0080ポシェットの中の戦争

第1話「戦場まで、あと何マイル?」

「噂じゃ、連邦もMSつくったらしいよ」
「そのくらい知ってるぜ。俺の兄さん、連邦のMSパイロットになったんだ」
「マジかよ」
「ああ、これが、その階級章さ」
「おー、すっげー!」
「でも、このサイド6じゃ、MSなんて見られないよな」
「そりゃそうさ。中立サイドだもん」
「つまんねえな。もっと近くで戦争やってほしいよな」

 教室の真ん中で、声が大きい男子たちが、女子の軽蔑のまなざしも気にせず、騒いでいる。

「やあね、男子って、うるさくて!」
「ホント。私達、もうジュニアハイなのに、いつまでもロボットみたいなのに夢中になっちゃってさ」
「ガキよね、あいつら。アクアも、そう思わない?」
「そ・・・そうね」

 物静かな少女、アクアマリン・イズルハは、あいまいに笑いながら応えた。
 とりあえず笑顔。それが、気まずくなりはじめた両親の間で、波風たてずに上手くやっていくために、アクアが学んだ技術だった。
 アクアは、相手の目を見て話をすることができない。でも、その笑顔が魅力的だから、特別目立つ存在でもないのに、クラスでも人気があった。
 しかし、その笑顔とは逆の感情が、心の中にうずまいていく。

 あなた達だって、ガキじゃない。
 男子がロボットとかに夢中になるように、あなた達だって、アイドルとかドラマとか、薄っぺらい会話しかできないくせに。

 どうして、皆、この現状に満足していられるのだろう。
 ジュニアハイに進級したとたんに、男子はズボン、女子はスカート、無意味な制服を着せられて。
 せめてものオシャレなのか、スカートの丈を短くするのが、卑猥な教師どもを喜ばせているだけなのにも気がつかず。
 スペースコロニーって言えば聞こえはいいけれど、こんな不安定な閉塞空間の中で・・・

 女子も男子も、どうして、そんなに笑っていられるのだろう。何も知らない子供であることを自覚もできないまま。

 アクアマリン・イズルハ。中学1年生。ふくらみはじめた胸とは裏腹に、閉塞感だけが心に蓄積していく。
 それを自覚する知性と、ごまかす笑顔を身につけてしまっているのが、アクアの不幸と言える。
 アクアは、ひさしぶりに、別居中の父と会った。
「学校の成績は、どうだ?」
「Aプラス」
「ほう、すばらしいじゃないか!」
 父は満面の笑みを浮かべた。
 いつも母といがみ合っていた両親が、自分の方を振り向いてくれるのは、アチーブメントで100点を取ったときだけだった。
 だから自分が必死で勉強すれば、きっと父と母は一緒にいてくれるはずだ・・・そう思っていたのに、今、父は別居している。それでも父の笑顔が欲しくて、アクアは100点を取り続ける。我ながら滑稽だとは思うけど。
「これを、母さんに渡してくれないか」
父は、アクアに一通の封筒を渡した。中には、正式な離婚届が入っているのかもしれない。それでもアクアは、目をふせて「はい」と応えるしかない。

 どうして私は、父の目さえ見られないのだろう。
 どうして私は、無力な子供のままなのだろう。
 どうして私は、この閉塞した環境から脱出できる力を持っていないのだろう。
 だれか、私をここから連れ出してください。

「お父さん、撮っていい?」
 アクアは聞く。デジタルビデオのファインダーを通してだけ、アクアは人と目線を合わせることができる。
「ああ、いいよ」
 ポシェットの中から取り出したデジタルビデオで撮影した、映像の中の父は、優しく微笑んでいた。

 父が別居をはじめてから、デジタルカメラはアクアの、唯一の友だった。いつも持ち歩いている。ふと心を奪われる瞬間があると、すぐにカメラを向ける。
 父との再会の後、軍港ブロックに迷い込んだときも、なんだか不思議なコンテナにカメラを向けていた。その映像が、後の彼女の人生に大きな影響を与えることを、まだアクアは知らない。

*****

「アクア!アクアじゃない!」
 家の近く、快活な声に振り向くと、赤毛の美女が立っていた。
「クリスさん・・・」
「クリスでいいわよ。久しぶり!元気だった?」
「いつ、戻ってきたんですか?」
「今日よ。たった今。仕事の関係でね。またよろしくね!あ、そうだ、記念に、撮って撮って!」
 アクアのデジタルビデオを持ち歩くクセを知っているクリスは、笑いながら言った。アクアがビデオを向けると、冗談めかして、有名な女優のマネなどをして見せた。
 クリスティーナ・マッケンジー。
 小さい頃から、隣に住んでいた、姉のような人であり、いつもクリスの憧れの女性であった。同性にとっての憧れは、つまり「嫉妬」を含む。

