよ!」
 「飛行機・・・」
机に向かうお勉強が嫌いなセシルがメシェーに誘われてのめり込んだのが飛行機の操縦だった。
が、セシルが納得いかないのは、随分後から練習を始めたローラにあっさり追い抜かれてしまったことだが。
と、またローラのことを連想している自分に気づき、頭を振る。
 「・・・ねえセシル、またローラのこと考えてたんじゃないの?」
 「な、なんでだよ?・・・ほら、行くぞ!」
 「ふぅ、お野菜はこれでよしっと・・・」
カチューシャの位置を直しながら買い物籠の中身を確認するローラはそれだけで絵になる。
顔見知りの花屋を交わし、気持ちのいい風に目を細める。
 「さ、今日はセシルさんの好きな野菜のシチューにしよう。・・・少しでも元気を出していただかないと」
 「ローラ!ローラでしょ?」
不意に呼び止められ、振り向いたローラの顔がほころぶ。
 「フラン?久しぶり!会いたかったよ〜」
親友に抱きつき、再会の感動を抱擁で示す。
 「ローラ、よかった。元気そうじゃない」
 「うん、あ、フラン?」
フランの肩にかけられているカメラに気づく。
 「スゴイ!新聞記者になったんだ!」
 「え?ああ、今は非常事態だし、猫の手も借りたいってさ」
 「でもすごいよフランは・・・私なんて」
少し、寂しそうな目をするローラに、フランはすぐ側のカフェを指差す。
 「ね、ちょっと寄っていかない?私お給料いただいたところだし奢るわよ」

