サイド6ラブストーリー

 作業用ノーマルスーツの群れが、ホワイトベースの砲身その他種々の重要箇所に封印を施していくのを、ブライトは、ブリッジから忌々しげに見つめていた。今、ジオンに強襲されたら傷だらけのWBはひとたまりもない。
 しかし、兵器類の封印は中立サイドであるサイド6領域内に入るには必要な手続きなのだ。
「MS射出口まで封印するなんて、マメだねえ。そのうち、俺の口もテープでとめられちまうかな」
 軽口を叩きながら、さりげなく操舵手・・・つまりミライの隣りに立つスレッガーの存在も、ブライトの神経を逆なでる。
「ブライトさん、サイド6の監察官を案内してきました」
 ハヤトの後についてブリッジに入ってきた役人達の先頭にいた検察官は、女だった。カイがヒュウッと口笛を鳴らす。ブリッジの皆がその美しい女に注目する中、ミライだけが、操舵に集中するために、前方を見つめていた。
「へえ、コロニー公社の役人さんにも、こんなベッピンさんがいるとは、驚きだ」
 スレッガーの陽気なセリフを、長い髪を一つに束ねた女検察官は、眼鏡の奥に隠れる鋭利な瞳を動かさずに、受け流した。
「この艦の責任者は、あなたですね。ブライト・ノア中尉」
 その冷たい目線に、ブライトは、少し身を引いた。
「なぜ、私の名前を知っているのですか?」
 だが、女はブライトの質問を無視して話を続けた。
「ホワイトベースのあらゆる砲身を封印させていただきました。これを一枚でも破ると」
「わかっています。大変な罰金を支払わなくてはいけない」
 自分の質問をかわされたことに少々ムッとしながら、ブライトは言った。
「それよりも、艦の修理を・・・」
「それもできません。戦争協力になりますので」
 冷たい断言は、ブライトのみならず、ブリッジにいたアムロ達の表情を硬くさせた。しかし、次に女が発した言葉に、ブリッジにいた全てのクルーたちが驚いた。
「ひさしぶり、ブライト。変わっていないわね」

女の言葉に最も驚いたのは、他の誰でもないブライトだった。
「私が分からない?無理もないわね。あなたと別れてから、私は少し変わってしまったかもしれない」
 女はそう言って、眼鏡を取り、束ねた髪をほどき、そして微笑んだ。それまで冷たかった氷を穏やかに溶かす、日だまりのような微笑みだった。ブライトは、細い目を大きく見開いた。
「き・・・君は、カオリ!あの、カオリなのか!?君が、なぜ宇宙に?」
 動揺したブライトの声に、ミライが思わずふりむく。その耳元でスレッガーがささやいた。
「少尉、入港準備中だぜ。操舵手がよそ見しちゃいけないな」
「わ、わかっています、スレッガー中尉」
 慌てて前を向き直るミライの姿が視界に入っているのかいないのか、女監察官は、再び冷静な声に戻った。
「皆さん、申し遅れました。私、サイド6監察官のカオリ・ブルームと申します」

(BGM「ラブストーリーは突然に」カットイン)