 どうして、クリスさんは太陽のように、輝いているのだろう。自分から人に話しかけられるクリスさんのような女性が、本当にうらやましい。
 誰かが呼びかけてくれて、はじめてコミュニケーションがとれる私は、月のように、ひっそりと太陽の光を反射しているだけなのに。
 人って、不公平だと思う。
 そう思っても、アクアはクリスに笑顔を向ける。目線をあわさないようにしながら。
 いつもの学校。いつものクラス。何も変わらない日常のはずだった。窓際の男子が騒ぎ出すまでは。
「おい、あれ、なんだよ?」
「MSじゃねえの?」
「まっさかあ」
「マジだってば!あれ、MSだよ!」
 アクアが窓の外を見た瞬間だった。校庭に降り立ったザクの単眼が、教室をギョロリと睨みつけた。パニックを残し、ザクは上空に飛び立っていく。
「全校生徒の皆さんは、校庭に非難してください」ワンテンポ遅れた、教頭の声の校内放送がかかる。大声を上げながら、皆、我先にと校庭に向かっていったのに、アクアは教室を出る気にはなれなかった。
「どこにいても、あんなロボットが落ちてきたら、一緒よ」
 そう呟いたとき、本当に、ザクが落ちてきた。アクアの座っていた席がもう少し前の方だったら、アクアはザクの下敷きになっていただろう。教室の前半分を崩すように、ザクの右半身がアクアの目の前にあった。
 校庭の皆は、どうなったのか?そんなことは、アクアは考えなかった。ただ、デジタルビデオを撮りだして、目の前のザクを撮りはじめた。
 アクアは、まだ小学生気分の抜けない男子達と違って、MSに興味があるわけではない。身の回りにあるちょっとした非日常(この場合、ちょっとしたどころでは、ないのだが)を撮影するのが、日常に閉じこめられていることに嫌気がさしているアクアの、クセなのだ。
 アクアは、夢中になってザクを撮った。カメラを腹部に向けたとき、コクピットハッチが開き、中から、ジオンのパイロットが現れた。
 その金髪のパイロット・・・バーナード・ワイズマンを見たとき、アクアの日常は壊れ始めた。
第2話「茶色の瞳に映るもの」

 ザクのコクピットから這い出てきた新米パイロット・バーニィは、素早く周囲を見渡すと、カメラを片手に震えているアクアを見つけた。
「動くな!」
 銃口を向ける。よく見れば、銃を持つバーニィの手も小さく震えているのだが、アクアは気がつかない。
「そのカメラで、何を撮っていた!」
「いえ・・なにも・・・」
「中立コロニーでジオン兵の姿を撮影されちゃ、困るんだよ!よこせ!」
 アクアの小さな手から、むりやりカメラを奪い取る。
 これだけ大惨事を起こしておきながら、いまさら撮影もへったくれもないのだが、撃墜されたばかりのバーニィも、アクアと同じように冷静ではなかった。
 バーニィはデジタルカメラの映像を調べ始めた。映像を逆廻しに見る。
 コクピットから出てくる(逆廻しだから、戻っていく)自分の姿。
 落ちてくる(逆だから、のぼっていく)ザク。
 日付が昨日に変わる。
 赤毛の美人がうつっている。戦闘中だということも忘れて、思わず鼻の下がのびる。
「おぉ!美人だな・・お前の姉貴か?」
 アクアは、黙って首を横にふる。
 さらに日付は戻る。軍港らしい風景。あやしいコンテナ。
「なんだこれ・・・お前、これをいつ、どこで撮影した!」
「3日前・・・このコロニーの軍港で・・・」
 バーニィはヒュゥ!と首笛をならし、パチンと指をならした。
 こいつは重大な情報だ。初陣でザク一機パーにしても、これで帳消しにならないかな。
「このメモリーカード、もらってくぜ。えーと、かわいいお嬢さん、君、名前、なんてんだ?」
「え?あ・・アクア・・・アクアマリン・イズルハ」
「変わった名前だな。ほらよ、アクアマリン。カメラは返してやる」
 メモリーカードを抜き取ると、バーニィはカメラを放り投げた。慌てて受け取る。
 もう一機、隊長エンブレムをつけたザクが校庭に降りてくる。バーニィの墜落と違って、校庭を逃げまどう生徒たちをふみつぶさないように、慎重に。
『バーニィ伍長、ザクは動くか?』
 スピーカーが外付けされているのだろうか。バーニィは、首を横に振った。
 ザクの腕が伸びる。バーニィはその手のひらに乗った。
 アクアは、バーニィを乗せてジャンプするザクを見つめた。
「バーニィ・・・」
 アクアはつぶやいた。
 あの、金の髪をなびかせる男性が、鉄の腕を持つ巨人を操って、私をここから連れ去ってくれる。ここではない、どこかへ・・・
 アクアは首を横に振った。そんなことが、あるわけがない。アクアはカメラが故障していないかどうか、チェックをしはじめた。