 「どう?こういうところで飲むコーヒーもいいもんでしょ?」
 「え?う、うん・・・」
あまり慣れない店の雰囲気に、どうも落ち着かない。
 「・・・フランはよくこういうお店に来るの?」
 「まさか。たまによ、たまに。それより、ローラ」
静かにコーヒーカップを置き、一呼吸挟む。
 「・・・キースから、聞いたよ」
途端にローラの表情が翳るが、フランは構わず続ける。
 「キースもさ、あれで不器用だから・・・まあバカだよね」
まだ黙ってコーヒーカップの中に視線を落し続けているローラの顔を覗き込む。
 「やっぱり、気づいてなかったんだ。あいつがあなたのこと・・・」
黙ったまま頷くローラに、溜息をつくフラン。
 「多分、地球帰還作戦の随分前から、そういう感じだったよ」
 「私・・・」
ようやく、口を開く。
 「私、キースに酷いことしちゃったのかな」
 (う〜ん、ちょっとズレてるなぁ・・・)
 「あー、それははっきり伝えずに暴走したキースが悪いんだから、キースもそれで謝りたいって・・・」
その仲介を、キースはフランに頼んだのだった。
 「だからさ、キースの話だけでも聞いてやって欲しいの。
 その後、引っ叩こうが絶交しようが、それはローラの自由だし・・・」
まあ、話を聞いた時に既に自分が引っ叩いておいたのだけでも、と
一つ咳払いを挟み、
 「2人だけで会うのが嫌だったら、私が一緒についててあげるし・・・」
そこまで一気に喋ってローラの様子を伺う。
仲介を引き受けた手前、ここで断られたら・・・
 「うん、でも一人で大丈夫だよ。キースは大事な友達だし、絶交なんて・・・」
 「そう、よかった」
友達、か・・・とは言えなかった。
キースとローラじゃ友達以上にはなりそうもないか・・・
 「ところで、ディアナ・カウンターが侵攻してきた日、」
周囲を伺い、声を落す。
 「山から出てきたMSにローラが乗って戦ったってキースに聞いたんだけど・・・」
本当なの?と目が問うている。
 「え・・・戦った、なんてもんじゃないよ・・・でも」
また、ローラの顔が曇る。
 「どうなっちゃうんだろうね・・・」
 「そうね・・・」
2人の戸惑いは、地球に馴染み始めたムーンレイスならではのものであった。
 「とりあえず、今自分が出来ることをするしかないんじゃない」
そういいながら、フランは膝に乗せたカメラを抱きしめる。
 「できること・・・」
 「そうよ、ねえローラ?」
不意に笑顔で顔を寄せる。
 「あなた、好きな人とか・・・いないの?」
 「好きな…人?」
フランの問いに意表をつかれたローラは、
湯気を出さんばかりに真っ赤になってしまった。
 「そ、一人くらいいるんでしょ?そういう人」
ローラの反応を楽しむように、頬杖をつきながら微笑む。
 「そんな…そういうの、まだわかんないよ」
 「でも、成人式…済せたんでしょ?じゃあ、もう大人じゃないの」
 「あ、でもあれは…その」
なるべく、考えないようにしてきた。
白いMSのコクピットの中、布一枚を隔てて
セシルにきつく抱き締められた。
普段からはわからないがっしりとした腕。
全く身動きの取れない束縛の中、
肌に伝わる体温と耳にかかる吐息に、
なぜか、解放を予感していた。
「奥手」なローラも、それが『大人』のする行為への
前段階であることは知っていた。
 「途中であの、襲撃があって、うやむやになっちゃったし…」
 「そっか。あ、そういえば、お勤めしてるお屋敷の年下の子と
 成人式一緒だったんでしょ?…その子はどうなの?
 可愛い子なの?」
 「ごほっ!?ごほごほ!」
 「だ、大丈夫?どうかしたの?」
 「ちょ、ちょっとコーヒーが気管に…」
 「もう…で、どうなの?その子は」
 「どうって…セシルさんはいい人だよ。
 私にも優しくしてくれるし…」
 「くれるし…なに?」
満更でもなさげなローラの様子に、興味をそそられる。
 「え…でも、今は…その、セシルさんも大変だと思うし
 …やっぱりわかんないや」
 「そう。あなた、領主のグエン・ラインフォードの運転手もやってるんでしょ?
 あの人って他の領のお嬢様と婚約が内定してるって話もあるけど、まだ独身じゃない。
 玉の輿…なーんて、もしかしたらもしかしちゃうんじゃないの?」
フランは冗談半分だったがローラは真面目に否定した。
 「や、やめてよフラン。グエン様は真面目な方よ。
 私みたいな子にも優しく接してくださるし…」
 「へえ〜グエン・ラインフォードがね…」
フランが仕事を通して知っていた領主は、
好人物で優秀でもあるが、女性関係では色々と
浮いた噂も聞いていたので興味深かった。
 「ホントだよ。この前なんて、私が私服が少ないからって、
 服を買っていただいたし…」
 「…へ?服…?ホントに?」
呆気に取られたようなフランの顔に、ローラは慌てて手を振る。
 「あ、でも、そんな高い服じゃないよ。普通の…女の子っぽい可愛いの」
 「う、うん」
 「でね、お城で時々着せ見せてくれって」
嬉しそうに語るローラに、フランは黙ってコーヒーカップを口につけていた。
 「……」
 「フラン?」
 「ローラ…あのね」
 「うん」 
 「・・・ま、いいか!」
 「?・・・話は?」
この子の場合、多少痛い目見るのもいい勉強か、と思うフランだった。