「では、修理のみならず、補給も出来ないというわけですか」
「ええ、それも戦争協力になりますから」
 カオリ・ブルームはブライトの問いに冷たく応えてから、表情を和らげた。
「会えて嬉しいわ、ブライト」
「ブリッジで私的な会話はやめていただきたい、カオリ検察官」
 しかしWBの広いブリッジには、二人の他に誰もいなかった。皆、僅かな休息を利用して中立コロニーの戦時中とは思えない豊かな街に出ていた。戦争を忘れたいクルーの中にあって、艦長であるブライトは、唯一、戦争を忘れられない立場にあるのだ。
「あなたと別れて、どのくらいたつかしら?」
 カオリが言う。忘れられない、年上の女性。初めての女性。ブライトは息苦しさをおぼえて、軍服のカラーと第一ボタンを外した。
「あなたは、士官学校にいたころと、ちっとも変わっていないのね・・・」
 カオリが眼鏡をはずして、ブライトの首に手を回す。その腕をはらい、背中を向けるブライトの心中は、無表情とは裏腹に、激しく揺れ動いていた。
 なぜ?なぜ、忘れられない、あの女性が、こんなところにいるのだ・・・俺を捨てた、大人の女・・・
 だが俺は、WBの艦長だ。幾多もの命を失い、幾多もの命を守ってきた俺が、戦争を人ごとと思っているような女に心を動かされるなど、あってはならない。
 昔の間柄につけこめば、補給を受けることも可能かもしれない。しかしブライトは男の甘えより、男のプライドを選ぶ人間だ。
「いつまでも、俺を少年扱いできるとは思わないで欲しい」
「俺なんて言葉、あなたには似合わないわ・・」
 カオリが腕を伸ばし、その細い指でブライトの髪を後ろから撫でようとした時、その彼女の腕をさえぎるように、二人の間に一人の女性が割り込む。ミライ・ヤシマ、その人だった。
「ここは戦艦のブリッジです。検察官とはいえ、民間人が気安く入り込めば、スパイだと思われても仕方のないところなのですよ」
 毅然とした態度で言う。しかし、そのミライの瞳にかげる小さな嫉妬の炎を、大人の女は見逃さない。
「恋に理屈を言う女を、男は可愛く思うかしら?」
 ミライの表情が、冷静な副官から、一人の女に変わる。しかし・・・
 ミライが操舵手としてブライトと共に戦場を駆け抜けた濃密な時間は、カオリとブライトの過去に勝る。
 しかし「今、目の前のいる女性二人の勝負」という意味では、ミライが大人の女であるカオリに勝てる術はない。
 自他ともに認めるWBの母代わりであるミライだが、実のところ、カオリの前では、まだティーンエイジの小娘なのだ。男を縛りつけるほどの魅力にあふれているわけでもないし、その技を身につけているわけでもない。
 ブライトは、ただ黙るしかなかった。二人の女の間で揺れるブライトを救ったのは、皮肉にもスレッガーだった。
「困るねぇ、検察官。そういうことは、戦艦の外でやってくれ」
 今から街にでもいこうとしていたのか、秋物の私服に着替えたスレッガーがブリッジの入り口から、唇の端をあげ、班笑いの表情で言う。
「あんたみたいな大人の女からみたら、ママゴトみたいな関係かもしれないが、二人はWBのオヤジとオフクロなんだ。二人が揺れたら、俺達クルーが死ぬことになる。そういうこと、あんた、わかってるかい?」
 カオリの顔から、一瞬、笑みが消える。しかし、そのプライドが、もう一度、微笑を浮かさせた。次の瞬間、床を蹴ると、無重力のブリッジ内で体を流し、スレッガーの腕を掴んだ。
「あなたの代わりに、このセクシーな中尉さんをつれていくわ」
 カオリが言う。しかしブライトは振り返らない。カオリは唇を噛む。そしてブライトとミライには聞こえないように、スレッガーの耳元でつぶやく。
「ねえ・・・セックスしようか?」

(BGM「ラブストーリは突然に」カットイン)

 一瞬あっけにとられたスレッガーが、しかし、そこは大人の男らしい余裕を見せる。
「いいのかい?あんたと艦長にどんな事情があるのかは知らないが、俺は、据え膳は食う男だぜ?」
 その唇の端をゆがめたアウトローを彷彿とさせる微笑に、カオリは、この男も悪くないと思った。未練などという古くさい言葉を認めるよりは、いい女を気取っていい男に抱かれる方が、自分のプライドが保たれる。そういうことを、無意識のうちに考えたのかも知れない。
 若い男・・・ブライトの気を引くためとはいえ、バカなことをしたと悔やむのは、まだ、もう少し後のことになる。
 軽い頭痛とともに目が覚めると、隣りにいるはずの温もりが、消えていた。
「そんなに飲んだつもりは、なかったんだがな」
 スレッガーはゆっくりと上半身を起こした。
 軽く目頭を押さえながらキッチンを見ると、ワイシャツ1枚しか身につけていないカオリがコーヒーとクロワッサンを持ってくるところだった。 
「うまいね。君が煎れたのかい?」
 一口飲んで、ニヤッと笑う。
「インスタントよ。軍の支給食に比べたら、大抵のものは、おいしく感じるでしょうね」
 微笑みもせずに、カオリが言う。素性も知れぬ男を誘い入れた後悔をチリチリと匂わせていることに、カオリは、自分で気がついていない。
 昨日は酒を飲みながら、まだ戦争が始まる前に見た映画など、他愛の無い話に終わった。
 そして、互いの胸の内を探るような男女の会話をする前に、カオリはあせるようにスレッガーを誘い、そして二人はカオリの部屋で体を重ね合わせた。
『どうして、俺を誘ったんだい?』
 クロワッサンを食べながら、スレッガーはそう訊きたい衝動にかられた。できることならば、ブライトとの関係も聞いてみたいものだ。
しかし、実際にそれを口にするほど、スレッガーは野暮な男ではなかった。
 口にしたくない想いが一つや二つあるほうが、女も男も、魅力が増すというものだ。
「シャワー、借りるぜ」
「どうぞ」
 二人の間に、愛はない。ただ、二つの孤独が宙に浮いているだけだ。