 校舎半壊を理由に、アクアの通う中学校は、少し早い冬休みに入った。

「2学期の成績、Bマイナスになってたわね」
 母が呟く。言われるとは思っていたけれど。
「ううん、成績が落ちたことは、別にいいの。母さん、その原因があるんじゃないかと思ってね」
 アクアは黙って、夕食を口に運ぶ。
 父がいた頃から、夕食は母と二人きりで食べていた。帰りの遅い父。
 コロニー公社に勤務し、サイド6の中立を保つために連邦にもジオンにも根回しをするのが、父の仕事だった。
 しかしアクアには、その重要性は理解できない。そして13歳の少女は、想像力だけがたくましくなっていく。
 どこで何をしているのか、よく分からない父。帰りが遅いのは、本当に仕事のせいだろうか?それだけならば、どうして、母と気持ちがすれ違うのだろうか。
「イジメとか・・あったの?」
 母の声に、我に返る。
「ううん、ないよ。アチーブメントのとき、ちょっと体調が悪かったから」
「そう?なら、いいんだけど」
 母と二人の夕食が、いつから、こんなに気まずくなったのだろう。
 多分、母が私を見なくなったからだと、アクアは思う。
 どうして、成績が落ちた原因を「父がいないから」「母と気まずいから」とか思わないのだろう?
 それとも母さんは、私との間にある空気の重さを感じ取っていないのだろうか?
 父から届いた手紙のことで、頭がいっぱいなのだろうか。

 誰か、私を、ここから連れ出して。

 ふっと、そう思ったとき、あのジオンのパイロット・・・バーニィの顔を思い出した。
 翌日、アクアは、休み中の学校に行ってみた。バーニィのザクを見たかった。しかしザクは、すでに撤去された後だった。精一杯の勇気をふりしぼって、工事の人に声をかける。
「あの・・・ここに落ちたロボットは・・・」
「ロボット?ああ、モビルスーツのことか?校舎の建て直しにジャマだから移動したよ」
「どこに、でしょう?」
「13番ストリートのジャンク屋街に、廃車置き場があるだろ。あそこだよ」
 すえた工場の匂いがただよう13番ストリート。
 こんなところに来たのは、アクアは初めてだった。思わず鼻をしかめてしまう。
 廃車置き場には、クレーン車かなにかで移動されたのか、ジムの破片に囲まれながら、ほぼ原型をとどめたザクが手足をだらしなく伸ばして座っていた。
 もちろん、バーニィはいない。
 アクアはザクを見つければバーニィに会えると思っていたのだ。
 でも、そんなことはあり得ない。本当は、アクアもわかっているのだ。自分を連れ出してくれる誰かなんていないということを。
 アクアは、しばらくの間、放心してザクを見上げた。モノアイの消えたザクは、無力な木偶人形のように見えた。
 予想通り、期待が裏切られたことを確認して、その場を去ろうとしたときだった。
 となりの倉庫に入っていく4台の大型トレーラーが、アクアの目に入った。
 その最後の一台を運転していたのは・・・・あの、バーニィだった。
 アクアの胸が、トクンと高鳴る。
第3話「虹の果てには」

 アクアは工場の、インターフォンの前を1時間もウロウロしていた。
 閉め切ったシャッターの内側から機械音が聞こえる。バーニィが中にいることは間違いない。でも、訪ねていく勇気がでない。
 もう帰ろう。私には「ここではないどこか」へ一歩踏み出す勇気なんてない。そう思ったときだった。
「そこのガキ!何の用だ!」
 後ろから声をかけられた。ふりむくと、バーニィがいた。
「さっきから、ずっとウロウロしていたな。コソ泥ってわけでもないし」
 私をおぼえていないのかな?そう思っても、アクアは何も言えずにいた。
「ん?お前、どこかで見たことあるな・・・アクアマリン・イズルハか!」
 おぼえていた・・・アクアは、コクンとうなずいた。
「どうした、知り合いか?」
「いえ、違います。どうやら道に迷った人らしいですよ」
 後から来たヒゲの男に、バーニィはウソをついた。
 わざわざ、こんな小娘一人、小隊長に報告して事を面倒にするまでもない。そう思ったのだ。

 バーニィはミニエレカのハンドルを握っていた。助手席にはアクアが、うつむいたまま座っている。
 全く、妙な具合になったものだと、バーニィは思った。
 ヒゲの男、ジオン特殊工作小隊「サイクロプス」隊長は、バーニィのウソを信じ、事を荒立てず、少女を家まで送るようにバーニィに言った。
『色男向けの任務だろう?』
 隊長は一言多い。こんなガキ相手に、色男も何もないだろうと、バーニィはムッとした。
「あの・・・」
「なんだよ」
「私・・・何か、お手伝いできること、ないですか?」
 バーニィは、あやうくハンドル操作を間違えそうになった。
「隊長は気がつかなかったけどな、お前、俺がジオンの兵隊だって、わかってるんだろう?」
「はい・・・」
「ジュニアハイの小娘が、手伝いできることなんて、あるわけないだろ」
「でも・・・」
「俺があんたから、コンテナのことを知ることができたのは、偶然なんだ!あんたが、まだ連邦の情報を持っているってんなら話は別だがな。ガキは戦争なんかに参加するんじゃないよ」
 アクアは、何も言い返せなかった。