 「今日はありがとねフラン」
カフェの前で、2人は別れの挨拶を交わしていた。
 「いいのよ、私も丁度よかったし」
 「?」
キースの頼みも、半分叶えられたし、とフランは微笑む。
 「ねえ、ローラ。好きな人くらい、見つけなさいよ」
 「う〜。やっぱり難しいよぉフラン。そういうの。フランは、好きな人っているの?」
 「え、私?そうね・・・でも今は仕事の方が楽しいから。
 それに、私は、お互いが高めあっていけるような恋愛をしたいし」
 「高めあっていけるような恋愛か・・・」
オウム返しに繰り返す。
 「ああ、でもそれは理想だから・・・ローラは色々考えないで突っ走るくらいでいいよ」
 「どうせ私は子供ですよーだ!・・・って、あれはサムさん?」
こちらに駆けて来るハイム家の使用人の姿に、お使いの途中だったことを思い出し青ざめる。
 「お〜いローラ!ここにいたか!」
 「サ、サムさんすいません!その、遅くなって・・・」
 「そんなこといいんだ!セシル坊ちゃまが、ラダラム様のところの飛行機で無茶を・・・」
続きも聞かず、ローラの顔が真っ青になる。
 「ホワイトドールでセシルさんを助けに行きます!フラン、またね!」
 「頼んだぞローラ!セシル坊ちゃまを・・・!」
駆け出すローラを、フランは心配げに見送っていた。
 「ローラ・・・怪我なんてしないでね」
ボストニア城下外れの林道に、一台の車が止まっていた。
 「キエルお嬢様、こちらです」
 「ええ、ローラ…さ、お母様、お車に」
キエル・ハイムに手を引かれ、ハイム夫人は後部席に乗り込む。
 「まあ。そんなに急かさなくても、ちゃんと乗りますよ。ほほほ…」
明るいが、明らかな『違和感』が伴うハイム夫人の言動、
主人を亡くしたショックで錯乱気味であることは知らされていたが、
いざ目の当たりにしたローラは、その痛々しさに胸が締め付けられる思いだった。
俯くローラの制服の肩に、優しく手が添えられる。
 「…グエン様」
 「ローラ…少し、いいかい?」
グエンの招きに応じ、車から少し離れた道端へと歩いていく。
既に車に乗り込んでいたキエルは母を気遣いながらも、
二人の様子が気になるのかちらちらとローラの肩に回されるグエンの腕を見ていた。
 「グエン様、少しお疲れなんじゃないですか?お顔の色が・・・」
歩きながら、ローラはグエンの横顔を伺う。
 「そうかい?ふふ、そんなことに気づいてくれるのは、キエル嬢と君くらいだよ」
 「そ、そうですか?」
憧れるキエルと名前を並べられたことで、気恥ずかしそうに顔を逸らす。

やがて、歩を止めたグエンが口を開いた。
 「ローラ、シドから報告は受けているよ。君は、本当に良くやってくれている…」
優しく声をかけながら、ローラに視線を落とす。
運転手の制服に身を包み、きちっと帽子を被ったローラは一見愛らしい少年のようだった。
 「いえ、私なんて…」
ただ、状況に流されているだけなんです、とも言えず黙りこくってしまう。
そんなローラの様子にグエンは一呼吸開け、続ける。
 「ローラの機械人形は、ミリシャとして当てにしている戦力だ」
グエンの言葉に、ローラは真っ青な顔を上げる。
 「!!…月と、戦争になるんですか?」
自分で口にした言葉の恐ろしさに、身が震える思いだった。
グエンはそんなローラに優しく声をかける。
 「まさか。本気で戦争できるなんて、思っていないさ」
語りかけながら、ローラの両の肩に手を乗せる。
 「だが、対等な交渉を行うにもそれなりの『戦力』も必要だ。わかるね?
 大丈夫。君が争いを好まない、優しい心の持ち主だということは知っているつもりだ。
 ・・・だから、そんな顔をしないでおくれ」
そう言うと、ローラの制帽をすっと取り上げた。
 「あ・・・」
帽子に隠れていたローラの美しい銀の髪が、ぱらりと広がり、
すぐに、風にそよぎだす。
呆然と見上げるローラにグエンは優しく微笑みかけると、
その額に優しく口付けした。
ローラは、グエンの突然の行為に真っ赤になって動揺する。
 「グ、グエン様?」
 「元気の出るおまじない・・・といったところかな?・・・ローラ、君が頼りだ。頼んだよ」
 「あ・・・は、はい!・・・では、失礼します・・グエン様」
まだ熱を帯びた顔を隠すように目深に制帽を被りなおし、駆け足で車へと走っていく。
 「キエルお嬢さん、奥様、お待たせしました・・・それではお車をお出しします」
 「あ、ローラ」
 「はい?」
キエルの呼びかけに、バックミラー越しに応える。
 「あ、その・・・グエン様とはどんなお話を?」
 「え?・・・あ、ホワイトドールのことで・・・」
 「そう・・・そうよね。いいわ。出して」
林道を走り出す車を、グエン・ラインフォードはじっと見つめる。
 「そう、ローラ・・・私には、君が必要なんだ」
キエルお嬢様と瓜二つなディアナ様のお姿に、
セシルさんは戸惑いを隠さなかった。
私はというと、ディアナ様が主催なさる
月と地球の親睦のダンスパーティーに
出席しなければならなくなり、
キエルお嬢様にダンスと、メイクのレッスンを
受けたけれども、周囲の人々の反応は
私にとって、とても不思議なものだった。