ブリッジに戻ったブライトに、ミライは、ぎこちない笑顔で微笑みかけた。
「お帰りなさい。どうだった?」
「滞在期限がどうのこうのと、なにかと理由をつけて、我々を追い出したがっている。サイド6のランク政権がザビ家の息がかかっているからな」
 ブライトはいらつきを隠さなかった。カオリと再会してからというもの、不安定になっている自分の精神状態に気がついていない。
「そう・・・ねえ、ブライト」
「なんだ、ミライ」
「カオリ検察官に、頼めないかしら?もう少しWBの滞在期間を伸ばせないかって・・・」
「カオリは関係ない」
 平然と言ってのけたつもりになっているのは、ブライトだけだ。
「でも、人の縁は大切にした方がいいわ」
「本気で言っているのか、ミライ」
 二人の間に、一瞬の沈黙が流れる。そしてミライが、ゆっくりと口を開く。
「本気よ」

(BGM「ラブストーリーは突然に」カットイン)

 唇を硬く結び、険しい表情でミライを睨むブライトと、頬紅く瞳に薄く涙を浮かべながらもブライトを見つけ返すミライ。
 二人の間に、重い刻が止まる。
 私だって・・・カオリさんほどとは言わなくても、もう少し女として自信が持てれば、もう少し器用に生きてみたいって・・そう思うのよ。でも、私には、こんな言い方しかできない」
 ミライが、その想いを口にすることはない。 
WBの狭い廊下を、ブライトとミライがすれ違う。憮然とした表情でエレベーターの中へと消えていくブライトを横目に、スレッガーはブリッジに入った。
 一人、ミライがいた。その瞳が濡れていたように感じたのは、スレッガーの気のせいではなかった。
「どうしたんですか、少尉?」
「・・・なんでもないわ」
「泣きたいなら、俺の胸を貸しますぜ」
 軽口を叩きながら、伊達男はニヤリと笑う。いつもの冗談のつもりだった。自分の言葉に、少しムッとした表情で「けっこうです」と答えるミライを期待していた。しかし女は、無防備にも男の胸に飛び込み、涙を流しはじめた。
 少々うろたえつつも、軽く肩を抱くスレッガー。しかし今の彼にはカオリを抱いたという負い目がある。ミライを抱きしめる腕に力が入らない。ミライはそれを、大人の男の穏やかな包容力と誤認し、甘えて泣き続けた。


「こんなところに呼びつけて、何のようですか、カオリ検察官」
 検察官という役職名を強調しながら、ブライトは平静を装って言った。検察官室には彼と一人の女性しかいない。
「ブライト艦長、連邦軍からの通達が届いています」
 カオリが1枚の紙を渡す。目を通したブライトは、眉を険しくよせた。
「24時間後に出航せよ・・・」
「外にはジオンのコンスコン一隊が待ち構えています。私さえ、この軍通達をあなたに見せなかったことにすれば、WBは出航しなくて済みます」
「そんなことをしたら、検察官の立場が・・・」
「軍通達を伝えることさえ軍事協力になるから、それをしなかった・・・そういう理屈など、後からいくらでもつけられますから」
「・・・せっかくの御好意ですが」
 ブライトは立ち上がると、大仰に敬礼してみせた。
「私は軍人であり、軍令が降りた以上、その指示に従わなくてはいけません。WBは24時間後に出航します。クルーにささやかな休息を与えてくれたことを、感謝します、カオリ検察官」
 ブライトの言葉に他意はない。しかし「ささやかな休息」という言葉に、スレッガーとの一夜を思い出したカオリは、せつなかった。
「艦長・・・いえ、ブライト・・・・」
「失礼します」
 踵をかえし、部屋を出ようとする男。その男の背中に、思わずしがみついてしまう女。
「今でも好きなの」

(BGM「ラブストーリーは突然に」カットイン)

「何を言い出すのです、カオリ検察官」
「そんな風に呼ばないで。いかないで、ブライト。あなたと離れて1年・・・寂しかった」
「・・・・カオり、僕を捨てたのは、君の方だ」
「あの頃は、私も大人の女のふりをしていたかっただけなのよ。バカだったわ。若すぎたのね。あなたも、私も」
「僕はもう、士官候補生だった頃の、何も知らないボウヤじゃない」
「ブライト・・・」
「さよなら、カオリ」
 カオリの腕をほどくと、ブライトは黙って部屋を出て行った。

作:プロト ◆xjbrDCzRNwさん


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