 家のドアを開けようとしたが、鍵がかかっていた。母はどこかに出かけているらしい。
「何だよ、誰もいないのか?」
 ミニエレカから、バーニィが大声をあげた時、隣の家から、人がでてきた。アクアのカメラに写っていた、赤毛の美人だ。
「あら、アクア。おばさん、出かけちゃったの?戻ってくるまで、うちにおいでよ」
 そこまで言って、クリスはミニエレカにいるバーニィに気がついた。
「こんにちは。アクアの知り合い?」
 クリスが言い終わる前に、バーニィは車から出て、気取った笑いを浮かべながら、自己紹介しはじめた。
「はじめまして。バーナード・ワイズマンといいます」
「クリスティーナ・マッケンジーです。こんなかっこいいカレシがいるなんて、アクアも大人になったのね」
「え・・・あの・・・違うわ、クリスさん」
 アクアは頬をそめた。照れくさかったが「自分も、こんな女性になりたい」と憧れていたクリスから子供扱いされたようで、少し悔しくもあった。
「俺、アクアの従兄弟なんです。仕事の関係で、このコロニーに移ってきたばかりで」
 大人の男って、簡単にウソがつけるのね・・・アクアは、思う。
「まあ、そうなの。お仕事は、何をしているんですか?」
「街はずれの工場に勤めています。あなたは?」
「軍の関係」
 バーニィはピクリと眉を動かした。アクアも、クリスが軍人であるとは知らず、目を大きく見開いた。
「人は見かけによらないですね。あなたが、銃を持って戦争を?」
「まさか。研究施設に出向しているだけです」
「研究って、モビルスーツなんかを作ってたりするんですか?」
「そんなバカなこと、中立サイドで、あるわけないじゃない」
 クリスは笑った。どこにもわざとらしさがない、自然な笑顔だった。
「アクアをよろしくね。バーナードさん」
 照れるバーニィと、微笑むクリスの横顔を、アクアは、かすかな嫉妬とともに見ていた。
 クリスさん・・・バーニィに、いい顔しないで。バーニィは私をここから連れ出してくれる人なんだから。

 バーニィは言ったはずだ。
「連邦の情報を持っているなら話は別だがな」
 だからアクアは考えた。連邦の情報を得れば、バーニィは私を連れて行ってくれる。
 翌朝、バーニィはクリスの後をつけた。そうすれば、連邦の施設の場所もわかる。そこには何かがあるはずだ。だからジオンのMSがこのコロニーを攻撃したり、バーニィ達がコロニー内に潜伏したりしているのだ。
 自分のどこに、こんな行動力が潜んでいたのだろう。内気なアクアは、不思議に思った。
 コロニー管理用の地下トンネルから、研究施設に侵入する・・・見つかったら、ただではすまない。それなのに、今、アクアは地下トンネルの中を歩いている。
 でも・・・と、アクアは思う。バーニィに、ここではないどこかに連れて行ってもらうためならば、何でもできる。
 コロニーという閉塞空間で満足しているクラスメート達とは、違う・・・私は、どこかに行きたいの。
 アクアは、多感で思いこみの激しい「少女」という年代を生きている。普段は閉じこめられている激しいエネルギーは、思いもよらない方向に噴出していく。
 トンネルからの入口は、全て、新品の重扉で塞がれていた。
 残った手段は・・・宇宙服に身を包んで、コロニーの外壁を伝って、侵入する・・・
 非常用ブロックに入ると、緊急用宇宙服の入ったボックスが並んでいた。
 アクアは、首を横にふった。いくらなんでも、これはできない。
 外壁を伝うということは、宇宙空間に出るということだ。一歩間違えれば、コロニー回転の遠心力によって、宇宙空間に投げ飛ばされてしまう。あとは、暗闇と孤独の中で窒息死を待つだけ。
 やっぱりやめよう。そう思ったときだった。
「動くな」
 背中に銃をつきつけられた。
「手を頭の上において、ゆっくり、こっちを向くんだ」
 震えながら、ふりむくと、そこにはバーニィがいた。
「アクア!何やってんだ、こんなところで!」