 「嘘でしょ?」
フランはシャッターを切りながら、思わずそう呟いていた。
ボストニア城門前、ホワイトドールから優雅に降り立ち、
領主のエスコートを受けているのは
自分の良く知る友人の、全く知らない顔だった。
いつか、純朴な友人に「あなた化粧したら綺麗になるわよ」なんて言ったことはあっても、
今目の前にいるそれは、想像を遥かに凌駕するものであった。
 「髪は…ウイッグを付け足してるのね」
他社の記者連中も、噂のみが先行していた謎の女性パイロットが
どこの社交界に出しても恥ずかしくないような美女だったことに驚きを隠せないようだった。
領主に紹介された、月の親衛隊と挨拶を交わし、
褐色の姫君は爽やかな余韻を残しながら城内へと消えていった。
 「謎のエースパイロット、麗しのローラ・ローラか」
ファインダー越しに友人の背中を見送りながら、フランはそう呟いていた。

月と地球の親睦パーティは、ピリピリと張り詰めた空気の中始まった。
お互い、尻尾や羽が生えていないことを確認するかのような
視線の応酬の中、楽団の奏でる軽快な音楽がひどく白々しかった。
ローラはというと、慣れないヒールで必死に背伸びしながら、
故郷の女王の顔を見ようとしていた。
一瞬目が合った女王は、軽く目で微笑みかけてくれた。
すっかり舞い上がりかけたローラを、隣のキエルが見咎める。
 「ローラ、ローラ。口が半開きよ」
 「あ、その私(ワタシ)…」
 「ワタクシ、でしょ?」
 「ワ、ワタクシ…こういうの初めてなので…」
訂正しながらキエルの顔を盗み見る。
本物を見た後でも瓜二つだ。
やがて、月の親衛隊長のハリーが、女王と一言二言交わした後、
一歩前へ出る。
 「どなたか、私と一曲踊っていただけませんか?」
だが、この誘いに出て行こうとする地球側の女性はいない。
月と地球の間の大きな壁を象徴するかのようであった。
 「お嬢さん、これは失礼なんじゃありませんか?」
ローラは、憤りを飲み込みながらキエルに尋ねた。
キエルならば、見事にダンスの相手を務めてこの場の雰囲気を
よく出来るだろうと考えたからだった。
が、キエルの返事はローラの予想しないものであった。
 「そうね。さ、いってらっしゃい!」
 「は?…わ、ワタクシには無理ですよ!」
 「大丈夫よ。レッスンの成果、見せてらっしゃい!」
ぽん、と背中を押されるままに、ハリーの前へと押し出される。
周囲からはおおっという喚声があがった。
振り返ると、キエルは笑顔で手を振っている。
 「おや、貴女は」
見上げると、ハリーの顔があった。
 「あ、中尉殿…その」
 「…お手をどうぞ、ローラ嬢」
 「は、はい。…よろしく、お願いします…」
最初の一組をきっかけに、徐々に月と地球間のパートナーが組まれていき、
ようやくパーティーらしい装いとなってきた。
 「ハリー中尉はダンスもお得意でいらっしゃるんですね」
場の空気にも慣れてきたのか、踊りながらも自ら話しかける余裕がローラにも出てきた。
が、ハリーから帰ってきた返事は、そんな余裕を一瞬で奪い去った。
 「ええ、ですが貴女こそ中々お上手ですよ…帰還民にしてはね、ローラ…セアック君」
瞬間、ローラの笑顔は凍りついた。
一番恐れていたことが現実になってしまった。
親衛隊のハリー中尉は私の正体を知っていた。
綺麗なドレスに浮かれて、
うかつにパーティーなんかに来てしまったことを
私は悔やむしかなかった。