「いいか、俺が先にいってワイヤーを張るから、それを伝って、ついてくるんだ」
 宇宙服を着たバーニィが、バイザーをくっつけて言った。目の前にバーニィの顔がある。ドキドキする。
「ジュニアハイの女の子と一緒に侵入する特殊工作員なんて、きっと俺がはじめてだろうな」
 バイザーを離してからつぶやいたバーニィの言葉は、当然、宇宙空間ではアクアには聞こえていなかった。
 コロニーの外に出るのは、初めてだ。目の前を星が流れる。もう一度、バーニィがバイザーをくっつける。
「少しでもコロニーから体を離したら、遠心力で宇宙の彼方へふっとんじまう。俺がいいと言うまで、手すりから手を離すなよ」
 そう言うと、バーニィはワイヤーを持って200メートルほど離れたブロックに、エアノズルを調節しながら体を流した。
 先のブロックに、ワイヤーの先を固定したバーニィが、両手を丸の形にしてサインを送る。
 アクアは慎重に、体とワイヤーをフックでつないだ。あとは、トンと手すりを蹴れば、後はワイヤーを伝ってバーニィのそばにいける。
 でも・・・怖い。
 ここではないどこかに行きたい。そう願ったのは自分なのに・・・いざ、それが叶いそうになると、怖い。
 自由と引き替えの孤独と死が、宇宙空間に待っているような気がする。
 たった200メートルの宇宙。それが、かぎりなく遠い。バーニィの姿が、とても小さく見える。
 その時、バーニィが微笑んだような気がした。それはアクアの気のせいかもしれないし、バーニィが「やれやれ」と笑っただけなのかもしれない。
 それでも、アクアが勇気を出して一歩を踏み出すには充分だった。
 手すりを軽く蹴る。思ったよりも早く、目の前の星達が流れていく。恐怖より、自由を感じる。父のことも母のことも忘れて、今、自分はコロニーという閉塞空間の外にいる。
 バーニィが、アクアの体を受けとめる。
「オッケーオッケー!上出来だ。初めての宇宙は、どんな気分だ?」
 ドキドキ。ドキドキ。大人の男に抱きとめられて、胸の鼓動がとまらない。心臓が口から出そうだ。
 内気な少女、アクアマリン・イズルハは、恋と冒険に夢中になっていた。
第4話「河を渡って木立を抜けて」

 ミニエレカが夜のハイウェイを走る。
 アクアは助手席で、寝息を立てていた。デジカメのメモリーカードには、隠し撮りに成功した連邦の新型MSの画像データがある。
 ハンドルを握りながら、バーニィは溜息をついた。こんな中学生の女の子を連れて、よく極秘侵入の任務に成功し、無事に脱出できたものだ。
 ミニエレカは、アクアの家の前で停まった。窓は真っ暗だった。
「なんだ?また留守か?まったく、この娘の親は何やってんだ。おい、起きろよ」
 アクアは、寝たふりをした。もう少し、こうしていたい。
 バーニィは運転席を出ると、助手席のドアを開けた。ドキドキしながら、寝たふりをして待つと、バーニィはアクアを、ヒョイッと抱き上げた。驚いて、思わず目を開けそうになるのを、じっと我慢した。
 王子様に抱かれる、お姫様のような気持ち。少女は胸の鼓動を感じながら、一瞬の幸せに包まれていた。意外と重いと、バーニィが思ったことなど、アクアは知る由もない。
 バーニィはアクアを抱きかかえたまま、隣のクリスの家の前に立った。その様子に気がついたクリスが、ドアを開ける。
「あら、バーナードさん」
「すみません。アクアを送ってきたのですが」
「おばさん、出かけているようね。うちのソファーに寝かせましょう」
 バーニィは家に入ると、クリスに案内された応接間のソファーにアクアを降ろした。今さら起きることもできず、アクアは寝たふりのままだった。
「それじゃ、失礼します。クリスティーナさん」
「よろしかったら、またいらしてくださいね、バーナードさん」
「あの、バーニィで、いいです」
「私も、クリスって呼んでください」
「おやすみなさい、クリス」
「おやすみなさい、バーニィ」
 アクアは、じっと目をつぶっていた。さっきまでドキドキしていた胸の内が、なんだかモヤモヤとして気分が悪くなってきた。
 バーニィを取らないで・・・胸のモヤモヤが、灰色の渦を巻いていく。

 それでもアクアは、バーニィのために、何かをしたかった。
 数日後「学校の自由課題」と偽り、クリスに頼んで、研究施設のディック教授にインタビューする約束を取りつけた。施設に入れれば、また、バーニィのためになる情報を得られるかもしれない。
 今度は、正面から堂々と、施設に入る。部屋に入ると、白髪の黒人が、節の目立つ指の握手と人なつこい笑顔で、迎え入れてくれた。
「MSは、人を幸せにするためのものではないよ」
 ディック教授の言葉は、巨人を操るバーニィが自分を連れ去ってくれると夢想していた少女にとって、少しショックだった。
 その時、窓の外から、小さな爆音がした。
 ディック教授と一緒に、ブラインドの隙間から窓の外を見ると、遠く夜の市街地の上空、連邦のジムが青い正体不明のMSに撃墜される瞬間だった。
 部屋のルームフォンが鳴る。アクアに避難するように言いながら、教授は受話器を取った。
「アレックスをコロニー内で?もちろん、いつでも出撃できるとは思いますが」
 教授の声を後にして、アクアは部屋を出た。
 建物の外に出ると、思ったよりも近くに、青いMSが立っていた。反対側のブロックから、倉庫の屋根を壊しながら、灰色のMSが立ち上がる。バーニィと一緒に侵入した時にデジカメに収めた、連邦の新型。
 青が爆薬を仕込んだワイヤーを灰色に巻きつける。爆発連鎖。爆煙とともに、灰色の補助装甲が崩れる。
 中から姿を現した真の姿は、白。胸に、RX−78NT1の機体ナンバー。通称、アレックス。その機体がニュータイプ専用ガンダムであることなど、アクアは、もちろん知らない。
 青がビームサーベルを抜くより早く、白の左腕の強化バルカンが火を噴く。為す術もなく、穴だらけになって崩れ落ちる青。
 勝利を確認して、膝をつく白い機体のコクピットから、ノーマルスーツ姿のパイロットが出てきた。ヘルメットを取る。長い赤毛が、こぼれる。
 アクアは、視力はいい方だ。何よりも、あの、憧れと嫉妬の対象である女性の姿を見間違えるはずがない。
 アレックスに乗っていたのは、クリスだった。
 アクアは、その場を急いで走り去った。どこをどう走ったのか覚えていない。あるいは、思ったよりも施設を離れていなかったのかもしれない。
 角を曲がったところで、暗闇から銃口をつきつけられた。
 作戦に失敗し、傷ついた隊長の遺体の側に立ちつくすバーニィが、とっさに向けた銃口だった。 

 何が起こったのか、よく分からなかった。ただ、直感的に思った。
 クリスさんは、バーニィの敵。バーニィと、私の敵。
第5話「嘘だと言ってよバーニィ」

 ジャンク屋の倉庫で、バーニィは、アクアが買ってきたハンバーガーを貪るように食べていた。
「警察は、俺を捜していたか?」
「・・・いいえ」
「アクア、お前はどうして、俺にかまう?」
 アクアは、うつむいた。何も言えなかった。
「もう、俺にかまうな」
「バーニィさん・・・バーニィ」
「俺は、ガンダムを倒す。外に転がっているザクを修理すれば、なんとかなる」
「どうして?もうバーニィ一人しか残っていなんでしょ?逃げればいいじゃない」
「クリスマスまでにガンダムを破壊しないと、このコロニーをジオンが核攻撃する」
「・・・だったら、私を連れて、逃げて」
「え?」
 バーニィは一瞬、アクアの言葉の意味が分からなかった。
 いつの時代でも、理屈で生きる少女というものは存在しない。そして、そういう少女を理解できる大人の男もいない。
「ここから逃げよう。私、バーニィと一緒だったら、どこだって行ける。宇宙空間にだって、出ていけたもの」
 アクアが怖いのは、核攻撃で死ぬことではない。そんな想像できない死より、バーニィと二度と会えなくなるのが怖い。
「男と逃げるなんて、子供の言うセリフじゃないぜ」
「私、子供じゃないわ」
「落ち着けよ、アクア。俺が君と逃げたら、このコロニーは核攻撃で全滅するんだぜ。家族はどうなる?学校の友達は?」
 そんなの、どうでもいい!そう思っても、言えなかった。アクアは黙ってうつむいた。バーニィに、嫌な女だと思われたくない。
「俺はもう、ジオンのためにガンダムを倒そうと思っているんじゃない。俺、このコロニーが気に入った。だから、このコロニーを核から守るために戦うんだ」
 私は嫌い。こんな狭くて、息がつまりそうな空間。閉ざされた現実。学校。家族。皆、嫌い。だからバーニィに、ここではないどこかに、連れていって欲しかったのに。
「クリスさんが、いるから?」
 アクアの問いに、バーニィは笑った。その曖昧な笑顔が全てを物語っている。バーニィはアクアのためじゃなく、クリスのために戦う。ガンダムにクリスが乗っているとも知らずに。
 アクアは立ち上がると、走って倉庫から出て行った。
 バーニィが好き。でも、他の女が好きなバーニィなんて、大嫌い。

「アクア!」
 振り向くと、クリスだった。二人は並んで夕方の小道を歩く。影が長い。冬。もうすぐクリスマス。
「クリスさんって、軍人だったんだね」
「どうしたの、突然に?」
「もしも・・・もしもね、好きな人が敵だったら、どうします?」
「そうね・・・やっぱり、戦うと思うわ」
「・・・本当に?」
「それが、私が選んだ生き方だし、相手が選んだ生き方だと思うのよ。だから私は、自分の生き方を守るためにも、相手の生き方を認めるためにも、銃を向ける」
「じゃあ、その人が、他の女の人のために戦うって言ったら?とめるでしょ?」
「とめないでしょうね」
「どうして?」
「とめて、どうにかなるかしら?」
「つらくないんですか?」
「きっと、つらいと思う・・・だから、ひょっとしたら、やっぱり、とめるかも」
 クリスは舌を出して、おどけた表情で笑った。結局、何が正しいかなんて大人にも分からないものなんだと、アクアは思う。
「今日のアクア、ちょっと変よ。何かあったの?」
「なんでもない・・・」
「ところで、バーニィは元気?」
 クリスの言葉に、アクアの胸がトクンと鳴る。
「クリスさん・・・バーニィが好きなの?」
「な・い・しょ」
 クリスが笑う。大人の余裕。アクアの胸の奥から、灰色に渦巻いていたものが黒くなって目をさます。
 クリスさんを好きなバーニィも、バーニィを好きなクリスさんも、嫌い。