無事、親善舞踏会も終わり、
ボストニア城にはいつも通りの、
静かな夜が更けようとしていた。
が、薄暗い城内の廊下を歩く影一つ。
浮かない表情のローラが歩くのは、
城内でもグエンがディアナ・カウンターのために提供したブロックだった。
パーティーの際、多くの視線を集めたドレス姿だが、
気品と僅かな妖艶さを振りまいた面影は今はなく
怯えた小動物のようであった。
やがて、何かに操られるように一つの扉の前に立ったローラは、
重苦しく閉ざされた扉の前でしばしの躊躇の後、軽く二度ノックを繰り返す。
 「…ローラ・ロー…セアック、です」
数秒の沈黙。
 「開いている。入りたまえ」
親衛隊長の声。
意を決したように扉を開くと、
室内に灯りは灯されておらず、
そこは廊下以上の暗さだった。
 「中尉?…」
不安げにドレスの胸元を押さえつつ室内を見回すと、
窓際のソファーに腰掛けるハリーの姿が、
月明かりでようやく確認できた。
ローラがおずおずとそちらへ歩を進めると、
窓際の数メートル離れたところで制された。
 「そこでいい」
 「は、はい…」
そのまま、一分以上も沈黙が続いた。
その空気に押しつぶされそうになったローラが、
泣きそうな声を上げる。
 「あ、あの…」
 「ローラ・セアック、正歴2328年11月2日生まれ、
 メイザム地区出身。同中学卒業時にフラット2番で地球降下…」
が、突如手元の資料らしきものを読み上げるハリーにその声は打ち切られ、
益々泣きたい気持ちになる。
 「…間違いないな?ローラ・セアック」
どうやって、この暗い部屋で手元の資料を読んでいるのかはわからないが、
そんなことを気にするほどの余裕もないローラは黙って頷くしかなかった。
ふうっという溜息の後、ハリーの刺すような声が響く。
 「どうしてかな?」
 「えっ…」
顔を上げるローラに、言葉を続ける。
 「どうして、月の同胞達を裏切ったのか…」
 「ち、違…!」
 「同胞達を…そして、ディアナ様を…!」
最後の言葉には、明確な怒気が含まれていた。
親衛隊長の怒りに震えながらも、ローラは必死に反論しようとする。
 「そんな…ディアナ様を裏切るだなんて…私は」
 「だが、その身に纏うドレスも、ムーンレイスとしての能力を売り込んで得たものだろう?」
冷やかな、声が浴びせられる。
ローラは翳った表情で身を包むドレスに視線を落とす。
グエンが自分のために買ってくれ、「よく似合っているよローラ」と誉めてくれた絹のドレス。
キエルがぶつぶつ文句を言いながらも丁寧に着付けてくれたドレス。
そしてローラは何故かセシルの顔を思い出し、目尻に涙をためていた。
 「証明できるか?…今なお、ディアナ様の臣民である、と」
 「も、もちろんです!」
懸命に訴えるローラに対して、ハリーの口元が緩むのが
暗闇越しにも確認できる。
ローラは背中に悪寒のようなものが走るのを感じた。
 「ならば、地球の領主に宛がわれたその衣装、この場で脱ぎ捨ててもらおう」

番外編

作:・・・・ ◆iFt60ZwDvEさん


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