 なんだ、話は簡単じゃない。バーニィがガンダムを倒して、クリスさんが死んじゃえばいいんだわ。
 コロニーは助かるし、バーニィも、きっと私を見てくれるようになる。

 夜。人目につかない時間帯。
 母が寝静まったのを待って、家を抜け出す。人通りの全くない倉庫までたどり着くと、バーニィが闇に紛れてザクを修理していた。
「バーニィ」
 声をかける。コクピットから、パッと銃口がのぞく。
「なんだ、アクアか。脅かすな」
「私にも、何か、手伝えること、ないですか?」
 意外そうな顔で、バーニィはアクアを見つめた。微笑さえ浮かべるアクアの顔は、13歳の少女には見えなかった。底知れぬ闇を瞳に宿した「女」だった。背筋が寒くなったのは、冬のせいだと、バーニィは思うようにした。
 タイムリミット・・・クリスマスまで、あと5日。
第6話「ポシェットの中の戦争」

 研究施設から少し離れた森に、ガンダムをさそいこめば、民間人を犠牲にしなくてすむ。
 バーニィとアクアは、3日かかってザクを修理し、ジャンクから武装を手に入れ、森に罠をしかけた。
 バーニィと一緒に行動した3日間。それは、アクアにとって、何事にも変えられない幸せな日々だった。たとえ戦争の準備をしていたとしても。
 作戦決行は星降る聖夜。街が浮かれる、クリスマスイブの夜。

 19:30
 バーニィはミニエレカを森の反対側にとめた。ここなら、研究施設の連邦軍から見つかる心配もない。
「アクア、お前はここから、ガンダムが俺に破壊されるのをビデオに撮れ」
 助手席のアクアが小さくうなずく。
「俺もお前も、11時に、13番ストリートの倉庫に戻る。ガンダム破壊の映像をグラナダに送る手はずは、そこで説明する。もしも俺が時間通りにこなかったら・・・」
 バーニィは一枚のディスクを取り出し、アクアに渡した。
「もしも俺が死んだら、そのディスクにある指示の通りに動け。そうすれば、どんな場合でも核攻撃は防げるはずだ」

 もしも、バーニィが、死んだら?

 そんなこと、今まで、一度も考えたことがない。
 バーニィはクリスを殺してでもガンダムを倒し、私のところへ帰ってくる。そう信じて疑わなかった。
 それなのに・・・バーニィが死ぬ?そんなこと、ありえない。
「さあ、降りるんだ」
「バーニィ・・・死なないよね?」
「もちろんさ」
 それはバーニィの大人としての・・いや、男としての、強がりだ。
 アクアは、目をつむり、顔をあげた。時が、夜が、満ちる。
 バーニィの手のひらが、頬にふれる。唇がきつく重なるのを、小さくふるえながら、待つ。
 しかしバーニィのキスは、おでこに、ちょっとふれるだけだった。
「いいか、アクア。もしも自分が不幸だと思っていても、誰かがそこから連れ出してくれるなんてことはない。お姫様を抱き上げる王子様は、物語の中にしか存在しないんだ。
 だから、現実を変えたかったら、誰かを待つんじゃなくて、自分から動かなくちゃいけない。わかったか?」
 アクアは、ただ、何も言わずに、ゆっくりと首を横に振った。バーニィは寂しそうに微笑む。
「俺は、お前の王子様になれるほど、強い男じゃないのさ」
 本当は最初から分かってた。バーニィの言うとおりなのだということを。
 アクアは潤んだ瞳で、曖昧にうなずいた。バーニィは、ニッと笑った。
「さ、降りるんだ」
 うながされるままにミニエレカを降りるしかなかった。
 窓から手を振るバーニィの笑顔を見たとき、アクアは感じた。もう、バーニィは戻らない。
 走り去るミニエレカの後ろ姿を、アクアは見えなくなるまで、見つめていた。
 核を積んだジオン艦隊が連邦に急襲され沈んだことを、アクアもバーニィも知らない。

20:00
 突如としてコロニー内に出現したザクに、イブの街はパニックになった。
 ザクは研究施設を目指して、コロニーの「河」にそって進む。出撃するアレックス。右腕のバルカンを避け、誘うように、森に逃げるバーニィのザク。それを追うアレックスのパイロットは、赤毛のクリス。
 森の仕掛けが煙を噴く。突然、視野を塞がれたアレックスの周囲にバルーンダミーがいくつもふくらむ。バルカンが無駄弾を消費する隙に、背後に回ったザクのヒートホークが迫る。
 急旋回するアレックス。バルカンがザクの装甲を穿つ。コクピット右部被弾。飛び散る破片がバーニィの額を切る。
 交錯するヒートホークがアレックスの右腕をバルカンごと裂き、2撃目が胸部を襲う。火花を上げて飛び散る破片がノーマルスーツさえ引き裂き、クリスの右腕を傷つける。
 ビームサーベルを抜くアレックス。切り落とされるザクの左腕。もつれながら倒れ、森の斜面を滑る落ちる2体の巨人。
 ザクが止まる。アレックスの体が研究所の近くまで滑る。距離をおき、ゆっくりと立ち上がる2体。姿勢を整える。
 アレックスのコクピットにはクリスが、ザクのコクピットにはバーニィがいることを、二人は知らない。
 ただ、互いのコクピットの中は、自分の荒い息の音しか聞こえない。
 ブゥン。アレックスのサーベルが伸びる。
 ウォァン。ザクのヒートホークが熱を帯びる。
 同時に踏み込む。一瞬。ぶつかり合う2体。
 ヒートホーク。アレックスの首が潰れ、飛ぶ。しかし、そのビームサーベルがザクのコクピットを貫いていた。
 倒れるアレックスの、ニュータイプ感応型センサーの塊である頭部の修理は、容易ではないはずだ。作戦は終了した。ガンダムは破壊された。
 そしてくずれ落ちるザクのパイロットは、きっと、炭も残らないほど焼き尽くされてしまっただろう。
 アクアは森の向こうから、その様子を、じっとカメラにおさめていた。それがアクアにできる、唯一のことだった。
 スイッチを切ると、その小さな戦争を動画データに封じ込めたカメラをポシェットの中にしまい、その場を走りさった。
 きっと、こうなるだろうって、分かっていたけど・・・
 まだ、心のどこかで、悪い魔女を倒した王子様が自分を抱き上げて、連れ去ってくれる夢を、見続けていたかった。
 少女の望みは、ただ、それだけだったのに。

 23:00
 アクアは倉庫の片隅で、バーニィから渡されたディスクの画像を見ていた。バーニィの姿が見える。バーニィの声が聞こえる。
「アクア、お前がこれを見ているころには、俺は死んでいるだろう。
 もしも俺が、ガンダムを破壊していたら、アクアが撮った映像データを9番街の「エルトン・ジョン」という名のバーの、ブラウンというマスターに渡してくれ。ジオン艦隊に連絡を取ってくれるはずだ。
 もしも俺が、ガンダムを破壊していなかったら、このディスクをクリスに渡してくれ。このディスクには、もう一つ、俺がジオンの核攻撃のために動いていることを証言しているデータが入っている。それで連邦が動き出すだろう。
 どっちに転んでも、核攻撃は避けられるはずだ。
 
 アクア、お前はもっと笑った方が、かわいいぜ。
 いい女になれよ

 クリスによろしくな」

 アクアは、ポシェットの中の戦争を胸に抱えて「エルトン・ジョン」へ急いだ。泣いている余裕が無いのが、せめてもの救いだった。
 戦争は、ジオンが敗北して終わった。
 半壊した校舎の修理は終わっていないけれど、今日から新学期がはじまる。
 スカートを短くしたら、冬の寒さが、まだつらかった。
「アクア!」
 ふりむくと、クリスが立っていた。右腕をギブスでかため、吊っている。
「どうしたの、その髪?」
 クリスが訊く。アクアは黒かった髪を、クリスの髪のように赤く染めていた。
「気分転換。クリスさん、ひっこすの?」
 クリスの家の前に、大型トラックが止まっている。
「家族ごと、地球に戻るのよ。アクアに会えてよかったわ。やっぱり、お別れのアイサツは、直接しなくちゃね」
「仕事の関係?」
「そうね。もう、戦争も終わったから・・・最後にバーニィに会えないのは残念だけど」
 チクリ。アクアの胸に小さなトゲが刺さる。
 今、ここで「あなたの殺したザクのパイロットが、バーニィよ」と言ったら、クリスは、どんな顔をするだろう。
 言いたい。言って、クリスを苦しめてあげたい。言って、私が楽になりたい。
 だけど、何も言えずに、アクアはうつむくだけだった。 
「どうしたの、アクア?そんな哀しそうな顔しないで。
 笑顔の方が、アクアには、よく似合うわよ・・・ 
 いい女になるのよ
 バーニィによろしくね」
 微笑みながら、クリスは言う。憧れの、大人の笑顔で、バーニィの最後の言葉と同じことを言う。
 私は、まだ、一人の子供でしかない。

 髪を赤く染めても、スカートを短くしても、自分も周りも、何も変わらないかもしれない。
 ただ、ちょっと、ドレスコードにうるさい教師に注意をされるだけかもしれない。
 それでも・・・とアクアは思う。それでもバーニィは私に言った。現実を変えたければ、自分から動くしかない、と。
 だから、私は、今日から、笑う。赤い髪をなびかせて。短いスカートをひるがえして。
 クリスが乗り、走り去るトラックを見送ると、アクアは学校に向かって走り出した。

fin

作:プロト ◆xjbrDCzRNwさん


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